詩 都市 批評 電脳


第12号 1994.2.28 227円 (本体220円)

〒154 東京都世田谷区弦巻4-6-18 (TEL:03-3428-4134:FAX 03-5450-1846)
(郵便振替:00160-8-668151 ブービー・トラップ編集室)
5号分予約1100円 (切手の場合90円×12枚+20円×1枚) 編集・発行 清水鱗造


表紙--Siesta-コピー-透文様雪景色-あられ-金色の場所-[組詩]顔-大和世に舞う-幼年論-バタイユはニーチェをどう読んだか 5-塵中風雅 9-Booby Trap 通信 No. 3


田中宏輔



コンコン、と ノックはするけど 返事もしないうちに 入ってくるママ 机の上に 紅茶とお菓子を置いて 口をあけて パクパク、パクパク 何を言ってるのか ぼくには、ちっとも聞こえない 聞こえてくるのは ぼくの耳の中にいる虫の声だけだ ギィーギィー、ギィーギィー そいつは鳴いてた ママが出てくと そいつが耳の中から這い出てきた 頭を傾けて トントン、と叩いてやると カサッと ノートの上に落っこちた それでも、そいつは ギィーギィー、ギィーギィー ちっとも 鳴きやまなかった だから、ぼくは コンパスの針で刺してやった ノートの上に くし刺しにしてやった そうして、その細い脚を カッターナイフで刻んでやった 先っちょの方から 順々に刻んでやった そのたびごとに そいつは大きな声で鳴いた 短くなった脚、バタつかせて ギィーギィー、ギィーギィー鳴いた そいつの醜い鳴き顔は 顔をゆがめて叱りつけるママそっくりだった カッターナイフの切っ先を 顔の上でちらつかせてやった クリックリ、クリックリ ちらつかせてやった そしたら、そいつは よりいっそう大きな声で鳴いた ギィーギィー、ギィーギィー 大きな声で鳴きわめいた ぼくの耳を楽しませてくれる ほんとに面白い虫だった


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Siesta

田中宏輔



Siesta お昼寝の時間 午後の授業は みんなお昼寝してる 階段教室は ガラガラの闘牛場 老いた教授は よぼよぼの闘牛士 ひとり 奮闘してるその姿ったら 笑っちゃうね もう (だけど、先生  いったい何と奮闘してるの) Siesta お昼寝の時間 午後の授業は みんなお昼寝してる チャイムが鳴るまで お昼寝してる

(連作「ぼくのEarly 80's」のうち)



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コピー

田中宏輔



 手をコピーする。左手をコピーして、右手を コピーする。腕をコピーする。左腕をコピーし て、右腕をコピーする。顔をコピーする。光を 見ないように、目をつむってコピーする。肩と 胸をコピーする。服を着たまま、コピー機の上 に胸をのせてスイッチを入れる。お腹をコピー する。コピー機の上にのっかってスイッチを入 れる。小便する犬のように、脚を上げてコピー する。左脚をコピーして、右脚をコピーする。 足をコピーする。コピー機の前で逆立ちして、 足の甲をコピーする。コピー機の上に片足をの せて、もう片足で蓋をしてスイッチを入れる。 そしてそれらをセロテープで貼りつける。ペラ ペラとした白黒のぼく。頭のところをもって垂 らしてみる。目をつむったぼくの顔。手をはな すと、ヘロヘロヘローとへたり込む。もう一度 手にもって垂らしてみる。でも、やっぱりペラ ペラとした白黒のぼく。窓を開けて、ぼくは、 ぼくのコピーを風に飛ばしてやった。  目を開けると、ぼくは風にのって飛んでた。 とっても軽くって、ヒラヒラヒラーと飛んでっ た。高層ビルの透き間をぬけて、ぼくは飛んで った。どんどん遠くに飛んでゆく。風にのって どんどん遠くに飛んでゆく。  ああ、ぼくはどこまで飛んでゆくんだろう。


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透文様雪景色

関富士子



 美術館はガラス工芸品ばかりを収めていた。エミール・ガレの、*一夜茸をかたどった巨大な赤いランプは館のメインらしい。ほかはほとんど花器の類で、百年近く前のフランスの作家のものだ。ガラスを盛り上げて彩色された桔梗や撫子は生々しく、蜉蝣や蜻蛉はグロテスクだ。息子は売店でカードを見ていた。何枚かを選んだ後、ある一枚を手に取り、しげしげと眺めた。一目で気に入ったらしいことがわかったが、彼はどうしたわけか思い切ったようにそれを棚に戻して、隣のガラス製品に移っていく。
 私は息子が戻したカードを見た。ガラスの花器の写真である。実物は美術館にはなかった。それは明らかに、真っ白なコルセットに包まれた女の尻をかたどっている。胴にあたる縁はぎざぎざに刻まれ、腰にかけてゆるやかにカーブしている。細かな雪片に似たレース模様が、ふくらみの頂点で二つに割れ、腿に届くところで寸断され、器の底となって閉じていた。よく見ると、レースは冬枯れの雑木を編み込んで、その枝のあちこちに烏が幾羽も描かれているのだ。ドーム作「雪景文花器」とあった。私はそれを買い求めることにした。息子が気づいてためらいがちにささやいた。ママ、それ、やめたほうがいいよ、ちょっと変だ、だってそれ女の人のパンツみたいだよ、烏の模様なんかついてるし。私は彼を横目で見やり、きっぱり言った。それがどうしたの、ママはこれが好きなのよ。
 しばらくのちのこと、私はふと思いついて、そのカードをある詩人への手紙に同封した。彼こそが、この奇妙な花器の味わいを、ともに楽しむことができる人物である。彼の詩は豊かな輝きがあったが、同封される手紙は、老いを迎えようとする人の、かすかな寂しさのこもることがあった。私は、詩人を力づけるのに、そのカードがふさわしいような気がしたのだ。数日して、詩人から返事が届いた。それにはこう書かれていた。すなわち、この器は何とも妙なものである。女性のお尻のふくよかさ、ところが、雪華を咲かせた裸木に烏がとまっている。いや、花器を女性のお尻と受け取った私がおかしいのであろうか……。私は手紙を読みながら、美術館でカードを見ていた息子を思い出した。詩人は彼とそっくりの表情をしていたにちがいなかった。

*一夜茸ランプは諏訪北澤美術館蔵



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あられ

長尾高弘



朝は晴れていたが 次第に雲行きが怪しくなり 昼食を終えて店を出たときには 街は斜線だらけ 走れ 駅まで20m ジャンパーの襟を立てて 「あられだって」 「あられ?」 「今 通っていった人がそう言ってたわよ」 2人とも 走るのに夢中で あられだとは気が付かなかった 年末のせいか 駅には人がいっぱい 数百人 あるいはそれ以上? これらの人々にもこのようにして あられという単語が伝わっていったのだろうか? あられという単語が脳細胞の隙間に浮かんだり のどの奥を震わせたりしたのだろうか? 他人同士 不思議なことだ 外を覗くと 夏のような厚い雲 今 その真ん中で稲妻が光った


