バタイユ・ノート2
バタイユはニーチェをどう読んだか 連載第8回

吉田裕



6 戦時下に読まれたニーチェ

 第二次大戦は、三九年九月に始まり、翌年五月にパリはドイツ軍の占領下におかれる。以後、社会科学研究会等の公然の活動は不可能になり、バタイユの活動はもっぱら書くことに限定されることになる。この時期の彼の著作は四三年に『内的体験』、四四年に『有罪者』、四五年に『ニーチェについて』である。戦後になって彼は、これら三冊にいくつかの書物を加えて、『無神学大全』という複合的な書物を計画するが、ほかの書物を加えるという計画は実現できず、以上の三冊にいくつかの章を補って、この名でまとめることになる。だから現行の三冊も、一貫した視点のもとに書き下ろされたというものではなく、さまざまのテキストを集めたものである。また書物としての発行年とそこに含まれる諸論文の執筆時期が正確に対応しているわけではない。このように『無神学大全』は、定型からはずれ、かたちを取ることを拒絶しているような書物だが、内容、文体、量のいずれから見ても、バタイユの中心をなす著作であることは疑えない。
 ニーチェに関するテキストは、書名から予想されるように、『ニーチェについて』のなかに多いが、題名にニーチェの名を含む、あるいは内容にニーチェへの言及が多いという基準からいえば、ほかにあげなければならないのは、『内的体験』の第一章「内的体験への序論草案」と第四章「刑苦への追伸」の第六節「ニーチェ」である。『有罪者』は、ニーチェについては名前が数回引かれるだけであって、本格的な論究は含んでいない。
 さまざまの視点と叙述の層を含んだ『無神学大全』をあえて要約すれば、中心にあるのは神秘体験、彼の言葉でいう内的体験である。ファシスム批判と神秘経験というバタイユのニーチェ理解の二つの側面は、『無神学大全』のなかにも存続しているが、前者について言えば、その主な論点はアセファルの時代にすでに出ていて、『無神学大全』でなされるのは、おおよそのところその反復だが、それに対してニーチェに媒介されたバタイユ自身の神秘的経験の側面は、現実化した戦争に支えられていっそう鮮明になり、『無神学大全』の中心テーマとなる。
 内的体験が神秘体験だとすれば、神秘体験がいちばん強く現れるのは、それを題名とする『内的体験』ということになる。この書物は「内的体験」と「瞑想の方法」という二部に分かれているが、後者は、五四年の再版に際して加えられてものであるから、はずしておく。「内的体験」は五章構成だが、核をなしているのは第二章「刑苦」であって、それを中心にして「内的体験への序論草案」、「刑苦の前歴」、「刑苦への追伸」が置かれている。
「刑苦」は、バタイユ自身の言葉で叙述が進められ、意外だがニーチェの名前は現れない。この時期彼は、自分では内的と呼んだ神秘体験を、ヨガ、禅などの方法を摂取し、また改変しながら果敢に実践したようだが、「刑苦」の章では反省的な記述が多く、経験を直接的に記述した断章は思いのほか少ない。多いのはむしろ「刑苦への追伸」である。これらの断章は、私には常にニーチェの影をを思わせる。それらのうちのいくつかを引いてみる。最初は「刑苦」でのレンヌ街の突然の哄笑の経験である。
〈おびただしい笑いをちりばめた空間が、私の前にその暗黒の淵を開いた。フール通りを横切りつつ、私はこの「虚無」のなかで、突如として未知の存在となった。………私は私を閉じこめていた灰色の壁を否認し、ある種の法悦状態に突入していった。私は神のように笑っていた。傘が私の頭に落ち掛かってきて、私をつつんだ(私は故意にこの黒い屍衣をかぶったのだ)。私はかつてだれも笑ったことのない笑いを笑い、いっさいの事物の底の底が口を開け、裸形にされ、私はまるで死人のようだった〉
これを読むとき、私は『ツアラトゥストラ』のなかの、黒く重い蛇を噛みきって永劫回帰を理解した羊飼の変貌と笑いを語る一節が響いていると感じずに入られない。〈それはもはや牧人ではなかった。もはや人間ではなかった。――彼はひとりの変容せる者、光に包まれた者であった。そして笑った。――およそ地上で、ひとりの人間が、今彼が笑ったように、高らかに笑ったことはなかった〉(「幻影と謎」)。バタイユのこの哄笑の経験は、十五年前のこととされてはいるが、彼が自分の根本に置いている経験であると思われる。
