s句

August 1081996

 夏終る見知らぬノッポ町歩き

                           阿部完市

の終りのシーンとした田舎町に現れた見知らぬ「ノッポ」。何か不思議な笑いを浮かべて、この男はいったい何をしているのだろう。「ノッポとチビ」は、清水哲男が京都での学生時代に創刊同人だった詩誌の名前。もちろん、この句とは関係ありません。(井川博年)


August 2581997

 夕焼けビルわれらの智恵のさみしさよ

                           阿部完市

近な情景に引きつけて読めば、たとえば会議の果ての寸感である。いたずらに時間ばかりかかって、結局は何もよいアイデアが出なかった会議。徒労感のなかで書類などを片づけながら、ふと窓外に目をやると、もう夕焼けの時である。近所のビルの窓が夕日を反射している。疲れた目にそれはまぶしく、空費した時間を後悔の念とともに虚しく噛みしめるのだ。あるいはそんなお膳立てなどとは関係なく、単に作者は帰宅途中で、夕焼けたビル街を歩いているだけのことかもしれない……。いずれにしても、われら人間の「智恵」には卑小でさみしいところがある。悪あがきがつきものだからである。『無帽』所収。(清水哲男)


September 2491997

 馬が川に出会うところに役場あり

                           阿部完市

市の句に、意味を求めても無駄である。彼は人が言葉を発する瞬間に着目し、その瞬間の混沌の面白さを書きとめる。無意味といえばそれまでだが、人は意味のみにて生きるにあらず。人と話すにせよ文章を書くにせよ、最初に脳裡に浮かぶ言葉には意味はない。私たちはそのような言葉の混沌を意味的に整理しながら、やおら言葉を吐き出しにかかるのである。したがって、如何に結果的に理路整然とした文脈に感じられようとも、その源をたどればすべてが初発の混沌に行き着くのだ。この句を時系列的に読めば、作者はまず馬のイメージをを拾い上げ、その馬の動きを追っていくと川に出会い、そこに役場が出現する。そういうことだが、作者の混沌のなかでは、馬も川も役場もが同時的に一挙に出現したものなのである。だから不思議な抒情性があり、面白い味が出てきている。そして、私たちがそう感じ取れるのは、この不思議の源が、実は既に読者自身の言語的混沌のなかに内包されているものだからだと思う。『軽のやまめ』所収。(清水哲男)


January 1911999

 白菜やところどころに人の恩

                           阿部完市

んだろうね、これは。どういう意味なのか。阿部完市の句には、いつもそんな疑問がつきまとう。でも、疑問があるからといって、答えが用意されているような句だとも思えない。そういうことは、読み下しているうちにすぐにわかる。そのあたりが、好きな人にはこたえられない阿部句の魅力となっている。この白菜にしたところで、どんな状態の白菜なのか。作者は何も説明しようとはしていない。要するに、単なる「白菜」なのだ。「人の恩」についても同断である。そこで妙なことを言うが、この句の面白さは「ねえねえ、白菜ってさァ、見てるとさァ、だんだんこんな感じになってくるじゃんよぉ……」という女子高生みたいな口調の感想に集約するしかない、そんなところにあるのだと思う。白菜か白菜畑か、見ているうちに作者はふと「人の恩」というものに、たしかに白菜に触発された格好で思い当たったのだ。その確かさを、直裁に読者に伝えようとしている。同じ冬の野菜でも、対象が大根や人参であったとしたら、たぶん「人の恩」には行きつかなかっただろう。……などなどと、読者に数々の素朴な疑問を生じさせておいては、結果的には句のようであるとしか思わせない説得力が、一貫して阿部句の方法の中核にはある。『阿部完市全句集』(1984)所収。(清水哲男)


