季語が蜩の句

August 0281996

 蜩といふ名の裏山をいつも持つ

                           安東次男

崎洋氏によれば、ヒグラシのことを「日暮れ惜しみ」と呼ぶ地方もあるそうだ。命名の妙。若き日、詩集『六月のみどりの夜は』を読んだ。裏山ではいつも蜩(ひぐらし)が鳴いていた。私の中にもあったはずの裏山。今何処。『裏山』所収。(八木幹夫)


August 2381996

 かなかなやまっしろおばけの宿題帳

                           岡田葉子

どもたちの夏休みも、あと十日。今年は九月一日が日曜日なので、一日もうかったと言う子もいるが、「まっしろおばけ」が相手ではどうにもならない。決して上手な句とは思わないけれど、読者に素朴に過去をふりかえらせてしまう力はある。この句は、平成元年の夏に発行された金子兜太編『現代俳句歳時記』(千曲秀版社)で見つけた。出た当時、さして話題にはならなかった歳時記だが、これが面白い。従来の歳時記にはなかった「雑(ぞう)」(すなわち、無季)の部があり、選句についてもこの句のような作品が採られているなど、意欲的だ。ただし、玉石混淆。思わず吹き出したのは、どんな歳時記にも麗々しく出てくる「松茸」の項目が、「茸」一般にすっぱりと格下げされていたところ。そうですよねえ。もはや「松茸」は庶民の食べ物ではなくなっているし、したがって庶民の文学の素材にはなりにくいですものね。(清水哲男)


September 0791996

 蜩や石工を熱き風呂が待つ

                           中里行雄

工という職業人の捉え方がいい。かなかなが鳴く仕事場で働く身に、熱い風呂が待っている。熱い風呂か。ビールがうまいだろうなあ。飯田龍太『現代俳句の面白さ』(新潮選書)より引用。ちなみにこの本は同類の入門歳時記の中では白眉である。(井川博年)


August 2481997

 ひぐらしや静臥の胸に水奏で

                           鷲谷七菜子

臥(せいが)は、静かに横になっている状態。たぶん、このとき作者は病気なのである。夕刻、静かにやすんでいる耳に、遠くからひぐらしの声が聞こえてきた。病身の胸には、それがまるで漣(さざなみ)のようにやさしく響いてくる。熱も下がってきたようだし、明日あたりは起きられそうだ。ひぐらしの声を水の音にひきつけていて、少しも無理がない。『黄炎』所収。(清水哲男)


September 1991998

 かなかなや師弟の道も恋に似る

                           瀧 春一

近ある雑誌で、この句を男の師に対する女弟子の恋、ととらえた解釈を見た。確かに、いわれればそう思っても間違いではない。虚子と久女とかなんとか、すぐそういう方向に話が行く。ところが、違うのですね。この句には後書があり、そこには「水原秋桜子先生を訪問。現在の俳句観を述べ諒解を求む」とあり、その後の自註に「昭和二十二年『馬酔木』離散」とあるのだ。これはなんだ!  春一先生の秋桜子先生への訣別の句だったのだ。師を見限ったということか。それにしても「まぎらわしい」名句である。離別後、晩年になって、春一は『馬酔木』に復帰すべく石田波郷を同伴、秋桜子の元に行く。秋桜子、黙って以前と同じ序列で春一を迎えたという。いい話でしょう……。ところで、まだかなかな(蜩)は鳴いてますか?(井川博年)


August 0982000

 ひぐらしに寡婦むらさきの着物縫ふ

                           藤木清子

分のために縫っているのではないだろう。むらさきの着物は派手だから、「寡婦(かふ)」にはそぐわない。他家から注文のあった仕立物に精を出しているうちに、いつしか「ひぐらし」の鳴く夕暮れとなった。働く「寡婦」と「ひぐらし」の取り合わせが、寂寥感を演出する。そしておそらく、この着物の仕立てを注文したのは、作者自身なのだ。推定の根拠は、掲句の少し後に詠まれた「縁談をことはる畳なめらかに」にある。そしてこれまた推定でしかないが、着物を縫っている人は戦争未亡人だと思う。そこに、掲句のポイントがあるのではなかろうか。藤木清子には戦争を詠んだ句が多数あり、「戦死者の寡婦にあらざるはさびし」「戦争と女はべつでありたくなし」などが目につく。みずから戦争に与する意志が明確で、なんと好戦的な女性かと思われるムキもあるだろうが、当時の一般的な戦争に対する心情を代弁しているだけの内容だと読む。ほとんどスローガンなのだ。以前にも書いたけれど、彼女は戦争期に突然筆を折った後、消息すらわからなくなってしまった。戦後、生きのびた多くの俳人が戦争句を捨てたなかで、捨てようにも捨てられなかった彼女の句は、結果として「残ってしまった」のである。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)


