朝、音楽会のあとで

倉田良成



とても暗いものについて触れてみよう きみを連れて鉄骨や吐瀉物の散乱した朝の路面をあるく どこまでもついてくるというので 少しアルコールの混じった息を吐きながら音楽会から帰ってきたところだ ピアノは痛かった、額縁の赤は鮮烈で、若者は愚かだった 冬の蒼穹は神の眼のように美しくうつろで 広場を行くきみと私にきのう出発した隊商の粒をななめに追わせる この翳のない入り組んだ街衢で 地図をなくしたのなら微熱する私の少年の白地図でたどってみないか 高層ビルやクレーンが青空の彼方に殷賑と霞む あるはずのない海の街に沿って チェレスタ、という楽器はどんなものか? 異国で憤死した男の奇妙な肋骨の共鳴板が悲しみのように鳴りやまない きみと私のはるか上方を永遠にさまようピンのような機影の疼き 濃醇な葡萄酒をしたたらすこのうえなく暗愚なオドラデクをわらう メリー・ゴー・ラウンドのまばゆさは爆撃の夜のどんな閃光の華麗さでありうるか きみと私のはなやかな零時の盛装の胸をはだけ 深く、やさしく屠られるよろこびの銛に 亡びに臨む巨鯨の二十世紀はどんな氷海を叫びとともに噴き上げるというのか 最後のページに描かれた漫画のネズミのイニシアルをつかみそこねて 世界は尻尾のかたちで小さな結末をむかえた 午後八時半、いっせいに発光する水上庭園の白紙の鳴りひびきのうちに すっかり酔っ払ってきみと私は音楽会から帰ってきた 不精髭を生やし、きみの手を引っ張ってあるく私は不機嫌ではない ジャガイモもアンディーブもわるくなかった 若者は愚かで、画は光に渦巻き、ピアノは純粋な銀のように痛かった 世の原初を思い起させる二十世紀の朝 ヤーノシュ! しかし とても暗いもののようにきみに触れてみよう 吸殻と原色のチラシの散乱する、一夜のあとのこのSHINJUKUという街で まぶしい顔をして朝の食堂でコップ酒をすする私は しかし 不機嫌ではない 着飾ったきみを連れ、どこにもない明るくきらめく荊棘の路を 海へ

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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