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金色の場所

倉田良成



鮮烈な出来事のように 路面には水が撒かれ あたらしい光にふるえている あの キンモクセイのおおきな繁みの陰は 聖なる場所だ (私だけのための) 秋のベランダにたわわに実る沈黙 子供たちのための聖なる場所 階段のしたで 姉が おさないポーズをとる弟にむかって シャッターを押す すばやく切りとられる 深い青空 記憶を閉じこめた紙のうちで 夏休みは終わらない そのように 「扉」のむこうに沸いている祝祭は永遠だ 人間のものではない明るさをはなつ 坂のかなたに陥没した町へ ダシはうごく 願わしい 透明な存在を載せて たとえば一本の木である その内部の罅割れは厳粛だ その黄落はガソリンの匂いをあげる まだ林は無垢の彩色 いっせいに火がめざめる刻限を待って 細い道で青年が懐疑する (世界はまだ 暗い卵にすぎないのだろうか?) 浮浪者が伽藍のおくに消えてゆく いっしゅんの白いやいばのように 「その人」の顔を見たと思った 森の 誰も入れない輪のなかの 聖なる殺害 きょう二階のゴルトムントが説く ホサナ あの かがやくヤドリ木の金の枝のあいだから あたらしいよろこびの時が暴力のように訪れると

(連作〈SEPTEMBER VOICE〉より)



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[組詩]

清水鱗造



   * 顔が床に張りついている ほとんどが笑いかけた顔 笑いかけて途中でやめた顔 あるビルの一室で 僕は駅を発つ列車を見送る 煙は窓のほうに向かってたなびいている 何者かが部屋に入る気配 床を擦る衣服の音がする 赤や黄色で彩色した顔は 床でそれを見ている 細いやすりのような耳鳴りが 建造の音にまじって聞こえている    * そこにたしかにタワーはあるのだけど 見えない 高層ビルの谷間 そびえている空無のタワー 雲は高層ビルのガラスに映り 雪は地面を白くした 季節は移り タワーの評価額は百億円も上がっている 高く電波を発する透明なタワー バグが駅を空洞にもする ホームの中あたり 四角く穴があいて地面が見える その駅を利用する人は透明なホームに降り そして街へでる 人たちは中ほどが空洞になって空が見える 高層ビルに上っていくのだ    * 球体の内側に街を造るのは 骨が折れる 逆さまにビルを建てなければならない 地平線の向こう大気は円く歪んでいて 不安の魚も逆さになって泳いでいる でもともかく この内側に道をつけ線路を敷いて 逆さに走ることが要請される そうだな このワイングラスを逆さにして 一滴の赤い液体をこぼさないというのなら 君にも造る資格があるだろう と僕は言われた でも 髪を海藻のように空から揺らめかせ 地味な服を来て まるで空のクラゲの風体で 奇態な街を造る人の住処があるのも とどのつまり 単なる風の行方の 気まぐれではないのか    * 顔を彩色する 縞模様と 付け鼻 いっぱしのダンディな遊び人になって 僕は出かける 包帯をぐるぐる巻きにした夕暮れが しらじらと笑いを寄せてきた きちんと君の顔を整理しなさい マニュアルが整然と並ぶ本棚のように ちっ 僕は唇のはじから赤い布を吐き出してみせる 一輪車に乗ってバケツの水を運んでみせる 僕の顔を整理する 赤い縞 青い縞 付け鼻 顔をカバンに詰め込んで 去ろうとする いちばん人が驚くのはそのときだ 全てを白く白く隠匿した ピエロが裸をみせるからだ    * あのころのノートを 開いてみるとこう書いてある 《屍を抱き締めて湧いてくる有機音  それもまたほかの営みと同じほどに  あなたの踵を留まらせる  どこかで鋭い刺が笑っているのは  あなたが屍を抱くその姿態をではない  水も動かない 穂も動かないそのほとりに  ひとりの醜い死者も見いだせないからだ  抱き締めているもののトルソの白さに気づいたとき  あなたは鳥肌をたてて舗道を歩くのである  歩み去るあなたの背後で  葬送歌と頌歌よ がなりたてろ》 褐色のコーヒーに 蜜とミルクが垂らしこまれる 僕はがなりたてる 葬送歌と 頌歌を あのころはまっさらな海だった いま剃刀が海の一枚一枚を プレパラートに作ってゆく    * あなたは振り向いた こちらに手を振ろうとする なんだかよくある場面 でも僕はとんでもないことを考えているんだよ 僕の黒いコートの裾が地下鉄のホームで たなびいて 足音がこの場面を貫いて そして劇が始まるなんて 普通のことを 僕ができるはずもない あなたのおでんの煮える時刻と 僕のお好み焼きの焼ける時刻が たまたまニアミスして それで別の大陸に飛行したってこと あなたにも意見はあると思う 朝の歯ブラシはそれぞれで 南海に旅に出たりして それが歴史なんてね 劇は始まっても始まらなくても それは誰も関与しない ほんのすこしだけ 僕たちは足の裏に同時に汗をかく そしてナイトキャップをして 深夜のラジオを聞きながら 単純な眠りにつく    * あの人がもしいるとしたら 洗濯物を干した陰だと思う はたはたはたはた シーツは風に擦れ ポリエチレン容器から 白い布を出していると思う あの人がもしいるとしたら あの白いシーツの陰にいると思う 昼の月は東にかかり 水道塔はそびえているにしろ あの人はたぶん もしいるとしたら 白いシーツの陰にいると思う    * 特定の山峡には一年の決まった時刻に 氷雨が降る 画面をその山峡に合わせひたすら待つと 西から東に細かな粉が流れるのを見ることができる 深夜ひとりで駅にいるとドップラー効果が 旅をうながしていた 雨が雪に変わるとき 三つの色のシグナルのように 刺の細かな選択肢が見えてくる 溶ける夜 プランクトンの死骸は降り注ぎ 建造中の工事の明かりは 脳葉の表に 毛細血管を伸ばし 街のはしのくずおれた男の 手のひらに顔を作っていった    * 仮面の掃き溜めの 表情のない白い 集積に 熱のない光が当たる 僕の水時計はあなたの砂時計と通じている 干からびた骨と 干からびた皮膚と そんなものだけど 遠い砂床の ヨーデルの化石が 山から山へ知らせを伝え 網状の凹凸を作っていく たぶん 絶えることのない分泌液が 顔に浸透していく    * 花粉の流れは 建物のあいだを 這っていく 釘のうちこまれた蝶の顔 人魚の絵のある壁に沿って 無数の蝶は移動していく 港である廃園の壊れた庇の下に 蚊柱は待っている 「夕景は廃れました」 その風鈴の先に 短い鎖骨が下がっている 縁側の前に溜まった泥水に 赤い布がちぎれていた    * 水仙が手榴弾によって 爆発する 水際の水仙は その気配を壊す そして 包帯を顔にぐるぐる巻きにした幼児が 何人も 橋を渡っていった 知っている その幼児はやがて 隊商に変わり 駱駝に青い色素を積んで オアシスにばらまくのを 僕は五桁の暗証番号を押して 扉を開ける 壁紙には玄関から 水仙の群落が描かれている    * その恋は透明 というのも 舞台の向こうに透けてみえる 舞台にはいない人との恋だから 舞台では大人の男女が 刃傷沙汰をやらかして たくさんの機械が稼動している そして男女は叫ぶ 夜に刻印する音声で 劇場は興奮して 泡だつ 緞帳は下り 人々はいっとき目だった女優に殺到していく 僕は煙草をくゆらせて裏道にでる たしかにそこに 舞台の裏にいた あなたが待っているのを僕はみつける だからそれは透明な恋


