父の決意

布村浩一



斎藤さんは意外に思うだろうが ぼくは父親の面倒を見たくない  距離を持とうと努めている 父とぼくが一緒にひとつのグラグラと した岩になるのではなく 突き放しながら見ていようと思っている  桜の花が散りはじめる 雨が降っているせいだ 雨に濡れた舗道 で 桜の花びらが道路にはりついている ぼくが連絡しないまま父親は死ぬだろう 後になってその事をぼく は知る ぼくのなかでゆれるものの大きさにぼくは耐えられるだろ うか 身体がはげしくゆれるだろう 身体の振幅のためによろよろ とよろけるかもしれない 熱い霧にからだの真ん中を穴が開いたよ うにさせられるかもしれない 下北沢の駅で待ち合わせて 近くの喫茶店にはいった コーヒーを たのむ 父はコーヒーがくる前からしゃべりはじめて 女のことを いう 別れるという この女といるとだめになる この町から離れ るともいう この町に住んでいたら何もできない お父さんが生ま れて育った町なんだから 町には昔からの知り合いがあっこっちに 住んでいてどんな仕事でもやるというわけにはいかない 女には仕 事をやめさせた 外で男と会っているような気がしてならないんだ  サラ金の金を返すために 他のサラ金から借りている その金が 返せなくなった 家賃も払っていない ひとりじゃだめなんだ で ももう別れる 新しくやり直したい アパートに女がいた ラメの光る服を着ている みんなわたしが悪 いんでしょうねという 目のしたにはっきりわかる隈ができている  額が大きすぎる 事情がわかるにつれて ぼくには額が大きすぎ ると思う 家賃やサラ金が払えたとしても そのあとの見通しがつ かない それに父の心をくるおしくさせているのは女のことだ 女 との関係からだ 老人という言葉が浮かんできた  受話器をはずしまた置く 手が受話器の向こうの世界とつながって いるようで重くなる 目の前で父親が死んでいくのをだまってみて いるようだ 胸のあたりがグラグラゆれている 支点がふるえてい るのがわかる このまま受話器を取らなければ あなたからメッセ ージを受けとることができる 黙すること 線を引くこと はっき りと身体を切り離すこと その跡がみえること 父だからということではないような気がしていた 倒れそうなもの が揺れると手が伸びてしまう 自分の秤の上に十万置き 二十万置 き 父の高血圧 視えない目 決意とみえて崩れていく心 いつも 謝る心 そういったものを置きつづけて もうこの秤の上に置くの がいやになった 秤は揺れない 父から電話はこない ぼくがかけるだけだ 父がでても窮状は訴え ない ちがう町へ行くという 身の回りが落ち着いたら連絡するよ という 何とかするとしか言わない 新しく住むところがみつかる まで連絡はできない ここをとにかく離れる 家賃だってたまって いるし もう無理は言えないんだから いらない荷物は整理してい るところだ いるものは今度住むところに送って ここの大家さん にあいさつして そうしたら 向こうで落ちついたら はっきりし たら連絡するよという

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