詩 都市 批評 電脳


第11号 1993.12.25 206円 (本体200円)

〒154 東京都世田谷区弦巻4-6-18 (TEL:03-3428-4134:FAX 03-5450-1846)
(郵便振替:00160-8-668151 ブービー・トラップ編集室)
5号分予約1000円 (切手の場合72円×14枚) 編集・発行 清水鱗造
*郵送料が1月より値上げされるため、次号より\227(本体\220)となります。5号分予約\1100(切手の場合90円以下の小額切手)となりますのでご注意ください。1月15日までに予約の方は旧料金でOKです。


表紙-セミの日-子供の芝居-詩――本人校閲-あこがれ-遺言-城と洞の扉に炎がもえる-祭礼-「棲家」について 5-[組詩]オムライス-バタイユはニーチェをどう読んだか 4-塵中風雅 8-Booby Trap 通信 No. 2

セミの日

布村浩一



あつい夏の空からセミが鳴いて ぼくはスダレの向こうの空をみつめる 汗をポタポタかいて 汗をポタポタながして 暑中見舞いを2枚書いて それから この村の おなじような形をした 屋根をみつめる 二本の電線も 山も むかしと同じ配置 ぼくはむかしと同じ空気を吸っている ぼくは吸おうとしている ぼくは吐きだそうとしている この村とぼくの空気を交換したい 庭のダリヤや 光った屋根や ゆれる高いいちじくの木をみた ぼくは少しずつ交換しだすのだ ぼくと外を この夏の日の仕事は 吐くことと吸うこと 吐け 吸う ぼくは吐きだした 吸いこむ そうしているうちに 夏の日の空気が ぼくのからだに はいるかもしれない 夏の日の汗が ぼくの声からあふれるかもしれない


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子供の芝居

長尾高弘



子供を見ているとひょんなことを思い出すものである 子供の頃の私のなかには みんたかとかつんたかとかじゃあたかといった連中が住んでいて あたりが静かになると もぞもぞと動き出して 芝居のようなことをするのである そのみんたかとかつんたかとかじゃあたかは それぞれきゃらくたあというものを持っていて よく出てくるやつもいれば めったに出番のないやつもいる (よく出てくるからといってそいつが好きだとは限らないのだ) 話の内容やそいつらがどんなやつだったかは忘れてしまった いずれ眠って夢でも見ていたのだろう 覚えているのは 騒がしかった雰囲気と名前の一部だけ いつの間にか一人も出てこなくなって そんなやつらがいたことさえ忘れていた それにしても その芝居を見ていた私は誰だったのだろう 今ごろそんなことを思い出す私も


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詩――本人校閲


結局みんないつかは死ぬということを学ぶために今日を生きている ある日僕はふとしたことがきっかけで、そのふとしたことというのがまたよくわからないのだが、何か躓くような瞬間的 な出来事のせいで、迷い込んだ路地裏の、光りも射さない巧妙さの欠けた、馴染みのある街の一角で、破局的な怒声を聞 き、あれが何だったのかさえ知らされないまま、遠い故郷の、もう故郷は僕にはない「  」のだが、雪が積もった日の 匂いとか、犬がやたらに多かった日のぺニスの昂りを、女子中学生と林の中で絡め「  」あった舌の温もりに、でもカ ラスは冬の間境内のどこに隠れて、僕と僕ではないものとのことを見ながら、心臓が破けそうなほどの欲望に塗れて、空 からではなく、空気と空気の間から突然現れるぼた雪が、掌の上で溶けてゆくのを、あの子の乳房だけがやたらと鮮やか に、忘れることが出来ないのは、ぱっと散った血の美しさ、それとも艶めかしいその匂い、それは「   」雪の中を逃 げる兎の目に似て、これ以上誰をも引きつけることの出来ない「  」記憶と、その引喩「    」、そして尚ここに おいて声と身体の同一性は断たれ、僕は僕ではないものとの区別さえで「    」きず、永遠に彷徨う道を歩きだした 「     」わけで、その時僕は、僕ではないもの「  」の、もはや唯一者はロゴスという壇上にはもういなく、こ のようなエクリチュールの勝利は、僕の不在によって招いた危機であり、例えばそれを在るべきものと位置づけてもよく、 僕はだから、僕ではないもののせいで、興奮し、紛糾し、夢を食う夢に脅え、校閲から逃げまどい、そして僕自身に出会 いそうになる畏怖を抱き、雪の重みで下がってしまった空の重厚な弛みに、明日を思い、昨日を懐かしみ、また通いつづ けた路地を曲がり、自分が人間であることを思い出した。                  ―― 声は永遠に断たれた。あの声変わりが僕の                     もう取り返しのつかない過去の過ちまで浸                     食し「仕事は終わった」と呟かれた女が、                     エレベーターの中で一人泣いた。聖域に染                     みたひと雫の雨。挿入。削除。挿・・・・                     そして、あなたは、何の躊躇いもなくまた                     更新した文書のみを保存する。      ――                             1993年11月11日                                      辻仁成


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あこがれ

関富士子



よーい。 はれやかに少女は叫ぶ ピストルを空に向けて まっすぐな腕 片手の指は耳の穴に            今まで気づかなかったが            あれはわたしがほんとうに            したかったこと            できるとも思わなかったが ぱーん。 前列がいっせいに走る 火薬の匂い 砂ぼこりを浴びて 少女はほほえむ            いつもうつむいて走っていた            何も見たくなかった            わきばらの痛み            となりの子のひじがあたる            コーナーですべる            のどに砂がはりつく 少女の足元で 少年が火薬を詰める 片ひざを立て 沈着にすばやく 少女に手渡す            かばんの中に            おもちゃのピストルを隠していた            死ねるとは思わなかったが            いつか男の前で            自分の胸に当てるつもりでいた よーい。 くりかえし少女は叫ぶ 耳たぶをばら色にして つまさきをそろえ 少し背伸びして


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遺言

園下勘治



あらしの夜には耐える木も こんな真っ昼間に倒れる どこかでささえてくれる手を 信じてみようとするからだ 伝えなければならない これをあなたに伝えなければ にくもこころも炎のなかに 巨きな炎には戻れない リレーのバトンを手渡すように 木々がひかりを引き継ぐように 伝え了えたら倒れたっていい? にぎりしめていたちいさなこぶしのなかに にくの目には見えないてのひらの奥に いまも託されているもののことを


