翻訳詩
ウィリアム・ブレイク 『無垢と経験のうた』―人間の相反する二つの精神状態を示す─ 連載第四回



(承前)

 ゆり

慎み深い薔薇は棘を突き出している。
つつましい羊は恐ろしい角を持っている。
白いゆりは、愛の歓びに包まれているが、
その鮮やかな美しさは棘や怖れには汚されていない。


 愛の園

愛の園に入っていくと、
決して見たことのないものがあった。
かつて遊んでいた緑のまんなかに、
教会が建てられていたのだ。

教会の門は閉じられており、
扉にはするなと書かれていた。
そこで私はとてもすてきな花が、
たくさん咲いていた愛の園に向かった。

そこは墓で覆われていた。
花が咲いているはずのところに墓石が立っていた。
そして、黒衣の僧がそれぞれの持ち場を歩きまわり、
私の歓びと望みを次々に茨で縛っていった。


 小さな洒落者

お母さん、お母さん、教会は寒いよ、
パブならあったかくて楽しくて気分がよくなるよ。
それにぼくの馴染みの店だって教えてあげられる。
天国じゃそんなふうに楽しくさせてくれないよ。

でも教会にお酒が少々とあったかい火があって
楽しい気分にさせてくれるなら、
誰だって一日じゅう歌って祈るだろうし、
教会から逃げ出そうなんて思わないさ。

坊さんも説教しながら飲んで歌えば
春の小鳥のように幸せになれるよ。
いつも教会にいるお上品なラーチ夫人だって
子どもを鞭でたたいたり腹ぺこにさせたりしないさ。

お父さんだって、子どもが自分と同じくらい
幸せで楽しそうにしていれば歓ぶでしょ。
同じように神様だって悪魔だの酒樽だのとケンカしないで
優しくくちづけして飲み物と着る物をあげるようになるよ。


 ロンドン

特権を与えられたテームズのほとり、
特権を与えられた通りを一つ一つ歩いた。
すれ違う顔、顔、顔には弱さの印
歎きの印がはっきり刻印されていた。

あらゆる大人のあらゆる叫びに、
恐怖におののくあらゆる子どもの泣き声に、
あらゆる声にあらゆる布告に、
心が作り出した束縛が聞こえた。

煙突掃除の子どもたちは
黒光りする教会にぞっとして泣いていた。
運のない兵士たちのため息は
血まみれになって宮殿の壁を転げ落ちた。

しかし真夜中の通りで一番多かったものは
生まれたばかりの赤ん坊を泣かせ
疫病で結婚の棺を引き裂く
若い売春婦たちの呪い


 人間抽象化

貧しい人間を作らなければ、
憐れみはもういらない。
誰もが神のように幸せなら、
慈悲はもういらない。

相互の怖れが平和をもたらす。
するとわがままな愛がのさばり、
残酷な心がわなを編んで、
餌をたんねんにばらまく。

あいつは聖なる怖れを手にして座り、
地面に涙の水をまく。
するとあいつの足元に
謙遜というやつが根を張る。

あいつの頭は神秘の
陰鬱な影に覆われ。
毛虫や蝿がその神秘に
たかってはびこる。

ついには赤くておいしい
偽りの実をつける。
黒い烏はこの木のいちばん
暗いところにに巣を張った。

地と海の神々は
この木を見つけようとして
自然をくまなく探したが無駄だった。
こいつが生えているのは人間のオツムのなかさ。


 幼い歎き

お袋がうなり、親父が泣いた。
無力な裸で大声あげて、
とんだ危ないところに飛び出してきたもんだ。
雲に隠れた鬼っ子のように。

親父の腕のなかでもがき、
襁褓のひもにまたもがき、
縛られ抑えられて疲れちまった。
お袋の胸のなかですねてやるのがいちばんだ。


 毒の木

友に腹を立てたときは、
怒りをぶちまけたのでおさまった。
敵に腹を立てたときは、
ぶちまけなかったので怒りが増した。

恐ろしい思いで夜も朝も、
その怒りに涙の水をまいた。
微笑みながら穏やかな
偽りに満ちた思いで日に当てた。

昼も夜も木は育ち、ついには
見事な林檎がなった。
輝く実は敵にも見えたが
それはそいつの敵のもの。

夜が空を覆いつくしたとき、
そいつはこっそり庭に忍び込んだ。
朝になって私は小躍りして喜んだ。
敵は木の下にひっくり返っていた。


 奪われた少年

自分と同じように他人を愛せる人なんていません。
自分と同じように他人を尊ぶこともできません。
思想が自分自身よりも偉大なものを
知ることも不可能です。

そして父よ、どうしてあなたのことや
兄弟たちのことを自分以上に愛することができましょうか?
扉の回りでパン屑をついばんでいる小鳥
のように私はあなたを愛します。

子どもの傍らに座って話を聞いていた司祭は、
震えるほどの勢いで少年の髪の毛をつかみ、
少年の小さなコートをつかんで引き立てたが
誰もが司祭らしい振る舞いを尊んだ。