March 1131999

 雲雀とほし木の墓の泰司はひとり

                           阿部完市

解派の雄といわれる阿部完市の、これは比較的わかりやすい句だ。空高く朗らかに囀る雲雀(ひばり)の声を聞きながら、作者は粗末な木の墓で眠っている泰司のことを思っている。死者を尊ぶ常識からすると、泰司は雲雀とともに天にあらねばならないのだが、作者にはどうしてもそのようには思えず、泰司はやはり生きていた時と同じに地上の人でありつづけている。「泰司よ」と語りかけるような作者の優しさが胸にしみる。「泰司」が誰であるかは、作者以外には知りえない。まぎれもない固有名詞ではあるのだが、読者にはわからないのだ。しかしながら、この「泰司」は、三好達治の有名な雪の詩に出てくる「太郎」や「次郎」とは違う。同じ固有名詞でも、詩人の「太郎」や「次郎」は役所などの書類のサンプルに出てくるようなそれであり、たとえば「泰司」との入れ替えが可能な名前として使われている。ところが、俳人の「泰司」はそうではない。入れ替えは不可能なのだ。作者しか知らない人物ではあるが、この入れ替えの不可能性において、作者の限りない優しさを読者が感じられるという設計になっている。天には「雲雀」、地に「泰司」。春はいよいよ甘美でもあり、物悲しくもある。『無帽』(1956)所収。(清水哲男)


July 2871999

 草のなかでわれら放送している夏

                           阿部完市

送マンのはしくれとして、目についた以上は、取り上げないわけにはいかない句だ。キーワードはもとより「放送」であるが、さて、どんな意味で使用されているのか。草っ原にマイクロフォンがあるわけもなし、通常の意味での「放送」ではないだろう。普通の意味から少し飛躍して、放電現象のようなことを指しているような気がする。すなわち、暑い夏の野原にある「われら」が、それぞれにそれぞれの思いを、無言のうちに身体から放電しているといった状態だ。主語を「われら」と束ねたのは、それぞれの思いが、お互いに語らずとも、作者には同じ方向に向いていることがわかっているからだ。が、カミュの『異邦人』ではないけれど、焼けつくような太陽のせいで、ここでの「われら」は、もしかすると幻かもしない。周囲には、誰もいないのだ。となれば、いわば「放電」と「放心」の境界で成立しているような句であるのかもしれぬ。ともあれ、暑さを暑さのままに、その最中(さなか)のぼおっとした感覚を半具象的に捉えた句として、記憶しておきたい。『にもつは絵馬』(1974)所収。(清水哲男)


September 1691999

 鹿になる考えることのなくなる

                           阿部完市

鹿は、秋の季語ということになっている。鹿の振る舞いが、この季節にいちばん派手になるからだろう。間もなく交尾期がはじまると、雄はみなヒョヒョヒューヒューと鳴き(平井照敏『新歳時記』)、他の雄と角突き合わせての雌の争奪戦を展開する。春先の猫の恋もさることながら、なにせ鹿は図体も声も大きいので、昔から大いに気になる存在だったようだ。『万葉集』に「夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜(こよい)は鳴かずいねにけらしも」(岡本天皇)があり、ヒト(?)の色事などほっとけばよいのに、上品な人までがやはり気にしている。そんな鹿になったならば、考えることもなくなるなと作者は言う。いや、そのような日常的な仮定を越えて、作者はここで本当に鹿になってしまっているとも読める。鹿そのものに成りきって、自然に考えることのなくなった自分をレポートしていると読むほうが、正確かもしれない。「考えることの」の「の」が、ひとりでに無理なく思考を停止したプロセスを示しているとも読めるからだ。いずれにしても、変に面白い句だ。そしてたしかに、鹿は考え深そうな動物ではない。「子鹿のバンビ」がもうひとつ受けなかったのは、ときどき小首をかしげたりして、そのあたりが鹿の生態とはずれ過ぎていたせいだろう。『阿部完市句集』(1994)所収。(清水哲男)


December 21121999

 山ごーごー不安な龍がうしろに居り

                           阿部完市

季ではあるが、「山ごーごー」は荒れる冬山に通じる。しかも「不安な龍」とくれば、ちょうど1999年の年末期にも通じる。二十年以上も前に作られた句だから、もちろん2000年問題が意識されていたわけではない。が、なんだか今日の事態を予言したような句に見えてきてしまう。その意味でも、怖い作品だ。明けて2000年。何が起きるのか、何も起こらないのか。誰にも予測はつきかねるが、一つ言えることは、この「不安」の種は人がみずから蒔いたものであるということだ。この事実だけは動かない。したがって「山」も「龍」も、その責を負うわけにはまいらない。「自己疎外」という懐しい哲学用語が、極めて具体的によみがえってきた世紀末。単なる数字の行列を横切るだけで、過去これほどまでに社会的な不安が際立ったことはない。人間もたいしたことはないなと、いまごろは「山」も「龍」もがあざ笑っていることだろう。関連で、同じ作者の句をもう一つ。「いま憂季とや雪雲と何十の歌謡」。こちらは大晦日恒例の番組「紅白歌合戦」に通じていると読める。2000年まで、あと11日。『春日朝歌』(1978)所収。(清水哲男)