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大和世に舞う

沢孝子



食卓に頬杖ついて 湧き水の方言に沈んでいく 茶の間に再現されてくる異質な歴史の 暮らしにあるさびの形には馴染めない 習慣からの響き 器の言葉が出会う 杯盃にとぐろまく彼方の浜の古代の波立ちがあり 反大和となる優しい血縁の部落 潮風のリズムで歌って 万葉の恋文を焼く 大和化に消える愛の 灰にこもる図太い裸足が 蛇味線を弾いて渡り歩いた 城から城と覗いた亀裂の深さがあり 道のヒレがなしが詠んでいた句にもある 封じてきた月日の石の門 別れの儀式貼りつける衣の 武の作法にとまどうドレイの愛に抗いがあり 出口のない大きな月の夜の狂い 島にもえる炎の 荒れた髪をすく 大きな月の厚い本のページめくり 膨大になっていく砂糖黍 憧れの梅の木の引き潮にある 絞られた大和化の言葉は脆い 暮らしの器に壊れた異質な流れ 共通の差別の釜のどろどろに 倒れる黍の上昇思考を照らす 川の堀の滅びの屋根の満月 湯のヒダそうりょが詠んでいた句にもある 苦界のわびの飢えの方向の 天下分け目の時代 国の別れの骨を洗う儀式で 祖先返りして 大和世に舞う 海の悲しみの優しい血縁 花の作法へすりよるドレイの愛は捨てる 食卓に頬杖つく 出口のない方言のリズム 裸足の実感で 茶の間が出会う 反大和の島の満ち潮の 古代の炎をつつみこむ 万葉の恋文焼きてこもれ灰 天下分け目の大和世に舞う 裸足の実感で押す異質な歴史の掌 押されるわびの器の暮らしの掌 平伏する島の心が 大胆に毒蛇(ハブ)の柔皮ひらく 毒含む洞の言葉の影にまわる早さ お手上げの古代の湧き水に沈む茶の間は 掟の憎しみが倍加する反大和の衣を脱いで 食卓に頬杖つく ゴザに乱れる月の祈りで 万葉の恋文を焼く はっと射止める 夜這いの浜に到来してきた 神の足音 灰にこもる 島の心の潮風の柔らかさ 一瞬にして訪れる大和化の言葉の脆さに牙 さっと隠してしまう 道のヒレがなしが詠んでいた句にもある 出口のない部落の歌 方言のリズムが 呪文の踊りで祖先返りして 芸の作法をまねるドレイの海は抜ける 杯盃がかこいこむ ぶさいくな石垣の伝説 優しい血縁の暮らしの波立ちにくゆらくゆら ぶさいくな石垣の伝説 ガジュマルの木に神の衣がかかり 夢の島の歌と踊りの古代に 天女舞う空の涙の便り 食卓に頬杖つく 海の心は裂けて 梅の木に憧れた大和化 引き潮の茶の間は 朝の掟の罪に吊り下がり 海鳴りに痛んだ反大和 満ち潮の杯盃は 夜の上昇思考の黍の倒れにたじろぎ 異質な差別の共通の言葉が どろどろの釜に溶けて 古代の海の裂け目に透きとおる 湯のヒダそうりょが詠んでいた句にもある 苦界のさびの庭の波立ちに 暮らしの器から逃げた 天下分け目の時代 大和世に舞う方言のリズムが 滅びの浜へ旅立ち 春夏秋冬の四季の変化に荒れた 茶の作法をうのみにしたドレイの海は探る 象徴となる満月が照らす 洗い骨の儀式は出口なく 優しい血縁の部落へ旅をする 毒蛇(ハブ)の伝説に酔いしれて出会う 石垣にもえる炎の 国の別れの暗壕に死す

(改稿)



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幼年論

築山登美夫



1 幼年は水にくずれ落ちる砂の崖のようだ くずれてもくずれても あとからあとからせり出してくる もろい地紋のある崖の記憶のようだ 帰ってこない母を待って 泣きさけびながら眠りにおちた日や 機嫌をわるくして帰ってきた父に なにかのはずみで折檻された日を過ぎて はじめて見る小学校の校舎が幼年の夢をやぶる アオミドロのいっぱい浮いた沼のほとりで 紫のエプロンをつけた隣のうちのケイコちゃんと遊んで 沼の上に広がった大きな松の木の枝にぶらさがったまま動けなくなった いたむ両手をはなして沼に沈んでいった のは だれだったのか?  2 〈ありふれた家族の出郷の物語 知覚のあるなしもわからない幼な児をつれての だが後年 父親は成人した息子の書きもののなかに 出郷のいたましい記憶の きれぎれの だが執拗な 傷にみちた再現を発見して驚くことになる〉 そんな話を読んだ しかも息子はじぶんの書きものを詩と称し いやおうのない出郷の 幼なすぎて物語にもならなかった わが身にふりかかった災厄としか云いようのない経験を じぶんの経験として読まれることを はげしく拒んでいたのだ 父はさきゆきのない生活にみきりをつけ そうするしか生きるみちはないと思いつめ 生地をべつの箱に入れた 最善の撰択をしたのだ つまり息子にとっては最悪の撰択を どこにでも だれにでもある話だ と云える はっきりとした記憶のない至福の時から とつぜん切りはなされた彼の不幸はいつおわるのだろうか? 〈その後のぼくの人生はデタラメきわまるものでした 生地で過した五年に比して およそ強度に欠けた どうでもよいものでした〉そう彼は云っている ――息子よ きみは物語にならない物語を反復することで かえってわるい物語の鋳型に嵌められているようだ 幼なくしてむりやりに出郷させられたのはきみの不幸だが ひとはだれも母胎とか生地とか家族とかいう始源のクニから立去るのだ そうすることでかろうじてひとはひとと話をかよわせる理由をもつのだ きみにとって詩というのは まるで そういう理解を潔癖に拒むことが前提になっているかのようだ いな きみの否定はもっと徹底されるべきだ きみの翳る幼年の きれぎれな想像の地誌の踏査をふみやぶってあらわれる 先(サキ)つ祖(オヤ)の惨酷な生き死にが きみの固着を解体するところまで そのことがいつかきみにわかるだろうか?


