バタイユ・ノート 3
バタイユ・マテリアリスト 連載第1回

吉田裕



1 ノート3の目的とするところについて

 バタイユ・ノートの3をはじめるにあたって、いくつかの覚え書を記しておきたい。ノートの1(『聖女たち』収録の「淫蕩と言語と」となったもの)は「聖ナル神」を扱ったが、それは私にとってはじめてのバタイユ論で、築山登美夫の誘いによるものであり、テーマの選択は偶然のようなものだった。これに対して、ニーチェ論を扱った2は意図的な選択ではあった。私は三、四〇年代のバタイユに、ことにその言語的な活動に強く惹かれていたが、ともかく一度はある一定の視点からバタイユを通して眺めてみる必要を感じていたからである。ところで私は、まだバタイユの言語という私にとっての関心の中心に直接近づくことができない。かつて私は「淫蕩と言語と」で、彼の言語の印象を、至るところに開口部を持ち、観念の極限と現実の社会の双方と直接に渡り合っていると書いたが、ノートの2を書き終えた今、その印象はますます強くなっている。バタイユの言語は、今私の想像の中では、あたう限り拡大されて破砕する寸前ある。観念と触れ合う側面に関しては、それは『エドワルダ』や『死者』に触発された私の関心の中心であるから、最後の目標にしておく。だがこの目標に達するためには、現実と触れ合う側面の方を辿っておかなくてはならない。それにはバタイユの社会的関心および実践的経験を検討することが必要になるだろう。これがノートの3の目的である。だがバタイユの社会的関心、実践的経験の検討と言っても、それは実証的研究でもなければ、傍証的個別的なテーマの一つというわけでもない。巨大に拡大された想像力の世界が、現実の世界に侵入しまた侵入されてせめぎ合う接点の様態への関心からくるところのものである。

2 物質の探求者

 バタイユは、彼の言う内的体験と神秘経験とを、言葉の上では混ぜ合わせることがあったが、厳密に区別していた。彼の言い分によれば、内的経験には、神秘経験の中にある神が不在なのだ。人間の極限は神ではなく、神の不在であり、内的体験は神という限定を越え、その不在を確かめることに導くものだった。これはもちろんその通りである。しかし、私の見るところでは、彼の内的体験には、神秘経験との間にもう一つの側面で差異が明らかにされるべきである。それは内的体験には、常に物質性があらわになってくるという点である。彼の言う神の不在には、彼の唯物論がこだまを返している。このことは指摘されることは少ないが、それを強調しておくことは重要であると私には思われる。内的体験がもたらす、虚空に消え去るような一瞬の経験については、多くの人が取り上げ、分析しているが、後者の物質的なものとの、それまでとは全く異質となった様態での遭遇という点については、ほとんど注目されてこなかったように思われる。だが、この物質との遭遇は神の不在の経験と不可分の一体をなしているのだ。『内的体験』のなかで、彼はヨガの実践から示唆を受けて内的体験を照らし出そうとしているが、その時、内的現存へ注意を集中することによって、感覚を通常与えられる対象から引き離すと、逆に外部の事物あるいは世界が暴力的に侵入してくることがあるのを、次のように語っている。

〈感覚に達してくるものから切断されることによって、感受する能力はきわめて内的なものとなる。そのために外部から回帰してくるもの、一本の針の落下、軋む音は、巨大で遥かな反響を持つことになる・・・ ヒンズー教徒たちは、この奇怪な出来事を書き留めている。これは瞳孔が拡大されると、暗闇の中でも視力が鋭くなるという出来事と同じだと私は思う。この場合、暗闇とは光(あるいは音)がないことではなく、それが外部へと吸収されてしまっていることである。ただの闇夜においては、私たちの注意力は、どこまでも存続する言葉という道筋を通って、客体の世界に注がれている。本当の沈黙は、言葉が不在になったところで起こる。その時針が落ちる。すると私はハンマーの一撃を受けたように飛び上がる・・・ 内部から作り上げられたこの沈黙のなかで、広げられるのは、一個の器官ではなく、感覚性の全体、心情なのだ〉*1