August 1982000

 長時間ゐる山中にかなかなかな

                           山口誓子

に、類句はあると思う。最近何かの句集で見かけたような気もしたが、失念してしまった。なにしろ「かな」と切れ字を連発する虫だもの、俳人が食指をのばさないわけがない。ただし、よほど考えて作らないと、駄洒落に落ちる危険性を伴う。その点、登山を趣味とした誓子の句は、実感に裏打ちされているだけに、よい味が出ている。それというのも、「かなかなかな」の最後の「かな」は切れ字としても働き、一方では鳴き声の続きとしても機能しているからである。この「かな」の二重の言語的な働きが、句の品格を保証し「山中」の情趣を醸し出している。「かなかな」の本名は「蜩(ひぐらし)」だろうが、こちらにも同時に着目したのが江戸期の人・一峰の「秋ふくる命はその日ぐらし哉」だ。いささか語るに落ちそうな句ではあるけれど、悪くはない。最後ではちゃんと「哉(かな)」と鳴かせている。着想した当人は、さぞかし得意満面だったろう。「かなかな」といえば、山村暮鳥の詩集『雲』(1925)に、好きな詩がある。「また蜩のなく頃となつた/かな かな/かな かな/どこかに/いい国があるんだ」(「ある時」全編)。暮鳥は『雲』の校正刷を病床で読み、間もなく永眠した。松井利彦編『山嶽』(1990)所収。(清水哲男)


August 1882001

 ひぐらしや尿意ほのかに目覚めけり

                           正木ゆう子

の「目覚め」の時は、朝なのか夕刻なのか。早朝にも鳴く「ひぐらし(蜩)」だから、ちょっと戸惑う。「尿意ほのかに」からすると、少し遅い昼寝からの目覚めと解するほうが素直かなと思った。つまり、ほのかな尿意で目覚めるほどの浅い眠りというわけだ。そんな眠りから覚めて、覚醒してゆく意識のなかに、まず入ってきたのは「ひぐらし」の声だった。もう、こんな時間。もう、こんな季節。ほのかな寂寥感が、ほのかな尿意のように、身体のなかの遠くのほうから滲むように忍び寄ってくる。寂寥を心理的にではなく、体感的にとらえることで、説得力のある一句となった。人はこのようにして、不意に謂われのない寂しさに囚われることがある。しかもその寂しさは悲しみに通じるのではなく、むしろ心身の充実感につながっていくような……。寂しさもまた、人が生きていくためには欠かせない感情の一つということだろう。作者はそのあたりの機微にとても敏感な人らしく、次のような佳句もある。「双腕はさびしき岬百合を抱く」。この句にも、しっかりとした体感が込められているので、一見大げさかと思える措辞が少しも気にならない。『悠 HARUKA』(1994)所収。(清水哲男)


September 0592001

 かなかなかな香典袋なくなれり

                           清水径子

儀袋とは違い、「香典袋」は不意に緊急に必要になるものだから、買い置きをしておく人は多いだろう。と言っても、大量に求めるのは、たくさんの人の死を待ち望んでいるようで憚られる。せいぜい数袋程度しか買わない。作者の身辺では、連続して不祝儀がつづいたのだ。そしてまた今日も訃報がもたらされ、これから通夜に出かける情景だろう。買い置きの「香典袋」を探すと、もはや一袋しか残っていなかった。紙幣を包み署名したところで、「なくなれり」となった。表では「かなかな」が鳴きしきり、その哀切な調べに和すようにして作者は「かなかなかな」とつぶやき、すらりと句になった。三番目の「かな」を切れ字と読むことも可能だが、私には鳴き声のように思える。連続して死者を見送る人の喪失感が、鳴き声として読むことで滲み出てくる気がするからだ。切れ字と取ると詠嘆の度合いが濃くなり、連続した死者への思いよりも、これから見送りに行く一人の死者への思いのほうが強調されてしまう。となれば、「香典袋」が「なくなれり」という描写が生きてこないわけだ。蜩の聞こえる暮れかけた部屋でしばし端座している心に、一瞬「香典袋なくなれり」という現世的な所帯じみた感覚を走らせた。ここに、生き残った者の茫然たる喪失感がよく表現されている。『哀湖』(1981)所収。(清水哲男)


