q句

July 0171996

 悔しまぎれの草矢よく飛ぶ敗北なり

                           原子公平

でもよろしい。その辺に生えている葦や薄を引き千切って、空に向かって投げる。と、いつもはうまく飛んでくれない草の矢が、どうしたことか遠くまで飛んでいった。言い争いに敗けた作者は、ここではじめて自らの完全な敗北を認める。俺も勉強し直さねばならぬと思う。このとき、読者もまた、そう思うのである。『海は恋人』所収。(清水哲男)


August 2981996

 朝顔の好色たただよう朝の老人

                           原子公平

根に這わせた朝顔が、今朝も見事に咲いている。部屋着のままで表に出て、老人がいとおしげに眺めている。どこにでも、よくある平和な朝の光景だ。多くの人たちは微笑してその場を通過していく。だが、作者は違った。なんでもないそのシーンに、一瞬なにか生臭いものを感じてしまったのである。老人のいまの「男」のありどころを…。あるいはまた、その人の来し方の生々しい情欲のありようなども。人間は厄介だ。悲しい歌である。『良酔の歌』所収。(清水哲男)


December 09121996

 灰皿に小さな焚火して人恋う

                           原子公平

は、煙草の火をつけるのに多くマッチを使った。したがって、灰皿には吸殻とは別にマッチの軸が溜まっていく。人を恋うセンチメンタルな気分になって、作者はなんとなく溜まったマッチの軸に火を放ったのである。これが、実によく燃える。まさに小さな焚火だ。その炎のゆらめきを見ていると、懐しい人との思い出がきらめくように浮かんでくる。ポーランド映画『灰とダイヤモンド』で、主人公が酒場のグラスのウィスキーに次々と火をつけ、死んだ同志をしのぶ場面があった。炎は、どこの世界でも、人の心を過去に向かわせるのか。『海は恋人』所収。(清水哲男)


March 2131997

 春愁や一升びんの肩やさし

                           原子公平

とえば、今日が、かつて好きだった人の誕生日だったとする。なぜか、別れた人の記念日は忘れないものだ。遠くにある人だからこその、近さだろう。関連して、昔のあれやこれやを思い出す。そのことに、しばし没頭してしまうことがある。酒が入れば、なおさらだ。普段は格別気にも留めない一升びんを、それこそなぜかしみじみと眺め入る気分にもなる。やさしい肩だなァ……。そんなふうに感じることのできる自分自身を、実は作者は哀しくも愛している。すなわち、これが春愁の正体である。『海は恋人』所収。(清水哲男)


November 01111997

 手で磨く林檎や神も妻も留守

                           原子公平

と林檎が食べたくなった。普段なら妻に剥いてもらうところだが、あいにく外出している。自分で剥くのは面倒なので、手でキュッキュッと磨いて皮のまま食べようとしている。こんな姿を妻に見つかったら「不精」を咎められるだろう。などと、一瞬思ったときに気がついた。季節は陰暦十月の神無月。ならば、ここには妻もいないが神もいないということだ。「俺は自由だ……」。作者はそこでなんとなく解放された気分になり、いたずらっ子のようににんまりしたくなるのであった。夫が家にいないと清々するという妻は多いらしいが、その逆もこのようにあるということ。『風媒の歌』(1957-1973)所収。(清水哲男)


February 2021998

 初心にも高慢のあり初雲雀

                           原子公平

雀の別名は「告天子」。空高く勢いよく上がっていく様子は、まさに天のありかを告げているようだ。今年も、そんな雲雀の姿を目にする季節がめぐってきた。進学や就職の間近い時期でもあり、作者は雲雀の上昇する様に「初心」を重ね合わせているのだが、他方で世に言われる「初心忘るべからず」の純心を疑っている。斜めに見ている。言われてみれば、なるほど「初心」に「高慢」は含まれているのだと思う。おのれの身の丈など高慢にも省みない「野望」がないとは言えないからだ。だからこその「初心」とも言えるのだが、作者は若き日の自分を振り返って、後悔に近い念を覚えているようだ。過去の自己のありようへの嫌悪の心……。年齢を重ねてなお、このように鬱屈せねばならない人間とは、まことに悲しくも淋しい生き物ではないか。酒でも飲まないとやりきれない。そんな気分になってしまう。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