 次は「序」のなかの幻視を語った一節である。
〈所在を忖度されたこともない国々に経巡って、私はかつて人間の眼が見たこともないものを見た。これ以上人を酔わせるものはない。笑いと理性、恐怖と光が、互いに浸透し合うものとなった………私の知らぬものはなにひとつなく、私の狂熱の接近しえぬものもなにひとつなかった。不思議な狂女のように、死は可能事の扉を絶えず開き、また閉じしていた〉
 この一節は、『メモランダム』の引用番号二五〇の遺稿中の次のような一節、バタイユがニーチェから引用するたぶん一番神秘的な一節を思い出させる。〈そしてなんと多くの新しい神々が、まだ可能なことか! 私自身のうちでは、宗教的な、すなわち神々を産み出す本能が、しばしば思いがけず作用し、ために私はその度毎に、さまざまなやり方で聖なるものが現れるのを経験した。………私は時間の外に位置するこれらの瞬間に、かくも多くの奇怪なものどもが通り過ぎるのを見た。これらのもろもろの瞬間は、月から落ちてでも来るように、われわれの生の中に落ちてくる。そのさなかでは人は、自分がすでにどれほど老いているのか、またどれほど若返ることができるのかを知らないのだ〉。
 彼は雷に打たれた樹木、また炎への化身、中国の死刑囚の写真の凝視による共犯の感情、暁光への同化を語っているが、そこには前出の「死を前にしての歓喜の実践」のエピグラフに引かれた〈私は同時に鳩であり、蛇であり、豚である〉が聞こえるような気がする。またそれは、コジマあての発狂直前の手紙の一節の遠い反映と見ることもできるのではあるまいか。〈しかし私はインドでは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。アレクサンダーとシーザーは私の化身です。………最後にはヴォルテールとナポレオンでもありました。ひょっとしたらリヒャルト・ワグナーであったかもしれません〉。無論正確な対応関係を証明することなどできはしない。だが恍惚を語るバタイユの言葉の背後には、どうしてもニーチェの声が聞こえてくるのだ。
 ニーチェへの直接の言及が行われるのは、前述のように、第二章「内的体験への序論草案」と第四章「刑苦への追伸」においてだが、前者で印象に残るのは、ニーチェを推論的思考を極限まで押し進めることで神秘的な経験を持った人と考えていることである。可能事を越える経験を持つためには、まず可能事をつくさねばならない、とバタイユは考える。そこで不可能なものは可能なものと不可分の様態で現れる。彼はニーチェの中心にあるのは永劫回帰の思想だとしたが、それに触れて次のようにいっている。〈永劫回帰についていえば、私はニーチェが、いうところの神秘的形態のもとにさまざまの推論的表象と混ざりあったかたちで体験を持ったと考えている〉。同様に、バタイユの言う神秘的経験とは、神の経験にとどまらず、神を越える経験である。神は概念としてとらえられる限り、推論の領域内にある。本来的に神的なものを求めるならば、この限界を越えねばならず、その時神は神でなくなるが、神的なものが経験されるのは、そこ以外ではあり得ない。〈神は人間の極限ではない。だが人間の極限は神聖なものだ〉(『有罪者』)と彼は言う。
 では神を越えることは、ニーチェにとってどのようにして可能だったのか。ここにきわめてバタイユ的な解釈が現れる。それは神の殺害によってなのだ。真っ昼間に提灯をともして広場へかけていき、「神はどこにいる!」と叫んだ『華やぐ知恵』の狂人の一節を、バタイユは賛嘆をこめて長々と引用している(「刑苦への追伸」)。ひとしきり問いかけたあと、この狂人は、あざけり笑う衆人に対して解き明かす。「おれが言ってやろうか、おれたちが神を殺したのだ――おまえたちとこのおれでな! おれたちはみんな神殺しなのだ」。ニーチェによれば、人間はまず人身の供犠、しかもおそらくはもっとも愛するものを捧げた。ついで自分たちのもっとも暴虐な本能、すなわち自然を捧げた。これはキリスト教の倫理の発端である。〈そして今、どのようなものが供犠に付すべく残されているのか。最終的に、すべて慰撫してきたものを、聖化してきたものを、すべての希望を、ひそかな調和へのいっさいの信仰を供犠に付さねばならなかったのではないか。神自身を供犠に付すべきだったのではないか。………神を虚無のために供犠に付すこと――この最終的残酷さの逆説的秘儀は、私たち登場しつつある世代のためにとっておかれたのだ〉。この一節は『善悪の彼岸』からだが、もちろんバタイユが引用しているものである。
