ハイパーテキストへ(連載第4回)

長尾高弘



 こういう始まり方が恒例になってしまったが、まずは前回の自己批判である。「今回の原稿はヘルプ版の方がはるかに読みやすいはずだ」と書いたとき、内心、そんなことを書いてよいのかいなと思ってはいた。あの文章を書いたとき、私は実際にヘルプ版を作ってみたわけではなかった。そして、ヘルプ版を作るのは面倒くさい仕事なのである。当時ほかのことに熱中していたこともあって、結局ヘルプ版を作ったのは、印刷された20号を手にしてからだった。あんなことを書いてしまった以上、ヘルプ版にそれなりに凝ったものにしなければならない。19号までのヘルプ版では使わなかった第2ウィンドウも使ってそれらしいものを作った。自分の原稿の部分だけ力を入れたような形になって気まずかったが、結果は惨敗だった。
 と言っても、ヘルプ版を見てみた読者はほとんどいないだろうと思われるので、どう惨敗だったか説明しておく必要があるだろう。本文を表示しているのとは別のウィンドウをオープンするとなると、それなりに時間がかかる。リンクのついたところをわざわざクリックしてみたのだし、少々待たされるのだから、それなりに面白いことが書いてあるのだろうと読者は期待する。しかし、前回の文章はそのようには構成されていなかった。エディタで平面的に書いていたときには気付かなかったのだが、コメントの内容は、わざわざウィンドウを1つオープンするほど面白いものではなかったのだ。コメントからコメントを呼び出す形にしたのも、いざヘルプにしてみると、わずらわしいだけだった。平行して流れるテキストというアイディアには、正直なところ、まだ未練があるのだが、片方の流れがもう片方の流れに従属する形では、限界があるような気がする。少なくとも、今回は前回のようにコメントの山を築かないようにしようと思う。
 さて、前回の原稿を書いてから、鈴木志郎康氏のエッセイ、「インターネットと詩人」(日本経済新聞4/14朝刊)と小倉利丸氏の「インターネットと法言説」(現代詩手帖96/4)を読んだ。それぞれのエッセイの趣旨とは無関係ながら、目を引いたのは、「ホームページの存在はリンクによって支えられているが、ややもすると知人友人の輪の中を堂々めぐりする傾向があるので、それを破って広がって行きたい」(鈴木氏)、「この文章に図版が欲しいという場合に、雑誌や本ならば図版の版権をとって複製を作成して掲載することになるが、「リンク」という機能はそうした手続きを不要にする」(小倉氏)の二箇所だった。リンクがそういうものだということは、もちろん知っているから、そのことに驚いたわけではない。ただ、私の今までの原稿では、自分が書いたものをハイパーテキスト的に構成することに熱中するあまり、「堂々めぐり」に陥っていたということに気付かされたのである。ハイパーテキストの本領は、小倉氏が言うように「他人が作成した公開のデータを自分のデータと結び付ける」ことにある。最初に白状した前回の失敗とからめて言えば、リンクの対象を自分が書いたコメントなどに矮小化せず、電子的にアクセスできるあらゆる情報に広げるべきだったのだ。
 鈴木氏は、新聞に記事が掲載されるとすぐにエッセイのインターネット版を公開したが、インターネット版はエッセイ中で紹介されているさまざまなホームページへのリンクがふんだんに含まれている。鈴木氏のエッセイを読みながら、へー、それを見てみたいなと思えば、マウスクリック1回で見ることができるわけである。小倉氏も、エッセイの本来の趣旨である電子ネットワーク協議会の「倫理綱領」に抗議するホームページを公開しており、このホームページからは「倫理綱領」そのものが掲載されているホームページ(公開しているのは電子ネットワーク協議会自身である)や通産省、「倫理綱領」に抗議するその他の個人、アメリカの通信品位法(CDA: Communication Decency Act)関連のホームページへのリンクがふんだんに埋め込まれている。リンクした先が知らない間に消えてしまったりすることはあるが、このような形でのリンクの利用には、やはり可能性がある。この連載では、関心の対象がWindowsヘルプとWWWの間で行ったり来たりしていたようなところがあるが、最近はどこでも誰でもリンクできるWWWがあれば、Windowsヘルプはもういいかなという気になり始めている。
