j句

August 0281996

 蜩といふ名の裏山をいつも持つ

                           安東次男

崎洋氏によれば、ヒグラシのことを「日暮れ惜しみ」と呼ぶ地方もあるそうだ。命名の妙。若き日、詩集『六月のみどりの夜は』を読んだ。裏山ではいつも蜩(ひぐらし)が鳴いていた。私の中にもあったはずの裏山。今何処。『裏山』所収。(八木幹夫)


April 2941998

 やまざくら一樹を涛とする入江

                           安東次男

っそりとした入江に、一本の山桜の姿が写っている。あまりにも静かな水面なので、涛(なみ)がないようにも見えるのだが、山桜の影の揺れている様子から、やはり小さな涛があると知れるのである。いかにもこの人らしい、いわば完璧な名調子。文句のつけようもないほどに美しい句だ。すでにして古典の趣きすら感じられる。「俳諧」というよりも「俳芸」の冴えというべきか。そこへいくと同じ山桜でも、阿波野青畝に「山又山山桜又山桜」というにぎやかな句があり、こちらはもう「俳諧」のノリというしかない世界である。次男の静謐を取るか、青畝の饒舌を取るか。好みの問題ではあろうけれど、なかなかの難題だ。ここはひとつ、くだんの山桜自身に解いてもらいたいものである。『花筧』(1991)所収。(清水哲男)


April 1242002

 葉ざくらの口さみしさを酒の粕

                           安東次男

語は「葉ざくら(葉桜)」。通常では夏に分類されるが、今年は花が早かったので、いまごろの句としても違和感はない。艶を帯びた葉が美しい。句は「葉ざくらの」で切れている。この「の」がポイントで、強いて単純に言えば「の」の後に「季節」だとか「頃の気分」だとかという言葉が省略されているわけだ。が、それだけにとどまらず、同時に句全体にもかかっていると読める。「葉ざくらや」と、一度完全に切り離しても句にはなるけれど、「の」とぼかしたほうが情趣が伸びる。葉桜とは何の関係もない「口さみしさ」の淡い食欲と「酒の粕(かす)」のほのかな酒精にも、それとなくマッチしてくる。それにしても、口さみしさを癒すのに酒粕とは粋だなあ。ちょっと火に焙ってから、ちょっと千切って口にしている。私だったらせいぜいが飴玉どまりだから、とても句にはなりそうもない。たとえ家に酒粕があったとしても、こういうときに食べようとは思いも及ばないだろう。句が作者の実際を詠んだかどうかは二の次なのであって、この取りあわせと先の「の」とが微妙に照応しあい、いまだ春愁を引きずっているような初夏の気分が鮮やかに出た。ご存知の読者も多いと思うが、作者はつい先ごろ(4月9日)他界された。享年八十二。合掌。『流』(1996・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)


June 2062002

 夏掛やつかひつくさぬ運の上

                           安東次男

語は「夏掛(なつがけ)」、涼しげに仕立てられた夏蒲団。軽くて見た目には涼しそうでも、暑い夜にきちんと蒲団を掛けて寝るのはやはり寝苦しい。子供の頃に「いくら暑くても、お腹だけは冷やさないように」と躾けられ、いまだに習慣となってはいるが、ときとして掛けたくなくなる。そんなときに、この句は呪文かまじないのように使える。掛けないと、まだ使い切っていない「運」が逃げていってしまうとなれば、腹をこわすよりもよほど大問題だ。そこでいくら暑くても、「ナツガケヤツカヒツクサヌウンノウエ」と唱えながら掛けると、なんとなく納得したような気分になれる。俳句が、実生活に役立つとは露知らなかった。とまあ、半分は冗談だけれど、作者にしても自己納得の方便として「つかひつくさぬ運」を持ちだしているのは明白だ。もしかすると、作者ゆかりの地には、こんな迷信が言い伝えられているのかもしれない。そもそも「つかひつくさぬ運」という考え方自体が、迷信に通じているからだ。そして、言い伝えられているとしたら、やはり子供の躾のためだろう。それを、作者は大人になっても守りつづけていたと思うと微笑を誘われる。大の大人になっても、誰にでもこうした一面はあるものだと、むろん作者は意識的に書いている。『流』(1996・ふらんす堂)所収。(清水哲男)


