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August 2081996

 ぐんぐんと夕焼の濃くなりきたり

                           清崎敏郎

送(むさしのエフエム・78.2MHz)の仕事は4時で終る。帰りのバス停留所までの道では、いつも真正面から西日をうける。バスを降りてからも、しばらくは西日の道だ。「ぐんぐんと」夕焼けていく空を見るのは、これから深い秋にむかってからのことになる。なんだかとても幼い発想のようにも見えるが、ここまでぴしりと言い切るのは、なまなかな修練ではできないと思う。ちなみに清崎敏郎の師である富安風生には、こんなチョー幼げな作品がある。「秋晴の運動会をしてゐるよ」……という句だ。小学生にでもできそうだが、ここまでできる人はなかなかいない。嘘だと思ったら、ひとつつくってごらんになると、納得がいくはずです。『東葛飾』所収。(清水哲男)


September 1091996

 案山子たつれば群雀空にしづまらず

                           飯田蛇笏

っくき雀どもよ、来るなら来てみろ。ほとんど自分が案山子(かかし)になりきって、はったと天をにらんでいる図。まことに恰好がよろしい。風格がある。農家の子供だったので、私にも作者の気持ちはよくわかる。一方、清崎敏郎に「頼りなくあれど頼りの案山子かな」(『系譜』所収)という句がある。ここで蛇笏と敏郎は、ほぼ同じシチュエーションをうたっている。されど、この落差。才能の差ではない。俳句もまた人生の演出の場と捉えれば、その方法の差でしかないだろう。どちらが好ましいか。それは、読者が自らの人生に照らして決めることだ。『山盧集』所収。(清水哲男)


July 1371997

 船内に飛んでをりしは道をしへ

                           清崎敏郎

供のころは一里の道を通学していたので、この虫にはお世話になった。というよりも、退屈しのぎによく遊んでもらった。人が近づくと、飛び上がって少し先へ行く。道にそって、同じ動作を何度もくりかえす。その様子があたかも道を教えているように見えるので、「道をしへ」という。身体に細かい斑点があることから、正式には「斑猫(はんみょう・たいていのワープロでは一発変換されるほどの有名虫)」と呼ぶ。しかし、さすがの「道をしへ」も、船のなかでは役に立たない。水先案内人にはなれるわけもない。ただ習性で飛んでいるのだけれど、そんな姿に作者は苦笑している。時と場所を得ないと、人間にもこういうことは起きそうである。『東葛飾』所収。(清水哲男)


November 26111998

 焼跡を一番電車通りそむ

                           清崎敏郎

の早朝(「火事」は冬の季語)。昨夜の火事はすっかりおさまっているが、水浸しの焼け跡からはまだ焦げ臭い匂いがただよってくる。火事騒ぎで眠れぬ夜を過ごした作者は、気になって、夜明けとともに出かけてきたのだろう。焼けたのは、作者とはいささか関わりのあった人の住居か店舗かもしれない。他にも、様子を見に来た人が何人か黙ってたたずんでいる。そこへ、いつもの朝と変わりなく、一番電車がガタガタと音を立ててやって来、とくにスピードをゆるめるでもなく行ってしまった。市街電車だ。淡々とした客観描写の句だが、それだけに都会生活の哀愁が色濃く染みわたってくる。電車は、つまり都会を構成するシステムは、焼けだされた人のことなど構ってはいられないのだ。定まった時刻に、いつもと変わらぬスピードで走らなければならないのである。しかし、これを非情と作者は見ていない。そのようなシステムに従って生きている自己を、一番電車を見送りながらしっかりと再確認したのである。『東葛飾』(1977)所収。(清水哲男)