July 0171998

 夏痩せて豆腐一丁の美食思う

                           原子公平

べなければいけないと思うと、かえって食べたくなくなる。そしてふと、こういうことを思いついたりする。「豆腐一丁の美食」とは、何かの逸話か故事を踏まえているのかもしれない。このように、消滅の方向に向いた極端には「美」がある。しかし、ダイエットにはない。ダイエットは、一見肉体を滅ぼす行為に見えるが、結局は自己の消滅を望んではいないからである。消滅どころか再生を欲望する企みにすぎないからだ。ところで豆腐といえば、江戸天明期に『豆腐百珍』という本が出版されている。豆腐料理のレシピ集だ。最近入手した現代語訳本(京都山科・株式会社「大曜」刊)で見てみると、それぞれの料理には「尋常品」「通品」から「妙品」「絶品」まで六段階のランクづけがあって、眺めているだけで楽しい。夏痩せとも「美」とも関係なく、つくって食べてみたくなってしまう。ここで「絶品」のページから「辛味とうふ」の作り方をお裾分けしておこう。試したわけではないので責任は持てないが、うーむ、こいつは相当に辛そうですぞ。酒肴でしょうね。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)

[辛味とうふ]かつおの出し汁に、うす醤油で味をつけ、おろし生姜をたくさん入れます。たっぷりした出し汁で、豆腐を一日中たきます。豆腐一丁につき、よく太った一握りほどの生姜を十個ほど、おろして入れるとよいでしょう。


September 2891998

 恋びとよ砂糖断ちたる月夜なり

                           原子公平

の句を知ったのは、もう十年以上も前のことだ。なんだか「感じがいいなア」とは思ったけれど、よくは理解できなかった。このときの作者は、おそらく医者から糖分を取ることを禁じられていたのだろう。だから、月見団子も駄目なら、もちろん酒も駄目。せっかくの美しい月夜がだいなしである。そのことを「恋びと」に訴えている。とまあ、自嘲の句と今日は読んでおきたい。そして、この「恋びと」は具体的な誰かれのことではない。作者の心のなかにのみ住む理想の女だ。幻だ。そう読まないと、句の孤独感は深まらない。「恋びと」と「砂糖」、「女」と「月」。この取り合わせは付き過ぎているけれど、中七音で実質的にすぱりと「砂糖」を切り捨てているところに、「感じがいいなア」と思わせる仕掛けがある。つまり、字面に「砂糖」はあるが、実体としてはカケラもないわけだ。病気の作者にしてみれば「殺生な、助けてくれよ」の心境だろうが、おおかたの読者は微笑さえ浮かべて読むのではあるまいか。ちなみに、今年の名月は十月五日(月)である。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)


July 0171999

 薔薇を転がる露一滴の告白なり

                           原子公平

白の中身は問わないにしても、一点の曇りも虚飾もない告白。人に、そういうことが可能だろうか。可能だとすれば、それはこのように小さくて瑞々しく清らかだろう。かくの如き告白ありき、というのではなく、作者はあらまほしき告白の姿をかくの如く詠んだのだろう。ただし、この読み方は作者の意図を半分しかとらえていないと思われる。何故か。モチーフは薔薇の花を転がる露だから、作者は花に近く顔を寄せている。束の間、露一滴の美しさに陶然とした。それが告白という人の秘密の吐露に結びついたわけだが、この事情をよく考えてみると、作品の示すベクトルは、実は「告白」に向かってはいないことがわかってくる。あえて言えば、句の「告白」は薔薇の露一滴の甘美な美しさを演出するための小道具なのであって、句全体は「告白」に反射する光を結局は薔薇の露一滴に集めているのだ。すなわち、巡り巡っての薔薇賛歌と読むのが妥当だろう。俳句様式ならではの仕掛けの妙を、私としては以上のように感じたのだが、どんなものだろうか。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)