 この経験を現象学的還元とも、またサルトルのマロニエとも較べることができるだろうが、重要なのは、バタイユにおいて、内的体験の領野の中に、外部があからさまなかたちで侵入してきていることである*2。だからバタイユが内部と言うとき、それはこの言い方が普通思わせるような、他から切り離され閉じられた空間のことではない。だがそれはすでにとどまらず、この内部については、右のような外部の直接の侵入があることから見て、外部と直通した内部だとまで言わなくてはならないだろう。バタイユの内部が限界のない広さを持っているとすれば、それはこのような外部との通底によるのだ。
 バタイユの内部あるいは内的体験が持っているこの外部性とでも言う性格は、しかしながらそれほど見やすくはない。外部には確かに外部としてとどまる性格があるからだ。だから、内的体験がそれ自体だけで取り上げられるとき、この外部に対する言及はしばしば、と言うよりも多くの場合欠落しがちになる。だが原理的に言って、神の不在というかたちで実践されるバタイユの経験がこの外部性と表裏をなしていることを見失わないならば、彼の内的体験が、この外部と一体をなしていることを見出すことができる。ではそれはどのような場合か? この外部の経験とは、もっとも強いかたちでは戦争であろう。それは旧約の予言者たちが神を声を聞くという神秘的経験を持つのが、イスラエルが滅亡の危機にさらされた時であったこととほぼ同じだが、今はこの類推よりも、外部との呼応そのものをとらえたい。彼の内的体験の追求が絶頂をなすのは、言うまでもなく『内的体験』の時期だが、その中でも中心をなす「刑苦」の章の中に、この追求が戦争あるいは外部からやってくるものと不可分であることを明らかにする節がいくつか現れる。

〈戦争の限りない恐怖の中で、人間は集団となって恐怖をそそってやまぬ極点に接近する〉
〈戦争の恐怖は、内的体験の恐怖よりも大きい〉
〈主体は恍惚状態を知っており、それを予感する。ただしそれは、自分自身のうちからやってくる意図的な方向付けとしてではなく、外部からやってくるある効果の感覚としてである〉
〈私は自分が大群衆の反映であり、彼らの不安の総和であることを知っている〉*3

 こうした部分を読むとき、私たちは、バタイユにおいて、かつて解き放たれた感覚の中に針の落ちる音が巨大な反響をともなって侵入したのと同じように、彼のもっとも内密な体験である内的体験のうちに、遥か遠くから戦争が侵入しているのを知ることができる。
 だが針の落下音と戦争をこのように重ね合わせることには、疑問が呈されうる。確かに一個の対象物にすぎない針と考えられる最大の社会的事件である戦争の間には、短絡を許さないものがあるからだ。だがおそらくこれら二つは深くでつながっている。そうでなければ、つまりバタイユの言う内的体験を、針の落下音を巨大な反響音とともに聞くというところに位置づけることで終わるならば、それはただ強迫神経症であるにすぎないだろう。類似の症例は、精神医学心理学の資料の中に山ほど見つかるに違いない。だがバタイユの例が単なる強迫神経症でないとしたら、それは針の落下音を、もちろんいくつもの異なったレベルを経てではあるが、もっと巨大なものと重ねて聞くことのできる聴覚の野の広がりを持っていたからである。この巨大なものを、とりあえず戦争と考えることにする。二つは物質性と外部性を本質としているということにおいて、共通する性格を持つ。これらはどう媒介され、どう連続するか? バタイユにおいては、そのあいだに位置させうるような関心、また出来事はいくつか考えることができる。

 この物質性が最初にあらわれてくるのは、「花言葉」、「足の親指」、「低次唯物論とグノーシス派」等雑誌ドキュマンに発表されたいくつかの論文であろう。これらの論文でバタイユは、高みに対して低いものを、美しいものに対して醜いものを対置して、抽象的観念的となろうとする人間の傾向を正面から批判する主張がありうることを明らかにする。この主張は、直接的には一九二〇年頃の信仰喪失後の反動であるには違いないが、それにとどまらない射程を持つ。そこに剥き出しに提出された醜悪な事物は、は最初高いもの美しいものに対するアンチテーゼとして提出されるが、ついには補完物であることを越えてほとんどそれ自体の存在を主張するに至るからである。それが「低次唯物論とグノーシス派」で打ち出された物質matiereの意味である。彼は次のように書いている。

〈私の言うのは、存在論を含まぬ唯物論、物質を即自的な事物としない唯物論である。なぜならとりわけ問題になるのは、何であれより高尚なもの、私という存在とそれを武装させる理性とに借り物の権威を与えるようなものに、自己と自己の理性を服従させないことにあるからだ。本当のところ、存在と理性が服従するのは、もっとも低いところにあるもの、どんな場合でもなにがしかの権威の猿真似をする手助けになりえないものにたいしてのみである。したがって私は、自我と観念の外に存在しているがゆえに物質と呼ばれるべきものに全面的に服従する。そしてこの意味で私は、私の理性が私の言明したことを限定することを承認しない。なぜならもし私がこんなふうに論を進めるならば、私の理性によって限定された物質は、即座に一つの高次の原理という価値を帯びるはずだからである(奴隷的理性は、その権威の元に語るために、この原理をみずからの上に喜んで担ぐことだろうが)。低次の物質は、人間の観念的渇望の外部にあって無縁のものであり、そのような渇望の結果としての存在論の大がかりな機械にとなることを拒否する〉*4