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城と洞の扉に炎がもえる

沢孝子



城の扉をひらいて面接する
ひざまずく封筒が ケラケラ笑う
堀からはとぎすまされた武の掛け声がひびいて
伝統という流れにゆがんでいく胸の文字 毒蛇(ハブ)の舌なめずりで
不可解な位の椅子へ 鎧となる言葉の形があるから 驚いている封筒 胸中の洞はとじて
美しかった あの空の死の謎を解きたい 城の周りをうろうろしてやっと辿りついた面接なのだ
なぜ受けごたえは呪文になるのか 法螺吹きの情念の舌 その動きにある卑屈さが恥ずかしい
奥のカーテンを気にする あのひびきは 機械なのか 馬のひづめなのか 屍のうめきなのか
了解できないで さまざまな動きにはらはらするだけ 城のなかへ入る資格なしという答えが返ってくる
それは毒蛇(ハブ)のうねりは館からはみだす恐れがあり うろこのエロチシズムはカーテンの揺れにある襞にはそぐわない
そのとき天に梅の花びらひらいて 鉄皇ぶしょうの恋にもえる便箋の文字のしたたりにふるいたつ
戦争で詰め込んだたくさんの頭脳の星 突っ込んできたのは鋭い梅の木の先 珊瑚の割れ目に花びらの傷口が浮く
戦後の城の扉は軽くなった 喜んで機械の街の奥へ 梅の屋敷に入れば椅子の人狩り 頭脳を打つ鎧は痛い その恐怖があり
今 胸ひらいて沖縄戦での 毒蛇(ハブ)の踊りを館で披露したいと はなやかな舞台で呪文をとなえているけれど
やはり襲ってくる とぎすまされた武の掛け声が 伝統という堀の流れに 傷口のひびきが……
不可解な天を梅の木がひらく 鉄皇ぶしょうの恋の優しさに 鎧の貌にある刀の先がだぶり 破れている胸中の傷口 ゆがむ文字の花びら
管理された城の扉をひらいて面接にいく老齢があり 階段をのぼりつめている執念には
ケラケラ笑う封筒の変身してきた月日があり むなしい恋の奥にある梅の屋敷の人狩りの恐怖へ
たくさんの星の頭脳がもえている ひざまずく扉に炎の花びら

洞の扉をとじて逃避していた
こわれた風呂敷が ナワナワ這う
溝からはそぎおとしてくる華の水の輪がせまって
夜の器の真軸にみだれる頭の言葉 毒蛇(ハブ)の強がる牙で
迷路のような売る格子へ 浮き世にある文字の線にみせられて 後ろ暗くなる風呂敷 頭脳の扉をひらいて
すくいだった あの街のむなしい恋に近づきたい 洞の闇にあるねばねばをすくいあげ 自由のためにいそいだ逃避なのだ
それが性のうねりになり 南の踊りへとつながっていく この牙の尖りを確かめたのが嬉しい
岩底のシイーツに濡れていた あのしたたりは 楽器なのか 烏のなきごえなのか 交美のよろこびなのか
のめり込めないという淵には 他界の儀式に参加できない根元の相違があって苦悩はつづく
それは毒蛇(ハブ)のうずまきでは雪景色の刀の血に染まれない そのグロテスクさはあまりにも陽気すぎる 祖霊にある明るさ
そのとき砂に珊瑚の花びらとじて 黍ユタがなしの死者が語りだしている そのふるえる樽の家人の言葉のひびきへとしずみこむ
古代を覗いた澄みわたる胸中の月 離別の闇がかたる祖霊の珊瑚に海の瞳 梅の亀裂の花びらに悪霊がたつ
現代の洞の扉は壊れ 幸せつかんだ座も 岩底となる珊瑚の夜に沈んでいく滅び 胸中にさまよう浮き世の激流 その怒りがあり
今 頭をとじて薩摩の支配へ毒蛇(ハブ)の交尾が笑う 家人の人身売買という極限の暮らしを思いつつ
やはり格子はあるのだ そぎおとしてくる華の切り口 藩という溝深くからの悪霊のしたたりが……
無意識の砂に珊瑚の海がとじている 黍ユタがなしの死者の狂いは 浮き世の恋の狂暴と重なり 尖りだすだす脳裏の激流 みだれる言葉の花びら
消滅する洞の扉をとじて逃避する娘が走り 階段をおりつづけている孤独には
ナワナワと這う風呂敷の夜這いの抜け道があり 淋しい死者と語る岩底の珊瑚の夜にある滅びの怒りへ
こわれた扉の炎の花びら 澄みわたる月の胸中にもえている


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祭礼

倉田良成



颱風の去った日 斜光のふりそそぐ夕ぐれの街で 冷や酒を舐め あぶった内臓を食らう男たち かすかに血のいろを揺らす商店通りに 子供を抱き 怒ったように 女たちは寡黙だ やがてはるかにきりたつ風が来る 光の束が海面の一か所にあつまる 沈黙は絶対である 口をひらく存在があるとすれば ヤー 肯定の声 この地上で誰も聞いた者はない 大蛇のように輝くうしおに乗り 蝋涙のつくる積乱雲の沖から 漂着するすずしいササブネ ナギの木ごしにのぞく灰の眼 森を散歩する犬が人を引っ張る 秋は深いところまで来たようだ 犬の前身が見えない 世界の裏側の 美しい遺骸をむさぼっているから たけり狂うカナカナのさけびを背に そしてそのまま近づいてくる 死は謎ではない 生が奇跡なのだ ならば死はその不思議にいろどられた ひとつの知慧でなくてはならない 雨のやどりの無常迅速* 恒星のまたたきよりもはやく 零れるみずぐきのうごきが告げる 生まれたことのおおきな悲しみは 時の夢幻のうちにわきあがる ちいさなよろこびに変わってゆくと はがねのような九月の空の リンデンバウムのしたで吼えるライオン 金剛の言葉の粒 そのとき 東の果ての細長い平地で 盲僧が 弦を擦る 火の点線をすあしで歩きながら 酔うと男たちは立ちあがり 街のはずれへ呼ばれてゆく 水を打ち 塩を盛り 闇のおくでしずかに白熱する笛 (まるで希望のように) 秋の祭礼がはじまったのだ

(連作《SEPTEMBER VOICE》より)

    *『芭蕉七部集』より。なお「おおきな悲しみ」云々は、田村隆一氏の作品『犬』からいただいたことをお断りしておく


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「棲家」について 5

築山登美夫



 そのようにみてみると、鮎川信夫には『難路行』以前にも〈ジャンヌ詩篇〉(前号参照)と名づけたくなるような作品群が存在していることに気づく。その嚆矢は「生証人」(71年)だろうか。

 入日の色がほんのりと/ふくらはぎからのどに昇ってくる/悲しい体にぞっこんまいって/あっさりと未来を売りわたした/ゆるしてくださいまし/けちな動物のプライドにかけて/くる日もくる日も/意地汚なく愛撫を重ね/天地をさかさまにして/入日のさまを/覗き見してきたのだ/もう誰も知りたがらない二人の秘密/ありったけの力をこめて/幾重ものドアを叩いてきた/空虚なこだまのなかの幾歳月/ある日 女は狂った目をして言った/「あなたは誰?」と
(「生証人」全文)

