「棲家」について 4

築山登美夫



 この「出自の不明な暗喩」(前号参照)をことごとく〈解読〉してしまった評者がいる。彼は詩集『難路行』で吉本が「不明な暗喩」とした、作品「ミューズに」のミューズに冠せられた「黒い」という喩は作者のミューズであった女性が黒一色だけを好んでいたからだとか、また作品「風」の「真珠貝の孤独」の喩は真珠貝のようなやわらかい肉をもった孤独な女性のことだとか、作品「室内楽」の「太陽の誘惑のしみ」はそのような肌をもった(中年の)女性の喩だ、というように〈解読〉したのだ。

 それも、これも、女性だと思います。そのような暗喩は、コトバの上で、昔から、ずっと知っていたことでしょうが、はからずも、現実の女性を通して、そのコトバの実在がよみがえってきたのです。詩をつくっていくインデックスの方向に、その暗喩がぴったりだったのでしょう。
 女性、女性と、わたくしは言っておりますが、詩集『難路行』は、複数の女性に対するそれぞれの手切れの詩作品群のような気がしてなりません。(そうでない作品もありますが、それらは、あまりおもしろくない)そして、その手切れが、あぶなく自身にも及んでいる危険性を感じるのです。つまり、死の予感です。その手切れが「死」を招いていると言うのは、言いすぎでしょうか。
(長谷川龍生「末期の意識のなかに『愛』」――「現代詩手帖」88年10月号)

 あらかじめ云っておかなければならないのは、このように詩を作者の現実、私生活に直接にむすびつけようとする読解は、従来の詩批評が避けていたものだということだろう。それは作品が高度の虚構性をかくとくすることによって、現実をのりこえようとする作者のたたかいをうちけし、もとのもくあみにしてしまうとかんがえられたからである。またそのような読解をゆるすのは作品の虚構性の低さだとみなされたのである。だがそのような事情は、作者がはっきりとこの現実、この私生活に着地した場処から出発しているとかんがえることのできる直観の通路がふさがれようとするようなとき、そのことが作者の表出のたたかいにとって障害となっていると感じられるようなときには、再考されなければならない。そうするにあたって、この長谷川龍生のような理解のしかたはとても貴重なものなのだ。
 だが長谷川の理解は、わたしからみて、自身にひきつけすぎた偏差の大きいもののように思える。たとえば鮎川の「黒いミューズ」を着衣の黒色とするのはあまりにも私詩的な読みにすぎるようであり、だいいち「きみの花柄のパンティを脱がせるためだったら/……詩なんかいつだってすてられるさ」という終連の「花柄」というのがつじつまが合わなかろう。この「黒いミューズ」の出自をたずねるなら、ボードレールを青年時代から晩年にいたるまで悩ませつづけた「黒いミューズ」、ジャンヌ・デュヴァルを連想するのがごく自然なのではあるまいか。

 奇態な女神よ、夜のように色浅黒く、
 麝香とハバナのいりまじった香りも高く、
 どこかの魔術師、草原のファウスト博士が生み出した、
 黒檀の脇腹をもつ魔女、真暗な真夜中の子よ、
 (中略)
 おまえの魂の通気孔、その黒い二つの大きな目から、
 おお無慈悲な悪霊よ! そんなに焔をそそいでくれるな。
 地獄の河ではあるまいし 九回もおまえを抱けはしない、
(ボードレール「SED NON SATIATA (まだ飽きもせず)」安藤元雄訳)

 黒いミューズは猛り狂って叫ぶ
 嘘つき! 詩人の資格なし!
 ぼくらは闇の物象の
 奇妙な ぞめき笑いの中に立ちつくす

 そこにいるのか いないのか?
 沈黙は共通の敵だから
 ぼくは喋べらなければならない
 ……共通の穴である深い井戸にむかって
(鮎川信夫「ミューズに」)

 照応はすでに瞭然としているが、じっさいに鮎川の「ミューズ」がボードレールの黒白混血の愛人ジャンヌのように浅黒い肌をもっていたかどうかは重要ではない。それよりも、 『難路行』の他の詩句から引けば、狂う寸前の眼つきをしてじぶんの好きなものを数えあげ、さいごに「あなたなんか大きらい!」と叫んだり(「幸福論」)、舌足らずの棘にみちた手紙で男を非難してみたりする(「青い手紙」)、わがままでヒステリックな過敏さと無神経さをあわせもち、同時に男を魅惑してやまない感覚性と官能性をそなえた、つまりは男を悩ませるために生まれてきたような女との断ち切れない関係(「おお無慈悲な悪霊よ!」)そのことが、「ミューズ」に冠せられた「黒い」という喩の意味なのだ。
 長谷川は『難路行』を複数の女性との手切れの作品群だというが、わたしにはむしろ「手切れ」の不可能性をこそモチフとしているように思えてくる。この不可能性こそが、死の触感に鮎川を近づけ、おののかせたのだ、と。

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