マイクロ・ライト
        ――夏際敏生に

倉田良成



いつも通る路地沿いの 小さな教会の掲示板に載った先週の箴言はこうだ 「言葉どおり この身に成る」 たぶん光り輝く聖像を思い浮かべてはいけないのだろう たぶん秘蹟は静かな五月の木の揺らぎや、咀嚼し嚥下する今日のパンの塩味のなかの 歓びのかすかな爆発のうちに隠されているのだろう きみの手をとって歩く買い物帰り、教会の今週の言葉は 「テベリヤの海べで」だ アウトドア・パーティでは豚のあばら肉の炭火焼きが好評だった 葉山の海岸は夕方から晴れて、空と大人たちの顔をワインの色に染めたが 騒音をあげて走り回るウォーターバイクのあいだから いきなり夕空にむかって舞い上がった乗り物に、きみと私はわが目を疑った 淡い光の粒子のなかを漂うあれはマイクロ・ライト イタリアで開発された小型洋上飛行装置だと、降りてきた持ち主は教えてくれた 朱に染まった空を遊弋する孤独があんなに簡単に実現してしまうとは 用途も実益も確実にない、レオナルドが夢見た人造鳥の骨組みに仄かに似かよって 渋谷駅上空で二機の警察ヘリコプターが大音量のスピーカーで何か呼びかけている 磁気嵐に流されてゆく映像のように真昼の声はゆがみふくらんで聞き取れない 白日の強盗か、轢き逃げか、ホームの誰もが放心した表情で耳を澄ますが 翳を奪われたこのゴモラでは、誰かが殺されるまで憎悪や恐怖は完璧に無視される 仕事帰りのゆうぐれに見上げた掲示板の言葉 「神が動く 私が動く」は 薄闇のなかに示された深い激怒ではなかったのか? 夜空は徐々に異様なまでに高く、人の限界を超えてなおきらめいていたとしても? きみといっしょにマイクロ・ライトをカメラに収めた 写真では豆粒ほどにしか写っていないが そこからこっちはどんなふうに見えるのだろう 人の一生は、青い平原のまんなかに見つける小さなお祭りに似たものか 五月の夕晴れのなかを かろやかに行ってしまった詩人はこう書きつける 「なにやってんだ/いつも空の下で」*

*夏際敏生「曖昧模湖のネッシー」より


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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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