August 3182002

 かなかなや故郷は風の沙汰なりし

                           細谷てる子

語は「かなかな」で秋、「蜩(ひぐらし)」とも。あの鳴き声には、郷愁や旅愁を誘われる。わけもなく、センチメンタルな気分になる。いま、ここで「かなかな」が鳴いているように、「故郷」でも鳴いていた。この刻にも、同じように鳴いているだろう。その故郷を離れてから、ずいぶんと久しい。疎遠になった。誰かれの消息も、もはや「風の沙汰(便り)」にぼんやりと聞こえてくるくらいだ。そんな思いをめぐらしているうちに、作者には故郷そのものが幻だったようにすら思えてきたのだ。あの土地で生まれ育ったなんて、実際にはなかったことなのではあるまいか。いや、きっとそうなのだろう。と、だんだん「かなかな」の声が高まってくるにつれ、幻性も高まってくる。「風の沙汰なりし」と止めたのは、たとえば「風の沙汰となり」と押さえるのとは違って、故郷それ自体を風の便りの中身みたいにあやふやな存在として掴んでいるからだ。古来「かなかな」の句はたくさん詠まれてきたが、ちょっとした抒情の味付け的役割を担わされている場合が大半であり、その点で掲句は異彩を放っていると印象づけられた。故郷は遠くにありて、ついに幻と化したのである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


August 2882003

 鎌倉の月高まりぬいざさらば

                           阿波野青畝

語は「月」で秋。青畝(せいほ)は生涯関西に住んだ人だから、鎌倉に遊んだときの句だろう。鎌倉には師の虚子がおり、青畝は高弟であった。素十、誓子、秋桜子とともに「ホトトギスの4s」と称揚された時代もある。句はおそらく高齢の虚子との惜別の情やみがたく、別れの前夜に詠まれたものだと思う。折しも盆のような大きな月が鎌倉の空に上ってきて、見上げているうちに去りがたい思いはいよいよ募ってくるのだが、しかしどうしても明日は帰らなければならない。気持ちを取り直して「いざさらば」と言い切った心情が、切なくも美しい。なんだかまるで恋の句のようだけれど、男同士の師弟関係でも、こういう気持ちは起きる。たとえば瀧春一に、ずばり「かなかなや師弟の道も恋に似る」があって、師は秋桜子を指している。なお、掲句を収めた句集は虚子の没後に出されているが、追悼句ではない。以下余談だが、この句を歴史物と読んでも面白い。鎌倉といえば幕府を開いた頼朝が想起され、頼朝といえば義経だ。平家追討に数々の武勲をたてた義経が、勇躍鎌倉に入ろうとして指呼の間とも言える腰越で足止めをくった話は有名である。一月ほど腰越にとどまった義経だったが、頼朝の不信感を拭うにはいたらず、ついに京に引き上げざるを得なかった。この間に大江広元に宛てたとされる書状「義経腰越状」に曰く。「義経犯す無くして咎を蒙る。功有りて誤無しと雖も、御勘気を蒙るの間、空しく紅涙に沈む。(中略)骨肉同胞の儀既に空しきに似たり」。そこで義経になり代わっての一句というわけだが、どう考えても青畝の句柄には合わない。『紅葉の賀』(1962)所収。(清水哲男)


