良き心を持つ人々よ

長尾高弘



何の因果でこんなつまらないものを読まされなければならないのか という圧力を感じながらつまらないものを書くのは、 辛い。 からくはないがつらい。 こんなつまらない冗談でも、 書いている本人としては 退屈している読者に申し訳ないので、 どうしても書かなければならないことなんだ という理由を見出したときに限って書いているつもりらしいのだが、 つまらないものはつまらないのであって、 つまらないものを面白いと言ってくれる人は、 自らもつまらないものを書いているという負い目のある良き心を持つ人々か 懲りずにつまらないものを書き続ける人に何かを売りつけようと企んでいる人々 だけであろう。 それがわかっていても書き続けるのは、 書いている本人としては どうしても書かなければならないことなんだ という理由が次から次から沸いてきて、 絶えることがないからなのだろうが、 そのどうしても書かなければならないことなんだ たるや、 書かれてしまったあとは書いた本人からも忘れられ、 もちろん良き心を持つ人々も一度面白いと言ったあとは忘れてしまうのである。 つまらないものを書き続けていれば、 その繰り返しがむなしいことであることにはとうに気付いており、 何よりも どうしても書かなければならないことなんだ とやらが絶えることなく次から次と沸いてくるはずなどないではないか ということにも気付いているのだが、 どうしても書かなければならないことなんだ の泉が枯れるということは、 つまらないものを書き続ける人にとっては存在理由を断ち切られるということなので、 容易に容認できることではなく、 むりやりにでも どうしても書かなければならないことなんだ を生産し、 どうしても書かなければならないことなんだ と信じるしかないのである。 いずれにしても、 つまらないものを書くことを覚えてしまった生は、 つまらないものを書き続けて流れ行くものの下流に押し流されるか、 つまらないものを書き続けることを断念してそこで底に沈むか、 つまらない二者択一に迫られたあげく、 あらゆる生にかならずやってくる死というものによって、 そこで永遠に底に沈まなければならない。 ああ 初めて書きたいと思ったときに感じた強烈な恍惚(ルビ:エクスタシー)はどこに行ってしまったのだろうか。 なぜ 書きたいことを書くことだけで満足できず、 良き心を持つ人々に読むことを強いるような邪悪な考えを抱いたのだろうか。 ところで、以上のようなつまらないものを書いてしまった人は つまらないものをかなり書き続けてしまった人であるに違いない。 そして、書かれていることを理解できる人も、 つまらない(かどうかわからない)ものをかなり書き続けてしまった 良き心を持つ人々であるに違いない。 いかに良き心を持ち、書かれていることを理解できても、 これを読んで心弾み、晴れ晴れとした気持ちになる人はおそらく皆無であろう。 つまらないものを書き続けてきた人は、ただ単につまらないだけではなく、 あらかじめ限られた読者しか持たず、 その限られたすべての読者に不快感を与えるものをなぜ書いてしまったのだろうか。 それは 決して満たされることのない 淡く弱い支配欲 の 自慰(ルビ:マスタベーション)。

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