June 2162004

 どしゃぶりと紛れぬていに滴れり

                           安東次男

語は「滴り」で夏。崖や岩、苔などを伝わってしたたり落ちる水滴のこと。雨によるものではなく、地表から滲み出た水のしたたりだ。夏場には、いかにも涼しげである。実景句と読めば、作者は山中の人だ。折悪しく雨降りとなり、それもどしゃぶりになってきた。そこで、しばし岩陰か、あるいは四阿(あずまや)のようなところに避難している。いずれにしても、大きな岩肌の見える場所だ。車軸を流すような雨のなかで、岩肌も水を走らせているのだが、よくよく見ると、そこには雨水の流れとははっきり違う滴りも混じっている。岩陰の苔が、常と変わらぬゆっくりとしたテンポで水滴を落しているのかもしれない。すなわち「どしゃぶりと紛れぬてい」で、滴りがいわば自己を主張している図である。観察力の繊細さが光る句と言えるだろう。が、一方で想像句として読んでも面白い。作者はたとえば書斎などの室内にいて、外は猛烈な雨である。ふと、かつて訪れて印象深かった山中での滴りの光景を思い出した。こんな雨があの山に降っているとしても、あれらの滴りは「紛れぬてい」で悠然と自己のペースを守りつづけているにちがいない。あくまでも凛とした山中の気配が、眼前に蘇ってくるのである。ところで「どしゃぶり」といえば、英語では「It rains cats and dogs.」と言うのだと、昔の教室で習った。愉快な表現だなとすぐに覚えてしまったのだけれど、しかし今日に至るまで、一度もこれを使った生きた英文にお目にかかったことがない。どうやら相当に古くさい言い方らしいのだが、使われた実例をご存知の方がおられたら、コンテクストも合わせて、ぜひともご教示いただきたい。『流』(1996・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)


January 3112007

 己がじし喉ぼとけ見せ寒の水

                           安東次男

月五日から節分までの30日間くらいを「寒の内」と呼ぶ。一年間で最も寒さが厳しい季節である。したがって「寒の水」はしびれるほどに冷たく、どこまでも透徹している水。この句がどういう状況で詠まれたかは定かでないが、男たちが数人だろうか、顎をあげ、殊更に喉ぼとけを見せるようにして澄みきった冷たい水を、乾いた喉にゴクゴクと流しこんでいる。喉ぼとけは、たまたまそこに見えていたのだろうが、作者があえて「見せ」と捉えたところにポイントがある。水を飲む音も聴こえてくるようであり、あたかも己を主張するかのように、おのおのの飲み方をしているふうにも見える。とがった「喉ぼとけ」と透徹した「寒の水」の取り合わせは凛然としていて、寸分の弛みもない。いかにも背筋がピンと張った安東次男の句姿である。実際、ご自身も凛としていながら、やさしさのにじむ人柄だった。平井照敏編『新歳時記・冬』には「寒中の水は水質がよいとして、酒を作り、布をさらし、寒餅を作り、化粧水を作る」とある。水道水はともかく、寒中に掬って飲む井戸水のおいしさは格別である。安東次男の句集は、名句「蜩といふ名の裏山をいつも持つ」を収めた『裏山』の他『昨』『花筧』『花筧後』などがある。労作『芭蕉七部集評釈』について、「全部、食卓の上でやった仕事だよ」といつか平然と述懐しておられた。喉ぼとけの句というと、どうしても日野草城の「春の灯や女は持たぬのどぼとけ」という句を想起せずにはいられない。句の情景は対蹠的であり、次男句には男性的色気さえ感じられるし、草城句からは女性のエロチシズムが匂い立ってくるように感じられてならない。『花筧』(1992)所収。(八木忠栄)