August 2782004

 朝蜩ふつとみな熄む一つ鳴く

                           川崎展宏

語は「蜩(ひぐらし)」で秋。名前通りに夕刻にはよく鳴くが、夜明け時にも鳴くので「朝蜩」。朝方は鳴く数も少ないから、何かの具合で句のように「ふつとみな熄(や)む」ことがあるのだろう。瞬間「おや」と訝った作者の耳に、再び「一つ」が鳴きはじめたと言うのである。いくら哀調を帯びているとはいっても、雨や風の音などと同様に、日常的には蜩の鳴き声に耳そばだてて聞き入る人はいない。よほど激しくない限り、鳴いているのかどうかも定かではないのが普通の状態だ。だが、そうしたいわば自然音が、句のように突然はたと途絶えたときには、途端に人の耳は鋭敏になる。天変地異を感じたというと大袈裟だが、どこかでそれに通じるところのある自然の破調には、同じ自然界に生きるものとして、本能的に身構えてしまうからなのだと思う。したがって掲句は、蜩のある種の生態をよく捉えている以上に、人間本来の生理的な感覚をよく活写定着し得ている。蜩の句というよりも、蜩を詠んで人間を捉えた句とでも言うべきか。再び鳴きはじめた「一つ」を聞いたときにこそ、作者はほっとして傾聴したであろうし、いとおしいような哀感を覚えたことだろう。朝の蜩か……、遠い少年期に聞いたのが最後になってしまっている。『観音』(1982)所収。(清水哲男)


August 1782005

 よく噛んで食べよと母は遠かなかな

                           和田伊久子

語は「かなかな」で秋、「蜩(ひぐらし)」に分類。どういうわけか我が家の近隣では,ここ十数年ほど、まったく鳴いてくれなかった。それがまたどういうわけか、十日ほど前から突然にまた鳴きはじめたのである。数は少なくて,一匹か二匹かと言うほどに淋しいが,とにかく「かなかな」は「かなかな」である。素朴に嬉しい。そして、なんと昨日は朝の起き抜けにも鳴いた。まだ明けきらぬ四時半くらいだったか、一瞬空耳かと疑い,窓を大きく開けてたしかめたら、たった一匹だったけれど、やはり「かなかな」であった。早朝の鳴き声は,田舎にいた少年時代以来だろう。夕刻の声は寂寥を感じさせるが,早暁のそれは清涼感のほうが強くて寂しさはないように思われる。やはり一日のはじまりということから、自然に気持ちが前に向いているためなのだろうか。懐かしく耳を澄ましながら、しばししらじらと明けそめる空を眺めていた。伴うのが寂寥感であれ清涼感であれ,「かなかな」の声は郷愁につながっていく。「子供にも郷愁がある」と言ったのは辻征夫だったが、ましてや掲句の作者のような大人にとっては,「かなかな」に遠い子供時代への郷愁を誘われるのは自然のことだ。遠い「かなかな」,遠い「母」……。もはや子供には戻れぬ身に、母の極めて散文的な「よく噛んで食べよ」の忠告も,いまは泣けとごとくに沁み入ってくるのだ。私たち日本人の抒情する心の一典型を、ここに見る思いがする。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


January 3112007

 己がじし喉ぼとけ見せ寒の水

                           安東次男

月五日から節分までの30日間くらいを「寒の内」と呼ぶ。一年間で最も寒さが厳しい季節である。したがって「寒の水」はしびれるほどに冷たく、どこまでも透徹している水。この句がどういう状況で詠まれたかは定かでないが、男たちが数人だろうか、顎をあげ、殊更に喉ぼとけを見せるようにして澄みきった冷たい水を、乾いた喉にゴクゴクと流しこんでいる。喉ぼとけは、たまたまそこに見えていたのだろうが、作者があえて「見せ」と捉えたところにポイントがある。水を飲む音も聴こえてくるようであり、あたかも己を主張するかのように、おのおのの飲み方をしているふうにも見える。とがった「喉ぼとけ」と透徹した「寒の水」の取り合わせは凛然としていて、寸分の弛みもない。いかにも背筋がピンと張った安東次男の句姿である。実際、ご自身も凛としていながら、やさしさのにじむ人柄だった。平井照敏編『新歳時記・冬』には「寒中の水は水質がよいとして、酒を作り、布をさらし、寒餅を作り、化粧水を作る」とある。水道水はともかく、寒中に掬って飲む井戸水のおいしさは格別である。安東次男の句集は、名句「蜩といふ名の裏山をいつも持つ」を収めた『裏山』の他『昨』『花筧』『花筧後』などがある。労作『芭蕉七部集評釈』について、「全部、食卓の上でやった仕事だよ」といつか平然と述懐しておられた。喉ぼとけの句というと、どうしても日野草城の「春の灯や女は持たぬのどぼとけ」という句を想起せずにはいられない。句の情景は対蹠的であり、次男句には男性的色気さえ感じられるし、草城句からは女性のエロチシズムが匂い立ってくるように感じられてならない。『花筧』(1992)所収。(八木忠栄)