May 2551999

 心いま萍を見てゐるにあらず

                           清崎敏郎

という漢字を知らなくても、じいっと眺めているうちに、その実体が姿を現わしてくる。平らな水の上(水面)に草が浮いている。すなわち「うきくさ」だ。「苹」とも書く。漢和辞典によると、はじめは上の艸がなく、後に加えて字義を明確にした文字だそうだ。だから、音読みでは「へい」となる。こうやって覚えると二度と忘れないが、皮肉なことにたいていの人が読めないので、覚えがいはない。今は「浮草」と書くのが一般的だろう。句は、作者二十代の作。一読、老成した感覚を感じるが、よく読むと、若さゆえの抽象性が滲み出ている。池の畔にたたずみ、我が目はたしかに萍をとらえているけれど、心は遠く別の場所にある。自省か煩悶か、あるいは何事かについての思索なのか。ともあれ、いまの我が姿から他人が想像できるような場所に、俺の心は存在してはいないのだ。と、この決然とした物言いも、若さの生み出した表現と言えるだろう。作者は虚子の流れをくみ、花鳥諷詠に徹した人だが、その意味からすると異色の作である。さきごろ(1999年5月12日)鬼籍の人となられた。合掌。『安房上総』(1964)所収。(清水哲男)


October 06101999

 コスモスの押しよせてゐる厨口

                           清崎敏郎

花にすると可憐な風情のコスモスも、なかなかどうして根性のある花である。その性(さが)は、獰猛(どうもう)とさえ思われるときがある。まるで、誰かさんのように……(笑)。句のごとく、小さな津波のようにどこにでも押しよせてくる。頼みもしないのに、押しかけてくる。句は獰猛を言っているのではないが、逆に可憐を言っているのでもない。その勢いに目を見張りながら、少したじろいでいる。だから、この花は厨口(くりやぐち)など、表からは目立たないところに植えられてきた。いや、植えたとか蒔いたとかということではなく、どこからか種子が風に乗ってきて、自生してしまっていることのほうが多いのかもしれない。一年草だから、花が終わると根を引っこ抜く。この作業がまた大変なのだ。そんな逞しさのせいで、コスモスは徐々に家庭から追い出されている花だとも言えよう。最近の庭では、あまり見かけなくなった。長野県の黒姫高原や宮崎県の生駒高原などが名所だと、モノの本に書いてある。東京では立川の昭和記念公園が新名所で、ここには黄色い品種が群生しているらしい。コスモスも、わざわざ見に出かける花になりつつある。『安房上総』(1964)所収。(清水哲男)


December 30122006

 人々の中に我あり年忘

                           清崎敏郎

較的広い、いわゆる居酒屋のような店で飲んでいると、初めは、自分も含めてそこに居合わせた一人一人をくっきり認識しているのだが、酔いがまわって来るにつれ、すべてが独特のざわめきの中に埋没してくる。二度と同じ空間や時間を共有することはない多くの愛すべき人々は、言葉は交わさなくてもお互いに不思議な居心地の良さを作り出すのである。ただの酔っぱらいの集団でしょ、と言われれば否定できないし、静かなところでゆっくり飲むのが好きという向きもあろうが、このざわざわが妙に落ち着くのだ。作者がお酒を好まれたときいて、この句を読んだ時、そんな空間に身を置いて、ふっと我にかえってしみじみとしながらも、ひとりではない自分を感じている、そんな気がした。年忘(としわすれ)は忘年会のことだが、もとは家族や親戚、友人と、年末の慰労をするささやかなものをいったようである。歳時記を見ると、会社などの大人数のものを忘年会と呼び、千原草之(そうし)に〈立ってゐる人が忘年会幹事〉と、いかにも賑やかな雰囲気の一句も見られる。この句も、あるいは一門の納め句座の後の酒宴で、人々とは、共に切磋琢磨した句友なのかもしれない。ただ、年惜しむ、や、年の暮、ではないところで、つい酒飲み的鑑賞になってしまった。御用納めもすんで晦日の今日、連日の年忘にお疲れ気味、という方も多い頃合いか。しかしもう二つ寝れば今度はお正月、皆さま御大切に。「ホトトギス新歳時記」(1996・三省堂)所載。(今井肖子)


