特別な 映画

布村浩一



立川のただ一つの喫茶店にやってくる ケーキ付きのアール・グレイと マーロン・クリューシュを注文する おいしい アール・グレイは匂いがしない マーロン・クリューシュはおいしい。 アール・グレイは匂いがしない しかしおいしい。 久しぶりに小説を読んでいる きっと2年ぶり ぼくは小説を読まなかった ぼくの頭は小説だ 小説になる 人たちは次から次へとやってくる 土曜日だから ショーケースのなかの光にあふれたケーキ 東京の 立川の プラハではない 冬の衣服をいっぱい着た人たち 校庭があるのは分かっている 校庭へいくつもりなのも分かっている どの道を通ったら校庭へ着けるかだ どの道を通ったら校庭へ行けるか分からない 「デビーの3時」は特別な映画だ 彼は空白を埋めるために旅に出た 「デビーの3時」はぼくの映画だ 布巾(ふきん)はよく乾いた 冬なのだ。 ぼくはどっちみちだめだった。行きどまりだった それからあの女が。 あの孤独があらわれた。 89年秋から冬にかけてのあの女は謎だった 89年秋から冬にかけてのあの女は謎だった ここは空白だ 解こうとした 解けなかった。 ぼくはとても疲れている 声を出したためとても疲れている 今日 ベンチの前 車は止まらずに過ぎる 車は動き続けている ハルと話して回復する ハルと話して回復する 大きく息をする ハルと話して回復する 木の話をした だいだい色の建物の話もした 「水の中に入って 銀杏(いちょう)の葉脈をたどれば そこもきれいだぜ」と ハルは言った 今ここに7人の男が ビデオと/CDと/コーヒーと/写真と/ハガキと/テープと/カレ  ンダーを買うために立ち寄っている ヒゲを剃ることにした 父と会う火曜日まで待っていられない 父は金を返すか? 「返済の方法について話し合おう」 父が3年前に言ったことと同じだ 借金無返却主義 返してくれ!と言おうか 母に正月に12万渡すからその分だけでも、と言おうか ぼくの右腕はすぐに重たくなって働けないんだ、と言おうか ぼくの左腕はすぐに疲れるから働けないんだ、と言おうか 返せ! 確信する 父は返さない    *     * 雨の音を聴いている    *     * (1) 「12月になると国立の町中にクリスマス・ツリーの灯りがついて   それをいつも楽しみにしてるの」 (2)ぼくはイルカにキスをした 彼女は何故かナベ、ヤカン、フライパンそんなものを入れた大きなビニール袋を 持って通りを歩いており、ぼくもまた大きなビニール袋を下げて歩いていた ぼくたちはすれちがった ぼくは彼女を記憶した もっと前に会った 国立の書店の前で彼女は立っていた 知っている顔の誰かに話しかけ  ようとしてやめ話しかけようとしてやめた彼女の表情を覚えている 彼女を記憶した もっと前にも会っている 彼女は軽やかで鮮やかだった 歩幅の大きい女の子。 信号機の前に立っていて 彼女はどこかへ行くのだ ポニー・テールの髪 薄いピンク色の服 きれいな顎 銀杏がすごい 銀杏の葉が隙間なく埋まっている 喫茶カフェ・ダンラの2階 彼女はポニー・テールをしている 彼女は眉毛を強くひいている 彼女は三つの場所を持っている 彼女の鉄の梯子をのぼる きみの一つの部屋に ピンクのセーターが掛けてある 1月14日東京流れ者を観に行く 1月25日クレヨンしんちゃんを観に行く

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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