k平句

July 0771996

 七夕や岡崎止りの貨車に昼

                           北野平八

夕は夜の祭。作者は兵庫の人だから、岡崎まではそんなに遠くない。この貨車が岡崎に着くころ、その空には天の川が流れているだろう。「五万石でも岡崎様は……」と、町には粋な民謡のひとつも流れているかもしれぬ。散文的な真昼の駅で、ひょいとこんな句が生まれるところに、北野平八の並々ならぬ才質が感じられる。昭和57年作句。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


August 0381996

 蚰蜒といふ字は覚えおく気なし

                           北野平八

蜒を、さて何と読むか。原句には振り仮名がついている。そりゃ、そうだ。漢字コンクールのトップクラスでも、読めるかどうか。答えは「げじげじ」。字も覚えたくないが、本体ともあまりお近づきにはなりたくない。夏の嫌われ者でも有名虫(?)だけあって、昔からけっこう蚰蜒の句は多い。「蚰蜒に寝に戻りたる灯をともす」(中村草田男)「げじげじや風雨の夜の白襖」(日野草城)など。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


September 1591996

 秋簾日のある草に水捨てる

                           北野平八

事を書かせたら、北野平八の右に出る俳人はいない。いつしか、私はそんな確信すら持ちはじめている。俳壇では無名に近いらしいが、おエライさんの目は、どこについてんのかね。縁側の簾(すだれ)の脇から、たとえばコップ半分の水を捨てようというとき、無造作に捨ててもよいのだが、そこはそれ、日のあたっている草にかけてやるのが人間の情。しかも、季は夏ではなくて秋である。うめえもんだなあ。憎らしくなる。没後に刊行された『北野平八句集』(富士見書房・昭和62年)所収。(清水哲男)


October 11101996

 掌の中に持ちゆく気なき木の実かな

                           北野平八

は「て」と読ませる。作者は、このときひとりではない。女性といっしよに公園か林の道を歩いている。会話も途切れがちで、ぎくしゃくとした雰囲気の中、落ちていた木の実を拾ってはみたものの、その場をとりつくろうためだけの行為であった。どうして俺はこうなんだろうか。……と、実は作者の意図は他にあったのかもしれないが、私としては、こんな具合に読んでしまった。若いころの思い出に、ちょっとだけ似たシーンがあったものですから。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


November 09111996

 大阪はしぐれてゐたり稲荷ずし

                           北野平八

ある大阪は場末の町。風采のあがらない初老の男と安キャバ勤めとおぼしき若い女とが、うらぶれた食堂に入ってくる。外は雨。男が品書きも見ずに、すっと稲荷ずしを注文すると、「なんやの。こんなさぶい時に、つめたいおイナリさんやなんて」。そこで男が毅然としていうのである。「ええか、大阪はしぐれてゐたり稲荷ずし、や。な、ごちゃごちゃ言わんとけ」。「なに、それ」。「キタノヘイハチや」。「きたの……って。聞かん名前やなぁ。……ああ、おネエちゃん、ウチはアツカンや。それとタマゴ焼きと、あとはな……」。どこまでもつづきそうな大阪の時雨の夜である。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


December 01121996

 駅時計の真下にゐたり十二月

                           北野平八

段であれば、そんなところにいるはずもないのに、気がついたらそんなところにいたという図。駅舎での待ち合わせだろう。何か、追い立てられるような気持ちで人を待っている。そのうちに苛々してきて、構内をうろうろしているうちに、ふと見上げると真上に大時計。知らぬ間に駅舎の真ん中に立っていたというわけだ。せわしない師走ならではの振るまいである。さりげない光景だが、この季節、誰にでも納得できそうな句。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


January 1211997

 コック出て投手の仕草松の内

                           北野平八

西では、十四日までが松の内。界隈では名の通ったレストランの裏口のほうの道だろう。年末年始にほとんど休みのなかった男が、束の間の休憩時間、コックの姿そのままに投手の仕草で身体をほぐしている。よく見かける光景ではある。そこを見逃さずにタイミングよくシャッターをきった作品だ。が、加えてこの句の場合、それだけではなくて、仕草の「草」と松の内の「松」という漢字の響きあいが実によく利いている。松の内も、そろそろ終りという雰囲気。これは作者のあずかり知らぬ効果かもしれないが、いずれにしても翻訳はできない句のひとつだろう。もちろん、それでイイのである。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


