July 181996
颱風が押すわが列島ミシン踏む
小川双々子
昭和32年の句。わかりますねえ、この情景。そして、ミシンを踏んでいる人の心も。軍国幼児(?)だった頃、母の足踏み式ミシンをずいぶん悪戯したものですが、車がついているくせに前進しないところに苛立ちを覚えていました。なんとなく、百万の敵を迎え撃つ孤立した要塞で必死に耐えている……。そんなイメージが、この句にもあるような気がしてなりません。『小川双々子全句集』所収。(清水哲男)
July 171996
捨て猫の石をかぎ居つ草いきれ
富田木歩
木歩は、大正期の俳人。一歳のときに病いを得て、生涯歩行の自由を失う。学校にも行けなかった。このために関東大震災で落命することになるが、彼の句には、自由に外出ができなかった者の観察眼が光っている。この句も、そのひとつ。彼を励まし支えた新井聲風の『木歩伝』の絶版は残念だ。(清水哲男)
July 161996
流すべき流燈われの胸照らす
寺山修司
作者十代の句。これから水に浮かべようという、その一瞬をとらえていて、非凡な才能を感じさせられる。最初の作品集『われに五月を』(作品社・1957)所収。中城ふみ子の『乳房喪失』などを出した作品社の田中貞夫は、晩年新宿で小さなバーをやっていた。何度か、寺山修司の発見者でもあった中井英夫に連れていってもらったことがある。三人とも、もういない。(清水哲男)
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