August 2481999

 彼方の男女虫の言葉を交わしおり

                           原子公平

会の公園だろうか。それとも、もう少し草深い田舎道あたりでの所見だろうか。夕暮れ時で、あたりでは盛んに秋の虫が鳴きはじめた。ふと遠くを見やると、一組の恋人たちとおぼしき男女が語らっている様子が見える。が、見えるだけであって、むろん交わされている言葉までは聞こえてはこない。彼らはきっと、作者の周囲で鳴く虫と同じような言葉でささやきあっているのだろう。そんな錯覚にとらわれてしまった。が、錯覚ではあるにしても、人間同士の愛語も虫どものそれも、しょせんは似たようなものではあるまいか。と、そんなことを作者は感じている。すなわち、愛語は音声を発すること自体に重要な意味あいがあるのであって、言葉の中身にさしたる意味があるわけではない場合が多いからだ。皮肉は一切抜きにして、作者は微笑とともに、そういうことを言っているのだと思う。ああ、過ぎ去りし我が青春の日々よ。作者は、それから半ば憮然として、この場を足早に立ち去ったことだろう。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)


January 1012000

 一番寺の鐘乱打成人の日の老人

                           原子公平

者、六十代の句。「秩父行」の前書からすると、実景だろう。成人の日を祝って鐘を撞く風習。撞いているのは老人で、べつに意図して「乱打」しているわけでもなかろうが、六十代の原子公平にはそのように聞こえたということだ。このとき「乱打」は実際の現象というよりも、聞き手の胸中に生起したイリュージョンだと思う。若者たちの門出を寿ぐためだから、撞き方のテンポは早い。それが「乱打」と聞こえたのは、老人としてのおのれの若者に対する思いが、千々に乱れているからである。その思いは、なにも今日成人の日を迎えた人たちに対するそれだけではないのであって、みずからの過去の若者、そして現在も抱えている若者意識、そうしたところへの思いが早鐘のように心を乱打しているのだ。現在の若さへの賛嘆、羨望、嫉妬、失望……。そして、自身の若き日への自負、誇り、悔恨、失意……。そうしたものが、儀礼的形式的に撞かれているはずの鐘の音に乗って聞こえてくる。いやでも「老い」を自覚させられはじめた年代ならではの一句だ。そこで口惜しいのは、私にも作者の苛立ちがよくわかってしまうことである。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


April 0342000

 奇術にして仁術の俳パッとさくら

                           原子公平

くら賛歌であると同時に俳句賛歌でもある。俳句には元来、その短さゆえに「奇術」のようなところがあり、たったの十七文字が悠に百万言に勝ったりする。小さなシルクハットから、鳩がパッパッと何羽も飛び立ったり、万国旗がゾロゾロと出てきたりするように、信じられない現実を突きつけてくる。しかも、上質の「俳」は読者の心を癒し、励まし、喜ばすなど、その「仁術」的効果もはかりしれない。「さくら」とて、同じこと。「奇術」のようにあれよという間に咲き、「仁術」のように人の心を浮き立たせる。このとき「さくら」は、天然の俳人なのだ。自然詠のかたちをとりながら、句自体が一つの俳論になっているのもユニーク。長年のキャリアがあってこその、これは作者の「奇術」である。原子さんは、最近車イスの人になられたと仄聞した。「俳句研究」誌に連載されている[わたしの昭和俳句]は、近来まれに見る面白い読み物だ。私的俳壇史だが、社会的な時代背景の提示にあたっての、素材の適切な取捨選択ぶりには唸ってしまう。そのことによって、登場人物がみな輝いている。これほどに読ませる俳壇史が、これまでに書かれたことがあったろうか。俳句に興味のない人までをも、引き込んでしまう書き振りだ。これまた「奇術」にして「仁術」と言うべきか。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


August 2482000

 夢で首相を叱り桔梗に覚めており

                           原子公平

頃から、よほど首相の言動に腹を立てていたのだろう。堪忍袋の緒が切れて、ついに首相をこっぴどく叱責した。その剣幕に、首相はひたすら低頭するのみ。と、ここまでは夢で、目覚めると「きりきりしやんと」(小林一茶)咲く桔梗(ききょう)が目に写った。夢のなかの毅然としたおのれの姿も、かくやとばかり……。このときに、寝覚めの作者はほとんど桔梗なのである。しかしそのうちに、だんだんと現実の虚しさも蘇ってくる。それが「覚めており」と止められている所以だ。苦い味。無告の民の心の味がする。昨日の話を蒸し返せば、掲句の主体も共同社会にオーバーラップしている。ちなみに、一茶の句は「きりきりしやんとしてさく桔梗かな」だ。その通り、見事な描写。文句なし。いずれも花の盛りを詠んでいるが、盛りがあれば衰えもある。高野素十に「桔梗の紫さめし思ひかな」があり、こちらは夢で首相を叱る元気もない。盛りを過ぎた桔梗(この場合は「きちこう」と読むのだろう)に色褪せた我が心よと、作者は物思いに沈みこんでいる。花の盛りが短いように、人の盛りも短い。花の盛りは見ればわかるが、人の盛りは我が事ながら捉えがたい。私の人生で、いちばん「きりきりしやん」としていたのは、いったい、いつのことだったのだろう。「桔梗」は秋の七草。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