March 2931997

 借り傘に花の雨いま街の雨

                           北野平八

先で、雨に降られてしまった。「こんな傘でもよかったら」と差し出された傘を借りて帰る。他人の傘とは不思議なもので、なかなか手になじまない。女物だったりすると、なおさらである。それが桜並木を通りかかり、雨に煙る花の美しさに心を奪われているうちに、いつしか気にならなくなっていて、気がつけばもうあたりは見慣れた街の中だ。こんな雨なら、雨もいいものだ。と、自然に小さな充足感がわいてくる。平八ならではの繊細な感覚。そして、なによりも字面の綺麗さにうっとりとさせられる。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


April 0141997

 ひつ込まぬびつくり箱や万愚節

                           北野平八

レゼントにもらった箱を楽しみに開けた途端に、何やらヒュルルッと飛び出してきた。びっくり、した。そういえば「今日はエイプリル・フールズ・デイであったわい」と、かつがれたことに苦笑する。ところが、飛び出してきた物を箱にしまおうとするのだが、どういう仕掛けになっているのか、元の箱におさまらない。いろいろやってみるのだが、どうしても元どおりにならない。そのうちに、大の男がびっくり箱と一心不乱に苦闘している滑稽さにふと気づき、再び苦笑したところでこの句が生まれた。いつまでも子供の一面を持つ男という生物の様子に、私もまた苦笑しつつも共感を覚えた次第である。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


August 2081997

 指し数ふ麻座布団の昼の席

                           北野平八

かの会合の流れだろうか。まだ日も高いし、別れがたい七、八人が軽く一杯やろうかという話になった。よくあることだが、こういうときにはたいてい自然発生的に幹事役になる男がいて、二階に座敷のある店を知っていたりする。で、ここからが人間の妙なところで、座敷に通されるや、彼はいちいち指差しながら座布団の数が足りているかどうかを確認するのだ。でも、その場にいる誰もが「子供じゃあるまいし……」などとは思わない。むしろ、自分でもそうしたいくらいな心持ちになる。だから、いやでも座布団が麻であることを認識させられてしまうのである。楽しい夏の午後のひとときの気分がよく出ている。かくのごとくに、俳句の材料はどこにでも転がっているという見本のような句でもある。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


November 24111997

 街道に障子を閉めて紙一重

                           山口誓子

さにこの通りの家が、昔は街道沿いに何軒もありました。障子の下のほうには、車の泥はねの痕跡があったりして……。夜間は雨戸を閉めておくのですが、昼間は障子一枚で街道をへだてているわけで、この句の「紙一重」は言いえて妙ですね。街道沿いとはいえ、いまのようにひっきりなしに車の往来がなかったころの光景です。障子の内側で暮らす人たちの生活ぶりまでが想像されて、懐しい感情を呼び醒される一句でした。障子といえば、私が子供だったころには、どこの子も「ちゃんと閉めなさい」と親から口喧しくいわれたものです。おかげでマナーが身についたせいか、いまだに宴席でトイレに立つときなど、障子の閉め具合が気になります。そんな習慣の機微を詠んだ句に、北野平八の「障子閉じられて間をおき隙閉まる」があります。これまた名句というべきでしょう。(清水哲男)


January 2711998

 練炭の灰に雨降る昼屋台

                           北野平八

んとも侘びしい光景。昨夜の屋台営業の名残りである練炭(れんたん)の灰に、冷たい雨が降りかかっている。どうやら今夜まで、この雨はつづきそうだ。こんな侘びしい気分を的確に捉えた、なんとも素敵な北野平八の才気。「上手いなア」と、思わずもつぶやかされてしまう。練炭の灰は、見た目よりもよほど頑丈だから、ちょっとやそっとでは崩れたりはしない。その感覚が理解できないと、この句の味もわからないだろう。例によって余談になるが、私の職場である放送局には若い人が多い。つい最近、練炭のことを聞いてみたら、やはりわかった人は少なかった。タドンと間違える人はまだよいほうで、何に使うのか見当もつかない若者もいた。無理もない。もはや、都会の生活の場で練炭を使うことなどないからである。そういえば昨年の暮れ近く、新聞に北京で練炭を売る少年の写真が載っていた。まだ日常的に使っている国もあるというわけだ。もう一度、赤く燃える練炭ストーブに会ってみたい。『北野平八句集』(1987)所収。(清水哲男)