 愛撫によって入日の色にいろづく女の体にぞっこんになって日々を過した。女はそんな世間とは没交渉の日々(「もう誰も知りたがらない二人の秘密」)にしだいに精神の平衡を狂わせてしまった。そのような男の歳月の「生証人」が、もう男がだれであるかもわからなくなった女である――というのであろう。『鮎川信夫全詩集』ではこのあとに「どくろの目に」「宿恋行」とつづき、そこから詩集『宿恋行』の世界がひらけていく。その直前の作品群である。

 血まみれの夕日が沈み/なまぐさい風が吹いてくると/どくろの目に涙がたまる//何度殺しても/すぐ生きかえり/草葉の蔭を恋しがって/早く早くとせきたてる/大好きな女の/なまめかしい幽霊にこがれて/どくろの目に涙がたまる//手に手をとって逃げたのに/いつかはぐれて一人になった/どくろの目に涙がたまる//これでもかこれでもかと/憎しみ燃やして/いのちを刻む/滅びようのないかたちがなつかしい/……そんなことは一度もなかった/もう夢には戻れない/どくろの目に涙がたまる
(「どくろの目に」全文)

 たとえば渋沢孝輔は「生証人」に登場する女とは《おそらくそのまま日本の戦後である》と云っている。また北川透は「どくろの目に」の《どくろのイメージは、やはり、戦争体験の傷痕からでてきていると受け取るのが自然だろう》と述べている。だが先入見なしにこれらの作品とのみむかいあえば、これらの詩の喩法が、そうした戦後詩的喩法による読みの固着をふりきった場処におかれようとしていること、そのことが詩のモチフとされていることはあきらかなのではないだろうか。
 つまり「生証人」の女は、「日本の戦後」にかぎらずどんな時代社会の意味への喩的還元もゆるさないエロス的体験そのものについたイメージとして出現しているし、「どくろの目に」のどくろは、性愛と愛怨とによって生命を衰耗させてしまった男のふたしかな心象による自画像であるというように、これらは戦争や戦後の体験の囲いから脱け出したところに出現した、過去の体験と断絶した対幻想のイメージなのである。
 《ありったけの力をこめて/幾重ものドアを叩いてきた/空虚なこだまのなかの幾歳月/ある日 女は狂った目をして言った/「あなたは誰?」と》《これでもかこれでもかと/憎しみ燃やして/いのちを刻む/滅びようのないかたちがなつかしい》――これらの詩句が鮎川のかつての詩、戦後詩そのものであった彼の詩の屈折――だれとも共有することのできない私的な経験の奥処と、それを生みだしたひとつの時代社会の経験を喩的に照応させようとする営為がうんだ屈折から、自由になろうとして、私的な経験の奥処そのものについたところから出現していることはうたがいえないのだ。そこでよびこまれたのが、このような、むしろ断絶によって空白に直面し、衰耗するエロスの閉じられた世界であったとしても、である。
 そのようにひとつの時代社会の体験の固定された囲いをとりはらったとき、そこに俗謡の七五律が混入してきていること、また詩形の短さ(それは媒体によって設定されたものでもあろうが)の伝統についていること――鮎川は「『宿恋行』について」(76年)でこの当時の文語七五律の詩日記を公開している。そのことからみても、それがじゅうぶんに意識された実験であったとことは想像にかたくないが、それゆえになおこの当時の彼の詩の困難をあかしているようだ。

 季節はずれの花なれば/狂う命のありときく/行けどもつきぬ恋の闇/あわれやいかに花の香の/情けうすれしあだしごと/風に吹かれてせんもなき/都わすれの濃紫/季節はずれの花にあい/むかしのひとを/おもうかや

 白い月のえまい淋しく/すすきの穂が遠くからおいでおいでと手招く/吹きさらしの露の寝ざめの空耳か/どこからか砧を打つ音がかすかに聞えてくる/わたしを呼んでいるにちがいないのだが/どうしてもその主の姿を尋ねあてることができない/さまよい疲れて歩いた道の幾千里/五十年の記憶は闇また闇。

 はじめの引用がその詩日記からであり、あとの引用が「宿恋行」(72年)である。「『宿恋行』について」によれば前者の「行けどもつきぬ恋の闇」が後者に残響をとどめたとされるが、それいじょうに前者の文語七五律は「宿恋行」のモチフを露出させているとみることができよう。前者にくらべ「宿恋行」ははるかに拡がりのあるイメージと韻律を恢復した世界であることはいうまでもないが、その濃密なエロスの体験の探索というモチフはさいごの二行によって見づらくなってしまっている。そしてこのような逆説的な表出の回路をへて鮎川ははじめて詩の再生にであったのだ。
 わたしはすでにこの連載の第1回で「鮎川の詩を、もう一度、男女の秘事そのものへ、戦後社会の喩をこえて、さしもどすこと」と書いたが、ここでようやくその端緒にたどりついたようである。