February 1122001

 地球儀のいささか自転春の地震

                           原子公平

語では、地震を「なゐ」と言った。作者も、そのように読んでくださいと「ない」と仮名を振っている。ぐらっと来た。少し離れたところの地球儀を見ると、「いささか」回るのが見えた。地震だから地が動いたわけで、そこから「地球儀」も自転したと捉えたのが揚句の芸である。「いささか」でも地球儀が回るほどの地震だから、そんなに小さな揺れではなかったろう。ちょっと緊張して、腰を浮かせたくなるほどだったろう。とっさに地球儀に目がいったのは、部屋の中でいちばん転落しやすい物という意識が、日ごろからあったからに違いない。たしかに地球儀は、少なくとも見た目には安定感に欠けている。でも、それっきりで揺れは収まった。ヤレヤレである。句意としては、こんなところでよい。ただうるさいことを言えば、何故「春の地震」なのかという疑問が残る。べつに「春」でなくたって、他の季節の「地震」でも、同じことではないか。実際に、たまたま「春の地震」に取材したのだとしても、それだけでは「春」と表現する根拠には乏しいのではないか。地震の揺れように、四季の区別はないからだ。はじめ私もそう思ったが、この句の主題は「地震」などにはなく、本格的な「春」の到来にあるのだとわかった。すなわち、他の「夏」でも「秋」でも「冬」でもなく、いきなり「地震」のように予知できない感じで訪れるのが「春」なのだと。四季のうちで最もおだやかな「春」が、もっとも不意にやってくるのだと……。「春めく」という言葉があるくらいで、兆しはあっても、待つ「春」は遅い。しかし、あっと「地球儀」の回転に気づいたときには、もう「春」は盛りなのである。わざわざ「地震」を「ない」と読ませているのは、字余りを嫌ったのではなくて、「古来」という感覚を生かしたかったのだ。すなわち、句全体が「春の訪れ」の喩になっている。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)


March 2532001

 浮き世とや逃げ水に乗る霊柩車

                           原子公平

語は「逃げ水」で、春。路上などで、遠くにあるように見える水に近づくと、また遠ざかって見える現象。一説に、武蔵野名物という。友人知己の葬儀での場面か、偶然に道で出会った霊柩車か、それは問わない。「逃げ水」の上に、ぼおっと浮いたように霊柩車が揺れて去っていく。そこをつかまえて「浮き世とや」と仕留めたところには諧謔味もあるが、人間のはかなさをも照らし出していて、淋しくもある。霊柩車はむろん現世のものだが、こうして見ると彼岸のもののようにも見える。まさにいま、この世が浮いているように。死んでもなお、しばらくは「浮き世」離れできないのが人間というものか。句集の後書きを読んだら、きっぱりと「最後の句集」だと書いてあった。また「『美しく、正しく、面白く』が私の作句のモットーなのである」とも……。宝塚歌劇のモットーである「清く、正しく、美しく」(天津乙女に同名の著書がある)みたいだが、揚句はモットーどおりに、見事に成立している。この句自体の姿が、実に「美しく、正しく、面白」い。いちばん美しく面白いのは、句の中身が「正しい」ところにある。「正しさ」をもってまわったり、ひねくりまわしたりせずに、「正しく」一撃のもとにすぱりと言い止めるのが、俳句作法の要諦だろう。言うは易しだが、これがなかなかできない。ついうかうかと「浮き世」の水に流されてしまう。「正しさ」を逃がしてしまう。話は変わるが、句の「逃げ水」で思い出した。「忘れ水」という言葉がある。たとえば池西言水に「菜の花や淀も桂も忘れ水」とあるように、川辺の草などが生い茂って下を流れる川の水が見えなくなることを指す。日本語の「美しく、正しく、面白く」の一端を示す言葉だ。『夢明り』(2001)所収。(清水哲男)


