少年

築山登美夫



去年の夏 雨の降る屋久島で 黄色いレインコートを着て 大きな目をひらいて 弥生杉を見上げていたきみ まるく突き出した断崖で 父と手をつないで 暗い碧(ミドリ)の淵をのぞきこんでいたきみは まだこどもだったが 今年 きみと二人 颱風(タイフウ)の海を渡って来た神津島で 荒波をかぶって泳ぐきみののびた四肢は もう父がうらやむほどの力がみなぎって それから遊泳禁止の標識が出て きみは おしよせる大きな海と 泡だつ白と青の かぞえきれない波がしらを あかず見つめていたっけ (父がきみときみの母で棲んだ家を出て行ったのは きみがちょうど十歳になった年 そのとききみは「三人がいい!」と云って泣いたのだ そのあどけない顔がわすれられない 父はきみにとってとり返しのつかないことを きみにまだ理解できない理由で  いつかきみにわかる日がくるだろうか だが父にはわかっていた とつぜん父を襲った 昔の恋人との感情の暴風雨のさなかにあっても 父はきみを愛しぬくだろうと……) ぼくたちの旅は ふたたび颱風に襲われ きみと二人 トランプなどして遊んだ旅館から 早朝 追いたてられるように はげしく横揺れする船に乗った 荒れる海 揺れる心 (あれるうみ ゆれるこころ) さようなら つかのまの夏 波のかがやき きみの知らない あるいは きみの知る ひき裂かれた執着の渦をのみこみ また吐きだし 船は走りつづける

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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