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[組詩]
オムライス

清水鱗造



〈さつま揚げの顔〉 さつま揚げの顔でいっぱい このへんは さつま揚げ 自転車で全速力でさつま揚げ 白い衣装のさつま揚げ さつま揚げがコーヒーいれる ロッカーを開ければ鏡にさつま揚げ ペン握るさつま揚げ キーたたくさつま揚げ コーヒーのクリームが動くさつま揚げ さつま揚げの心電図 歯がさつま揚げの虫歯だ 足がさつま揚げの水虫だ 優しいさつま揚げ コーヒーどうぞ クリームいれてね そんな午前 ドーナツの穴の午前 映画館街のほうから陽がくる 吐瀉物の色のネクタイ そんななかで なにも 考えてない さつま揚げ 〈マネキンの中〉 内側からなぞる指 海牛の触角が温度に染まって 角度はショーウインドーの向こうの舗道 内側から曲線をなぞる指先 雨滴が王冠の形に飛び散り そして丸まり その粒を見る うつろ マネキンの目 樹脂の金髪 臍のない腹の 内側をなぞる 指先 〈真夜中の菓子〉 真夜中にばらまかれる菓子 ボウルにもおさまりきれないほどの ふんづけるヒール 粉々にくだけて 街で見つけたクールの空き箱 刺の 砂糖の 切片 スパンコールのある服 下品な冗談 べっとりと口紅のつく吸い口 蹴りあげろ 菓子を 甘い靄になるまで 〈新月 満月〉 黒い丸 なびく林のその尖先の 何もない黒い丸 空が隠れている 真っ黒い棒を担ぎ 男はのろのろと道を下っていく その黒い棒の先の黒い 丸 夜の陽炎は立って 草々のあいだから墨汁の風が 体を透かして上のほうへ上のほうへ 昇っていく スキンヘッドのあなた あなたは夜の街道をなぜ下る 黒い丸の荷物を 棒の先に提げて 何処へ 草なびく その後ろに あの街の電灯の光が 絨毯になり 幽かな機械音が絶え間なく響く 絶え間ない頭上の機械音が満月の下を通過し 手首の磁石が感じとりくるくると回る 登るときの腰につけた集積回路がカチカチぶつかり 草なびく 夜の 山の 無の 巷へと あの広場へと 満月が浮く 林を抜けて 行こうとしているものの影にゴーストが重なり すでに役割を果たさない磁石は草のあいだに捨てられる 満月の下の黒いエイの大群が 緩慢な機械音を発して 姿にブレが出ている 速い劇が血を流してくびれ     相姦して終わる     透視図をつくり     透視図をこわし     滲みの触手を伸ばし     裏返しになってうめき声をあげる 新月 満月 月の光線の 海の底でエイがみる黒い映像 その輪郭が揺れる 新月 満月 〈金太郎〉 飴ではない その壁を手でさすりながら 道を行く老人がいる 角化斑の出たその手を広げて 老人は歩いている ぽりんぽりん 喉が鳴る 雲のむ ゆっくり チョイスの砂 のむ ん ぐりぐり ん にゃん腹猫が ぼりぼりの 老女の 散歩 袋 に おなごがな リンスする けつかんねん! ごろごろするん べーろべろ ん とかげ ん衰ん 老人がそのざらざらの壁を 撫でて杖をついて 歩いている 金太郎腹巻 を ん する だぞ だぞ ぐるんしべぐるん ざんだかざんだかぼりぼりぼり ばしぐしさりゆりぐむぐむぐむぐむ ん ん 角化 斑 閣下! かーんかんかんかん 陽のむ む む 〈ニワトリの置物〉 木彫りのニワトリの置物を 買ってくる その顔が気に入って 二つ買って 好きな顔のはぼくの部屋に飾り 一つは贈り物にしようとして 片方はリボンをかけてもらった 片方のは首の太いので 太いほうがいいから それも好みで選んだ 家に帰って袋を開けると 首の太いのが紙に包んででてきた これもいいけど 顔の好きなニワトリがいい でもリボンがかけてある ラッピングしてある だから開けられない あの顔は 覚えている 楽しい顔だった もう開けられないけど 〈オムライス〉 卵のする 葱きざむ たけのこきざむ にんじんこなごな のする 卵にたばこの入るのは不可避である では こしょうがんがん 塩ぱっぱ のする で サラダオイルぬる のする たーらたらのしゅっしゅっ のして じゅーっ 卵かたまる のする お昼はオムライスにするのが必然性がある で きざんだの焼く のする ごはんがぐじゃぐじゃのしゃもじ のする が 卵うすいの焼く が つつむのする ケチャップどぼーん たばこ消せ するの スプーンおくの するの たばこ 灰皿にこのこのこの消すの するの 居室に湯気が充満するのは配偶者でさえ抑えることは不可能である というのが 文化包丁の務めです するの 〈諸民族〉 吐き気に襲われて彼は 穴を探した でも穴はどこにもなかった だから十字路を全速力で 穴を求めて走った 吐き気をタオルで止めてくれる民族がいた ポリエチレン袋を用意してくれる民族がいた 薬をくれる民族がいた そのように吐き気のなかで 諸民族が虹になっていたのだ


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バタイユ・ノート2
バタイユはニーチェをどう読んだか 連載第4回

吉田裕



4 雑誌「アセファル」のなかのニーチェ

 前回のノートの最後に、共同体理論のバタイユの実践としてグループ「アセファル」があることを書いたが、よく知られているように同名の、けれども性格は異なる雑誌が、同じ時期に創刊されている。正確に言うと、雑誌「アセファル」の方が先行していて、第1号の出るのが36年6月、グループの発足するのが37年はじめのことである。これら二つに先立っては、コントル・アタックが35年はじめに結成されて、はやくも36年四月に瓦解し、そのあと37年11月には「社会学研究会」の最初の講演会が開かれている。これらはバタイユの共同体への関心の実践だったといえるだろうが、であればその中にニーチェの陰が色濃く現れてくるのも当然だともいえるかもしれない。典型的なのは、前回述べたように、指導者原理を拒否したグループである「アセファル」だが、雑誌「アセファル」にも、同じ影は色濃く落ちている。それはまず第一に、これまで多く引用してきた「ニーチェとファシストたち」および「ニーチェ・クロニック」が、第2号および第3・4合併号に、そして「ニーチェの狂気」が第5号に掲載されているからである。
 しかもこれは、バタイユがたまたまこの雑誌にニーチェ論を発表したというのではない。この雑誌そのものがニーチェの強い影響下にあった。簡単に「アセファル」のことを振り返ってみる。この雑誌は、バタイユのイニシアチヴによって発刊されたが、編集陣には、クロソウスキー、マソン、ロラン、ヴァールを加えている。ただし最終の第5号は、すでに分裂が兆していたのだろう、バタイユの単独編集で、執筆者もバタイユ一人である。5号まで発行されたが、合併号がひとつあるので、都合4冊しか出ていない。バタイユが関与した多くの雑誌同様、短命に終わっている。この雑誌は一九八〇年に、ジャン・ミシェル・プラス社から復刻版が出たので、容易にみることができるが、さして厚い雑誌ではなく、各号によってばらつきが大きい。創刊号の裏表紙の広告によれば、季刊で各号16ページとされているが、36年6月の1号は8ページのみ、37年1月の2号、同じ年の7月の3・4号は32ページ、39年6月の最終5号は24ページである。これらは号毎に特集が組まれていて、第1号が「聖なる陰謀」、第2号が「ニーチェ復元」、3・4合併号は「ディオニュソス」であった。第5号は「狂気、戦争、死」である。これらの特集名からだけでも、ニーチェの影響の大きさを推しはかることはできる。第1号の「聖なる陰謀」で、中心になっているのは、サド、キルケゴール、ニーチェの3人であり、2、3・4各号はいうまでもないし、5号の中心にあるのは、ニーチェの発狂という事件である。
 バタイユのニーチェ理解も、このような文脈の中に織り込まれ、またこの文脈から浮上してくる。彼の理解は、必ずしも彼単独のものではなかった。そのことは彼の理解を少しもおとしめるものではない。彼の理解は、彼の交友関係の中から、そして本当はもっと深い時代の共同性の中に根を持っている。それはとりあえず、この時期のフランスの知識人の間でのニーチェの紹介のされ方、受け取り方の問題だが、その下にさらに時代と社会全体の問いのようなものがあることだろう。しかし、現在、この根のところまで探索を及ぼすことは、筆者の力量を越える。ただ彼のごく近いところでのニーチェの読み方をいくらかでも明らかにしたい。そのための典拠となるのは、まず「アセファル」である。
「アセファル」の5つの号は、通読されたとき、どんな印象を与えるか。どのようにすればニーチェをファシスム的読解から救い出すことができるかという私たちがこれまでバタイユのうちに見てきた関心に立って見れば、それは必ずしも、同人たちに共通する第一の問題であったとはいえないかもしれない。このような問題意識を真正面から打ちだしているのは、ほとんどバタイユ一人であるからだ。ただニーチェへの関心は、前述のように同人全員にほぼ共通し、そこからバタイユ的な意図が生じてくる経路は見えてくると言えるだろう。