May 0252001

 桐咲くやカステラけむる口中に

                           原子公平

の花は初夏に咲く。周辺はまだ浅緑だ。そこに紫色の花が高く咲くので、遠望すると「けむっている」ように見える。その視覚と、口の中で「けむる」ように溶けていくカステラの味覚とが通いあい、しばし至福の時を覚えている。美花を愛で美味を得て、好日である。このようにゆったりとした心で桐の花を見たいものだが、都会ではもう無理だ。たまさか見かけるのは旅先であり、たいていは心急いでいるので、なかなか落ち着いては見られない。昨年見たのは、所用で訪れた北上市(岩手県)でだった。それも新幹線の駅前にあった木の花だから、とても「けむる」とは言い難く、なんだか標本か資料でも見ているような気がしたものだ。五月のはじめでは、あの駅前の桐もまだ咲いてはいないだろう。桐の花といえば、加倉井秋をに「桐咲けば洋傘直し峡に来る」がある。「峡」は「かい」、山峡だ。昔は都会でも見かけたが、一種の行商に「洋傘直し」という商売があった。町や村を流して歩き、折れた傘の骨の修繕などをする。桐が咲くのは梅雨の前。そこをねらって毎年「傘直し」が現われるというわけだが、風物詩としても面白いし、山峡の村に住む人々のつつましい暮らしぶりもうかがえるようで、よい句だ。この桐の花も、大いに「けむって」いなければならない。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


August 2482001

 歯痛に柚子当てて長征の夜と言いたし

                           原子公平

の「歯痛」は心細い。歯科医に診てもらうためには明日まで待たなければならないし、そのことを思うだけでも、痛みが増してくるようである。とりあえず、手元にあった冷たい「柚子(ゆず)」を頬に当ててみるが、ちょっと眠れそうにないほどの痛みになってきた。とにかく、このまま今夜は我慢するしかないだろう。そんなときに、人は今の自分の辛さよりももっと辛かったであろう人のことを脳裏に描き、「それに比べれば、たいしたことではない」と、自分を説得したがるもののようだ。で、作者の頭に浮かんだのが「長征(ちょうせい)」だった。「長征」とは1934年秋に、毛沢東率いる中国共産党が、国民党軍の包囲攻撃下で江西省瑞金の根拠地を放棄し、福建・広東・広西・貴州・雲南・四川などの各省を経て、翌年陝西省北部に到着するまで約1万2千5百キロにわたる大行軍をしたことを指す。なるほど、たしかにこの間の毛沢東らの艱難辛苦に比べれば、一夜の「歯痛」ごときは何でもないと思えてくる。しかし、そう思えてくるのは一瞬で、結局頼りになるのは毛沢東の軍隊ではなく、やはり手元のちっぽけな「柚子」一個でしかないのが、悲しくも可笑しい。「言いたし」に、泣き笑いの心情がよく出ている。「長征」を語れる人も少なくなってきた。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)


September 1992001

 乙女座の男集まれ花野の天

                           原子公平

とえば、野村泊月に「大阿蘇の浮びいでたる花野かな」がある。「花野(はなの)」は秋の花が咲きみちた野を言うが、本義はこのように広々とした野や高原を指している。花々が澄んだ光のなかで揺れ、まことに明るく広大な野だ。が、そこにはどことなく秋ゆえの淋しい感じも漂っている。「乙女座の男」である作者(九月十四日生まれ)は、そんな高原に来ている。「天」は都会では見られない広々とした空であり、抜けるような青さを湛えていて、上天気なのだ。身も心も晴れ晴れとした上機嫌が、思わずも叫ばせた一句だろう。日ごろから何となく「乙女座の男」であることにひっかかっていた気持ちが、ここ「花野」に立つうちに解き放たれた。「花」と言えば「乙女」じゃないか。と、平凡な連想が「乙女座の男」を「みんな」集めたら愉快だろうなという空想につながった。「天」の意識は、もうこの世にはいない男たちへの呼びかけも含んでいるのかもしれない。では、ここに「みんな」を集めたらなぜ愉快なのか……。などと、あまり理屈をこねて鑑賞すると面白くない句になってしまう。字面だけを追うとよくわからないところはあるが、作者の上機嫌はとてもよく伝わってくる。作者の爽やかな気持ちの良さがわかれば、それでよいのではないか。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)


