q句

September 0891996

 思ひ寝と言ふほどでなし秋しぐれ

                           中村苑子

ひ寝。「恋しい人を思いながら寝ること」(大辞林)。それほどではないけれど、好ましい誰かをふと思いうかべながら眠りにつく。いつか雨の音が聞こえている。しぐれ(時雨)は冬の季語だが、ここは秋のしぐれ。(辻征夫)


September 1491996

 祭りの灯なかの一軒葬りの灯

                           中村苑子

内の家ことごとくの軒先に祭りの提灯がつけられて、眺めが一変した秋の宵。歩いて行くと一軒だけ色合いの違う提灯がさがっている家があり、喪服の人がひっそりと出入りしている。どちらも、今生の、祭りの灯である。(辻征夫)


September 1991996

 反故焚いてをり今生の秋の暮

                           中村苑子

年の秋ではなく「今生の秋」。いま歩いている街の風景を、これがやがて私がいなくなる世界だと思いながら眺めはじめたのはいつからだったろう。街をそうした視点をもつ壮年が歩いている一方で、庭の片隅でひっそりと反故(ほご)を焚いているひとがいる。秋の夕暮。『吟遊』(1993)所収。(辻征夫)


June 1561997

 父の日をベンチに眠る漢かな

                           中村苑子

月の第三日曜日は父の日。「漢」には「をとこ」と振り仮名がある。ホームレスの男だろうか。あるいは、酔っ払いだろうか。父の日だというのに、ベンチで眠りこけている。家族はないのだろうか。あるとしても、子供らは父のこのような姿は知らないだろう。しかし、作者は「お可哀そうに」と思っているわけではない。あえて「男」と書かずに「好漢」「悪漢」の「漢」を用いているのが、その証拠だ。むしろ、世間のヤワな風習などとは没交渉に生きている姿勢に、男らしさ、男くささを感じている。好感をすら抱いている。(清水哲男)


October 23101997

 追伸の二行の文字やそぞろ寒む

                           中村苑子

ートルズに「P.S. I LOVE YOU」という歌がある。「P.S.」は「Post Script」で「追伸」だ。元来「追伸」は、手紙に主な用件を書いた後で、ふと思いだしたことなどを書き添えるための方便である。だから、普通はたいしたことを書くのではない。しかし、実際はどうなのだろうか。さりげなさを装って「I LOVE YOU」などと、最も重要なことを書いたりほのめかしたりする人も多いのではあるまいか。作者が受け取った手紙のそこにも、かなり重苦しい二行があったにちがいない。その厄介な暗示に、きざしてきた寒さがひとしお身にしみるのである。『白鳥の歌』(1996)所収。(清水哲男)


September 1691998

 放蕩や水の上ゆく風の音

                           中村苑子

蕩(ほうとう)とは贅沢なことばだと思う。未来は放棄され、現在は徹頭徹尾、おぼれ、使い果たしてしまうことについやされる。使い果たす対象は、人生そのものだろう。絶望と背中あわせの悦楽。揺れ動く思い。そういえば蕩には水が揺れ動くという意味もあった。疲れたこころと、清冽な水。/私はこの句を清水哲男におしえられたが、清水はどういうわけか、風の音を風の色と覚えていた。句が詩人の内部でいつのまにか変形したらしい。放蕩や水の上ゆく風の色。水と風はほとんど同色となり、きらめく水面がいくぶん強調された詩的イメージににみちた句となる。では「風の音」はどうか。/放蕩と、風という清冽なものの対比に、もうひとつ、寂寥感がくわわる。眼を閉じて、耳を澄ます。聞こえるのは風の音である。(辻征夫)

[『別冊俳句・現代秀句選集』(1998)より辻征夫氏の許諾を得て転載しました・清水]


February 2221999

 人妻に春の喇叭が遠く鳴る

                           中村苑子

妻。単に結婚している女性を言うにすぎないが、たとえば「既婚女性」や「主婦」などと言うよりも、ずっと人間臭く物語性を感じさせる言葉だ。それは「人妻」の「人」が、強く「他人」を意味しており、社会的にある種のタブーを担った存在であることが表示されているからである。もとより、この言葉には、旧弊な男中心社会の身勝手な考えが塗り込められている。最近は、演歌でもめったに使われなくなったように思う。その意味では、死語に近い言葉と言ってもよいだろう。作者は女性だが、しかし、ほとんど男のまなざしで「人妻」を詠んでいるところが興味深い。春の日の昼下がり、遠くからかすかに喇叭(ラッパ)の音が流れてきた。彼女には、戸外でトランペットか何かの練習に励む若者の姿が想起され、つい最近までの我が身の若くて気ままな自由さを思い出している。といって、今の結婚生活に不満があるわけではないのだけれど、ふと青春からは確実に隔たった自分を確認させられて、ちょっぴり淋しい気分に傾いている。遠くの喇叭と自分とを結ぶか細い一本の線、これすなわち「春愁」の設計図に不可欠の基本ラインだろう。『白鳥の歌』(1996)所収。(清水哲男)