February 1822000

 すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる

                           阿部完市

明な孤独感の表出。……と書いてみると、これでよいような、どこか間違っているような。「そこ」は「底」でもあり「其処」でもあるだろう。このとき、太鼓はどんな太鼓なのだろうか。私は、玩具の楽隊が叩くような小さくて赤い太鼓を想像している。大の男がそれを規律正しい足取りで叩きながら通る姿は、かぎりなく狂気に近い正気な行為に見えて、自分の心にも「こういうところがあるな」と納得できる。誰でもが、主にその幼児性において、狂気すれすれの生を生きているのだと思うし、ある日突然、それはかくのごときイメージとなって脳裏に明滅したりする。この句のよさは、妙に文学的に身をやつしていないところであり、加えて暗さが微塵もない点にあるだろう。まさに、単純にして素朴に「すきとおる」のみの世界。この力強さは、一行詩と言えなくもない表現様式に、なお俳句であることを主張している。俳句の修練を通過していない表現者には、このような「ポエジー」は書けないのだ。一読、不思議な世界には違いないが、何度か反芻しているうちに、いつしか我が身になじんでくるという不思議。俳句の力。『にもつは絵馬』(1974)所収。(清水哲男)


August 2982000

 とんぼ連れて味方あつまる山の国

                           阿部完市

味方に分かれての遊び。学校から戻ってくると、飽きもせずに毎日繰り返す。だが、子供にも事情というものはあるから、互いのメンバーがいっせいに揃うということはない。適当な人数が集まったところで、試合開始だ。敵味方は、いつも通りの組み合わせ。片方が少ないからといって、相手から戦力を借りるようなことはしない。それでは、気持ちが「戦い」にならない。非力劣勢はわかっていても、堂々と戦うのだ。男の子の侠気である。多勢に無勢、苦戦していると、遠くの方から一人、また一人と「味方」が駆けてきた。集まってきた。このときの嬉しさったら、ない。そんなに上手な子ではなくても、百万の「味方」を得たような気分になる。周辺に飛んでいる「とんぼ」までをも、その子が「味方」に連れてきたように感じたということ。「山の国」の日暮れは早い。さあ、ドンマイ、ドンマイ、挽回だ。私が子供だったころの子供の事情の多くは、宿題や勉強にはなかった。仕事だった。子守りや炊事に洗濯、水汲みに風呂わかし、家畜の世話など、農家の子供は仕事を終えてからでないと遊べなかった。農家に限らず、日本中で子供が働いていた時代が確かにあった。掲句は、そうした時代背景を知らないと、よく理解できないかもしれない。『絵本の空』所収。(清水哲男)


February 0122009

 一月二月丸暗記しています

                           阿部完市

いもので2009年も1月がすでに終わってしまい、あたりまえのことながら、切れ目もなしに2月がやってきました。ちょうどそんな時期に、1月2月が並んだこのような句に出会いました。とはいうものの、この句は決してあたりまえに出来上がっているわけではありません。いったい、「丸暗記」が1月2月とどう繋がっているのでしょうか。受験期の最後の追い込み勉強としての丸暗記がここに置かれていると、考えられないわけではありません。しかし、そのような詮索はなんの意味もないようです。特に、「しています」という言い方が、なんともとぼけた味を醸しています。この句が目に留まったのは、生真面目に書かれた多くの句の中にあって、身をずらすような書かれ方をしていたからなのです。句の内容よりも、創作の姿勢そのものが作品の魅力になっているという点では、作者の特異な才能を認めざるをえません。型を熟知しているものにしか、型を破ることは出来ないからです。思い出せば昨年の暮れ、明治大学の講堂で行われた世界の詩人が集まった朗読会で、この作者の朗読をじかに聴いたのでした。読まれてゆく句はどれも、意味の関節を次々にはずしてゆくような内容でした。朗読とは、もっともかけ離れた位置にある作品を、滔々と読み続ける姿に、ひたすら感心して聴いていたのでした。「俳句」(2009年1月号)所載。(松下育男)




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