高い祭壇に立ち、司祭は言い放った。
見よ、この恐ろしい悪鬼を!
我らのもっとも神聖な聖餐を
批判する理屈をこね上げた者を。

子どもが泣き叫んでも誰も聞こうとしなかった。
両親が泣き叫んでも無駄だった。
子どもは小さなシャツ一枚に剥かれ、
鉄の鎖で縛られた。

そして聖なる場所で焼き尽くされた。
すでに多くの人が焼かれた場所で。
両親が泣き叫んでも無駄だった
アルビオンの岸で行われているのはこういうことだ。


 奪われた少女

 未来の子どもたちは、
 この怒りのうたを読み、
 かつてはあの愛が、甘い愛が
 罪と考えられていたことを知るだろう!

冬の寒さを知らぬ
黄金の時代には、
若く輝く男女は
神聖な光を
夏の歓びを裸で浴びる。

あるとき深い慈愛に
満たされた若い男女が、
神聖なる光によって、
夜の帳が開けられたばかりの
歓びの庭で会った。

朝の草のうえで
恋人たちは戯れあった。
親は遠く離れたところにあり
見知らぬ者が寄ってくることもなく
乙女はすぐに怖れを忘れた。

静かな眠りが
天を深く揺らすとき、
疲れた旅人が涙を流すとき、
二人は甘いくちづけに倦み
一つになる約束をした。

輝く乙女は
白衣の父のもとに帰った。
しかし、父の慈愛に満ちた
聖なる書物のような顔は、
娘のしなやかな四肢を恐怖に震わせた。

弱くあおざめたオーナよ
白髪の父に語っておくれ。
我が愛する花を身震いさせるほどの
激しい怖れを!
陰鬱な悩みを!


 ティアザに

死すべきものとして生まれた者が
世代を超えて蘇るためには、
焼き尽くされて地に戻らなければならない。
ならば、私とお前にどんな関わりがあろうか?

恥と自尊心から生まれた両性は
朝とともに花咲き、夜とともに死んだはずだった。
しかし慈悲は死を眠りに変えた。
両性は働き、泣くために立ち上がる。

汝、我が死すべき部分の母よ、
お前は、残虐を鋳型として我が心臓を作り
自己を欺く偽りの涙で
我が目、耳、鼻を縛った。

感覚のない土で私の口を閉ざし
私を裏切って死すべきものに堕とした。
そして、イエスの死が私を解放した。
ならば、私とお前にどんな関わりがあろうか?


 学童

夏の朝は起きるのが楽しい、
あらゆる木々が鳥の歌に包まれ
遠くの狩人が角笛を吹くとき、
そしてひばりが私と歌うとき。
おお! なんとすばらしい仲間たち。

しかし夏の朝に学校に行くなんて。
おお! それこそはすべての歓びを
硬直した悪意の監視のもとに奪うもの。
子どもたちはため息と
失望のうちに日を費やす。

ああ、そして私はうなだれて座り
じりじりとした時間をいくつも過ごす。
教科書を読んでも、教室に
座っていても、歓びはない。
重い雨に心はすりへらされる。

歓びのために生まれた鳥が
どうして篭のなかで歌うことができようか。
怖れに責め立てられる子どもは
幼い羽を垂れ
青春を忘れる以外に何ができようか。

おお、父よ、母よ。
芽を摘んでしまえば花は咲かない。
悲しみと失望によって、
幼い木から春の日の歓びを
奪ってしまえば、

夏の歓びが立ち上がることが
夏の果実が実ることがあろうか。
冬の嵐を見せ付けられた者に
悲しみを吹き飛ばす力を蓄えることが
成熟のときを祝福することができようか。


 古代の詩人の声

歓びに満ちた若者よ、こちらに来い。
明けていく空を
生まれたばかりの真実の姿を見よ。
疑いも、理性の雲も
暗い論争も、作られた悩みも消えた。
愚かさは、もつれて行き場のない根であり、
無限の迷路だ。
いかに多くの者がそこに落ちていったことか!
彼らは一晩じゅう死んだ者の骨に躓き続ける。
そして、くよくよ心配することしか知らない。
自分が導かれなければならないのに他人を導こうとしたがる。

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