 第1号は、マソンのデッサン2枚のほか、特集と同名だが、バタイユの「聖なる陰謀」とサドをテーマとするクロソウスキーの「怪物」という二つの論文からなっている。バタイユの論文の冒頭は、イタリックおよびゴチックで書かれ、かつ論旨からして、雑誌全体の宣言文のようになっているが、そこでとりわけ目を引くのは、〈われわれが企てるのは、戦争である〉という断言である。この一節は明らかに、最終の第5号の最後におかれた「死を前にしての歓喜の実践」のそのまた最後の節の大文字で書かれたもう一つの断言、〈私自身が戦争そのものである〉につながっている。この戦争の意識は「アセファル」の全体に流れているし、また「無神学大全」にまで延長されることになる。そしてニーチェもこの意識の上で読まれていることは疑いを入れない。
「聖なる陰謀」で主張されているのは、合理的な世界を拒絶して、陶酔を求めることである。バタイユはそれを、マソンのデッサンを示唆しながら、〈彼は人間ではない。彼はもはや神ではない。………彼は怪物なのだ〉と言っている。重要なことは、この陶酔は個人単独では達成されない、とされていることである。なぜ個人ではそれが不可能かというと、それは、自己という限界を超えることを前提とするからであり、必然的に他者を必要とするからだ。それは共同的な作業でなければならない。フランス語の〈陰謀conjuration〉という言葉には、接頭辞としてすでに共同のという意味が含まれている。そしてそこに呼応するようにニーチェの言葉が引用されている。〈あなたたちはばらばらに生きていて、今日は孤独だが、そのあなたたちはいつか群衆となるだろう。個々人として名指されてきた人々は、いつか群衆として名指されることになるだろう。そしてこの群衆から人間を越える存在が生まれることになるだろう〉。人間が群衆と化する契機を、バタイユは戦争にみている。そしてそこに生じる陶酔の経験から、またキルケゴールから示唆を得て、宗教的とも考える。それが宣言文の大文字のゴチックで強調された〈われわれは断固として宗教的である〉という断言の意味である。ここにはすでに、ニーチェを共同的あるいは神秘主義的に読むというバタイユの特異な読み方の一端が現れている。それは戦時下でよりいっそう鮮明にされるはずのものである。
 もう一つおもしろいのは、ここにドン・ジュアンの名が現れていることである。バタイユは「アセファル」の創刊を、スペインのトッサにあるマソンの居宅に滞在中に、彼と話し合って決めたらしいが、この序文を書いているときに、マソンが隣の部屋で蓄音機でモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」の序曲をかけていたことを書き留めている。この論文ではそれだけの話なのだが、「アセファル」を通じてこの名は見えかくれすることになる。それがはっきりと浮上するのは、3・4号におけるクロソウスキーの論文「キルケゴールによるところのドン・ジュアン」においてである。この題からみて、そして「アセファル」創刊号のバタイユの論文中の引用からみて、キルケゴールがニーチェと並んでよく読まれていたらしいことがうかがわれるが、キルケゴールのドン・ジュアンは、もちろん『あれかこれか』に出てくるモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」に関する叙述からきている。キルケゴールを通したモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」というのは、推測するにバタイユ、マソン、クロソウスキーらの間に共通する関心だったのだろう。バタイユについて言えば、戦後になるが彼は、「ニーチェと禁制の侵犯」(51年に初稿が書かれている『至高性』所収)のなかで、「ニーチェとドン・ジュアン」という一節をもうけて、同じ問題を取り上げている。
 ではドン・ジュアンとは誰だったのか。この点では、クロソウスキーとバタイユは、書かれた時期の違いもあるが、かなりの差異を示している。クロソウスキーによれば、ニーチェにとってのディオニュソスが、キルケゴールにとってのドン・ジュアンであった。〈ドン・ジュアンは、彼にとって基本的で形をとらない力のことであり、この力はその動きのさなか、対象に出会い、接触することで個体化しようとするその点でたまたませき止められるのだが、そのとき再び最初の非形態的な動きのなかに立ち戻り、その際限のないリズムを取り戻すのである〉。一方、戦後のバタイユの論旨によれば、ドン・ジュアンによる禁制の侵犯は、まだ理性の力によるものなのだ。〈ニーチェにとっては道徳的要請が内側からの自己主張をやめることはなく、ニーチェはドン・ジュアンのように、理性の過誤を頼みとすることができなかったのである〉。こうしてバタイユはキルケゴールよりもいっそうニーチェに近づくが、いずれにせよ、これらの解釈のなかにあるのは、明らかにニーチェ的な視点を基準に置く立場である。

 私たちの関心をもっとも強く引くのは、次の第2号である。なぜならこの号は「ニーチェ復元」の特集名を持ち、バタイユの「ニーチェとファシストたち」をはじめとして、多数のニーチェ論を集めているからである。構成を簡単にみてみると、マソンのデッサンを別にして、バタイユの右記の論文が冒頭にあって、量的には全体の半分近くを占めており、続いてヘラクレイトスに関するニーチェの未訳の断章が翻訳紹介され、再びバタイユが、ファシスムと神の死という二つのテーマに関して行った「提案」と題する短いが重要な文章が置かれている。この文章の背後にいるのも、明らかにニーチェである。
 続いてヴァールの「ニーチェと神の死(ヤスパースのニーチェ論についての覚え書)」、ロランの「人間の実現」、クロソウスキーの「世界の創造」がある。ヴァールのものはもちろん直接ニーチェに関わるものだが、ロランのものはニーチェの名が現れるがニーチェを正面から扱ったものではない。クロソウスキーのものは特にニーチェを主題にしたものではない。いずれも3ページ以下の、バタイユの論文に比べれば短いものである。そのほかにこの号では書評の欄があり、先にヴァールが取り上げたヤスパースのニーチェ論を、今度はバタイユが取り上げ、もう一つでは、クロソウスキーがさらにその前年の38年に出たレーヴィットのニーチェ論を取り上げている。
「ニーチェとファシストたち」に表されるバタイユのニーチェ理解は、直接にはこのような文脈のうちにある。そのなかでまず取り上げたいのはヴァールの論文である。ジャン・ヴァールは一八八八年生まれで、バタイユより八歳年長で、一九七四年に死んでいる。専門的な哲学者であって、戦後はソルボンヌで教えている。最初英米哲学の紹介者として活動するが、二〇年代後半からドイツ哲学に関心を移す。29年に『ヘーゲル哲学における意識の不幸』、38年に『キルケゴール研究』の著書がある。「アセファル」にキルケゴールを持ち込んだのは彼だったのだろうか。彼はイポリットとならんでフランスにおけるヘーゲル研究の最初の世代である。ただしイポリット、ヴァールともコジェーヴの講義には出ていない。「哲学研究」グループの創設者でもあり、このころNRF誌の外国思想および文学の紹介の欄を担当していて、ニーチェに関する書物をいくつか取り上げている。
「アセファル」でのヴァールの論文は、ベルリンで出たばかりのヤスパースのニーチェ論に関する覚え書という体裁をとっているが、それに触れる前にもう一つの書物に触れておかなくてはならない。それはシャルル・アンドラーの『ニーチェの生涯と思想』と題された本である。アンドラー(一八六六―一九三三)はフランスのゲルマニストで、ビスマルクやマルクス、エンゲルスに関する著作があるが、全六巻となる大部のニーチェ論をも著している。ヴァールはこの書の最終の第6巻が出たとき、NRFで取り上げているが、書評としての性格からか、内容を紹介して文体に敬意を表することで終わっている。他方バタイユは、「アセファル」のこの号の書評で、この書が〈今日までのところニーチェの生涯と思想を総体的に表す唯一の本〉であることを認めながらも、〈彼の解釈はプロフェッサーのものであって、危険に満ちた哲学的な苦悩にむかうよりも、文学史の静的な報告にむかう趣を持っている〉と批判している。そのような不満があったとき、ヤスパースのニーチェ論は、すくなくともバタイユには大きな刺激を与えるものであったようだ。

