アゲハノカンサツ

関富士子



          幼虫が六匹育った。越冬蛹から羽化した春型が           プランターの三本のグレープフルーツの木に、           五月半ばに産みつけたものたちだ。一週間前に           鳥の糞の姿から脱皮した。旺盛に葉を食べる。           頭を反らせて葉の上のほうへ伸び上がり下へ縮           んでいく。一ミリもない小さな歯形が並ぶ。繰           り返し一瞬も休むことなく、上から下へ食べ続           ける。一枚の葉は五分でなくなる。たくさんの           糞が辺りに散らばっている。柑橘のよい香りが           する。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ サンサイノアラカワキョーコチャンガア マイゴニナッテオリマスウウウ シロノブラースニピンクノスカートオオ セーラームーンノクツオハイテイマスウウウ オココロアタリノカタワアアア シキュウアゲハケイサツショマデエ ゴレンラククダサイイイイ           一匹がどうしても見つからない。いくら数えて           も五匹しかいない。上の枝は食べつくして鋭い           とげしか残っていない。背伸びして人さし指み           たいに空中を探っていたが、ほかは下枝に下り           たというのに、いつまでもありもしない葉を求           めていたのか。モスグリーンの体色や黄の縁取           りの擬眼は、葉の間ならまだしも空中では鳥に           合図を送るようなものだ。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ キョーゴゴイチジゴロオ アゲハリッキョーフキンデエ ヒキニゲガアリマシタアアア クルマワグレーノジョーヨーシャデエ ソノママアゲハヤマホーメンエエ ハシリサッタモヨオオオ モクゲキサレタカタワア シキュウアゲハケイサツショエエ           せわしなく枝をはい回っているものがいる。下           枝にはまだ葉が茂っているのだが見向きもしな           い。てっぺんから根元まで行ったり来たりした           あげく、地面に降りてしまった。食草を離れる           とは大胆だ。プランターの細い縁をせっせと歩           く。腹の筋肉が波打つ。逆さまになって尾脚だ           け縁にかけ、頭で辺りを探る。小さな胸脚がさ           わさわ動く。バルコニーの手すりをはい始める。           グレープフルーツの木からできるだけ遠くに行           きたいらしい。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ キュージッサイグライノオジーサンガア ホゴサレテイマスウウ ランニングシャツニチャイロノズボン ゴムゾーリオハイテイマスウウ オココロアタリノカタワア           手すりをはい回っていた一匹が、ぽたりと下の           コンクリートに落ちた。何ということだ、死ん           だか。縮かんで動かない。しかしすぐに頭を伸           ばす。辺りを探って垂直の壁に触れると登り始           める。なんともないらしいが、壁からプランタ           ーまでは一・五メートルもある。無事にたどり           着けるだろうか。そっと指先でつまんで枝に戻           そうとすると、赤く輝く二本の臭角を突き出し           た。猫のペニスのようだ。甘いオレンジジュー           スの香りが漂う。これで鳥や虫が逃げ出すとは           思えない。足はしっかり壁に張り付けて抵抗す           る。腹はひんやりと柔らかく乾いている。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ キョーゴゴヨジゴロオ アゲハハシュツジョニイ フタリグミノゴウトウガオシイリイイイ ケイカンヒトリヲシャサツシイイ ヒトリニジューショーオオワセテエエエ ケンジュウオウバッテエ トーソーチューデスウウ タマワサンパツノコッテイルモヨウウウ アゲハケイサツショデワア ケイカイオヨビカケテイマスウ           今朝二匹がサナギになった。昨日から枝に取り           ついたまま動かなかった連中だ。擬眼も八本の           腹脚も消えて滑らかな薄緑に変わった。腹から           頭部にかけて、柔らかい葉を巻いたような縦の           筋があり、二つの突起がある。背中の横じまは           セミの胴体に似ている。一匹は上体に細い糸を           二本かけ、尻先を枝につけて立っているが、一           匹は帯糸が切れたのか尻だけで逆さまにぶら下           がっている。触れてみると、鞘の中でぴくぴく           悶えるものがいる。くすぐったいのだろうか。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ キョウゴゼンシチジニジューニフンゴロオ マグニチュードハチノジシンガアリマシタアアア アゲハシイッタイデエエ カオクノトーカイトダイキボナカサイガハッセイ ジューミンハタダチニヒナンシテクダサイイイ タダチニヒナンシテクダサイ

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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