透文様雪景色

関富士子



 美術館はガラス工芸品ばかりを収めていた。エミール・ガレの、*一夜茸をかたどった巨大な赤いランプは館のメインらしい。ほかはほとんど花器の類で、百年近く前のフランスの作家のものだ。ガラスを盛り上げて彩色された桔梗や撫子は生々しく、蜉蝣や蜻蛉はグロテスクだ。息子は売店でカードを見ていた。何枚かを選んだ後、ある一枚を手に取り、しげしげと眺めた。一目で気に入ったらしいことがわかったが、彼はどうしたわけか思い切ったようにそれを棚に戻して、隣のガラス製品に移っていく。
 私は息子が戻したカードを見た。ガラスの花器の写真である。実物は美術館にはなかった。それは明らかに、真っ白なコルセットに包まれた女の尻をかたどっている。胴にあたる縁はぎざぎざに刻まれ、腰にかけてゆるやかにカーブしている。細かな雪片に似たレース模様が、ふくらみの頂点で二つに割れ、腿に届くところで寸断され、器の底となって閉じていた。よく見ると、レースは冬枯れの雑木を編み込んで、その枝のあちこちに烏が幾羽も描かれているのだ。ドーム作「雪景文花器」とあった。私はそれを買い求めることにした。息子が気づいてためらいがちにささやいた。ママ、それ、やめたほうがいいよ、ちょっと変だ、だってそれ女の人のパンツみたいだよ、烏の模様なんかついてるし。私は彼を横目で見やり、きっぱり言った。それがどうしたの、ママはこれが好きなのよ。
 しばらくのちのこと、私はふと思いついて、そのカードをある詩人への手紙に同封した。彼こそが、この奇妙な花器の味わいを、ともに楽しむことができる人物である。彼の詩は豊かな輝きがあったが、同封される手紙は、老いを迎えようとする人の、かすかな寂しさのこもることがあった。私は、詩人を力づけるのに、そのカードがふさわしいような気がしたのだ。数日して、詩人から返事が届いた。それにはこう書かれていた。すなわち、この器は何とも妙なものである。女性のお尻のふくよかさ、ところが、雪華を咲かせた裸木に烏がとまっている。いや、花器を女性のお尻と受け取った私がおかしいのであろうか……。私は手紙を読みながら、美術館でカードを見ていた息子を思い出した。詩人は彼とそっくりの表情をしていたにちがいなかった。

*一夜茸ランプは諏訪北澤美術館蔵


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