March 0331998

 釘を打つ日陰の音の雛祭

                           北野平八

者は雛の部屋にいるわけではない。麗かな春の日。そういえば「今日は雛祭だったな」と心なごむ思いの耳に、日陰のほうから誰かの釘を打つ音が聞こえてきた。雛祭とは関わりのない生活の音だ。この対比が絶妙である。明と暗というほどに鮮明な対比ではなく、やや焦点をずらすところが、平八句の真骨頂だ。事物や現象をややずらして相対化するとき、そこに浮き上がってくるのは、人が人として生きている様態のやるせなさや、いとおしさだろう。言うならば、たとえばテレビ的表現のように一点に集中しては捉えられない人生の機微を、平八の「やや」がきちんとすくいあげている。先生であった桂信子は「ややの平八」と評していたころもあるそうだが、「しらぎくにひるの疲れのやや見ゆる」など、「やや句」の多い人だったという。「やや」と口ごもり、どうしてもはっきりと物を言うわけにはまいらないというところで、北野平八は天性の詩人だったと思う。多くの人にとっての今日の雛祭も、多くこのようなさりげない情感のなかにあるのだろう。作者は1986年文化の日に肺癌のため死去。享年六十七歳であった。『北野平八句集』(1987)所収。(清水哲男)


May 0851998

 敷居越え豆腐のしづく初つばめ

                           北野平八

は俳句では春の鳥とされているが、私のイメージでは断じて初夏でなければならない。燕をよく見た少年期を過ごした土地の季節感と燕の颯爽とした飛形とが、初夏のイメージとしてからまるからだ。ところで、この句。家人が鍋に豆腐を買ってきて、戸口を開け放したまま、台所に置きに行った。見ると、敷居のところに表から内側へと豆腐の水が黒くこぼれている。こういうことはまま起きるのだが、と、いきなり戸口すれすれに燕の影が、これまた黒くさっとよぎったというのである。初つばめ、まさに「夏は来ぬ」の光景だ。こぼれた豆腐の水とつばめの影。イメージの繰り出し方に、作者ならではの巧みさを感じさせられる。こんな光景を目撃したからには、台所の新鮮な豆腐は、きっと冷奴で食べられたにちがいない。冷奴を食べたくなった。『北野平八句集』(1987)所収。(清水哲男)


July 1671998

 祭まへバス停かげに鉋屑

                           北野平八

スを待つ間、ふと気がつくとあちこちに鉋屑〔かんなくず〕が散らばっている。どこからか、風に吹かれてきたものだろう。一瞬怪訝に思ったが、そういえば町内の祭が近い。たぶん、その準備のために何かをこしらえたときの鉋屑だろう。そう納得して作者は、もう一度鉋屑を眺めるのである。べつに祭を楽しみにしているわけではなく、もうそんな季節になったのかという淡い感慨が浮かんでくる。作者は私たちが日頃つい見落としてしまうような、いわば無用なもの小さなものに着目する名人だった。たとえば、いまの季節では他に「紙屑にかかりしほこり草いきれ」があり、これなども実に巧みな句だと思う。じりじりと蒸し暑い夏の日の雰囲気がよく出ている。北野平八は宝塚市の人で、桂信子門。1986年に他界された。息子さんは詩を書いておられ、いつぞや第一詩集を送っていただいたが、人にも物にも優しい詩風を拝見して、血は争えないものだなと大いに納得したことであった。『北野平八句集』〔1987〕所収。(清水哲男)


June 2061999

 ラムネ玉河へ気づかぬほどの雨

                           北野平八

光地でか、それとも吟行先でか。いずれにしても、大の大人がラムネの壜を手にするのは、日常的な時間のなかでではないだろう。どんよりと曇った蒸し暑い昼下がり。休憩所か食事処かで、ちょっとした茶目っ気に懐しさも手伝って、作者はひさしぶりに飲んでみた。子供の頃の、遠い日の味がよみがえってくる。眼前を悠々と流れる河面を、ラムネ玉を鳴らしながら見るともなしに見ているうちに、ふと細かい雨が降りだしたのに気がついた。よく目をこらさないと「気づかぬほどの雨」である。事実、同行者の誰もがまだ気づいていないようだ。みな、賑やかに笑い合ったりしている。べつに細かい雨などどうということもないのだが、このように人はふと、ひとり意識が交流の場からずれることがある。その淡くはかない哀歓の訪れた束の間の時間を、作者はのがさなかった。北野平八得意の芸である。「ラムネ」という名称の由来は、レモネードからの転訛(てんか)説が有力だ。最近はプラスチック製の瓶が出回っているようだが、あれはやはりガラス壜でないと感じが出ない。『北野平八句集』(1987)所収。(清水哲男)