 ここで言明された過程の上に、バタイユが社会学的な探求によって知った動物の供犠、人間の供犠、またキリスト教の起源にある神の子の殺害を数え入れていることは疑いを入れない。人間は、神のために、神をあらわにするために、自分にとって次第に大きくなる大切なものを捧げるようになってきたが、この過程をさらに延長すると、もはや大切なものはすべて捧げられ、残るものとては神それ自身しかなくなる。だから彼は神を供犠に捧げようとする。しかしながら、このように神を供犠に捧げようとするとき、それは何をあらわにするためなのか? それはもはや神をあらわにするためではあり得ない。神はすでに、捧げられるものになりかわっているからだ。だから神が供犠に捧げられるとき、あらわにされるのは、神の不在である。けれども、明らかにされるこの神の不在は、神の存在よりもずっと神的なものだ。なぜならそれをあらわにするために捧げられたのは、神という人間の愛の最大の対象だったからである。これが〈逆説的秘儀〉の意味である。
 〈神の殺害はひとつの供犠である〉(「刑苦への追伸」)とバタイユは言う。バタイユは神の死の宣言というニーチェの最大の決断を、神の供犠による聖なるものの探求という彼自身の探求と同一化する。これがバタイユがニーチェに見いだした最大の合致点であると私には思われる。

『ニーチェについて』は、題名とは裏腹に、半ば以上が四四年二月から八月、つまり戦争末期の日記である。そのほか、第一章「ニーチェ氏」は、ほぼ引用で成り立っている。だから狭い意味でニーチェ論として取り上げることができるのは、「序文」と補遺のなかの「ニーチェとドイツ国家社会主義」と「ニーチェの内的体験」の三つの論文であろう。
「ニーチェの内的体験」では、文字どおりバタイユが自分の言う内的体験とニーチェの体験を重ね合わせようとしたものだが、すでに引用した部分を除けば、大部分は『内的体験』でつくされたものの繰り返しである。「ニーチェと国家社会主義」も、反ユダヤ主義また愛国的軍国主義への批判等は、アセファルで提出されたものと変わっていない。
 ただ「ニーチェと国家社会主義」には、興味を引く点がひとつある。それはファシスムに対して、客観的と言うべきような評価、ある種の意味を認めるようなところが見られることである。〈旧来の道徳を拒否するというところは、マルクス主義、ニーチェ主義、国家社会主義に共通している〉とバタイユは言う。またニーチェについて、次のようなことも言っている。〈ニーチェは、プルードンやマルクスと同じく、戦争に有益な要素のあることを肯定した〉。これはニーチェとファシスムの間にある種の接点を認めているのだろうか? 元になった「ニーチェはファシストか」には、次のような一節がある。
〈もしファシスムが正当にニーチェを利用することが出来たなら、それは私たちが想像するような空虚とはならなかったのだろうか? ニーチェはファシストか? また彼はドイツ人であるのか?
 この問は問うてみる価値がある。いずれにせよ、ファシスムは人間の起こした出来事である。しかし、私たちはふつう、それがその責任とその廃虚のうちに人間の本質的な一部分を引き込んだ、とは考えない。私たちはむしろそこに、ある階級の利益、孤立した民族の利益、陰謀家一味の利益等、さまざまの利益の組み合わせを見るのである。だがもし、それがある哲学の表明であったならば、あらゆる種類の人間を生命に向かって目覚めさせる劇的な哲学の表明であったならば、ことは別なものとなるだろう〉。
 消去されたものを取り出すのは慎重でなければならないが、これは一度は公表されたものである。ここでバタイユは、ファシスムが〈人間の本質的な一部分を引き込ん〉で、〈人間を生命に向かって目覚めさせる劇的な哲学〉でありうる可能性を持っていた――実現されなかったとしても――と感じているのだろうか? このような言明は、三〇年代には見られなかったものだ。これはドイツの敗北がほぼ明らかになったことではじめて書かれたにちがいないが、そこにはファシスムが彼の時代の人間が持った願望に、何らかのかたちで反応するものであったと彼が感じていたことを示しているのだろうか?