November 28112001

 路上に蜜柑轢かれて今日をつつがなし

                           原子公平

刻。車に轢(ひ)かれた「蜜柑」が、路上にぐしゃりと貼り付いていた。飛び散った果汁の黒いしみも、見えている。そこで作者は今日の自分を「つつがなし」、何事もなく無事でよかったと感じたというのである。健康な人であれば、日常が「つつがなく」過ぎていくのが普通のことだから、毎日その日を振り返って「つつがなし」と安心したりはしない。ただ、こんな場面に偶然に出くわすと、あらためて我が身の息災を思うことはある。そういうことを、寸感として述べた句だろう。しかし、もしも轢かれているのが猫や犬だったとしたら、こうはいくまい。作者は自分の息災を思うよりも前に、同じ動物として、轢死した猫や犬の痛みを我が身に引き込んでしまうからだ。ああ、あんなふうにならなくてよかった。とは、とても思えないし、思わない。掲句を眺めていると、自然にそういう思いにもとらわれてしまう。それと「つつがなし」という思いは、絶対的な根拠からではなく、相対的な視点から出てくることがよくわかる。もとより、作者はそんなことを言っているわけではないのだが、そういうことも思わせてしまうところが、俳句の俳句たる所以の一つであろうか。読者諸兄姉には、本日も「つつがなく」あられますように。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)


July 2072004

 川へ虹プロレタリアの捨て水は

                           原子公平

語は「虹」で夏。敗戦後、数年を経た頃の作と思われる。すなわち、まだ「川」が庶民の生活とともにあった時代だ。清冽な流れであれば飲食用にも使っていたし、そうでなくとも洗い物などを川ですませる人々は多かった。句はそんな誰かが、余って不要になった水をざあっと川に「捨て」たところだろう。見ていると、その人の手元から淡く小さな「虹」が「川へ」立ったというのである。失うものなど何もない「プロレタリアの捨て水」が、束の間の虹を描く光景ははかなくも美しいが、しかし、その虹は未来への希望にはつながらないのだ。「捨て水」という言葉には、単に水を捨てる写実的な様相と、他方には川をいわば心の憂さの捨て所と見る目がダブらせてあるのだろう。庶民であることのやり場の無い感情が、抒情的に昇華された絶唱である。既に新聞報道でご存知かとは思うが、作者の原子公平氏は一昨日(2004年7月18日)亡くなられた。八十四歳だった。一度も面識は得なかったが、当歳時記の最初の一句が氏の「悔しまぎれの草矢よく飛ぶ敗北なり」ということがあり、また何度かお手紙や句集をいただいたこともあって、残念な思いでいっぱいだ。抒情の魂を社会的に鋭くイローニッシュに開いてゆく氏の方法が、俳句のみならず、この国の詩歌に残したものは大きいだろう。慎んでご冥福をお祈りする。『海は恋人』(1987)所収。(清水哲男)


October 30102004

 三日月ほどの酔いが情けの始めなり

                           原子公平

語は「(三日)月」で秋。長い酒歴のある人でないと、こういう句は詠めまい。『酔歌』という句集があるほどで、作者は無類の酒好きだった。「三日月ほどの酔い」とは、飲みはじめのころの心的状態を言っている。ほろ酔い気分の一歩手前くらいの心地で、酔っているとは言えないけれど、さりとて全くのシラフとも言えない微妙な段階だ。おおかたの酒飲みは、この段階でぼつぼつ周囲の雑音が消えてゆくことが自覚され、自分の世界への入り口にあるという気持ちが出てくる。すなわち、シラフのときには自制していたか抑圧されていて表には出さなかった(出せなかった)「情け」が動き「始め」るというわけだ。「情け」といっても、いろいろある。「情にほだされ」て涙もろくなることもあるし、逆に「情が高ぶって」怒りやいじめに向かうこともある。加えて、曰く言いがたい酒癖というものもある。だが、いずれにしても、「知」よりは「情」が頭をそろそろともたげてくるのがこの段階なのであって、飲み始めた当人にその情がどこに向かうのかがわかりかけるのも、この段階だ。作者は今宵もひとりで飲みながら、長年にわたる飲酒を通じて生起した様々な心的外的な出来事を振り返って、すべての「始め」はこのあたりにあったのだなと合点している。「情けは人のためならず」と言うが、酒飲みの情はその日その日の出来心によるから、人に情けをかけたとしても、必ずしも自分のためになるとは言いがたい。酒好きには、しいんと身につまされる一句だろう。『夢明り』(2001)所収。(清水哲男)