(この項続く)



表紙-セミの日-子供の芝居-詩――本人校閲-あこがれ-遺言-城と洞の扉に炎がもえる-祭礼-「棲家」について 5-[組詩]オムライス-バタイユはニーチェをどう読んだか 4-塵中風雅 8-Booby Trap 通信 No. 2

塵中風雅 (八)

倉田良成



 ここで「註」のように一項をさしはさみたい。
 前回の稿の時期、芭蕉は「おくのほそ道」(以後、ほそ道という)の旅に出立することになるのだが、私は作品としての「ほそ道」を取り上げるつもりはない。
 「ほそ道」の本文にあたる時期は元禄二年三月から同九月まで、厳密にいえば三月二十七日から九月六日までのほぼ半年間であるが、この成立した書物としての「ほそ道」と、芭蕉が発心した現実の奥羽歌枕一見の旅とは区別して考えられるべきだ。貴重なのは「ほそ道」という書物ではなく、旅のなかで吟じられた多くの佳什とこの時期の消息を伝える若干の書簡であろう。こののち、あたかも「野ざらし」の旅のあと「冬の日」五歌仙が生まれたように、芭蕉最円熟期のいわば「傑作の森」とでも呼び得るような作品群、歌仙の数々が作られることになるのである。
 ところで随行者の曽良については、その略歴を記しておきたい。曽良。慶安二(一六四九)年生まれ、宝暦七(一七一〇)年没。享年六二。信濃国上諏訪に高野七兵衛の長子として出生。本名、岩波庄右衛門正字(まさたか)。幼名、与左衛門。通称、河合惣五郎。曽良は俳号。河合姓は伊勢長島に仕官したときに母方(河西家)の祖先の姓を名乗ったとも、また長島の地が木曽川と長良川とにはさまれた河合の地であることから河合曽良と号したともいわれている。貞享初年以来芭蕉に親炙したが、芭蕉没後の宝暦六年、幕府の諸国巡国使派遣にあたり随員となり、翌七年筑紫へ出発するが、壱岐の勝本で病を得、同年五月二十二日その地で客死。「ほそ道」の随行日記であまりにも有名であるが、その性清廉高潔、かつ温情の人であったようだ。その最期も、芭蕉と同じく旅に死んだ「東西南北の人」(送岩波賢契之西州並序)でもあった。 
 さて北国行脚については芭蕉書簡のなかでもたびたび触れられている。旅の前のものとしては次の書簡の断片を引いておく。

彌生に至り、待侘(まちわび)候塩竃(しほがま)の櫻、松島の朧月、あさか(淺香)のぬまのかつみふ(葺)くころより北の國にめぐり、秋の初(はじめ)、冬までには、みの(美濃)・お(を)はり(尾張)へ出(いで)候。(猿雖[推定]宛元禄二年閏正月乃至二月初旬筆) 

拙者三月節句過(すぎ)早々、松嶋の朧月見にとおもひ立(たち)候。白川・塩竃の櫻、御浦や(羨)ましかるべく候。(中略)仙臺より北陸道(ほくろくだう)・みのへ出(いで)申候而(て)、草臥(くたびれ)申候はゞ又其元(そこもと)へ立寄申(たちよりまうす)事も可有御坐(ござあるべく)候。もはや其元より御状被遣(つかはさる)まじく候。(桐葉宛元禄二年二月一五日付)

「旅」についてはかなり綿密に計画が立てられていたことをうかがわせる。なかでも「松嶋の朧月」と「塩竃の櫻」が眼目であったことが知られるが、実際にその地に立った季節はおりしも梅雨から夏にかけてのころで、快晴にはめぐまれたが「朧月」や「櫻」といったわけにはゆかなかったようである。
 旅行たけなわの時期のものとしては、羽黒山で世話になった近藤左吉(俳号呂丸)への礼状と、それと時期は前後するが、白河の何云(かうん)への書簡が残されている。後者を引いてみる(元禄二年四月下旬筆)。

白河の風雅聞(きき)もらしたり。いと淺多(のこりおほ)かりければ須か(賀)川の旅店より申(まうし)つかはし侍る。
   関守の宿を水鶏(くひな)にとはふ(う)もの     はせを
又、白河愚句、色黒きといふ句、乍単(さたん)より申参(まうしまゐり)候よし、かく申直し候。
   西か東か先(まづ)早苗にも風の音

 最後の句は芭蕉のことばにもあるように「早苗にもわが色黒き日数哉」の別案である。両者とも能因法師の「都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」を俤としたものであるが、前者が歌の表にはあらわれていない盛夏の「旅」を奪ったのにたいし、後者では真夏の青田を渡る風のなかにするどく「秋」を聞いている。秋のおとずれを「風の音」によってとらえるというのは歌の伝統であった。
 旅の最後のほうで(「ほそ道」の文はまだつづくが)芭蕉らは加賀の山中温泉に逗留している。そこから大垣の如行に宛てて一札を送っている(元禄二年七月二十九日付)。

みちのくいで候て、つゝがなく北海のあら磯日かずをつくし、いまほどかゞ(加賀)の山中(やまなか)の湯にあそび候。中秋四日五日比爰元立申(ごろここもとたちまうし)候。つるが(敦賀)のあたり見めぐりて、名月、湖水か若(もし)みの(美濃)にや入らむ。何(いづ)れ其前後其元(そこもと)へ立越可申(たちこえまうすべく)候。

 ここでひとたび「旅」は完結したとみてよいのではないか。この地で同行(どうぎよう)の曽良は腹病を得て、ゆかりの伊勢長島に去るのである。芭蕉はこのとき「今日よりや書付消さん笠の露」の一句をものしている。事実上の旅の終わりとみてよい。 
 書簡のなかで触れられている「つるがのあたり見めぐりて、名月、湖水か……」という箇所であるが、芭蕉は敦賀で仲秋の夜をむかえている。それを「ほそ道」の文はこう簡単に記している。