 確かに閉じた世界では、Windowsヘルプの方がWWWよりも軽いというメリットはある。これは当然のことで、Windowsヘルプのコンテンツは、1つのファイルのなかに詰め込まれているから、最初に全部メモリにロードできる。WWWのページは、次にどのページにアクセスするか予測できないので、直近に読んだいくつかのページをキャッシュメモリ(あるいはプロクシーサーバに)残しておくことぐらいしかスピードアップの方法がない。新しいページを開くたびにその内容をせっせと読み込み、レイアウトを計算して表示しているのだから遅くて当たり前である。WWWブラウザは、ネットワークの先にあるページだけではなく、ローカルマシンのページも読み込めるが、ネットワークの負荷がかからないローカルマシンのページ読み込みでも、Windowsヘルプと比べるとずいぶん重く感じる。しかし、それもどのようなマシンを使うかである。Windows 95登場以降の中レベル以上のマシンなら、両者の差が気になるようなことはあまりないはずだ。
 スピードの差が今後あまり気にならなくなるとしたら、どの程度楽に作れるかといったところが問題になってくる。そして、この点ではWWWの圧勝である。Windowsヘルプは、Microsoft Wordという遅くて不安定なアプリケーションを使ってえっちらおっちら作らなければならない。しかもヘルプコンパイラでコンパイルしなければ、ヘルプファイルは手に入らない。HTMLファイルはテキストエディタでも簡単に書けるし、書いたファイルを保存してブラウザからロードしてみるだけでテストできる。HTMLエディタも急速に発展し、ブラウザ、ワープロソフト、DTPソフト、グラフィックソフトの延長線上にいくつもの新製品が登場している(もっとも私は使っていないが)。これらを使えばHTMLタグの知識がなくてもホームページらしきものは作れてしまう。
 ただ、HTMLのオーサリングにも問題がないわけではない。詩集をそっくりHTML化するとなると、何ページ分ものファイルを作ることになる。このような場合、目次ファイルを作ってそこから各ページにリンクを張ることになるが、これだけでは本文を1つ読むたびに目次に戻らなければならない。次のページ、さらに欲を言えば前のページへのリンクも欲しい(Windowsヘルプなら、このようなページ付けは、最初からサポートされているが)。私も自分の詩集『長い夢』を初めてHTML化したときには、手作業で目次と前後のページへのリンクを作った。
 しかし、この前後のページへのリンクというのが曲者である。コンピュータの作業の常としてコピーアンドペーストを最大限に活用しても、ページごとに細かく書き換えていかなければならない。これが、人間のやる単純作業の常として、どうしても間違うのである。1つ前にリンクしたはずなのに、2つ前にリンクを張ってしまうようなことがかならず起きる。それでも、既刊詩集をそのまま掲載するだけならまだよいが、ページとページの間に何かを挿入したくなったときなどは面倒である。その挿入するページだけではなく、前後のページのリンクの部分も書き換えなければならない。たとえページ順をいじらなくても、表題の字のサイズに手を加えたり、表題と本文の間に線を入れたり、背景色を変えたりしたくなったとき、同じ作業を何十枚ものページで繰り返さなければならない。持ってみればわかることだが、ペースの差こそあれ、ホームページは変化するものである。しかし、HTMLファイルは、そのままでは変化に対応しにくい。できるだけオリジナルのテキストに近い形で管理したいところだ。
 このようなときにHTMLファイルが基本的にはテキストファイルだということが大きな意味を持つ。特定のアプリケーションに依存するフォーマットのファイル(WindowsヘルプのMicrosoft Word形式のファイルのように)だと、そのアプリケーションのなかで作業しなければならないが、テキストファイルは、指示に基づいて一括変形できるプログラムが無数にある。その中でも、perlというプログラムは強力である。スクリプトと呼ばれる簡易プログラムを書けば、かなり細かい仕事もしてくれる。スクリプトを作ってしまえば、DOSのコマンドプロンプトで