May 0451999

 遠つ世へゆきたし睡し藤の昼

                           中村苑子

棚の前に立つと、幻惑される。まして暖かい昼間だと、ぼおっとしてくる。おそらくは、煙るような薄紫の花色のせいもあるのだろう。桐の花にも、同じような眩暈を覚えたことがある。「遠つ世」とは、あの世のこと。よく冗談に「死にたくなるほど眠い」と言ったりするけれど、句の場合はそうではない。あえて言えば「眠りたくなるほど自然に死に近づいている」気分が述べられている。この句は、作者自身が1996年に編んだ『白鳥の歌』(ふらんす堂)に載っている。表題からして死を間近に意識した句集の趣きで、読んでいるとキリキリと胸が痛む。と同時に、だんだん死が親しく感じられてもくる。つづいて後書きを読んだら、さながら掲句の自註のような部分があった。「……最近見えるものが見えなくなったのに、いままで見たいと思っても見えなかったもの、聞きたいと思っても聞こえなかったもろもろのものが、はっきり見えたり聞こえたりするようになったので、少々、心に決することがあり、この集を、みずからへおくる挽歌として編むことにした」と。決して愉快な句ではないが、何度も読み返しているうちに、ひとりでに「これでよし」と思えてきて、おだやかな気分になる。(清水哲男)


August 0882000

 むかし吾を縛りし男の子凌霄花

                           中村苑子

霄花という漢字は、一般的にはこれだけで「のうぜんかずら」あるいは「のうぜん」と読ませる(『広辞苑』など)ようだが、この場合は「のうぜんか」だろう。いまごろの花だ。赤橙色の漏斗状の花を盛んに咲かせる。大きな特徴は、つるを他の木などにからみつかせて、どこまでも執拗に這い登る性質にある。掲句は、この性質に関わっている。その「むかし」、チャンバラごっこか何かの遊びで、たぶんふざけ半分に自分を縛った「男の子(をのこ)」がいた。縛られる側も相手が面白がっていることはわかっているので、さしたる抵抗もせずに縛られてやったのだ。付近では、今を盛りと凌霄花が咲いていたのだろう。ところが、現実に縛られてみると、なんだか気分が違う。遊びだと思っていた気持ちが、すうっと冷えてきて、経験したことのない生々しい恐怖感に直面することになった。縛った男の子も、遊びを忘れたような生臭い顔をしている。二人ともが、縛り縛られたことによる関係が生みだした、思いもよらぬ現実の重さにあわてている。その場にあったのは、お互いの性の目覚めに通じる何かだったはずだ。あのときに執拗に幼い作者の身体にまとわりついた縄の感触を、目の前の凌霄花が思い出させている。性の目覚めはこのように、突然にあらぬ方角からやってきて、抜き難い記憶としておのれにからみつき、離れることがない。『白鳥の歌』(1996)所収。(清水哲男)


October 25102000

 他界にて裾をおろせば籾ひとつ

                           中村苑子

途の川は、死んでから七日目に渡る。三つの瀬は流れの緩急にそれぞれ差があって、どの瀬を渡るのかは生前の行いによるという。掲句の場合は、せいぜいが裾をからげて渡れたのだから、作者の現世での行いは非常によかったことになる。と言っても作者はご存命でなので、誤解なきように。三途の川を渡る際には、途中で衣服を剥ぎ取る鬼がいるので油断はならない。が、幸いそういうこともなく無事に渡り終えた。とりあえずホッとした気持ちで裾をおろしてみたら、「籾(もみ)」が一粒ぽつりと落ちたと言うのである。それだけのことだが、この「籾」の存在感は強烈だ。なぜなら「籾ひとつ」だけが、唯一そこでは生きたままだからである。ちっぽけな「籾」が、ひどく生々しい。さて、この一粒をどうしたものか。作者ならずとも、誰もが困惑するだろう。奇妙な味のショート・ストーリーでも読んだ感じがする。「他界にて」はむろんフィクションだが、裾から落ちた「籾ひとつ」は、現実体験に根ざしたものだろう。実際には「籾」ではなかったかもしれないけれど、何か小さな植物の種。小さくても、大きな生命体を胚胎しているもの。そういうものが場違いな場所に落ちると、気分が不安定となり落ち着けなくなる。まして「他界に」おいておや……。農家の子だったこともあり、一読者の私もひどく落ち着かない気分のする句だ。『白鳥の歌』(1996)所収。(清水哲男)


