神の下僕



ちょっと前に、 明治憲法の体制のもとでは、 天皇以外はすべて臣民、 天皇が主(あるじ)で臣民は奴隷、 ってなことを言ったら、 鈴木志郎康さんに 臣民イコール奴隷とは言えないのでは、 と批判されて、 いやいや臣民は天皇の奴隷であると言っても 大きな間違いではないだろうと思いますぅ、 って開き直っちゃったんだけど、 実はそれから臣民は奴隷なりとは あまり言わなくなって、 考え込んでおりました。 臣民は自由民じゃないわけだから、 奴隷と言ってもいいんじゃないか。 でも、江戸時代の大名だって、 幕府に切腹しろと言われたら死ぬしかなかったわけで、 自由がないと言えばなかったわけだけど、 家来をたくさん抱えて贅沢していたのに、 奴隷って言うのは変だよなあ。 そんなときに、 今井義行さんの詩を読んでたら、 ネットのSPAMメールの引用らしきものがあった。 Dear Servant YOSHIYUKI IMAI Greetings to you in the name of God Almighty. … 親愛なる奉仕者イマイヨシユキ 全能の神の名であなたにお挨拶。 … 英文の後ろに日本語のようなものがついていて、 これはGoogle翻訳にちょっと手を入れたものだと、 あとで作者に教えてもらった。 それはともかく、 そのservantという英単語を見て、 ああ、臣民てのはこれかと思ったんだよね。* Googleはservantを奉仕者って訳したけど、 servantの訳語には下僕(しもべ)とか従者とかもあるよね。 臣民てのはそういうことでしょ。 ところが、英語にはslaveっていう単語もあって、 日本語の奴隷はslaveの訳語ってことになってるわけだよね。 だから、 Googleサーチでslave servant differenceも調べてみましたよ。 どっちも他人に支配されていることは同じだけど、 slaveは誰かの所有物で金で売り買いされるのに、 servantはそうじゃないって説明があって、 日本語の奴隷と従者、下僕の違いもそんなところなのかな、 と思った。 ほかのページを見たら、 今の世のemployee(会社の従業員)も、 slave、servantと大して違いがないじゃないか、 というようなことも書かれていて、 それはそれで説得力があると思った。 ただ、もとの話は、 明治憲法の臣民と現憲法の国民の違いで、 少なくとも法的な建前として、 人がみな自由なのかそうじゃないか、 ってことだから、 servantもslaveも自由じゃないってことで、 同じくくりで考えていいんじゃないかな。 法的な建前ってのは、 政治や裁判の前提ってことだから、 あんたは天皇の下僕なんだから、 つべこべ言わずに戦争行けよ、 ってなことじゃ困るわけで、 あんたは自由なんだから 天皇のために戦争に行く必要はないよ、 ってことじゃなきゃいかんでしょ。 奴隷とかslaveといった言葉は確かに強烈で、 臣民はそこまでひどくないよね、 って思いたくなる気持ちはよくわかるけど、 奴隷よりもマシだからああよかった、 なんて思っちゃうと、 臣民が自由じゃないことを忘れちゃう。 あと、奴隷ってのはたぶんそう古い言葉じゃないよね。 それこそ、slaveの訳語でございってことで、 外国の話だって感じがあると思うんだよね。 日本には奴隷なんていないよってさ。 本当はいたんだけど、 奴隷だってことを隠すために、 奴隷って言葉を使わないからさ。 人買いが出てくる山椒大夫の時代まで遡らなくても、 戦後まで続いていた吉原ってのは、 まさにお金で売られてきた女性たちを集めていた場所で、 その女性たちは売春を強制され、 しかも逃げられないように監視されていたわけだからね。 もっとひどいのが従軍慰安婦で、 本人の意に反して連れてこられ、 ひどい環境で売春を強制され、 逃げられないように軍に監視された上に、 吉原のように年期明けで自由になるということすらなかったわけでしょう。** 政権与党になるような勢力が、 現憲法の人権条項を旧憲法のように戻しちゃおう、 なんて改憲案(壊憲案だと思うけど)を出して、 それなりに通用しちゃうのは、 そういう言葉の魔術もあるよね。 こいつら従軍慰安婦はビジネスだったなんて言っちゃうわけだし。 自分の娘にやらせられることなのかよーく考えてみろよ。 あと、改憲案が大手を振って歩いているのは、 今の自由が自分で勝ち取った自由じゃなくて、 戦争に負けたおかげで、 棚ぼたでやってきた自由だから、 まだ自由に慣れていないってこともあるのかな。 ああ、イヤダイヤダ。 ところで、 servantには主(あるじ)がいるわけだよね。 SPAMメールの英語では、 言うまでもなくGod Almighty、 全能の神が主だけどさ、 明治憲法の臣民の主は天皇、 これが現人神だったわけだね。 もともと日本の神道なるものは、 山や木や岩を崇めたアニミズムで、 キリスト教みたいな一神教じゃなかったわけだけど、 明治以降の国家神道ってやつは、 現人神である天皇を崇拝する一神教まがいなところがあるでしょ。 ひょっとして、西洋のマネしちゃった? 天皇の命令の勅語ってやつは、 神のお告げで絶対なわけよ。 教育勅語に軍人勅諭、 一字一句正確に覚えることを強制されたんだもんね。 西洋の全能の神の教えは、 偶像崇拝を厳しく禁じてたのに、 御真影という偶像崇拝に化けたところが、 いかにも浅薄なマネかただけど。 頼むからそんなアナクロに引き戻さないでくれよ。 世界から何十年遅れたら気が済むんだよ。
*ほんの2か月ほど前にNYTの記事でsubjectという単語を見て、ああこれが臣民の本当の意味かと思い、そう書いていたのにもうすっかり忘れていた。全部書いて何度か書き直したあとで、ちょっと前に書いたものをチェックして気がついた。それはともかく、いずれにしても英単語の方が「臣民」の非自由民性をよく表しているようだ。
**2015年に訪米中の安倍晋三が、従軍慰安婦の人々のことを「人身売買の犠牲者(victims of human trafficking)」と盛んに言って回ったことがニュースになっている。本文中で触れたように、slaveはservantとは異なり人身売買の対象になるという意味があるので、あたかも慰安婦はsex slave(性奴隷)だという英語圏の主張を認めたかのようになる。しかし、日本語の「人身売買の犠牲者」は「性奴隷」よりも軽い。実際、安倍晋三は、朝鮮の人々が身内を売った、人買いも朝鮮の人々である、という日本の右翼の主張に沿っているだけで、日本の国家、軍隊の責任を認めておらず、謝罪していない。だから、元従軍慰安婦とその支援者たちは、安倍の欺瞞的な動きを厳しく批判している。なお、植民地に本国の権力構造の尻尾にくっついて植民地に住む一般の人々を裏切る者が出てくるのはいつものことであって、この現代日本にもここに住む人々のためでなく、アメリカの軍産共同体の利益のために行動しているとしか思えない政治家、官僚が総理大臣を筆頭として少なからずいる。



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