 無論バタイユは、ファシスムとそのニーチェ理解に反対という基本的な姿勢を崩してはいない。〈ニーチェの思考の領域は、政治を決定する必要性と共通性に対する配慮を越えていた。それは悲劇や笑いや苦痛、また苦痛にもかかわらずわき起こる歓喜、精神の豊かさと自由に関する領域であった〉と言い、また〈彼は給与とか、政治的自由とかの第一次的な問題からは背を背けていた。危険に満ちた生という彼の原則は………大衆的な闘争とは無縁であった〉とも言う。だがこれらの理由づけは必ずしも説得的ではない。ニーチェは非政治的だったという主張はあるが、ニーチェもまた政治的な文脈のなかに入らざるをえないことへの十分な解明はないからである。
「序文」は、彼の考えを一般的に述べており、執筆時期からして、彼のニーチェ理解のひとつの総括だと考えられる。そこにはこれまで同様にニーチェを汎ゲルマン主義、反ユダヤ主義的に解することへの反撥がある。また神秘的解釈も以前の通りである。ニーチェの持った情熱を、〈神や善のために殉死した人々の情熱〉だと彼は言う。ニーチェが自分の教説のために門弟と組織を求めたこと、つまり共同体への願望を持っていたことも述べられている。
 目新しいのは、バタイユが、ニーチェの本質的な問題を「全体的人間」というかたちでとらえていることである。それは〈膨大な数をなす低劣な人間は単に序奏あるいは前稽古にすぎず、ただそれらを合わせて奏することで、総体的人間がここかしこに現れるようにすることができる。この総体的人間は、人類がどこまで到達したかを示す里程標のようなものだ〉(『力への意志』)というニーチェの言葉によっている。これは見るからにナチスムの人種理論に利用されそうな一節だが、バタイユはこの全体性を、今度は彼自身の言葉で、いくつかの視点から定義している。ひとつにはそれは民族とか時代とか、さまざまの個別の価値に従属して断片となってしまった人間に対する批判である。〈生が全体的でありうるのは、生命が自分を無視した明確な目的に従属していない限りにおいてである〉。一方それは欲望との関係では次のようである。〈総体性は、ただ燃焼したいという欲望だけを理由として――総体性がまったく全面的であるということだけを理由として――自分を燃焼させたいという不幸な欲望、空しい欲望なのだ〉。この一節からは、全体性のなかに非生産的消費の主張が重ねられていることがわかる。ついでそれは行動に対する批判である。〈私は何らかの仕方で行動の段階を越え出て、初めて総体的に存在することができる〉。〈世界・変革の・任務に従事する人間は、人間の断片的な姿でしかなく、この変革が完了したあと、今度は彼自身が全体的な人間に変化することになるだろう〉。ここにはたぶん、戦争が終わって力を持ち始めたたサルトル的なアンガジュマンの思想への反撥がある。またそれは哲学的な基本の違いでもある。〈
結局全体的人間とは、その内で超越性が消滅する人、もはや何物も分離していないことにほかならない〉。この時期彼は、前出のヤスパースにならって、超越性transcendanceに対する批判を内在性immanenceという言い方で主張している。バタイユは、ニーチェ的人間は全体的であるほかないと考えるが、この全的人間の観念は、人間の全活動を探ろうという戦後の普遍経済学の試みにつながるに違いない。
『ニーチェについて』において、バタイユは以前に述べたことを整理して反復し、また他人の言説との差異を明確にしようとする。だが、そこには戦争開始前後のようなつま先立つような切迫感は感じられない。これは、戦争の趨勢が見えてきた時、ファシスムの問題もかつてほどの緊急性を持たなくなっていたということかもしれない。

(この項終わり)


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