 彼の言う物質は、人間の絶対の外部にあるものだが、即時的な物質ではないと言われているように、それ自体で自足してしまうものではなく、常に存在論を巻き込み、それを瓦解させる作用を持っている。存在論によってとらえられた物質が観念論的な変質に見舞われているのは当然のことながら、いわゆる弁証法的唯物論もヘーゲル哲学を出発点に持つことによって、同じく観念論的な変質を蒙らねばならなかったが、それを引き寄せては解体する作用を持ち、その上で物質は観念の外部にとどまる。唯物論は、〈あらゆる観念主義を排除した生のままの諸現象の直接の解釈〉(「唯物論」*5)とならねばならない。これはあらゆる既成の意味作用を越えて切迫してくるあの針の音のことにほかならない。
 この剥き出しの唯物論、それにともなう反観念論、反理想主義は(以下日本語では文脈によって観念論、理想主義と訳し分けなければならないが、元になるフランス語は同じidealismeイデアリスムである)、以後さまざまの局面で変奏されて現れる。それをいくつか辿ってみる。ドキュマンと同じ時期に彼はすでに、『眼球譚』をはじめとするいくつかのエロチックな物語を書いているが、彼の小説においては、周知のように、女主人公たちははじめから、汚辱のうちに置かれることになる。彼女らは排尿し、尿をかぶり、卵の液汁にまみれ、嘔吐し、泥沼に身を浸す。それは男女の性愛を、決してアガペへと昇華させないためなのだ。女たちの肉体はどこまでも肉体にとどめられる。またブルトンに「理想主義の糞ったれども!」と言い返し*6、鷲にたとえ、それに対して自分を老練なもぐらだとするのも、反逆的に見えるシュルレアリスムの中になお西欧的なイデアリスムへの屈服があるのを見たからである。
 言語に対して彼がどのような態度をとらねばならなかったかのうちにも、同じ反理想主義が作用しているのを見ることができる。バタイユが純粋な虚無となろうとする経験をあれほど称揚し、対象と結びついて主体を屈従させる作用を不可避的に持つ言語の存在を批判しながらも、彼自身は、わずかの口伝か退屈な技術的教示、あるいは伝説しか残さなかった苦行者や聖者たちとは違って、思想的な反省をどこまでも書き続けなければならなかったのは、彼の内的経験が、この物質性の存在によって、宗教上の神秘経験との間に根本的な差異を持っていたからである。彼の経験には、この物質性に引き留められ、従って言語の中に回帰する部分がある。『内的体験』で彼は、〈私はヒンズー教徒が、不可能性のうちに深くまで到達することを疑わない。しかし最高度の段階で彼らにはそれを表現する能力が欠けている。そしてそれが私には重要事なのだ〉(「刑苦」)と言う。バタイユにおいて言語が物質性を志向するものとしてあることは、彼の文体をも性格づけている。彼の文体は、『エドワルダ』や『死者』、そして『内的体験』で一つの頂点に達するが、それは修飾をあたう限り切り詰め、対象と直結する文体である。彼の言葉は対象をイデア化する言葉ではない。それ自体は言語である以上想像の領域にあるけれども、一方では常に対象と直接に切り結ぶことで、物質的な性格を獲得するのだ。
 唯物論的な関心のもう一つの現れは、社会学への関心であろう。社会への関心は、直接には、彼が棄教後も関心を持ち続けた聖なるものが共同的な経験を通して作り出されることから来ているが、この共同体への関心の根本には、外部また他者の存在を見ることができる。社会とは、人間が複数存在すること、ひとりの人間が他者との関係のうちで存在することを基盤としているが、ある者にとっての他者とは、その外部なのだ。たとえばひとりの男にとってひとりの女が決して昇華され得ない他者、常に汚されることで物質性を帯びた他者にとどまるのと同じように、社会の中で出会う他者もまた、折り合うことのできない他者、観念化によって回収されるのを拒否する絶対的な他者である。この意味で社会もまた外部と物質性の延長上にある。バタイユは古文書学校の後輩であるアルフレート・メトローの導きによって、モースの講義に出始める。モースの『贈与論』が出るのが二四年である。この書物がバタイユに及ぼした影響は言うまでもない。人間には理性に還元されない部分、合理的ではあり得ない破壊や浪費の活動がありうるというモースの提示は、理性と観念の支配を受けない物質の存在を確信していたからこそ、彼に示唆的だったに違いない。彼は二八年に残酷を極めたアズテカ文明を発見し、「消え去ったアメリカ」を書くが、この残酷さへの関心は、性愛における汚辱と同じく、イデアリスムに対する彼の断固たる反抗の徴なのだ*7
 だが社会的なものは、まだ別様に展開されうる。見出されるのは政治的なものである。社会の中にある共同性は、いっそう強力なものとなるとき、政治として作用するからである。今バタイユおいて社会的な関心の基本にあるのは、聖なるものへの関心であることを見たが、この宗教的な性格が政治的なものとして現れうることを、バタイユは、「アセファル」の創刊号で、〈政治の顔を持ち、政治だと信じ込んでいたものは、いつの日か宗教的な運動であることが露にされるだろう〉と言うキルケゴールの一節を引用することで主張することになる。宗教と政治のあいだに社会を媒介することで、この一節はもっと良く理解できるようになるだろう。宗教、社会、政治は、バタイユにおいて出来事のさまざまなレベルに応じて現れるが、同じ原理を持っている。それらのいずれもが共同体の問題である以上、そこには他者の問題があり、さらに外部のもっとも基本的な徴としての物質性の問題がある。だからバタイユが物質に関して持った経験、また性愛を通して他者と持った経験は、多くの媒介を経なければならないとしても社会や政治の経験に反映するし、政治的社会的な経験は、彼の宗教的な経験、物質に関する経験を左右するのである。
 しかしもっとも外部的な経験としては、やはり政治的な経験を考えねばならないだろう。そこで共同性は、現在考えられる限りでは最高度に拡大されるからである。その上さらに言うと、もっとも政治的な出来事が戦争であるのだ。政治あるいは戦争は、もっとも度しがたい外部として、どんな観念的な操作も容赦なく振り落とし拒絶する外部として現れ、バタイユに切迫する。バタイユにとって政治とはそのようなものであった。彼は二〇年代から四〇年代にかけての時代、ごく普通に言って政治的な転変のきわめて激しかった時代を、さまざまな活動に関与し、また失敗を繰り返しながらくぐり抜けていく。だがそれら辿るとき必要なのは、それらを単なる政治的発言ないしは行動として読むことではなく、彼の言う内的な経験にまで達することを可能にするようなパースペクチヴの元に読みとることである。