December 24122004

 火が熾り赤鍋つつむクリスマス

                           小松道子

ち着くところ、このあたりが現代日本家庭でのクリスマスイブの過ごし方だろうか。「聖菓切るキリストのこと何も知らず」(山口波津女)でも、それで良いのである。家族で集まって、ちょっとした西洋風のご馳走を食べる。「赤鍋(あかなべ)」は銅製の鍋だから、句のご馳走は西洋風鍋料理だろう。「火が熾(おこ)り」、炎が鍋をつつむようになると、みんなの顔もぱっと赤らむ。ここで、ワインの栓を抜いたりする。TVコマーシャルにでも出てきそうなシーンだが、ささやかな幸福感が胸をよぎる頃合いである。その雰囲気が、よく伝わってくる。しかし私など、クリスマス行事そのものを小学校中学年で知った世代にとっては、こうした情景にまさに隔世の感を覚える。信じられないかもしれないが、私は十歳くらいまでサンタクロースを知らなかった。絵で見たこともなかった。物心つくころには戦争中だったので、少し上の世代ならば誰もが知っていた西洋常識とは、不運にも遮断されてしまっていたわけだ。そしてクリスマスのことを知ってからも、しばらくはイブというと大人たちがキャバレーなどで大騒ぎするイメージが一般的だった。キリスト者の景山筍吉が詠んだ「大家族大炉を囲む聖夜哉」というような情景は、ごく稀だったろう。「針山に待針植えて妻の聖夜」(原子公平)。いささかの自嘲が籠っている感じはするけれど、こちらが一般的だったと言える。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


February 0922005

 音速たのし春の午砲の白けむり

                           原子公平

書きに「少年時代の思い出 一句」とある。「午砲(ごほう)」は俗に「お昼のどん」と言われ、市民に正午を知らせた号砲だ。明治四年にはじまり、昭和四年サイレンにきりかえられるまで、旧江戸城本丸で毎日正午の合図に空砲を打った。いまのように時計が普及していなかった時代だから、これをアテにしていた人たちは多かったろう。むろん私は知らないのだけれど、はるか年上の原子少年はおもしろがっていたようだ。学校で「音速」を習ったばかりだったのかもしれない。まずその方角に「白いけむり」が上がったのが見え、しばらくしてから「どーん」と音が聞こえてくる。けむりが見えてから音がするまでの間(ま)に、なんとも言えぬおもむきがあった。折しも季節は「春」、のどかな少年期の真昼を回想して、作者はひとり微笑している。「音速」という硬い科学用語も、無理なく句に溶け込んでいる。それもまた、暖かい春ゆえだろう。なお、この午砲は東京・小金井公園のなかにある「江戸東京たてもの園」に保存されている(はずだ。数年前には入り口近くに置いてあった)。もっと大きいものかと思っていたら、意外に小さかったので驚いた。小学生がまたがって遊べるくらいの大きさと言えば、想像していただけると思う。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


May 1852005

 無職は無色に似て泉辺に影失う

                           原子公平

語は「泉」で夏。作者は出版社勤務(戦前は岩波書店、戦後は小学館)の長かった人だから、停年退職後の感慨だろう。「無職」と「無色」は語呂合わせ的発想だが、言われてみれば通じ合うものがある。社会通念としては、定年後の無職は常態であるとはいうものの、当人にしてみればいきなり社会の枠組みから外に出されたようなものなので、虚脱感や喪失感は大きい。ひいてはそれが己の存在感の稀薄さにもつながっていき、軽いめまいを覚えたときのように一瞬頭が白くなって、好天下「泉辺」にあるべきはずの自分の影すらも(見)失ってしまったと言うのである。むろんこれは心境の一種の比喩として詠まれてはいるのだろうが、しかし同時に、ある日あるときの実感でもあったろうと読める。作者とはだいぶ事情が違うのだけれど、私は二十代のときにたてつづけに三度失職した。いずれも会社都合によるものだったとはいえ、無職は無職なのであって、その頼りなさといったらなかった。若かったので「そのうちに何とかなるさ」と思う気持ちと、どんどん減ってゆく退職金に悲観的になってゆく気持ちとが絡み合い、それこそ頭が真っ白になってしまいそうで辛かった。社会や世間の枠組みから外れることが、どんなことなのかを思い知らされた者として掲句を読むと、何かひりひりと灼けつくような疼きを覚える。このときの作者には、停年まできちんと勤め上げたキャリアとは無関係に、無職の現実が重くのしかかっていたのだと思う。『酔歌』(1993)所収。(清水哲男)