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バタイユ・ノート2
バタイユはニーチェをどう読んだか 連載第5回

吉田裕



4 雑誌「アセファル」のなかのニーチェ(その2)

 前回に続いて、雑誌「アセファル」の第2号でニーチェの姿が、どのようにあらわれているかを検討する。全体的にいって、この号は、さまざまのニーチェ理解のしかたを同人たちが合同で検討するというような体をとっている。さまざまのと言っても、実際は次に上げる二つだが、その背後には前回言及した、当時唯一の総合的資料であったアンドラーの著作、またファシスム的な理解の仕方も含めて、多様なニーチェの読み方に関する議論があったに違いない。ただ表にあらわれるのは、前述の35年のレーヴィットの『ニーチェの哲学』と36年のヤスパースの『ニーチェ』の二つで(前者は岩波書店、後者は理想社の邦訳題名による)、前者についてはクロソウスキーが、後者についてはヴァールとバタイユが論文あるいは書評を担当している。これらを私たちは、ヤスパースのニーチェ理解に対するバタイユの反応にたどり着くようにと読んでいくことになるだろう。なぜなら、バタイユのニーチェ理解にとって、ヤスパースの著作が少なからざる意味あいを持ったことは、明らかであるからだ。
 レーヴィットの『ニーチェの哲学』を取り上げたクロソウスキーの書評は、二段組みで4ページ近く、バタイユのものの倍近くの量があり、かなり本格的なものである。クロソウスキーは、レーヴィットがニーチェをキリスト教的な「おまえはそれをしなければならない」からニヒリスムの「わたしはそれを欲する」へ、さらに超人の「わたしは存在する」へという三つの段階に見ていることをたどりながら、その結果としてある「永劫回帰」をもっともよく表すところの「力への意志」が、一般にほとんど誤解されていることを指摘している。この箇所には別にファシスムの名は現れていないが、それが、バタイユにおいてはファシスム的なニーチェ理解に対する批判が主に「力への意志」の解釈にかかわるかたちで行われていたことと通底するのを見ることは決して無理ではないだろう。クロソウスキーは、レーヴィットの理解がいくらか病理学的、また概念的な解釈に傾く傾向があることを指摘し、キルケゴール、マルクスとニーチェを並べ、彼らの仕事は共通して失われた世界を回復することだったと言っている。バタイユの「ニーチェとファシストたち」の第13節にも同じ趣旨があらわれるが、そのうえでクロソウスキーは、これは彼自身の考えだろうが、ニーチェに関して次のように述べる。〈ニーチェが告知するところのヨーロッパの闘争、彼が予言する戦いは、意識の戦い、宗教の戦い、精神的な戦いとして理解すべきである。これらの戦いが、大いなる政治の時代を満たしている〉。ここには失われた古代世界への回帰と合わせて、ニーチェを宗教的、とりわけ神秘主義的に読もうとする傾向が色濃くあらわれているのを見ることができる。これもまたバタイユと照応するところであろう。
 他方ヴァールの「ヤスパースの『ニーチェ』に関するノート」という副題のついた「ニーチェあるいは神の死」は、論文として扱われているが、クロソウスキーのものと比べると量は半分以下のもので、しかも「1」と番号が付されているものの、少なくとも「アセファル」の以下の号には続編はあらわれてこない未完のものである。ヴァールがヤスパースから取り出すのは、内在性と超越性(immanence:transcendance)の対立のシェーマである。ヤスパースによれば、ニーチェの哲学のエッセンスは、世界を純粋な内在性として肯定したところにある、とヴァールは言う。内在性とは、それぞれのものに固有の価値を認めることであり、外側にそれを越えるものを想定して、そこに価値の基準をおくのを拒否することだ。〈この世界そのものが存在なのだ〉とヴァールは述べる。反対に外側の最たるものが神である。したがって内在性を貫くことで神は否定されることになる。この内在性と超越性の対立のシェーマは、バタイユの理解に対しても大きな影響を及ぼすことになる。たとえば彼のニーチェ理解の主著である『ニーチェ論』のその序文中で、このシェーマは手中をなしている。しかしながらこの二項対立は、単純にどちらかに加担することで終わるというわけにはいかないことをヴァールは見て取っている。いま見たように〈神の否定は存在との真正の関係であ〉り、したがって、キルケゴールの信仰が懐疑する信仰であったように、ニーチェの神の否定はまた、神的なものの探求となる。〈ニーチェは神の死を求めると同時に神を求める。そして彼においては、神の不在を考えることは、神を創造する本能を消去することではない。これがヤスパースの言う「実存的無神状態(existenzielle Gottlosigkeit)」なのだ〉。ここでもまたニーチェを単なる無神論者ではなく、神が不在となったところでの神的な経験の新たなかたちの探求者と見ようとする傾向が顔をのぞかせている。
 ではバタイユの場合はどうなのか。「アセファル」のこの号での書評はさして長いものではなく、しかもその半分はヤスパースからの引用で埋められているが、そこでヤスパースから引き出されていることは、ほとんどバタイユの言と見まがうばかりである。これはたまたまバタイユにヤスパースと共通するところが多くあったということだろうか? それとも前者が後者から大きな影響を受けたということだろうか? バタイユはまず、ヤスパースがニーチェを概念に固定してとらえようとはしていないことに共感を持つ。ニーチェは矛盾に満ちているが、それは概念間の矛盾ではなく、すべてが生成の途上にあって、どんなものも完成したものとしては与えられていないところから来ているためである。その上でバタイユは、ヤスパースが、この変転きわまりないニーチェが政治に接触するところに視線を移す場面をとらえる。この関心の重なり方は、少なくともわたしにはきわめて興味深いところである。バタイユはヤスパースの次のような部分を引用している。
 〈ニーチェは政治的な出来事がどのようにして始まるかを明らかにする。ただし、政治的行動の場たる個別の具体的な現実に方法を持って介入するということはしない。……彼は人間の存在の最終的な基礎(最後の動機)を揺り動かすような運動を作りだし、そして彼のいうところを聴き理解する人々が、彼の思考によってこの運動のなかへ入り込むようにする。ただし、この運動の内実が、国家的であれ、人民的であれ(ボルシェヴィッキ的な意味で)、またそのほかどんなに社会的なものであれ、あらかじめ限定を受けることなしに、である〉
 この一節は、バタイユにとって示唆するところの多いものだったに違いない。このようなヤスパースの解釈について、彼は〈ニーチェをファシスト的な解釈から分かつ距離を、ほかのどんな考察よりもよりよく示すもの〉と評しているからである。
 ところでニーチェの読み方に関してヤスパースがバタイユに及ぼした影響は、この書評のなかにあらわれたものだけに限られるのではない。バタイユがヤスパースから得たものは、狭義のニーチェ解釈に限られず、非知non-savoirというバタイユの中枢をなす表現がおそらくヤスパースのNichtwissenから来ているように(酒井健氏の「フランス文学研究54号」の「バタイユとニーチェ」による)、また内在性・超越性のシェーマがほかのところでも見られるように、彼の思考の根本にかかわる。補足しておくと、バタイユにおいてヤスパースの名が再度あらわれるのは、50年11月の「クリチック」に発表され、『至高性』に収録されることになる(周知のようにこの本は彼の生前には刊行されない)「ニーチェとイエス」においてである。そこでバタイユはニーチェのキリスト教に対する態度を、ジッドとヤスパースの二人の思想家の読み方を通して考察するのだが、ヤスパースに充当された量は少なく、また今度は批判がかなり強くなっている。ただ「アセファル」におけるニーチェの像を対象とするという現在の設定からははずれるので、ここではこのような論文があるのを指摘するにとどめる。