February 2822001

 如月も尽きたる富士の疲れかな

                           中村苑子

季の富士山は積雪量が多く、ことのほか秀麗な姿を見せているそうだ。私の住む三鷹市あたりからも昔はよく見えたようだが、いまは簡単には見えなくなった。近くの練馬区富士見丘(!)からも、見えなくなって久しい。それはともかく、ご承知のように、季語には山を擬人化した「山眠る」「山笑ふ」がある。卓抜な見立てだが、しかし同じ山でも、富士山だけには不向きだなと、掲句を読んで気がついた。冬の間の富士山は、どう見ても眠っているとは思えない。むしろ、眼光炯々として周囲を睥睨しているかのようだ。肩ひじも張っている。だから、寒気の厳しい「如月」が終わるころともなると、さすがに疲れちゃうのである。春霞がかかってきて、いささかぼおっとした風情を見て、作者はそう感じたのだ。この感覚は、寒い時季をがんばって乗りきってきた人間の「疲れ」にも通じるだろう。「疲れ」からとろとろと睡魔に引き込まれていくかのような富士山の姿はほほ笑ましくもあるが、どこかいとおしくも痛ましい。「疲れ」という表現には、微笑に傾かずに痛ましさに傾斜した作者の気持ちがこめられているのだ。言わでものことだが、痛ましいと思う気持ちは愛情に発している。作者は、今年一月五日に亡くなった。享年八十七歳。振り返ってみれば、中村苑子は徹底して痛ましさを詠みつづけた希有の俳人であったと思う。しかも、自己には厳しく他には優しく……。このことについては、折に触れて書いていきたい。「凧なにもて死なむあがるべし」。「凧」は「たこ」と読まずに、この場合は「いかのぼり」と読む。新年ではなく春の季語。『水妖詞館』(1975)所収。(清水哲男)


June 1862003

 どこにでもゐる顔多し菖蒲園

                           中村苑子

語は「菖蒲園」で夏。最近、こういう何でもないような句が気になる。「どこにでも」ありそうで、どこにも無い句だ。初心者は、こういう句をまず絶対に作らない。いや、作れない。というのも、誰だって「どこにでもゐる顔」という思いはあっても、いざ作品化するとなると、待てよと立ち止まってしまうからだ。「どこにでもゐる顔」なんて、本当はありっこないじゃないか。みんな、他ならぬ自分も含めて、それぞれが違う顔を持っているではないか。だから、ふっと「どこにでもゐる顔」と感じるときがあったとしても、いざ作品にするときには逡巡してしまうのだ。文字にする瞬間とは不思議なもので、ひどく神経質になってしまう。むろん、「どこにでもゐる顔」なんてあるはずがない。でも、私たちはつい「どこにでもゐる顔」と実感することがあるのは否定できない。だったら、「どこにでもゐる顔」はみずからの現実には存在するのだし、掲句のように書いたって構わない理屈だ。が、私もまた、なかなかこうした書き方ができないでいる。何故に逡巡するのか。自分で自分が歯がゆくなる。「どこにでもゐる顔」と感じる状況の必然性については、ある程度はわかっているつもりだ。でも、そう書くことははばかられる。本当は、何故なのだろうか。ただ、作者も「どこにでもゐる顔多し」と書いている。「多し」は、やはり少しばかりの逡巡のなせる措辞だろうと思った。なんとなく句が可愛いく感じられるのは、このちょっぴりの逡巡のせいなのかもしれない。『吟遊』(1993)所収。(清水哲男)


November 22112012

 冬桜化粧の下は洪水なり

                           渋川京子

桜は文字通り冬に咲く桜。一重で白っぽい色をしている。春先に一斉に花開くソメイヨシノと違いいかにも寂しそうである。冬桜は12月ごろから翌年の1月にかけて咲く花。と歳時記にある。二度咲きの変種ではなくわざわざ寒さの厳しくなる冬に開花するのは人間が自らの楽しみのため人為的に作り出したものだろう。化粧で華やかに装った顔の下に激しく感情の動揺が隠されているのだろうか。化粧で押し隠された思いが「冬桜」に形を変えて託されていると考えられる。「今日ありと思ふ余命の冬桜」中村苑子の句なども「冬桜」のはかなさに自分の在り方を重ねて詠んでいるのだろう。作中主体が作者であると必ずしも言えないが自らの感情を託すのだから、私小説的作り方とも言えよう。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)




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