August 1882007

 かなかなに水面のごとき空のあり

                           山下しげ人

なかな、蜩、日暮し。蝉は夏季だが、蜩は法師蝉と並んで秋季。先日、立秋間近の六甲山で吟行句会があり、この句は八月四日の第一句会での一句である。六甲山は初めてだったが、さすがに涼しく、朝な夕な、熊蝉に混ざってかなかなが鳴き続けていた。かつて住んでいた箱根に近い町では、暮れつつある山から、かなかなの声が夕風に乗って流れてきたものだったが、現在の東京での日常生活では、めぐり合うことはほとんどない。そんな、油蝉とにいにい蝉に時々みんみんが混ざる下界の蝉の声に慣れた耳に、高原の蝉の声は、鮮やかに透きとおって響いた。かなかなの調べは、もとよりどこか郷愁を誘うものだが、ずっと聞いていると、まるで森を濡らしているように思えてくる。この句の、かなかなに、という表現には、かなかなの声もまた水の流れのようである、という心持ちがこめられているのかもしれない。かなかなの声に誘われるように見上げる空には、秋の気配が流れていた。(今井肖子)


August 2182007

 かなかなのかなをかなしく鳴きをはる

                           加藤洋子

泉八雲は『蝉(シカダ)』のなかで、「ヒグラシ或はカナカナ」として「日を暗くす、といふ意味の名を有つた此蝉は(中略)いかにも上等な呼鈴を極早く振る音に酷似して居る」と記す。夏の暑さを増幅させるようなアブラゼミやミンミンゼミたちの一斉合唱にひきかえ、カナカナは一匹ずつがバトンを渡すように交替で鳴き、真昼の蝉の声とはまったく異なる印象を持つ。それは徐々にかき消されていくような、輪唱のおしまいの心細さを感じさせ、夏の終わりをセンチメンタルに演出する。俳句では感情を直接表現せず、モノに語らせることが大切といわれるが、掲句の「かなしく」は感情であると同時に、「カナカナ」の「カナ」は「かなしみ」の「かな」でもあるという作者の発見を、つつましく提示したものでもある。また、句中に響く4つの「かな」の間が、だんだんと消え入るようなバランスで配置されている音の美しさも絶妙である。百人一首の「これやこの行くも帰るも別れてはしるもしらぬもあふ坂の関」で知られる蝉丸は多くの伝承を持つ人物だが、方丈記では「蝉歌の翁」として紹介されている。「蝉歌」がいかなるものか、現在ではまったく残っていないといわれるが、きっとカナカナの声を思わせる哀しみを伴った美しい楽曲だったことだろう。『白魚』(2006)所収。(土肥あき子)


August 2682008

 八月のからだを深く折りにけり

                           武井清子

を二つに折り、頭を深く下げる身振りは、邪馬台国について書かれた『魏志倭人伝』のなかに既に記されているという長い歴史を持つ所作である。武器を持っていないことを証明することから生まれた西洋の握手には、触れ合うことによる親睦が色濃くあらわれるが、首を差し出すというお辞儀には一歩離れた距離があり、そこに相手への敬意や配慮などが込められているのだろう。掲句では「深く」のひとことが、単なる挨拶から切り離され、そのかたちが祈りにも見え、痛みに耐える姿にも見え、切なく心に迫る。引き続く残暑とともに息づく八月が他の月と大きく異なる点は、なんとしても敗戦した日が重なることにあるだろう。さらにはお盆なども引き連れ、生者と死者をたぐり寄せるように集めてくる。掲句はそれらをじゅうぶんに意識し、咀嚼し、尊び、八月が象徴するあらゆるものに繊細に反応する。〈かなかなや草のおほへる忘れ水〉〈こんなふうに咲きたいのだらうか菊よ〉〈兎抱く心にかたちあるごとく〉『風の忘るる』(2008)所収。(土肥あき子)