 第2号から半年後に3・4合併号が、「ディオニュソス」の特集名で刊行される。特集に合致する企画は三つある。ひとつは「ディオニュソス」の表題のもとに、このギリシア心に関する短い断章を、十二ほど集めたものである。ほかに論文としては、モヌロの「哲学者ディオニュソス」とカイヨワの「ディオニュソス的徳性」がある。前者は比較的長いが、後者は見開き2ページのものである。また前回の「ニーチェとファシストたち」の続編であるバタイユの「ニーチェ・クロニック」がある。この中には「ニーチェ・ディオニュソス」と題された一節があるが、それによって、この続編は特集に連なっているに違いない。ほかに前回触れたクロソウスキーの「キルケゴールのドン・ジュアン」にも、ニーチェにとってのディオニュソスがキルケゴールにとってのドン・ジュアンであったというふうに、ディオニュソスと結びついており、さらに社会学研究会の発足宣言がある。ここではまずディオニュソスの名が意味するところを取り出すことを試みる。
断章を集めた「ディオニュソス」は二つの部分に分かれていて、最初のグループはオットーの著書『ディオニュソス』からの引用で、ディオニュソスそのものに関するものであり、もう一つのグループはニーチェとディオニュソスの重なりに関するところのニーチェ自身の著作、またレーヴィット、ヤスパースらからの引用である。補足するとオットーとはドイツの宗教学者であって、一九一七年のその著書『聖なるもの』は、聖なるものという考えが初めて打ち出された記念すべき著作である。岩波文庫に邦訳があるが、読んでみると、バタイユがそこから多くを学んでいることがわかる。このオットーはディオニュソスのことを〈恍惚と恐怖の神〉と言っている。またニーチェの『力への意志』からの引用によれば、ディオニュソス的宇宙とは〈それ自身で永遠に産み出されては破壊される〉宇宙である。だからディオニュソスへの注目とは、永劫回帰そのほかの概念を、それらがどれほど重要であれ、概念として検討するのではなく、運動そのものとして経験することの方へ接近していったことの徴であろう。
 モヌロの「哲学者ディオニュソス」は、モヌロにとっては「アセファル」に掲載した唯一の論文であるが、ここでもドン・ジュアンの名が大きな場所を占めていて、〈ドン・ジュアンが暴力によって、術策によって、またすべてに抗して獲得しようとしたのはディオニュソス的状態である〉と彼は述べる。この間神は前回触れたクロソウスキーの場合と共通であって、キルケゴールにとってのドン・ジュアンとはニーチェにとってのディオニュソスだったという類推によっている。
 カイヨワの短い論文も、ディオニュソスを陶酔の力だと見るところでは共通している。しかしながらこの論文において注目すべきなのは、この陶酔が、単に哲学的あるいは個人的な問題としてではなく、社会的実践的な問題へと拡大された視野のなかでとらえられていることである。〈ディオニュソス主義の本質的な価値は……人間存在を社会化しつつ結びつけるところにある〉と彼は言う。しかしこの社会化は、地域的、民族的、また言語的な共通性によるものではなく、情念的な昂揚によって結ばれる共同性に根拠をおくものであって、カイヨワはそれを超社会化(sursocialesation)という表現で表している。そして興味深いのは、通常の社会を変えていくこの異質な力のよってくるところを、都市に対する地方、貴族有産階級に対する無産民衆のありように求めたあと、次のように言うにいたることである。〈かくも恩寵を失って周縁にあったものが、秩序を作りだし、いわば結節点となる。反社会的なもの(そう見える)が集団的なエネルギーをかき集め、結晶させ、蜂起させ、――そして超社会化する力となって姿を現す〉。ここであげられている周縁の人々あるいは反社会的なものの上に、当時ついに権力を握るにいたったファシスムの姿が二重写しになっているのを見ることは、それほど不自然ではあるまい。ニーチェをディオニュソスのイメージへと読み込んでいくことは、ニーチェ的なものを社会的な動きに重ねることに連なっていく。カイヨワの論文のあとの余白に、来るべき社会学研究会の設立宣言がおかれていることも示唆的ではある。この拡大はたしかにバタイユに影響を及ぼしたに違いない。だがバタイユが「ニーチェとファシストたち」の第15節で同じ問題に接近し、ニーチェ的ディオニュソス主義とファシスムの混同を「不吉な混同」と言っていることを忘れてはならない。

(この項続く)



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塵中風雅 (九)

倉田良成



 元禄二年十二月、「ほそ道」の旅を終えた芭蕉はそのまま江戸には帰らず、近江の膳所(ぜぜ)から京の去来に宛てて書簡を送っている。この間、伊勢山田などにも長逗留しているが、翌年になるまで郷里の伊賀上野にも帰っていない。以下、書簡から引いてみる。

(前略)一、江戸より五つ物到来珍重、ゆづり葉感心に存(ぞんじ)候。乍去(さりながら)当年は此もの方のみおそろしく存候處(ところ)、しゐ(ひ)て肝はつぶし不申(まうさず)候へ共(ども)、其躰新敷(そのていあたらしく)候。前書之事不同心にて候。彼義(儀)は只今天地俳諧にして萬代不易(ばんだいふえき)に候。大言(たいげん)おとなしくても、おとなしき樣なくては、風雅精神とは被申(まうされ)まじく候。却而云分(かへつていひぶん)ちい(ひ)さき樣に存候。ゆづり葉を口にふくむといふ萬歳(まんざい)の言葉、犬打(うつ)童子も知りたる事なれば、只此まゝにて指出(さしいだ)したる、閑素にして面白覚(おもしろくおぼえ)候。其上(そのうへ)文字の前書、今は凡士之(ぼんしの)手に落(おち)、前書に而(て)人を驚かすべきやうに而、正道にあらざるやうに候。されどもキ樣御了簡、其角心□をも御汲被成(くみなされ)候而、ともかくも可被成(なさるべく)候。
愚老木曽塚之坊、越年(をつねん)之事、達而(たつて)ねがひに候間、大晦日より、あれへ移り、湖水元旦之眺望可致(いたすべく)と存候。野水(やすい)が朝ほどには有まじき哉(や)と存候。
(なほ)々愚句元旦之詠、なるほどかろく可致候。よくよく存候に、ことごと敷工(しきたく)み之(の)所に而無御座(ござなく)候。却而世俗に落候半(おちさうらはん)。加生(かせい)、キ樣、隨分ことごと敷(しき)がよろしく候。
   □月二十□日                    はせを
 去来(きよらい)