June 0862005

 梅雨よわが名刀肥後ノ守錆びたり

                           原子公平

語は「梅雨」で夏。作者、晩年の句。慷慨句とでも言うべきか。茫々たる梅雨のなか、もはや沈滞した気分を払いのけるでもなく、鬱々と楽しめぬままに過ごしている。これで若ければ、なにくその気概もわいてきたろうが、そんな気力も出てこない。このときに「肥後ノ守(ひごのかみ)」とは、いわば若い気力の代名詞だろう。昔の子供はみな、この肥後ノ守という名前の小刀(こがたな)を携帯していた。直接的な用途は鉛筆を削るためなのだが、なにせ小なりといえども刃物なのだから、実にさまざまな場面で活用されたものである。私の場合で言うと、蛙の解剖から野球のバット作りまで、教室の机にイニシァルを刻んだり、茱萸などの枝を伐ったりと、実に用途はバラエティ豊かなものがあった。たまに忘れて学校に行くと、なんだか自分が頼りなく思えたのだから、単なる鉛筆削りの道具以上の意味合いがあったことは確かだ。したがって、上級生くらいになるとときどき砥石で研いでは切れ味を確保することになる。まさに「名刀」扱いだった。でも、喧嘩に使われることは皆無に近かった。それこそ小なりといえどもが、昔の子供には節度を逸脱しないプライドがあったからである。そんなことをしたら、たちまち周囲から軽蔑される環境もあった。このような体験を持っていると、この雨の季節に掲句を吐いた作者の心情は痛いほどによくわかる。ならば「老いる」とは、いたましい存在になるだけなのか。私は私の肥後ノ守を、いま見つめなおしている最中である。いささかの錆は、隠し難くあるような。『夢明り』(2001)所収。(清水哲男)


April 3042012

 浮き世とや逃げ水に乗る霊柩車

                           原子公平

者、八十歳ころの句。作者自身が最後の句集と記した『夢明り』(2001)に所収。あとがきに、こうある。「『美しく、正しく、面白く』が私の作句のモットーなのである。それもかなり『面白く』に重心が傾いてきているのではないか。現代的な俳諧の創造を目指しているわけだが、極く簡単に言えば、文学的な面白さがなくて何の俳句ぞ、ということになろう」。なるほど、この句はなかなかに「面白い」。いやその前に「美しく、正しい」と言うべきか。霊柩車を見送る作者の胸中には、故人に対する哀悼の意を越えて、これが誰も逃れられない「浮き世」の定めだという一種の諦観がある。それを「逃げ水に乗る」とユーモラスな描写で包んだところに、作者の言う面白さがにじみ出ている。この世から少し浮かびながら逃げていく霊柩車。人は死んではじめて、この世が「浮き世」であることを証明でもするかのように。(清水哲男)


June 2962015

 僕が訛って冷し中華を食う獏なり

                           原子公平

人かで昼下がりの食堂に入る。それぞれが注文していく過程で、「ぼくは冷し中華」と言うべきところを、「ばくは冷やし…」と訛ってしまった。「ぼくは」と「ばくは」のわずかな差異。その場にいた仲間は、別に気にもせずに、あるいは気がつかずに、別の話をしている。ところが、作者はひとりそのことを気に病んでいる。最近、そうしたちょっとした言い間違いが多いからだ。トシのせいかなと気に病み、やっぱりそうだろうなと自己納得している。言い間違いに限らず、老人の域にさしかかってくると、そんな些細な間違いが気になって仕方がない。運ばれてきた冷し中華に箸をはこびながら、「ぼく」と「ばく」、「僕」と「獏」か。となればさしずめ今の俺は夢を食う「獏」のように冷し中華を食っているわけだ…。その場の誰も気づいてはいないけれど、俺だけは半ば夢のなかで食事をしていることになる。そう思えば、ひとりでに笑えてくるのでもあり、逆に切ない気持ちのなかに沈み込むようでもある。『夢明り』(2001)所収。(清水哲男)




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