April 1342011

 うばぐるま突きはなしたる花吹雪

                           安東次男

東次男はいつも背筋をピンと伸ばして、凛乎とした詩人だった。彼の作品や言動もまたそのような精神に貫かれていた。掲句は、そうした詩精神によって生まれた一句だと言える。「うばぐるま」と「花吹雪」という二物の狭間に打ち込まれた「突きはなしたる」という勁い表現によって、いやが上にも緊張感は増したと言える。赤児が乗せられているうばぐるまは、通常は母親が押しているはずだが、何かの事情で母親がそれを突きはなしてしまったのか、母親がしっかり押しているうばぐるまを、すさまじい花吹雪が突きはなしてしまったのか。――実景であるにせよ、心的現象であるにせよ、ハッとさせる勢いがある。上五、中七、下五、それぞれが押し合うようにして、張りつめた緊張感をくっきり放っている一句である。何ごとかを思いつめた若い母親像が、厳しく立ち上がってくるようである。今さら引用するまでもないだろう、橋本多佳子の「乳母車」の句もそうだが、「乳母車」というものは、俳句に不思議なパワーをもたらすように思われる。映画「戦艦ポチョムキン」のオデッサの階段で、下降する乳母車の有名なシーンを思い出す。既刊の『安東次男全詩全句集』に未収録の俳句と詩を中心に、中村稔が編纂した『流火草堂遺珠』(2009)に収められた。他に「ふるさとの氷柱太しやまたいつ見む」も。(八木忠栄)


December 07122012

 ふるさとの氷柱太しやまたいつ見む

                           安東次男

の号の楸邨選の巻頭句。居住地の欄に「軍艦〇〇」と伏字のある記載。三席の青池秀二は「〇〇部隊」となっている。機密事項だったのだ。次男は現在の岡山県津山市生れ。鳥取県との県境にある城下町である。山に囲まれた盆地で近くにはスキー場なども多く寒気は厳しい。海軍兵役を務めた次男は艦上でふるさとの氷柱に思いを馳せている。ミッドウエーで空母の大半を失った日本海軍はオーストラリアの北方にあるカダルカナル島を次の攻勢拠点として占領、飛行場を建設して制空権の確保を目指したが惨敗。その周辺のソロモン海の海戦でも敗走を繰り返した。そんな時期の軍艦〇〇上の感慨である。「寒雷・昭和十八年三月号」(1943)所載。(今井 聖)


January 2812015

 ふるさとの氷柱太しやまたいつか見む

                           安東次男

東次男(俳号:流火草堂)は山に囲まれた津山の出身。冬場は積雪もかなりあり、寒冷の地である。近年の温暖化で、全国的に雪は昔ほど多くは降らない傾向にあるし(今冬は例外かも知れないけれど)、太い氷柱は一般に、あまりピンとこなくなった。雪国に育った私には、屋根からぶっとい氷柱が軒下に積もった雪まで届くほどに、まるで小さな凍滝のごとき観を呈して連なっていたことが、記憶から消えることはない。それを手でつかんで揺すると、ドサッと落ちて積雪に突き刺さるのをおもしろがって遊んだ。手を切ってしまうこともあった。時代とともに氷柱もスリムになってきたかも知れない。「氷柱太し」という表現で雪が多く、寒さが厳しいことが理解できる。「またいつか見む」だから、帰省した際に見た氷柱の句であろう。初期の作のせいか、次男にしては素直でわかりやすく詠まれている。『安東次男全詩全句集』に未収録の俳句391句、詩7編が収められた『流火草堂遺殊』(中村稔編/2009)に掲出句は収められている。同書には「寒雷」「風」などに投句された作も収められ、処女作「鶏頭の濡れくづれたり暗き海」も収録されるなど、注目される一冊。(八木忠栄)




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