October 01102009

 名月やうっかり情死したりする

                           中山美樹

年の中秋の名月はこの土曜日。東京のあちこちでお月見の会が催されるようである。仲秋の名月ならずとも、秋の月は水のように澄み切った夜空にこうこうと明るく、月を秋とした昔の人の心がしのばれる。今頃でも「情死」という言葉は生きているのだろうか。許されぬ恋、禁断の恋、成就できない恋は周囲の反対や世間という壁があってこその修羅。簡単に出会いや別れを繰り返す昨今の風潮にはちと不似合いな言葉に思える。それを逆手にとっての掲句の「うっかり」で、「情死」という重さが苦いおかしみを含んだ言葉に転化されている。ふたりで名月を見つめるうちに何となく気持ちがなだれこんで「死のうか」とうなずき合ってしまったのだろうか。霜田あゆ美の絵に素敵に彩られた句集は絵本のような明るさだけど、そこに盛り込まれた恋句はせつなく、淋しい味わいがある。「こいびとはすねてひかりになっている」「かなかなかな別れるときにくれるガム」『LOVERS』(2009)所収。(三宅やよい)


December 15122009

 燃やすもの無くなつて来し焚火かな

                           森加名恵

う都会では楽しむことも叶わなくなった焚火だが、わたしの幼い頃は庭で不要品を燃やすことも年末行事のひとつだった。子供はおねしょをするからと、じっと焚火を見つめているだけだったが、青々と澄む冬空へ溶けていくような煙や、思い思いの方向に舞う火の粉など、かつての体験は感触や匂いを伴ってよみがえってくる。掲句もおそらく不要品や落葉などを燃やすための焚火だったのだろうが、そろそろおしまいというところで、なんとなく物足りない気持ちが頭をもたげているのだろう。本来なら掃除といえば、完了というのは喜ばしい限りなのだが、ここには火が消えてしまうというさみしさが生まれている。獣たちが怖れる炎を、いつしか利用するようになり、人間は文明を持ち得たのだという。焚火という火そのものの形を目にしたことで、何千本もの手から手へ伝えられてきた人間と火の関係を作者は見つめ、名残惜しんでいるのだろう。〈かなかなと我が名呼びつつ暮れにけり〉〈ふる里は母居るところ日向ぼこ〉『家族』(2009)所収。(土肥あき子)


August 1782010

 秋立つや耳三角に立ててみる

                           神戸周子

だまだ厳しい残暑ではあるが、流れる雲や木陰の風に秋の気配がしっかり感じられるようになった。顔のなかで三角にするものといえば、目だとばかり思っていたが、掲句は耳を立てるという。慣用句の「目を三角にする」とは激怒する様相のことだが、耳となると同じ三角でも少し様子が違う。どちらにしても実際に変貌するわけではなく、「そんな風であることよ」とイメージさせるものだから、ここはひとつ自由に想像させてもらう。三角に立てた耳とは、頭の上に付く動物の耳を想像し、犬や猫やウサギが、人間には聞こえない物音にじっと耳を傾けている姿が浮かぶ。とすると、動物のようにじっと耳を澄ますことが「耳を三角に立てる」であると判断する。こうして、まだ目に見えぬ秋の声に、じっと耳を傾け、目を凝らし、季節の移ろいに身をゆだねている作者が見えてくる。三角の耳は、秋の風をとらえ、小鳥たちの会話を楽しみ、行ってしまった夏の足音を聞き取っていくことだろう。〈夕ひぐらし髪を梳かれてゐるやうな〉〈盗みたきものに笑くぼとゆすらうめ〉『展翅』(2010)所収。(土肥あき子)


September 1192010

 夕ひぐらし髪を梳かれてゐるやうな

                           神戸周子

年、蜩のかなかなかな、を耳にしたのは旅先で一度だけ。東京近郊に住む友人からのメールには盛夏の頃から「毎日蜩を聞きながら一日が終わります」と書かれていて、なつかしく羨ましく「遊びに行きます」と返信したがかなわなかった。早朝鳴いていることもある蜩だが、この句の蜩は夕暮れ時の遠ひぐらし。じっと聞いている作者を、夕ひぐらしが濡らしてゆく。降るような包むような蜩との透明な時間。梳く、というにふさわしいほど髪を伸ばしたことはないけれど、身をゆだねているその心地が静かに伝わってきて、目を閉じてひぐらしとの時間をそっと共有している。『展翅』(2010)所収。(今井肖子)




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