横木さんの本を読んで、やさしい気持ちになった。

田中宏輔



去年の秋のことだ。 老婆がひとり、道の上を這っていた。 身体の具合が悪くて、倒れでもしたのかと思って ぼくは、仕事帰りの疲れた足を急がせて駆け寄った。 老婆は、自分の家の前に散らばった落ち葉を拾い集めていた。 一枚、一枚、大切そうに、それは、大切そうに 掌の中に、拾った葉っぱを仕舞いながら。 とても静かな、その落ち着いた様子を目にすると、 ぼくは黙って、通り過ぎて行くことしかできなかった。 通り過ぎて行きながら、ぼくは考えていた。 いま、あの老婆の家には、だれもいないのか、 だれかいても、あの老婆のことに気がつかないのか、 気づいていても、ほっぽらかしているのか、と。 振り返っても、そこには、老婆の姿が、やっぱりあって、 何だか、ぼくは、とっても、さびしい気がした。 その後、一度も、出会わないのだけれど その老婆のことは、ときどき思い出していた。 そして、きのう、横木さんの本を読んで思い出した。 まだ、濡れているのだろうか、ぼくの言葉は。 さあ、おいでよ。 降ると雨になる、ぼくの庭に。 そうさ、はやく、おいでよ、筆禍の雨の庭に。 ぼくは、ブランコをこいで待っているよ。 あれは、きみが落とした手紙なんだろ。 けさ、学校で、授業中に帽子をかぶっている生徒がいた。 5、6回、脱ぐように注意したら、 その子から、「おかま」って言われた。 そういえば、何年か前にも、「妃」という同人誌で、 「あれはおかまをほる男だからな」って書かれたことがある。 ほんとうのことだけど、ほんとうのことだからって がまんできることではない。 芳賀書店から出てる、原民喜全集を読むと、 やたらと、「吻とした」って言葉が出てくる。 たぶん、よく「吻とした」ひとなのだろう。 民喜はベッドのことをベットと書く。 ぼくも、話すときに、ベットと発音することがある。 ぼくは棘皮(きょくひ)を逆さにまとった針鼠だ。 動くたびに、自分の肉を、傷つけてゆく。 さあ、おいでよ、ぼくの庭に。 降ると雨になる、筆禍の雨の庭に。 ぼくは、ブランコをこいで待っているよ。 きみが落とした手紙を、ぼくが拾ってあげたから。 ウルトラQの『ペギラの逆襲』を、ヴィデオで見た。 現在の世界人口は26億だと言っていた。 およそ30年前。 ケムール人が出てくる『2020年の挑戦』を見てたら、 ときどきセリフが途切れた。 俳優たちが、マッド・サイエンティストのことを 何とか博士って呼んでたんだけど、 たぶん、キチガイ博士って言ってたんだろう。 さあ、おいでよ、ぼくの庭に。 降ると雨になる、筆禍の雨の庭に。 きょうは、何して遊ぶ? 縄跳び、跳び箱、滑り台? 後ろは正面、何にもない。 ほら、ちゃんと、前を向いて、 帽子をかぶってごらん。 雨に沈めてあげる。

『陽の埋葬・先駆形』


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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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