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August 1281996

 炎天の老婆に無事を祝福され

                           瀧 春一

の暑いのに、よくまあご無事でここまでおいでなすってのう、と農道で顔見知りの老婆に声を掛けられる。やれやれ、この暑さでは外出も命懸け。いや待て、これはひょっとすると戦後の夏の復員兵の話ではなかったか。まもなく八月十五日。(井川博年)


September 1191996

 裏窓の裸醜し又美し

                           瀧 春一

のような句を読むと、季節に関わらず(もう秋だ)力を込めて紹介したくなる。路地裏の長屋の窓から見える老人の裸。パンツ一枚の姿のなんと醜く美しくあることか。ここに人の世の営みがあるのである。作者は秋桜子門。『花石榴』で蛇笏賞受賞。(井川博年)


August 1181997

 ナイター観る吾が身もいつか負けがこむ

                           瀧 春一

季の巨人ファンみたいだ(苦笑)。まあ、そんなことはどうでもよろしいが、最近はあまり「ナイター」という和製英語は使わなくなった。誰が発明した言葉なのだろうか。けったいな発想である。しかし、諸種の歳時記が夏の季語として採用しているのだから、発明者にその甲斐はあったというべきだろう。はじめてナイターを観たのは、かれこれ三十年前の後楽園球場。巨人大洋(現・横浜)戦の外野席だった。試合そのものよりも、光の洪水に目を奪われた。当時の新潮社版『俳諧歳時記』から、ナイターの説明を引いておく。これが、なかなか面白い。「夜間行われる野球試合。百万燭光の照明に照らされた球場は、外野の青い芝生としっとりと露気を帯びた内野グランドとの配合が美しく、涼しい夜風に吹かれながら、観客は開襟シャツや浴衣がけの軽装で夜の試合を見て楽しむ。五月から九月末まで行われる。主としてプロ野球であるが、近頃はノンプロでもナイターを行う」。(清水哲男)


September 2191997

 本郷に残る下宿屋白粉花

                           瀧 春一

粉花(おしろいばな)は、どこにでも自生している。名前を知らない人には、ごく小さな朝顔をギューッと漏斗状に引っ張ったような花と説明すれば、たいていはわかってもらえる。花は、白、赤、黄色と色とりどりだ。夕方近くに花が咲くので、英語では「Four O'clock(四時)」という。我が家の近所の公園にある花も、取材(!)したところ、ちゃんと四時には咲きはじめた。昼間は咲かないので、いつもしょんぼりとした印象を受ける人が多いだろう。そのあたりの雰囲気が、昔ながらの古めかしい下宿屋のイメージにぴったりとマッチする。細見綾子に同じ本郷を舞台にした「本郷の老教師おしろい花暗らし」があって、こちらは咲いているらしいが、やはり陰気なイメージである。(清水哲男)


September 1991998

 かなかなや師弟の道も恋に似る

                           瀧 春一

近ある雑誌で、この句を男の師に対する女弟子の恋、ととらえた解釈を見た。確かに、いわれればそう思っても間違いではない。虚子と久女とかなんとか、すぐそういう方向に話が行く。ところが、違うのですね。この句には後書があり、そこには「水原秋桜子先生を訪問。現在の俳句観を述べ諒解を求む」とあり、その後の自註に「昭和二十二年『馬酔木』離散」とあるのだ。これはなんだ!  春一先生の秋桜子先生への訣別の句だったのだ。師を見限ったということか。それにしても「まぎらわしい」名句である。離別後、晩年になって、春一は『馬酔木』に復帰すべく石田波郷を同伴、秋桜子の元に行く。秋桜子、黙って以前と同じ序列で春一を迎えたという。いい話でしょう……。ところで、まだかなかな(蜩)は鳴いてますか?(井川博年)


December 08121999

 焼鳥焼酎露西亜文学に育まる

                           瀧 春一

しくとも楽しかった青春回顧の一句である。この育(はぐく)まれ方は、しかし作者に固有のそれではない。安酒場で焼酎をあおり、熱っぽくドストエフスキーなどを語り合う。戦後まもなくの大学生たちの生活の一齣(こま)だ。焼鳥と焼酎と露西亜文学は、彼らの青春のいわば三点セットなのであった。だから、このように句にしても、違和感なく受け止めてくれる土壌はあるというわけだ。世代的には、昭和一桁生まれの人たち。昭和二桁初期の私は、わずかながら雰囲気だけは嗅いだことがある。私の頃には露西亜文学が後退しはじめており、カミュやらサルトルやらと仏蘭西文学に注目が集まりかけていた。いずれにしても、文学から生きる意味を学ぼうとする時代があったということだ。いまや、酒場や喫茶店で文学を語る若者など皆無に近い。フランスでもサルトルなどは読まれなくなったそうだが、人生における文学の価値は確実に下落したということだろう。本ばかり読んで、あまりにブッキッシュに物事を捉えるのも考えものではあるが、せっかくの文学者の労作を知らないまま死んでしまうのも寂しすぎる。現代の青春に三点セットがあるとすれば、それは何であろうか。(清水哲男)