*1『内的体験』出口裕弘訳、現代思潮社。p49、OC,t6,p30
*2 外部の侵入、物質性の手触りということから最近面白かったのは、中沢新一の『始まりのレーニン』岩波書店、一九九三年である。この本で中沢は、レーニンがよく笑う人間であったが、その笑いは、魚、犬や猫、子供の体、トロツキーによれば思考の外にあるものに触れることで引き起こされるのであり、それがレーニンの唯物論だったと言っている。そしてレーニンのこの笑いはバタイユの非知の笑いに限りなく近いと言う。非知の笑いは、自ずから現れるもの、認識によっては到達できないようなかたちで位置を占めているものに触れることで引き起こされる。すなわち知り得ないものが意識の中に侵入するとき人間は笑うという意味で、非知の笑いはレーニンの笑いに近い。とすれば一見虚空にわき起こるように見えるバタイユの笑いは、レーニンと同じく物質的なものでありうるということになる。中沢は次のように言っている。〈西欧の周辺、キリスト教の限界点、ヘーゲルの臨界において、バタイユは限りなく唯物論の思想に接近していく〉p21。
*3『内的体験』p109,109,143,149。OC,t6,p58,58,75,76.
*4『ドキュマン』バタイユ著作集、二見書房、片山茂樹訳、p106、OC,t1,p225
*5『ドキュマン』p49、OC,t1,p180.
*6 個人的活動と集団的活動のいずれかをとることを選択するよう求めたシュルレアリスムのアンケートに対する回答。二九年はじめ。
*7 バタイユとフランス社会学との関係については、富永茂樹氏の要を得た研究がある。「ジョルジュ・バタイユと社会学の沸騰」『ヨーロッパ一九三〇年代』、岩波書店、一九八〇年。フランスでは、"Ecrit ailleur",1987が、バタイユの社会学的関心に対する共同研究をまとめている。

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