十五日、亭主の詞(ことば)にたがはず雨降(ふる)
  名月や北國(ほくこく)日和定(さだめ)なき

 巷間いわれているように、これは名月の夜に雨天をうらむというようなものではない気がする。句だけを素直にとれば、まず晴雨さだめない空に隠見する月のかんばせというような印象を私ならば受ける。さらにその情をさぐってゆけば、「北國」というしたたかな風土のなかで「いま現在は」見えていない幻の月の強烈な存在感に突き当たるような気がするのである。句眼は「定なき」であろう。「月清し遊行のもてる砂の上」というようにむしろ前夜が晴れていることを思うべきだろう。
 「ほそ道」の文の最後にあたるところが次の杉風(推定)宛の元禄二年九月二十二日付の書簡に記されている。

木因舟に而(て)送り、如行其外連衆(そのほかれんじゅ)舟に乗りて三里ばかりしたひ候。
   秋の暮行(ゆく)先々は苫屋哉 木 因
    萩にねようか荻にねようか はせを
   霧晴ぬ暫ク岸に立玉(たちたま)へ 如 行
   蛤のふたみへ別行(わかれゆく)秋ぞ 愚 句
     二 見
   硯かと拾ふやくぼき石の露
先如此(まづかくのごとく)に候。以上

 最初の二句は発句と脇。これにつける第三は敦賀から芭蕉につきしたがってきた路通がつとめ、四句目は伊勢長島から駆け付けた曽良がつけた。このとき伊勢の遷宮を見物するために出発する芭蕉と、門人たちとが別れを惜しんだのである。蛤の句は「ほそ道」では「ふたみにわかれ」となっている。この句は蛤に「蓋」と「身」をかけ、それが「二見」へとかかり(ふたみとわかれとは縁語)、さらに「別れ行く」は「行く秋」の掛詞になって、「ほそ道」冒頭の「行春や鳥啼魚の目は泪」に対応させているという手の込んだことをやっている(「ほそ道」補註による)。こういうところに芭蕉の「詩」の一端をになうものがあきらかに示されているといえるのではないか。  
 これを散文でやるとどうなるか。「ほそ道」の初めのほうの次の部分を見てみよう。

弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明(ありあけ)にて光お(を)さまれる物から、不二の峰幽(かすか)にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。

このなかの「明ぼのゝ空朧々として」は、挙白集・山家記の「ろうろうとかすみわたれるやまの遠近(をちこち)(中略)明ぼのゝそらはいたくかすみて有明の月すこしのこれるほど」によるものであるし、また「月は在明にて光おさまれる物から」は源氏物語帚木巻の「月は有明にて光をさまれる物から、影さやかに見えて、中々をかしき曙なり」とその俤をかすめ、さらに「又いつかはと心ぼそし」は、西行の「畏まる四手に涙のかゝるかな又いつかはと思ふ心に」から引く、といった具合である。この短いセンテンスのなかにこれだけの裁ち入れがあるということは、たとえそれが近世にさかのぼるものであるにせよ、散文の姿としてけっして健康なことではない。これが当時の「俳文」の常道であるというのなら、次の「俳文」はどうであろうか。

辛未のとし弥生のはじめつかた、よしのゝ山に日くれて、梅のにほひしきりなれば、旧友嵐窓が、見ぬかたの花や匂ひを案内者といふ句を、日ごろはふるき事のやうにおもひ侍れども、折にふれて感動身にしみわたり、涙もおとすばかりなれば、その夜の夢に正しくま見えて悦(よろこべ)るけしき有。亡人いまだ風雅を忘(わすれ)ざるや
 夢さつて又一匂ひ宵の梅

「猿蓑」のなかの嵐蘭の作であるが、文といい、句といい、情理を尽くして間然するところがない。これなら現代を生きる私にも「判る」のである。文と句とのあいだにひらめく「詩」として、これは健康な姿といえよう。朴訥なところもよい。それにくらべて芭蕉の文は、詩を意識してかえって詩でなくなっているところがある。「幻住庵記」などもそうだが、これが「文臺引おろせば即反古也」といいはなった人のものとも思われない。私がここで「ほそ道」の本文について語るつもりのない所以である。句のなかではごつごつした感触が美であるのにたいし、その、芭蕉の感じていた同じものをそのまま散文脈に乗せると、一種異様なものができあがってしまう。私たちとしては、そこに芭蕉の持ついかにも複雑な陰影を見るべきなのかもしれない。彼はひたすら句の人、座の人であり、現代の詩が芭蕉の投擲した「詩」の到達点を超え得ているとはいいがたいほどの埋蔵量をはらんでいる詩人であった。そしてそのことはこれからの稿で見てゆきたいと考えている。

(この項終わり)

    *参考文献/『おくのほそ道』(岩波文庫・萩原恭男校注)、『芭蕉七部集』(岩波文庫・中村俊定校注)、『芭蕉俳句集』(岩波文庫・中村俊定校注)。なお、この稿を書くにあたっては、畏友、水谷馨氏の示唆によるところがおおきい 


表紙-セミの日-子供の芝居-詩――本人校閲-あこがれ-遺言-城と洞の扉に炎がもえる-祭礼-「棲家」について 5-[組詩]オムライス-バタイユはニーチェをどう読んだか 4-塵中風雅 8-Booby Trap 通信 No. 2

Booby Trap 通信  No. 2

禁忌と禁忌の侵犯に人間をみる
聖女たち――バタイユの遺稿から/著訳者・吉田裕/書肆山田/定価 2000円(本体1942円)

【目次】
●「聖ナル神」遺稿 ジョルジュ・バタイユ/吉田裕訳
「エロチシスムに関する逆説」の草稿
聖女
シャルロット・ダンジェルヴィル
●淫蕩と言語と――「聖ナル神」をめぐって―― 吉田裕
(書店でお買い求めください)

希望はまだある。
希望回復作戦/辻仁成/集英社 定価1200円(本体1165円)

とにかく時代がまた始まった
生中継される戦争の時代
僕は缶切りを買いに
彼女と連れ立って
近くのコンビニエンスストアーに向かった
彼女は避妊具も買ってね
と囁いた
ああ、なんて政治的
(〈希望回復作戦〉より)
(書店でお買いもとめください)

蝶はとびさる
石のなかの偶然に
永遠にのこされて
(〈石〉冒頭)
私の洛中洛外図から/倉田良成/如水舎 定価1800円(送料込み)
【著者紹介】1953年、川崎生まれ。1973年ユリイカ1月号の「新鋭詩人作品特集」に「睡眠譜」を発表。白鯨3号に「視えない廃屋で」、同6号に「回想記」を発表。詩集「歩行に関する仮説的なノート」(1972年)、「旱魃の想い出から」(1977年)、「私の洛中洛外図から」(1992年)。
(著者に注文して下さい。著者住所:〒222 横浜市港北区富士塚2-28-16 第二幸和荘101)
【近況】来年刊行予定の詩集「金の枝のあいだから」(装丁・三嶋典東)の準備をしています。ゴールデン街・南海(なみ)にたまに飲みにいきます。