April 2042002

 韮粥につくづく鰥ごころなる

                           瀧 春一

語は「韮(にら)」で春。「韮の花」といえば夏季になる。また、「鰥(やもお)」は妻を失った男、男やもめのこと。さて、お勉強。なぜ大魚を一義とする鰥が、男やもめを意味するのか。調べてみようとしたが、私の貧弱な辞典環境ではわからなかった。どなたか、ご教示ください。作者が韮粥を食べているのは、ちょっとした風流心などからではないだろう。たぶん体調を崩してしまい、食欲もなく、粥にせざるをえなかったのだと思う。それでも白粥のままではいかにも栄養不足に思われ、庭の韮をつまんできて、気は心程度にではあるが少々の緑を散らした。こういうときに妻が健在だったら、もっと栄養価の高いものを食べさせてくれたろうに……。身体が弱ると、心も弱る。「つくづく鰥ごころ」が高じてきて、侘しさも一入だ。淡い粥のような味わいのある句。読者にもそんな環境の方がおられるだろうが、どうかご自愛ご専一に。蛇足ながら、たとえ鰥でも体調万全となると、一転してこんなへらず口を叩いたりする。「人生には至福の時が二度ある。一度目は妻となる女性がヴァージンロードを歩いてくる時。二度目は妻の棺桶が門から出ていく時」。なに、生涯「韮粥」とは無縁の国で暮らした可哀想な男のひとりごとです。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


August 2882003

 鎌倉の月高まりぬいざさらば

                           阿波野青畝

語は「月」で秋。青畝(せいほ)は生涯関西に住んだ人だから、鎌倉に遊んだときの句だろう。鎌倉には師の虚子がおり、青畝は高弟であった。素十、誓子、秋桜子とともに「ホトトギスの4s」と称揚された時代もある。句はおそらく高齢の虚子との惜別の情やみがたく、別れの前夜に詠まれたものだと思う。折しも盆のような大きな月が鎌倉の空に上ってきて、見上げているうちに去りがたい思いはいよいよ募ってくるのだが、しかしどうしても明日は帰らなければならない。気持ちを取り直して「いざさらば」と言い切った心情が、切なくも美しい。なんだかまるで恋の句のようだけれど、男同士の師弟関係でも、こういう気持ちは起きる。たとえば瀧春一に、ずばり「かなかなや師弟の道も恋に似る」があって、師は秋桜子を指している。なお、掲句を収めた句集は虚子の没後に出されているが、追悼句ではない。以下余談だが、この句を歴史物と読んでも面白い。鎌倉といえば幕府を開いた頼朝が想起され、頼朝といえば義経だ。平家追討に数々の武勲をたてた義経が、勇躍鎌倉に入ろうとして指呼の間とも言える腰越で足止めをくった話は有名である。一月ほど腰越にとどまった義経だったが、頼朝の不信感を拭うにはいたらず、ついに京に引き上げざるを得なかった。この間に大江広元に宛てたとされる書状「義経腰越状」に曰く。「義経犯す無くして咎を蒙る。功有りて誤無しと雖も、御勘気を蒙るの間、空しく紅涙に沈む。(中略)骨肉同胞の儀既に空しきに似たり」。そこで義経になり代わっての一句というわけだが、どう考えても青畝の句柄には合わない。『紅葉の賀』(1962)所収。(清水哲男)


September 2392004

 をさな子はさびしさ知らね椎拾ふ

                           瀧 春一

語は「椎(の実)」で秋。ドングリの一種と言ってよいと思うけれど、椎は生でも食べられる。でもとにかく色合いが地味なので、それだけに淋しい感じのつきまとう実である。椎の木の生えている場所自体、陰気な感じのするところが多かった。そこらあたりの雰囲気を巧みに捉えたのが、虚子の「膝ついて椎の実拾ふ子守かな」だ。秋も日暮れに近いのだろう。けなげな「子守」の淋しくも哀れな様子が、目に浮かぶようだ。掲句もまた、椎の実にまつわる寂寥感を詠んでいるのだが、しかし虚子のように直球を投げてはいない。かなりの変化球だ。「さびしさ」を知らない「をさな子」が一心に椎の実を拾っている。しかしそれが単純に微笑ましい図かというと、そうではなくて、作者はどこかに淋しさ哀れさを感じてしまうと言うのだ。「知らね」は「知らねども」の略として良いと思うが、純粋無垢の幼児のひたむきな行為を見ていると、身につまされるときがある。かつての自分もこうであったはずだが、やがて物心がつき自我に目覚め、人生の喜怒哀楽を知り始めると、とても純粋ではいられなくなる道程を知っているからだ。無心の幼児。このころが結局いちばん良い時期かもしれないなあと思うと、涙ぐましくなってくる。その感情を、幼児の拾う椎の実の淋しさが増幅するのである。センチメンタリズムを詠ませると、この作者はいつも格別な才気を発揮した。『合本俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)


