愛するちから

須永紀子



誕生日がくるたびに加算されたものが まとめてどさっと降りてきたように その朝はひどく胸がざわついた そして ドアを開けると 目にしたものすべてを 狂おしいほど好きになってしまっている たとえば 登校中の清潔な小学生 メジロとオナガとミソサザイ 塀の上の猫、その向こうのクスノキ まちがってかかってきた電話の相手   でもすぐに 子どもは大きくなり 鳥も猫も逃げていき 男はより若い女を好きになる だから注いでも捧げても あふれてくる愛は 行き場を失って あたりをうっとうしくするばかりだというのに 触れないと消えてしまうような気がして 腕と想いは伸びることを止めない 町でいちばん大きな公園のまんなかに立って 最後に残ったものと船に乗ろうと思った ベンチから離れない二人と近所の犬がいて 日が傾くまでの長い間 それらについて短い物語を作った   生まれた場所、星座と干支と目の輝き   どんなふうに育ち、何を好んで食べ、どんな夢を見るか 冒頭だけの物語がいくつもできて わたしは退屈しない しないのがルールなのだ ハトが集まりホームレスの夫婦がやって来て 暗くなるとみんな去っていった だから船には乗らない 港までの気が遠くなるような距離について考える 夜も深くなって 晴れた一日もじきに終わる もう何も愛さなくてよかった それでも愛するちからには余力があり この夜は 相手もなく ときめきこがれる身体をなだめるのに 指を少し汚す、 または 港までの距離を思う、 ためにある

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エキスパンドブック版  [98/4/6 朗読会]
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