 いわゆる「萬代不易」について触れた最初の資料といえるが、ここに出てくる去来と加生(凡兆(ぼんちよう))の簡単な閲歴を書いておきたい。
 去来。向井氏。幼名は慶千代。通称、喜平次・平次(二)郎。諱(いみな)は兼時。字、元淵。号は義焉子。庵号、落柿舎。慶安四(一六五一)年に肥前長崎に生まれ、宝永元(一七〇四)年、洛東岡崎村の自宅で没。享年五十四。いわゆる蕉門十哲の一。二十一、二歳のころ、筑前黒田侯に仕官を望まれたがこれを固辞。以来、その天文暦数の造詣の深さでもって摂家や堂上家に出入りはしたものの、自ら主を戴かぬ「三十年来の大隠士」、洛中の浪人として生涯を過ごした。芭蕉との交渉は貞享初年あたりからはじまり、元禄四年には凡兆と共編でいわば蕉風の代表作ともいえる「猿蓑」を世に問うにいたる。その人となりは重厚篤実、芭蕉をして「西三十三ケ国の俳諧奉行」といわしめた。芭蕉没後の元禄八年、彼と同じく京師に住む浪化を後援して「有磯海(ありそうみ)」「刀奈美山(となみやま)」を出し、また去来の生前に刊行こそされなかったものの、その「旅寝論」と「去来抄」は蕉風の要諦をうかがわせるものとしてあまりにも有名である。
 凡兆。野沢氏、宮城氏、越野氏、宮部氏など諸説あるが確証はない。名は允昌。俳号は元禄三年初めごろまで加生。当書簡では加生で通用している。生年不祥。正徳四(一七一四)年春没。かなりの年であったと推定される。加賀金沢の人。京へ出て医を業とする。芭蕉への入門は元禄元年ごろか。元禄初年のころ妻とめ(法名羽紅)とともに芭蕉に親炙し、さかんに交遊している。元禄四年には去来とともに「猿蓑」を編み、その入集句数四十四は集中随一である。このころを頂点としてのち師に離反、元禄四年罪を得て(何の罪かは不明)下獄、同十一年許されて出獄したが、晩年は落魄した。芭蕉の斧正を受けた「下京や雪つむ上の夜の雨」(猿蓑)は代表作といってよい。
 さて、書簡のなかで批判されている其角の作であるがその全句形は次のようなものである(「勧進牒」に収める)。

手握蘭口含鶏舌
ゆづり葉や口に含みて筆始

 これは漢の尚書郎が口に鶏舌香を含み、蘭を握って朝廷に出仕した故事を、門付け芸人の万歳祝言の「ゆづり葉を口に含み、松を手に持ちて」という決まり文句にひっかけて、その俳諧化を図った句という。ゆづり葉はトウダイグサ科の常緑高木。新しい葉が生長してから古い葉が譲って落ちるのでこの名があるという。新年の飾り物に用いる。
 芭蕉はこの句それ自体は評価している。「ゆづり葉感心に存候」といっているわけである。ただこの作は後世の私たちから見ても、前書と句とのあいだに内的な必然性が感じられない。手に持つもの、口に含むものの表面的な符合があるだけである。それによって故事が俳諧化されるわけでもないし、句が故事によって光被されるわけでもないのだ。まことに「大言おとなしくても、おとなしき樣なくては、風雅精神とは被申まじく候。却而云分ちいさき樣に存候」といわなくてはならない。ただそのはなやかさ、鬼面人を驚かすといったところに、いかにも其角らしさがあらわれているという点がおもしろい。「前書に而人を驚かすべきやうに而、正道にあらざるやうに候」という言葉は、この古い高弟の、あいかわらずのやつだとでもいいたげな、芭蕉のにがりきった表情が浮かんでくるようで、私などにはなかなかに愉しい図に思えるのである。そしてこのことは「乍去当年は此もの方のみおそろしく存候處、しゐて肝はつぶし不申候へ共、其躰新敷候。前書之事不同心にて候。彼義は只今天地俳諧にして萬代不易に候」といういいかたにもあらわれていると思う。ここで注意していいのは「其躰新敷候」という言葉が其角の句を貶めているものではないということだ。むしろ反対に積極的に評価しているもののように私には感じられるのである。
 これに関連して「彼義は只今天地俳諧にして萬代不易」という発言に少しだけ触れてみたい。ひとことでいうなら、「不易」と「流行」は対立概念ではないということだ。いいかえれば「新敷」躰と「萬代不易」とは相反しない。むしろ「只今天地」がそのまま「不易」の根底にかかわることが、「ほそ道」の旅を終えた芭蕉の頓悟であり、俳諧におけるその断言肯定であったといえる。「不易流行」に関しての論考はまさに汗牛充棟ともいえるので、この問題についてはこれ以上あえて触れることをしない。
 ところで、書簡の最後のほうで「愚老木曽塚之坊、越年之事、達而ねがひに候間、大晦日より、あれへ移り、湖水元旦之眺望可致と存候。野水が朝ほどには有まじき哉と存候」と述べている部分であるが、これはどういうことなのであろうか。
 木曽塚は、元暦元(一一八四)年、源範頼・義経軍に宇治川でやぶられ、近江粟津原で討ち死にした木曽義仲の墓で、現在は大津市馬場の義仲寺境内にある。同寺は寺伝によれば、天文二十二(一五五三)年、佐々木義実によって創建され、当時は石山寺の末寺であったが、寛政年中に三井寺の末寺となった。芭蕉は元禄初年ごろからしばしばここを訪れ、門人たちによって庵も建てられた(無名庵という)。芭蕉没後、遺骸はここに葬られた。十数年前に筆者もここを訪れたことがある。狭い境内に、木曽塚と隣り合って芭蕉の小さな墓が立っており、近くの句碑に「木曽殿と背中合せの夜寒哉」という句が彫られていたのを記憶している。むろんいまとなっては誰の作なのか知るすべもない。
 義仲に関しては、元禄二年の「ほそ道」曳杖中に、「義仲の寝覺の山か月悲し」の句があるのをはじめとして、木曽についても、「思ひ出す木曽や四月の櫻狩」(貞享二年)、「おくられつおくりつはては木曽の秋」(貞享五年)、「木曽のとち浮世の人のみやげ哉」(同)、「木曽の痩もまだなを(ほ)らぬに後の月」(同)、「木曽の情雪や生(はえ)ぬく春の草」(推定元禄四年)、「椎の花の心にも似よ木曽の旅」(元禄六年)、「うき人の旅にも習へ木曽の蝿」(同)などがある。また義仲関連の句としては、謡曲「實盛」の、義仲首実検における樋口の次郎の言葉、「あなむざんやな是は齋藤別當にて候ひけるぞ」から俤を奪った「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」(元禄二年)が挙げられる。
 芭蕉は非業の死を遂げた逆臣・木曽義仲に生涯深い関心を持ちつづけた。というより義仲が「好きであった」。そしてその出自の地・木曽は、芭蕉にとって特別な意味合いを持つ土地であったといえるのではないか。「木曽の句」が貞享五年に多いのは「更科紀行」によるものであるから当然だといえば当然であるが、むしろ芭蕉がなぜ「笈の小文」の旅につづく曳杖の地として木曽を通るルートをえらんだのか、ということが問題であろう。
 結論から先にいってしまえば、私にはどうも芭蕉にとって木曽という土地は一種の異界のようなものであったという気がしてならない。「おくられつおくりつはては」といい、「浮世の人のみやげ」(更科紀行真蹟草稿には「よにおりし人にとらせん木曽のとち」)といい、「木曽の痩もまだなをらぬ」といい、それはどうやらこの世ならぬ色合いを帯びた「土地」であったようだ。このことは芭蕉の義仲好きの内実がどのようなものであったかを暗示しているような気がする。義仲は救いのない、そしてその救いのないぶんだけ巨大な亡者として芭蕉の眼には映っていたのではないか。その塚が風光明媚な、芭蕉のこよなく愛してやまない湖南の地にあるということは、芭蕉自身の救いでもあったはずだ。このことはかならずしも義仲への芭蕉の思いやり、ということを指していっているのではない。それは芭蕉の内面にある修羅にとって救いであったという意味である。
 明治書院の「俳諧大辞典」によれば、芭蕉は元禄三年の八月半ばごろに幻住庵からこの地に出たとあるが、実際にはこの書簡が示すとおり元禄二年の年の瀬には義仲寺を訪れているのである。義仲寺での越年は芭蕉のかねてからの望みであり、書簡はその躍るこころを伝えているようだ。しかし末尾の「野水が朝ほどには有まじき哉と存候」とはどういうことなのか。野水が迎える元旦の朝ほどには優雅なものではなさそうだ、という諧謔なのか(ちなみに野水は名古屋の裕福な呉服商)。ここのところがどう読んでも私にはわからない。読者でご存じのかたがあったらご教示ください。
 最後の尚々書についてであるが、かさねて引用してみる。

