ハイパーテキストへ(最終回)

長尾高弘



 昨年(1998年)の暮にポケットピカチュウというおもちゃの万歩計を買った。同じ頃、デジタルカメラも買った。デジカメは当時最新鋭の1万画素タイプのもので、640×480ピクセルと1280×960ピクセルの2種類の大きさで写真を撮れる。年が明けて、運動不足解消のために、腰にポケットピカチュウ、肩にデジタルカメラをぶら下げて、家の近所を歩くことを思い付いた。デジタルカメラは、いくらシャッターを押しても、フィルムが消費されるわけではない。メモリカードに記録された画像をパソコンに取り込み、気に入ったものを残し、失敗作を消すだけである。パソコンにデータを保存したら、メモリカード自体の中身は消して、再利用する。だから、貧乏症の私でもシャッターを押しやすい。銀塩カメラでは、家族が写っていない写真など撮ったことがなかったが、デジタルカメラでは、ちょっと気に入った風景があると、すぐにシャッターを押すようになった。
 写真が少し溜まってくると、それをWWWのホームページにして人に見せたくなった。ホームページ作成歴が4年にもなれば、それが自然の人情というものである。幸い、私は1年前から自前のサーバでホームページを公開しているので(http://www.longtail.co.jp)、ディスク容量はほとんど無限にある。プロバイダと契約して使えるようになるディスク容量は、5Mバイトとか10Mバイト、多くても100Mバイト程度でしかないが、自前サーバなら、Gバイト単位でディスクを使える。1枚200Kバイトほどもある写真データだって、何枚でも掲載できる。
 問題は、写真をどのように提示するかである。私の散歩写真の場合、写真自体はどこにでもあるごく普通の風景なので、文章で写真に意味付けをする必要があると思った。そこで、散歩全体の概要を書いた文章のページを作ることにした。このページを便宜上本文ページと呼ぶことにする(図1)。本文ページには、320×240ピクセルの小さな写真も数枚貼っておく。そしてこの小さな写真や文中のリンクから、散歩の過程で撮った写真を表示するページにジャンプする。これを写真ページと呼ぶことにする(図2)。写真ページには、1280×960ピクセルの大きな写真を貼り、どこでどのような向きで撮ったのか、何が見えているのかという説明を付ける。1つの本文ページに対して何枚かの写真ページを組み合わせて1回の散歩の記録が完成する。
 本文ページからは、原則としてその回のすべての写真ページにジャンプできるようにした。つまり、本文ページは、写真ページの目次のような機能を果たす。一方、写真ページには、1-1、1-2といった番号を付けた。つまり第1回の散歩の1枚目、同じく2枚目という意味である。写真ページには、本連載の第4回で簡単に触れた自作ツール、OLBCKを使って、前後の写真ページへのリンクを付けた。こうすると、1回の散歩が小さな本になる。本文ページが目次で、1枚目の写真からその散歩の最後の写真までを順にたどっていくと1冊の本の最後のページに到達するわけである。実際、散歩した結果には、順番があり、物語性がある。だから、散歩の記録が本の形を取るというのは、ごく自然なことである。
 散歩には何回も出かけたので、本文ページも溜まっていく。そこで、各回の本文ページにジャンプするマスター目次(以下、単に目次ページと呼ぶ。図3)も用意した。これで、散歩全体が大きな本になった。小さな本をいくつも含む大きな本という構造を作ったわけだが、本文ページは擬似目次である以前にまず本文なので、大きな本と小さな本は相互に独立した別個の本でもある。
 自宅の近所をぐるぐる回って散歩しているので、同じところを別の経路で通ったりすることや、ある箇所で見えていたものと同じものが別の角度から見えたりすることもある。そのような関連写真ページには、当然ジャンプできるようにしたいところであり、実際に、それら過去の写真ページへのリンクは、本文ページ、写真ページの両方に埋め込んだ。こうすると、1冊の小さな本(1回の散歩)の途中で、別の小さな本のなかに飛び込むことができるようになる。ブラウザには、読んだページの履歴が残っているので、ちょっと寄り道して元の本に戻ってくることもできるし、そのまま別の本の読書を続けることもできる。
 この構造は、ある種のコンピュータゲームと似ている。たとえば、私が散歩のときに腰に付けているピカチュウが出てくるポケットモンスターのようなゲームである。この種のゲームでは、主人公がいて、歩いたり走ったり泳いだりして前進する。すると、分かれ道があって、プレイヤは道を選ぶ。道には宝物や敵が転がっていて、拾うとか戦うといったアクションを起こす。私の散歩写真は、宝物でも敵でもないし、いっぱい見たからといって経験値が上がるわけではない(私の腰についたポケットピカチュウの歩数は、散歩するたびに上がっていくけれども)ので、ゲームとして楽しむことはできないが、比喩的に言えば、私の「東山田散歩」は、ゲームのような構造をしている。そして、多くのゲームが散歩というメタファを使っているのは、とても面白いことだと思う。