July 0872007

 氷屋の簾の外に雨降れり

                           清崎敏郎

供の頃、母親のスカートにつかまって夕方の買い物についてゆくと、商店街の途中に何を売っているのか分からない店がありました。今思えば飾り気のない壁に、「氷室」と書かれていたのでしょう。その店の前を通るたびに、室内に目を凝らし、勝手な空想をしていたことを思い出します。氷屋というと、むしろ夏の盛りに、リヤカーで大きな氷塊を運んできて、男がのこぎりで飛沫を飛ばしながら切っている姿が思い浮かびます。掲句に心惹かれたのは、なによりも視覚的にはっきりとした情景を示しているからです。冷え切った室内の暗い電球と、そこから簾(すだれ)ごしに見る外の明るさの対比がとても印象的です。先ほどまで暑く陽が差していたのに、降り出した雨はみるみる激しくなってきました。夕立の雨音の大きさに比べて、簾のこちら側は、あらゆる音を吸収してしまうかのような静けさです。目にも、耳にも、截然と分けられた二つの世界の境い目としての「簾」が、その存在感を大きくしてぶら下がっています。夏の日の情景が描かれているだけの句なのに、なぜか心が揺さぶられます。それはおそらく、傘もささずに急ぎ足で、簾のそとを、若かった頃の母が走りすぎていったからです。『現代の俳句』(1993・講談社)所載。(松下育男)


July 0972008

 蝉しぐれ捨てきれぬ夢捨てる夢

                           西岡光秋

歳になっても夢をもちつづける人は幸いである。しかし、一つの夢を実現させたうえで、さらに新たな夢をもつこともあれば、一つの夢をなかなか果せないまま齢を重ねてしまう、そんな人生も少なくない。掲出句の場合は、後者のように私には思われる。捨てきれない夢だから、なかなかたやすく捨てることはできない。たとえ夢のなかであっても、その夢を捨てることができれば、むしろホッと安堵できるのかもしれない。それはせめてもの夢であろう。けれども、現実的にはそうはいかないところに、むしろ人間らしさがひそんでいるということになるか。外は蝉しぐれである。うるさいほどに鳴いている蝉の声が、「夢ナド捨テロ」とも「夢ハ捨テルナ」とも迫って聴こえているのではないか。中七・下五は「捨てきれぬ夢」と「捨てる夢」の両方が、共存しているという意味なのではあるまい。それでは楽天的すぎる。現実的に夢を捨てることができないゆえ、せめて夢のなかで夢を捨ててしばし解放される。そこに若くはない男の懊悩を読むことができる。だから二つの夢は別次元のものであろう。手元の歳時記に「蝉時雨棒のごとくに人眠り」(清崎敏郎)という句があるが、「棒のごとくに」眠れる人はある意味で幸いなるかな。光秋には「水打つて打ち得ぬ今日の悔一つ」という句もある。『歌留多の恋』(2008)所収。(八木忠栄)


August 3082008

 うすうすとしかもさだかに天の川

                           清崎敏郎

のところ吟行中、五七、または七五、で終わってしまうことがある。その十二音は、すっと浮かびその時は生き生きしているが、取って付けたような上五、下五をつけることになると、すぐに色褪せて捨てることになってしまう。結局、あれこれ考えて、「しかも」まとまらない。接続詞としての「しかも」の場合、広辞苑によると、(1)なおそのうえに。(2)それでも、けれども。(1)の例文としては、「聡明でしかも美人」。(2)は、「注意され、しかも改めない」とある。今の話は(2)か。掲出句の場合、うすうす、と、さだか、は、それだけとりあげると逆の意味なのだが、感覚的には(1)と思う。星々のきらめきに比べるとぼんやりしている天の川の、確かな存在感。それが十二音でぴたりと表現されている。子供の頃、天の川の仄白い流れを見つめながら、この中でリアルタイムで生きている星がどの位あるのだろうと、よく思った。直径十万光年という途方もない大きさの銀河系の中で、ちっぽけでありながら、今ここに確かに存在している自分。あれこれ考えているうち、めまいがしてくるのだった。このところ不穏な驟雨に見舞われているが、日本列島は細長い。明日が新月の今宵、満天の星空とさだかな天の川を、きっとどこかで誰かが見上げることだろう。『脚注シリーズ 清崎敏郎集』(2007)所収。(今井肖子)




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