解剖図譜/築山登美夫/TEC/定価1600円(送料込み)

  ……その壁のいたるところから孔がひらき
  べろべろと水がしみだしている

夜ごと見知らぬ愛人を抱きしめていると
彼女は透きとおり
しだいに骨ばかりになって
はりだした体をうす青く滲んだ絨毯に沈め
液化した髪をひろげてゆく
私はほとんど形骸化してしまった
洩れてくる唖の光をかぶって
どこへも転調できなかった体を
自壊した風景のなかにさらしている
逃げ去るかたちに手足は泳いで
  もう何も想像することはできない
  ただ覚醒の皮を何枚もはぎとる眠りがあり
  眠りのなかに何枚もの壁があって……
(〈夢語り 三つの断片〉より、第一の断片)
【著者紹介】1949年10月生れ。詩集『海の砦』(82年・弓立社刊・1400円)、『解剖図譜』(89年・TEC刊・1600円)。
(著者に注文して下さい。著者住所:〒140 大田区北千束2-15-12-302)
【近況】月にひとつは詩を書こうと〈決意〉したのですが、思うにまかせず書けたり書けなかったり、というところか。この二、三年、〈内〉に眼をむけることをしいられてきましたが、ふと気がつくと〈外〉の空気はすっかり濁ってしまって愕然とすることが多いようです。本のオススメは小沢一郎『日本改造計画』としておきましょう。(93/11)

白蟻電車/清水鱗造/十一月舎 定価1500円(送料込み)
穢れを通して生きていることの意味を探るというのはかなり勇気の要ることだ。清水鱗造はいまそれを敢えてやろうとしている。――鈴木志郎康(帯文より)
蟻の文字がぎっしり詰まった丸まった新聞紙が
ボッと発火する
吉凶吉凶吉凶…と燃える
家系を満たす甘い雪崩…と燃えている
凌辱するものは味方でも撃て…と燃える
菊が硫酸に浮いている
声がただれてくる
逆円錐の渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
百平方メートルの皮膚がいっせいに鳥肌立つ
(〈渦群〉より)
(著者に注文して下さい。著者住所:〒154 世田谷区弦巻4-6-18)

布村浩一詩集/自家版 定価1000円(送料込み)
90年代の喩の行方を鮮烈に告げる!
二つの ぼたん
鳥をつかって漁をする
魚売り
おちていく ふたつの
火花
花火は明るくて
泳がない
沈んでいく音楽にのせて
オルガンの音楽にのせて
オルガンのおちていく弾き手
だいじょうぶ
まだ
稲は食べられる
おちていく 二つの

祭りのなかの
合図のように
とおく
村の呪文の
なかに
いる
駆けていく距離の
小さな軽い足
とおざかっていく
船の上の 息を吐く
兄妹
(〈二つの ぼたん〉)
(著者に注文して下さい。著者住所:〒186 国立市西1-10-3 浜田方)

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[ BASENOTE with 5Res ]
Title: junk.p
Bytes: 26 Date : 4:57pm 12/14/93 Author: nyagao (nyagao)


pについてのjunkな話題

OPEN>
Note 14 文章を書く (writing.out)
[ RESPONSE: 1 of 5 ]
Title: junk.p
Bytes: 407 Date : 5:02pm 12/14/93 Author: nyagao (nyagao)


今日、池袋のぱろうるに行ったら、倉庫の隅から出て来たと思しき古めの本が大量に出ておりました。関根弘「絵の宿題」の復刻版というのがあって、復刻といっても1964年出版、元の版が1953年なんだけど、古いプロレタリア文学本という感じで気に入ったので買ってしまいました。たったの600円だもんな。挿画、装丁が勅使河原宏だそうな。たしか、ウルトラマンの監督じゃなかったっけ? この挿画がなかなかよいのです。

OPEN>
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[ RESPONSE: 2 of 5 ]
Title: junk.p
Bytes: 104 Date : 7:56pm 12/14/93 Author: gizmo (gizmo)

そういうの欲しいですね。佐々木幹郎の『気狂いフルート』は早稲田の50円均一で買いました。(箱なし)

OPEN>
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[ RESPONSE: 3 of 5 ]
Title: junk.p
Bytes: 136 Date : 12:21am 12/16/93 Author: gizmo (gizmo)

今日たまたま渡辺武信さんの息子さんがhomelessの後輩で遊びにきました。アメリカ人と一緒でしたが。彼はもう10年ぐらい詩を書いてないようだ、という息子さんの話です。

OPEN>
Note 14 文章を書く (writing.out)
[ RESPONSE: 4 of 5 ]
Title: junk.p
Bytes: 1094 Date : 12:23am 12/17/93 Author: nyagao (nyagao)

絵の宿題ですが、現代詩文庫とか、そういった再録では、絵がついていませんが、オリジナルには絵が付いていて、この絵がなかなかいいです。たとえばレジェなんかに似ている感じかな。古い日本のマンガみたいなところもあります。えーと、話が見えない人のためにちょっと引用すると、この、絵の宿題という作品は、
「魚は誰のもの。
 私、と魚が云いました。
 ところが
 漁師が魚をつかまえた。

 ここに描いて下さい。
 魚をつかまえた漁師の絵を。」
という感じで始まり、漁師は役人に鑑札を取り上げられ、役人はワンマン(吉田茂だぁね、この時代のことだから)に首を切られ、ワンマンは兵隊に守られ、兵隊は給料をもらい、給料はゼイキンから出ていて、ゼイキンを払っているのはボク達だと。で、最後に
「ボク達は誰のもの。
 ボク達とボク達は答えよう。
 世界(ニホンとルビがふってある)はボク達のもの。
 ボク達がボク達のものになるとき。

 ここに描いて下さい。
 ほんとうのボク達の姿を。」
で終わると。この最後の宿題だけ、挿画家はさぼっているのだな。今から見ると、単純過ぎるくらいかもしれない詩なんだけど、世界にニホンというルビをふるインターナショナリズムが結構好きだな。

OPEN>
Note 14 文章を書く (writing.out)
[ RESPONSE: 5 of 5 ]
Title: junk.p
Bytes: 204 Date : 10:04am 12/18/93 Author: gizmo (gizmo)


>世界にニホンというルビをふるインターナショナリズムが結構好きだな。

いいですよね。
深夜叢書社から「雷帝」という雑誌の創刊終刊号が出ましたね。(寺山修司など同人)\2200です。買おうと思っています。

[ホームページ(清水)] [ホームページ(長尾)] [編集室/雑記帳] [bt総目次]
エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
[No.11目次]
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