 散歩とゲーム、本の比喩についてさらに考えると、まだしていない散歩、歩いている過程の散歩はゲームに似ているが、散歩が過去のものとして記録になってしまうと本になるとも言える。私の東山田散歩は、途中で別の回の散歩に飛び込めるようにした分、本の構造を少し解体してゲームの構造に近付いた。しかし、本当の散歩なら、私が撮っていない風景がまだ無限に残っている。東山田散歩のWebページをいくらたどっても、有限の組み合わせしかない(有限といってもかなりの数になるが)。コンピュータゲームも、ゲームの世界の外には抜け出せないという点で、本当の散歩よりも私の東山田散歩のWebページに似ている。これは、現実(リアリティ)と擬似現実(バーチャルリアリティ)の違いである。
 ところで、この企画は、始めたときには10数回で終わるつもりだったし、1回の散歩の写真ページも10枚前後だった。1280×960というほとんどのディスプレイでは全部表示しきれない写真を載せていながら、それでも全部を読もうと思えば読めるようにしておきたいと思ったのである。しかし、散歩というのは、実際にしてみると実に楽しいものであって、10数回ではとても終わらなくなってしまったし、だんだん遠くまで出かけるようになったこともあって、1回の写真の枚数も80枚とか100枚とかになることも珍しくなくなってきた。全体どころか小さい本1冊さえ、少なくともインターネットでは読み通せない代物になってしまった。現在、55回まで続いて写真は2336枚あるが、10回分以上の未整理の写真がまだ残っている。最近は作っている私自身、どこにどんな写真があったのか把握しきれなくなってきた。目次ページと擬似目次の本文ページだけでは、誰もが迷子になってしまうのである。
 歩いていて迷子になりそうになったら地図を見る。散歩メタファのコンピュータゲームでも、今歩いているところがどこかを示すマップ機能がある。そこで、東山田散歩ページでも、地図に当たるものを作ることにした。最初に作ったのは、全体の画像一覧ページ(図4)である。各回のタイトルと、個々の写真のタイトルを最初から順に並べただけのものだが、ここに来ればすべての写真ページにジャンプできる。ただし、このページは巨大になってしまって、表示に時間がかかる。次に、各回ごとにすべての小写真を見られるようにした(長ったらしいが、"この回のすべての写真ページ"と呼んでいる。図5)。これは、1回の写真ページが増えてきて、本文ページからすべての写真ページにリンクを張るのが不可能になったためである。しかし、これらは地図というよりはただの目次、あるいは索引である。もともと、本文ページが目次としては不完全だったのを補ったに過ぎない(目次は本にとっての地図だと言うこともできるが)。
 目次を整備しただけでは、隔靴掻痒の感が残る。そこでつい最近のことだが(正確に言うと、この文章を書きながら)、簡単なサーチエンジンを付けた(図6)。指定された文字列がタイトル、あるいはタイトルと本文を含む全体に含まれている写真ページを拾い上げるのである。この機能は、結局のところ、テキストに依存しているので、写真ページにあるものが写っていても、それについて説明文の方で言及していなければ検索には引っかからない。また、たとえば"鷺沼"で検索すると、鷺沼からははるか遠くに離れたところから出ている"鷺沼行きのバス"のようなものも拾ってきてしまう。このようにかなり不完全なものではあるが、読者がそれぞれの目次、それぞれの地図を作れるようにはなった。これは紙の本では不可能なことである。
 このようにして作った東山田散歩は、結果的に今の時点で私が想像できるハイパーテキストの姿をすべてさらけ出したものになった。しかし、結局、4年前の連載開始のときから大して進歩していないという感じもする。これ以上何回連載を重ねても大きな進歩は見込めないので、今回でこの連載は終わりということにする。帰着点を冷静に考えると、インターネットに誰もがアクセスできる時代になったのに、一人で作ることにちょっとこだわり過ぎたかもしれない。今までも紹介したが、インターネットを介した連句、ハイパー詩のような試みもある。それよりも何よりも、インターネットのWeb空間自体が1つの巨大なハイパーテキスト空間である。この空間は生きており、毎日増殖し、毎日変化し、毎日一部が消えていく。昨日まで読めたものが今日は読めなくなっているということが、あるいは本との最大の違いかもしれない。今後、本は読まなくてもWebは読むという人が増えてくるだろう。そのような人々が多数になったら、ハイパーテキストという以前にテキストという概念自体が大きく変わっていくのかもしれない。

図1 本文ページ
図2 写真ページ
図3 目次ページ
図4 画像一覧
図5 この回のすべての写真
図6 サーチエンジン

(編集者註:図1〜6は、紙版、正式HTML版およびエキスパンドブック版に掲載されますが、以下のURLの長尾高弘さんのサイトに行けば、「東山田散歩」の全容がわかります)

http://www.longtail.co.jp/walk/

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