尚々愚句元旦之詠、なるほどかろく可致候。よくよく存候に、ことごと敷工み之所に而無御座候。却而世俗に落候半。加生、キ樣、隨分ことごと敷がよろしく候。

 「愚句元旦之詠、なるほどかろく可致候」というところが注目される。「元旦之詠」は具体的には、

元禄三元旦
  みやこちかきあたりにとしをむかへて
こもをきてたれ人ゐ(い)ます花のはる

 というものであるが、後年の「かるみ」とはやや趣を異にするものといえるだろう。しかし芭蕉の資質がいわしめたものとして、まったく無縁とはいえないのではないか。脂の乗り切った円熟期にこうした発言があり、句があるということは私にはたいへん興味深く思われる。「ことごと敷工み之所に而無御座候」というわけであるが、問題は次の箇所の解釈についてである。つまり「却而世俗に落候半」をどうとるかだ。私はこれを芭蕉の謙遜の言葉として受けとる。「世俗」に落ちる可能性があるのは「かろく」詠んだ自分の句だ、という見定めでなければつづく「加生、キ樣、隨分ことごと敷がよろしく候」の解釈が混乱する。芭蕉はいわれのない皮肉をいう人ではない。「ことごと敷」が世俗に落ちるもの、ととればここでは去来や凡兆に強烈ないやみをいっているとしか考えられない。そうではなく、芭蕉がここでやろうとしていることはあくまでも新しい試みであり、それだけに危険にみちたものであることがよく認識されており、そういうことを含めたうえでの謙遜の言葉にほかならないものと考えられるのである。そうした試みについては、後年のようにはまだ門弟たちを誘ってはいない。自分は失敗するかもしれないが、きみたちは蕉風の完成に励んでもらいたい、ということが「加生、キ樣、隨分ことごと敷がよろしく候」の意味するところであろう。これを逆に考えれば、芭蕉はここで門弟たちのあえて一歩先を歩んでいるといえる。後年の「かるみ」と無縁ではないというのは、こうしたことを指している。

(この項終わり)

    *参考文献/中公文庫『芭蕉』(安東次男著)、岩波文庫『芭蕉俳句集』(中村俊定校注)、日本古典選『謡曲集上』(朝日新聞社刊 野上豐一郎・田中允校注)


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Booby Trap 通信  No. 3

禁忌と禁忌の侵犯に人間をみる
聖女たち――バタイユの遺稿から/著訳者・吉田裕/書肆山田/定価 2000円(本体1942円)

【目次】
●「聖ナル神」遺稿 ジョルジュ・バタイユ/吉田裕訳
「エロチシスムに関する逆説」の草稿
聖女
シャルロット・ダンジェルヴィル
●淫蕩と言語と――「聖ナル神」をめぐって―― 吉田裕
(書店でお買い求めください)
【近況】バタイユ・ノートは手探り状態深まる。どこかであたりをつかみたいもの。他方日本の作家について書きたい気持ちが高まりつつある。2月に引っ越しを予定。

希望はまだある。
希望回復作戦/辻仁成/集英社/定価1200円(本体1165円)

とにかく時代がまた始まった
生中継される戦争の時代
僕は缶切りを買いに
彼女と連れ立って
近くのコンビニエンスストアーに向かった
彼女は避妊具も買ってね
と囁いた
ああ、なんて政治的
(〈希望回復作戦〉より)
(書店でお買いもとめください)

Pastiche/田中宏輔/花神社/定価2400円(送料込み)
いくら あなたをひきよせようとしても
あなたは 水面に浮かぶ果実のように
わたしのほうには ちっとも戻ってはこなかったわ
むしろ かたをすかして 遠く
さらに遠くへと あなたは はなれていった

もいだのは わたし
水面になげつけたのも わたしだけれど
(〈水面に浮かぶ果実のように〉)
【初登場】1961年、京都生まれ。現在、同志社国際高校数学科講師。『Pastiche』(1993.5刊)は処女詩集。「ポパイ」2.10号47ページに顔写真とインタビューが載っています。同性愛を織り込んだ詩も書く。
(著者に注文して下さい。著者住所:〒606 京都市左京区下鴨西本町36-1-2A号)