September 2391999

 靴提げて廊下を通る鶏頭花

                           北野平八

うかすると、古い飲屋での宴会などで、こういう羽目になる。入り口に下駄箱がなく、部屋の近くまで履物を提げていかなければならない。どうしてなのだか、あれは気分もよくないし、靴を提げている自分が哀れに思えてくる。おまけに、靴というものがこんなにも大きく重いものだとはと、束の間ながら、ますます不快になる。トボトボ、トボトボ。そんな感じで廊下を歩いていくと、廊下添いの庭とも言えぬ庭に生えている真っ赤な鶏頭どもに、まるであざ笑われているかのようだ。鶏頭というくらいで、この花は動物めいた姿をしているので、またそれが癪にさわる。誇張して書いたけれど、こうした些事をつかまえて俳句にできる北野平八の才質を、私は以前から羨ましいと思ってきた。それこそ些事を山ほど書いた虚子にも、こういう句はできない。虚子ならば宴席を詠むのだし、平八は宴席に至る廊下を詠むのである。どちらが優れていると言うのではなく、人の目のつけどころには、天性の才質がからむということだ。虚子の世界は虚子にまかせ、平八のそれは平八にまかせておくしかないのだろう。『北野平八句集』(1987)所収。(清水哲男)


June 2062000

 羅や口つけ煙草焔を押して

                           北野平八

(うすもの)は、薄くすけて、いかにも涼しげな夏の着物。多くは、女性が着る。羅の句では、松本たかしの「羅をゆるやかに着て崩れざる」が有名だ。作者は平凡な日常シーンのスケッチを得意としたが、この句もうまいものである。見知らぬ女性に煙草の火を貸している場面。「どうぞ」と自分の吸っている煙草を差し出すと、相手は焔(ほ)を押すようにして火をつける。そのときに羅を着た身体が接近することになるわけで、「口つけ煙草」で押される手先の微妙な感触とともに、不意に異性の淡い肉感が作者を走り抜けたというところだろう。百円ライターという無粋なものが普及する以前には、このような煙草火の貸し借りはごく普通のことだった。駅のホームなどでもよく見られたし、私にも何度も経験がある。煙草好き同士の暗黙の仁義みたいなものがあって、誰も断る人はいなかった。もっとも、あれは道を尋ねるときと同じで、あまり恐そうな人には頼まないのだけど(笑)。百円ライターのせいもあるが、嫌煙権が猛威をふるっている現在では、こうしたやりとりも消えてしまった。句が作られたのは1986年の夏、作者はこの年の十一月に六十七歳で亡くなることになる。桂信子門。『北野平八句集』(1987)所収。(清水哲男)


July 1472000

 蛇搏ちし棒が昨日も今日もある

                           北野平八

に遭遇して、そこらへんに立て掛けてあった棒切れを引っ掴み、夢中で搏(う)った。その棒が、昨日も今日も同じところに立て掛けられている。目にするたびに、蛇を搏った感触がよみがえってきて、嫌な気分がする。捨ててしまえばよいものを、捨てられないわけでもあるのだろう。私も、何度か蛇を搏った経験があるので、この句の生臭さはよくわかる。マムシとハブ以外の蛇は無毒だというが、ニワトリを飼っている農家にとっては天敵だった。こいつに侵入されたが最後、何個でも呑み込まれてしまう。大切な現金収入の道が、その分だけ断たれてしまうのだ。だから、搏った。しかし生活のためとはいえ、殺生は嫌なものだ。いつまでも感触が手に残り、いまでも思い出す。こうやって書いているだけで、背中をつめたいものが走る。掲句は、そういうことを一息で、しかも静かに控えめに書き留めていて、さすがだと思わせる。北野平八は、いつも小さな声で静かに詠み、それでいて深く胸底にひびくようなことを言った。『北野平八句集』(1987)所収。(清水哲男)




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