C:>perl <スクリプト名> <スクリプトの引数>

といった形式の行を入力するだけで、全部の作業をあっという間に片付けてくれる。ウィンドウのなかで対話的に操作していくどのタイプのプログラムよりも速いし、単純作業にうんざりすることもなくなる。
 詳細は省くが、今年の2月から4月にかけては、このスクリプト作りに没頭した(冒頭で言ったほかのこととはこれである)。そして、OLBCK(OnLine Book Construction Kit)という名前を付けて、ホームページでの公開にこぎつけた。鈴木氏の日経エッセイでも取り上げていただいた。しかし、鈴木氏がそこでも書かれているように、使い方に慣れるまでに少し時間がかかるのが難点である(というか、使える状態にする==インストールするのが少し難しい)。慣れてしまえば簡単であり、テキストがあればどんどんHTMLファイルを作れる。これは私だけではなく、清水鱗造氏もOLBCKでBooby Trap予告篇を作っていて、慣れると簡単だねと言ってくださったので、うそではないと思う。http://www.st.rim.or.jp/~t-nagao/olbck/で公開しているので試してみていただきたい。
 OLBCKも結局は本の模倣であり、閉じた世界と言われればそれまでだが、元ファイルは別に純粋なテキストファイルでなくても、HTMLタグが含まれている半生状態のファイルでもよい。だから、テキストに適宜リンク先のタグを埋め込めば、先ほど述べたような横道に自由にそれる文章を簡単にHTMLページとして作ることができる(そして、この横道へのそれ方に「詩」の可能性があるかもしれない)。
 それはともかく、HTML形式での詩集の流通には期待もある。下世話な話になるが、今、本の形で詩集を作ろうと思えば、数十万円から百万円ほどの出費になる。まぁ、これは詩集を出したことのある人にとっては常識だが、印税が入るのではなく、かなりの持ち出しになるわけである。そのようにして作った詩集には、2000円台の値札が着くが、あいにくほとんどの書店には並ばない。大半は“ぱろうる”以外には並ばないと言ってもよいだろう。買う側からすれば、2000円以上出して買う気になる本はごくまれである。となると、読んでもらえるのはタダで配った本のごく一部ということになる。あまりに虚しい投資ではないだろうか? 
 Internetに置いておけば、誰でもアクセスできる。すでに、Internetにアクセスするための機材は十分安くなった。けちれば20万でお釣がくる(ハードソフト込みで)。そして、プロバイダも値下げ競争に走っている。年間で5万以下で十分アクセスできる。ほかに電話代もかかるが、少なくとも詩集を1冊作るよりははるかに安い。まだ、通信自体のコストが高いので、じっくり読んでもらうという点では期待薄だが、市場が大きくなれば(また業者が市場を大きくしたければ)、環境は改善されることはあっても悪化することはまずないと思う。確かに、まだ、Internetに“誰もが”アクセスしているわけではないが、今後、Internet人口が上がっていくことはあっても、下がることはないだろう。詩を書くのは詩人、読むのも詩人という構図を少しでも変えていきたいなら、Interenetは間違いなく1つの可能性である。
しかし、手放しでInternetの可能性を謳歌するわけにはいかないというマイナスの要素も少しずつ出てきている。その1つが小倉氏のエッセイでも触れられていた、「倫理綱領」を始めとする検閲への動きである。実は、私自身は、小倉氏のエッセイを読んだあと、遅まきながら小倉氏が主催する検閲問題のメーリングリストにも参加させていただいて、検閲問題の状況と考え方を勉強している最中である。このメーリングリストでさまざまな情報や意見に接すれば接するほど、これはなかなか容易ではない問題だと感じてきている。しかし、次回では、「ハイパーテキストへ」というテーマからは少し外れるが、何とかこの問題についての自分の考え方をまとめられるようにしてみるつもりである。

詩関連ホームページURLリスト(Part 3)
URL
内容
http://www2a.meshnet.or.jp/~yamaiku/
山本育夫氏の“美術品観察学会“のホームページ。会報も掲載されていて、面白い
http://www.english.upenn.edu/~afilreis/88/home.html
ペンシルバニア大学でアメリカ現代詩の講座を開設しているAl Filreis教授のホームページ。どうも授業用に使っているらしいが、教材、リンクとも豊富。
http://nickel.ucs.indiana.edu/~avigdor/poetry/ginsberg.html
ギンズバーグの"Howl and other poems"がまるまる掲載されている。
http://pharmdec.wustl.edu/juju/surr/surrealism.html
Surrealism Server。今さらと思われるかもしれないが、関連ページへのリンクは豊富。
http://www.franceweb.fr/poesie/
Club des Poe'tes。フランス語圏の詩人を幅広く紹介している。
http://www.lsi.usp.br/usp/rod/text/lautreamont/lautreamont.html
英仏2語によるロートレアモン全集(構築中)
http://www.lsi.usp.br/art/pessoa/
ペソアの詩集、資料集(ポルトガル語)
http://www.lsi.usp.br/usp/rod/rod.html
上の2つのページを作ったサンパウロ大学の電子工学専攻の学生Rodrigo de Almeida Siqueiraさんのホームページ。ブラジルのハイクのコンテストでも賞を取ったことがあるという。欧米には、彼のように個人で古典の電子化に精力を注いでいる人が多い。

[ホームページ(清水)] [ホームページ(長尾)] [編集室/雑記帳] [bt総目次]
エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
[No.21目次] [前頁(銅像)] [次頁(近況集)]
mail: shimirin@kt.rim.or.jp error report: nyagao@longtail.co.jp