January 0312005

 はや不和の三日の土を耕せる

                           鈴木六林男

句で「三日」といえば、今日一月三日のこと。三が日の最後の日。「三日正月」と言うように、この日までは誰もがのんびりとくつろぐ。が、作者ははやくも畑に出て耕している。家にいても、面白くないからだ。いくら年が改まろうとも、そう簡単に人間関係は改まらない。正月というのでお互いに我慢していたけれど、それも今日で限界。ぷいと家を出て、しかし行くところもないから、仕方なく畑仕事をしているという図だ。通りがかりの人から不思議そうに見られても、致し方なし。まことにもって、人間関係とは厄介なものです。同じように家を出るのなら、「顔触れも同じ三日の釣堀に」(滝春一)というふうでありたい。呑気でよろしいが、でも、これもいささか侘しいかしらん。「三ヶ日孫の玩具につまづきぬ」(青木よしを)。つまづきながらも、上機嫌なおじいちゃん。わかりますね。やっぱり「つまづ」こうがつんのめろうが、こんなふうにして家にいられるのがいちばんだ。ところで、本日の諸兄姉や如何に。私は、煙草を買いに出るくらいのものでしょうかね。ありがたし。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 0762005

 勤の鞄しかと抱へてナイター観る

                           瀧 春一

語は「ナイター(ナイト・ゲーム)」で夏。懐かしいような観戦風景だ。実直なサラリーマンが、ちょっと身をこごめるようにして「勤(つとめ)の鞄」を膝の上に抱え、ナイト・ゲームに見入っている。抱えているのはシートが狭いせいもあるが、連れがいないせいでもある。一人で見に来ているのだ。だから、大切な鞄をシートの下に置くなどしていると、安心できない。試合に集中するためには、やはりこれに限ると抱え込んでいるというわけだ。一人の庶民のささやかな楽しみの場としての野球場……。昨今のドーム球場からは、すっかりこんな雰囲気が失われてしまった。他人のことは言えないけれど、いまのスタンドには一人で観に来ている客は珍しいのではなかろうか。たいていが友人や家族と連れ立って来ていて、むろんそれには別の楽しさもあるのだが、どことなく野球を観るというよりもお祭り見物の雰囲気があり気にかかる。昔は作者のような人たちが大勢いて、ヤジも玄人ぽかったし、なによりも野球好きの雰囲気が一人ひとりから滲み出ていた。こうした観客がいたおかげで、選手もちゃんと野球をやれていたのだろう。当時、打者を敬遠している途中でスチールされるなんて馬鹿なことをやったとすれば、そのバッテリーは二度と立ち上がれないほどの厳しい状態に陥ったにちがいない。でも、いまはお祭りだから、その場の笑い話ですんでしまう。ああ、後楽園球場よ、もう一度。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 1592008

 敬老の日のとしよりをみくびる芸

                           瀧 春一

日敬老の日に、たいていの自治体が高齢者を招いて演芸会を開く。このテレビ時代に演芸会でもあるまいにと思うが、我が三鷹市でも77歳以上の市民を対象に「敬老のつどい」がこの土日に開かれた。ちなみに、出し物は青空球児・好児の漫才と菊池恵子の歌謡ショーだった。むろん私は見ていないので、みくびりがあったかどうかは何も知らない。ただ揚句が言うように、テレビではかなり以前から「みくびり芸」が多いことに腹を立ててきた。元凶はNHKのど自慢の司会者だった宮田輝だと、私は言い張りたい。高齢者が登場するや、抱きかかえんばかりの表情で、名前を呼ばずに「おじいちゃん、おばあちゃん」を連発した男だ。彼の前に出たら最後、出演する高齢者は固有の名前を剥ぎ取られ、彼のペースで良き老人役を演じさせられるのだから、たまらない。かつて私は芸能プロまがいの事務所にいたことがあるのでわかるのだが、この宮田ウィルスの跳梁ぶりはひどかった。作者はそんな時代に、敬老行事に招かれたのだろう。瀧春一は十五歳で三越に入社し、戦後は労組の副委員長を務めた苦労人だ。「みくびり」などは、すぐにわかってしまう。この句が哀しいのは、しかしみくびりを見抜きながらも、芸人に「なめるんじゃない」とは言えないところだ。言っても甲斐がない。多くの高齢者は、そんなふうにあきらめているように思える。私もいずれ、そうなるのかもしれない。『硝子風鈴』(1971)所収。(清水哲男)




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