解酲子飲食 2・3・4

倉田良成



町田のグラッパ

 ローマへ行っていちばん印象的なのは、壮麗な遺跡とともに口腹に関することへの毎日が祝祭のような独特のセンスだ。立ち飲みのエスプレッソからはじまって、岩塩で締めてある生ハムやサラミを挟んだパニーニというスナック、そこらじゅうにあるピッツェリアに群がる人々、昼めしやディナーで大量に消費されるワイン……と、数え上げればきりがないが、なかでも極め付きは大食のあとのグラッパだろう。ありていに言えば、葡萄から造った焼酎にほかならないが、これが胃袋を燃やして消化を助ける役割を負っているという。きわめて個性的な芳香を持つこの酒は、しかしローマの下町やタクシーのなかに残留していた「芳香」から察するに、たんに消化を促すためだけのものとは思われない。
 旅行から帰って、小田急線町田駅近くのケトバシ屋に入って昼酒を酌んでいると女房が妙な顔をする。「これ、グラッパみたい」とつぶやいた酒は一杯百五十円の泡盛だった。

直侍を気取る

 一時江戸趣味に走ったことがある。テレビの銭形平次ではなくて、岡本綺堂先生や杉浦日向子姉御のそれだ。それらによって初めて知ったことは、江戸情緒といわれるものが、江戸という町の夜の闇の深さや人々の恐怖と隣り合わせに成立していたということだ。清元の幽玄さなどというものもそういう史実によって初めて推し量られるのである。深川に泥鰌を食いに行ったのを手始めとして、日本堤の桜鍋屋はまあいいほうで、真夏の夕方に鰻が出来上がるのを待ちながら手酌で熱燗をちびちびやっていたときなど、自分で自分の神経をやや疑った。行き着くところは蕎麦で、歌舞伎座でこの狂言があったときは夜近所の蕎麦屋が満席になるという「忍逢春雪解」、情趣といったらこれにとどめをさす。ちゃんとした店ならいい酒を出すもので、焼き海苔や蒲鉾などでやるヒヤったらない。ときに蕎麦自体がどうでもよくなってしまうのは、蕎麦屋の罪ではなくて功徳だ。


七部集のウルメ

 芭蕉七部集の「猿蓑」に「灰うちたゝくうるめ一枚」という凡兆の句がある。それに付けた芭蕉の句は「此筋は銀(かね)も見しらず不自由さよ」で、貧窮の生活のうちに、銀の持つインパクトある青ざめた光と、貴重な一枚のウルメイワシが帯びている「青」とを交錯させた仕掛けとなっているのだが、連句の解釈はさておき、このウルメがじつにうまそうだ。私だったら「灰うちたゝく」というところで唾をのむ。芭蕉の世界にはこのほかにも食い物の記事が意外にあって、「おくのほそ道」の途次に詠んだ「めづらしや山を出羽(いでは)の初茄子」のナスビなどは、流火草堂先生によれば出羽名産の民田(みんで)茄子という小粒のナスビのことだそうで、これなどは漬物にして丸ごとこりこりと噛んでみたい気がする。芭蕉は門弟からも尾張名産宮重大根だの長良川の干し白魚だの送られていて、下戸で痔持ちだが酒嫌いではなかった俳聖の食いしん坊の一面がうかがわれる。

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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