飼育記/関富士子/あざみ書房/1500円
○詩を射る詩たち・背反の理と、異次元の世界を同時に描く詩法を発見した。――藤富保男(帯文より)
 年ごろになってもいっこうに腰に肉がつかず、かえって肩から二の腕にかけて、男のようにきりりと筋肉が巻きついてくるようなので、硅の母は、もう魚獲りなどやめておしまいと叱った。しかし硅は答えずその朝も知らぬふりで出かけてしまった。
 夕方家に戻ると、母は疑い深くにらんで、おまえはほんとに私の娘かと硅のシャツを引き上げ、左の腋の下をのぞくと、こどものころにできた腫れものの痕がなくなっていた。
 その晩、硅の母は犬に餌をやっていないのを思い出し、冷飯に汁をかけて縁の下に差し入れると、犬が暗がりからはい出てすりよってきた。もしやと思い、前肢の左の付け根の毛をより分けてみると、ひとところだけ丸い腫れものの痕があったので、母は犬を抱きしめた。     (〈硅T〉)
【著者紹介】1950年生まれ。『螺旋の周辺』(1977年・監獄馬車刊・1000円)、『飼育記』(1991年・土井晩翠賞)。現在詩誌「gui」同人。
(著者に注文して下さい。上記の値段は送料込みです。飼育記―残部6冊、螺旋の周辺―たくさん。著者住所:〒351朝霞市泉水2-7-34-101)
【近況】星占いは当たるのだろうか。雑誌では1月は自己の内面を見つめよというお告げだったが、実際外出を要したのは葬式と仕事の打ち合わせの2日間だけで、自己の内面を見つめるしかなかったのである。

長尾高弘
【近況】15年ぶりに詩書を乱読しています。当時と比べ、今はさまざまな詩が面白く感じられます。しかし、手持ちの本が主なので読んでいるものが少し古すぎるかもしれない。書く方では、11号に掲載していただいたものが5年ぶり。感情的な詩を書きたい。それにしても、パソコン通信がきっかけで発表の場をいただいたことには感謝のみ。生業の方では、昨年末にプログラマ向けの訳書が5冊相次いで出版され、ほっとしています。

解剖図譜/築山登美夫/TEC/定価1600円(送料込み)

  ……その壁のいたるところから孔がひらき
  べろべろと水がしみだしている

夜ごと見知らぬ愛人を抱きしめていると
彼女は透きとおり
しだいに骨ばかりになって
はりだした体をうす青く滲んだ絨毯に沈め
液化した髪をひろげてゆく
私はほとんど形骸化してしまった
洩れてくる唖の光をかぶって
どこへも転調できなかった体を
自壊した風景のなかにさらしている
逃げ去るかたちに手足は泳いで
  もう何も想像することはできない
  ただ覚醒の皮を何枚もはぎとる眠りがあり
  眠りのなかに何枚もの壁があって……
(〈夢語り 三つの断片〉より、第一の断片)
【著者紹介】1949年10月生れ。詩集『海の砦』(82年/弓立社/1400円)、『解剖図譜』(89年/TEC/1600円)。
(著者に注文して下さい。著者住所:〒140 大田区北千束2-15-12-302)
【近況】[近況]今回は締切りまぎわになってひどい風邪をひいてしまい、「『棲家』について」やむなく休載。異変の多い冬です。最近つよく印象にのこったのは小山田二郎展(小田急美術館)。ひさしぶりに読んだラディカルな詩集、加藤健次『やなぎ腰のおとこ芸者』。(93/2)

白蟻電車/清水鱗造/十一月舎/定価1500円(送料込み)
穢れを通して生きていることの意味を探るというのはかなり勇気の要ることだ。清水鱗造はいまそれを敢えてやろうとしている。――鈴木志郎康(帯文より)
蟻の文字がぎっしり詰まった丸まった新聞紙が
ボッと発火する
吉凶吉凶吉凶…と燃える
家系を満たす甘い雪崩…と燃えている
凌辱するものは味方でも撃て…と燃える
菊が硫酸に浮いている
声がただれてくる
逆円錐の渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
渦(白眼)
百平方メートルの皮膚がいっせいに鳥肌立つ
(〈渦群〉より)
【近況】パソコンはまったく便利な文房具です。いろんな分野に好奇心の触手を伸ばそうと読書していますが、なかなか思うに任せずというところ。数年続けた時評文をパソコンを使って書物への中間的形態につくってみたいと思っています。処女詩集『点点とおちてゆく掌の絵』、残部あります(昧爽社/1200円送料込み)。ブービー・トラップ編集室名義の郵便振替口座をつくりました(表紙参照)。ご利用ください。近所のコンビニでコピーするのとオフセット印刷で経費が違わなくなる部数に達しましたので、今号より20年も付き合いのある清水タイプライター社に印刷を頼むことにしました。パソコンのおかげで今年もBooby Trapを隔月刊で出せそうです。
(著者に注文して下さい。著者住所:〒154世田谷区弦巻4-6-18)

布村浩一詩集/自家版/定価1000円(送料込み)
90年代の喩の行方を鮮烈に告げる!
二つの ぼたん
鳥をつかって漁をする
魚売り
おちていく ふたつの
火花
花火は明るくて
泳がない
沈んでいく音楽にのせて
オルガンの音楽にのせて
オルガンのおちていく弾き手
だいじょうぶ
まだ
稲は食べられる
おちていく 二つの

祭りのなかの
合図のように
とおく
村の呪文の
なかに
いる
駆けていく距離の
小さな軽い足
とおざかっていく
船の上の 息を吐く
兄妹
(〈二つの ぼたん〉)
(著者に注文して下さい。著者住所:〒186 国立市西1-10-3 浜田方)

近刊!
長編書き下ろし

倉田良成詩/〈金の枝のあいだから〉/私家版/予定頒価2300円(送料250円)/挿画・造本/三嶋典東

冬の透明な船着場が近づく
鬱蒼と火のからまる街に
示される*尉*じよう*の面の
無限にかさなりあってゆく明るみのはなびら
底光りする鏡から
むらがるユリカモメが抜け出して
部屋いっぱいに香り立つ
小松川の暗黒へ
きらめく夜の河へ
千年
金の屑を散り敷いてきた秋ごとに
ふりそそぐ恩寵の驟雨を狂気のように堪えてきた
末は
旅人の
肉眼
明るみのはなびらの
あふれるまぼろしのはなびらのなかで
                  (パート15〈河明かり〉より)
(著者に直接注文のほか、渋谷と池袋のパルコに置く予定です。著者住所:〒222横浜市港北区富士塚2-28-16第2幸和荘101)
【近況】本誌が出るのが2か月に1回と順調(?)になってきたので、いままでのんびりかまえていた芭蕉論がなかなかの負担となってきました。つれて生活のほうも健康なものにならざるをえません。まあ、よい傾向ではあるのでしょうけれど……。数年かけて「塵中風雅」は本にするつもりです。

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