g句

October 18101996

 秋の夜の君が十二の學校歌

                           清水基吉

書に「三十余年ぶりにて小学校時代の男女集ふ」とある。したがって、四十歳代の同級生交歓である。句の「君」は、誰を指しているというのでもない。強いていえば出席者全員、もちろん自分も含めての「君」であろう。「はるばると来つるものかな」の感慨が滲み出た佳句である。作者は元来小説家で、芥川賞作家でもあるが、最近は小説を発表されてないようだ。たまたま姓は同じだけれど、私と姻戚関係はない。『宿命』所収。その昔、ひょんなことから署名本をいただき、大切にしている。(清水哲男)


December 12121996

 踊り子と終の電車の十二月

                           清水基吉

電車に乗っているのだから、踊り子といっても、場末のキャバレーあたりで踊っている女だろうか。一見派手な身なりだが、いかにもくたびれた風情が、十二月のあわただしさ、わびしさの暗喩のようにも見えてくる。このとき、もとより作者自身も、うらぶれた心持ちにあるのだろう。その他大勢の人々の、なにやら切ない感情を乗せて、終電車は歳末の闇の中を走りつづける……。戦後間もなくの日本映画の一場面のようだ。『宿命』所収。(清水哲男)


March 2531997

 春服や若しと人はいうけれど

                           清水基吉

るい色のスーツを着て出社すると、何人かから「お若いですねえ」と声がかかる。よくある光景だ。照れ臭いような、嬉しいような……。しかし、日常的に自分にしのびよる老いの影は、自分がいちばんよく知っている。いくら若ぶっても、取り返しがつくはずもない。だから、照れた後で、一瞬、針のような寂しさが胸をつらぬく。ところで作者によれば、この句の初出で「春服や」の上五は「行秋や」になっていたという。つまり、後に句集に入れるにあたり「晩秋」を「春」に置き換えてしまったわけだが、私は改作された明るい寂しさのほうを採りたい。『宿命』所収。(清水哲男)


November 03111997

 文化の日一日賜ふ寝てゐたり

                           清水基吉

正月と同じように、祝日を寝て過ごすという句は多い。人間には、世間のはなやぎに背を向ける「快味」というものもあるからだ。ただし、この句の作者はすねているのではない。「賜ふ」というのだから、ありがたい気持ちで寝て過ごしている。なぜありがたいのかと言うと、この日は戦前は明治天皇の誕生日で旗日(天長節・明治節)だったが、敗戦を境に軍国調は排除されることになり、祝日としてのポジションが危うくなった。それが平和憲法の公布を記念して昭和23年に「文化の日」とあらたまり、祝日として延命されることになったからである。理屈はともかくとして、休みが確保されてありがたいという気持ち。「賜ふ」の向こうには、しかし天皇の顔もあって、作者との世代の差を感じさせられる。(清水哲男)


June 2961998

 玉葱の皮むき女ざかりかな

                           清水基吉

が玉葱をむいている。いまが旬の玉葱は、つややかにして豊満である。その充実ぶりは台所に立つ女にも共通していて、作者は一瞬、まぶしいような気圧されるような気分になった。女と玉葱。言われてみると、なるほどと思う。色っぽい。まさに取り合わせの妙というべきだろう。ただし一方では、悲しいことに、人はおのれの「さかり」を自覚できないということがある。玉葱をむいているこの女性も、そんなことは露ほども感じていないだろう。さすれば句のように、いつも「さかり」は他人が感じて、その上で規定し定義する現象である。そういう目で見ると、この句は色っぽさなどを越えて、人が人として存在する切なさまでをも指さしているようだ。以下は蛇足。規定し定義するといえば、辞書や歳時記はそのためにあるようなものだけれど、こうした本で調べて、何かがわかるということは意外にも少ない。手元の歳時記で「玉葱」とは何かを調べてみよう。「直径九センチ、厚さ六センチぐらいの偏平な球形。多く夏に採取する。たべるのは鱗形で、内部は多肉で、特異の刺激性の臭気がある。初秋のころ、白色もしくは淡緑色の小花を球形につづる。わが国へは明治初年の渡来」(角川版『俳句歳時記新版』・1974)。玉葱を知らない人が読んだら、かえって何がなんだかわからない。で、知っている人が読んでも、玉葱の実物とはかなり違う感じを受けるだろう。もちろん、事は玉葱だけに関わる問題じゃない。どうして、こんなことになっちまうのか。(清水哲男)


July 2071999

 暑中休暇の雀来てをり朝の庭

                           清水基吉

供であれ大人であれ、夏休みの朝は格別な気分になる。とくに休暇がはじまった朝は、いつまで寝ていてもよいようなものだが、かえって早起きをしたりする。日常とは異なる生活時間の流れを意識して、軽い興奮状態になるからだろう。静かで、なんでもないように写る句であるが、そこらあたりの気分をよくとらえている。休暇であろうとなかろうと、毎朝庭に雀は来ているわけで、しかし日頃は気にもとめない存在でしかない。あわただしい朝の時間に追われて、来ていることすら意識しない場合のほうが多いだろう。それを今朝ははっきりと意識して、しばらく眺め入っているという句境。私がサラリーマンだった頃は、こういうときに何故か心の内で「ざまあ見ろ」などとつぶやいていたのは、品性下劣のなせるところか。しかし、休暇も三日目くらいになると無性に人恋しくなってきて、「ざまあ見ろ」の旗はさっさと下ろし、同僚がいそうな新宿の酒場に向かったのだから「ざま」は無かった。格好よくなかった。(清水哲男)


May 1852000

 氷菓舐め暢気妻子の信篤し

                           清水基吉

じ年(1956年・昭和31年)の句に「門前の水温む貧躱し得ず」がある。「躱し」は「かわし」。作者は芥川賞受賞作家であったが、いまとは違い経済的に恵まれることもなく「昭和卅年の頃から生活に行きづまり、右往左往して感情また定まらぬところがあった。妻子をかかえて、居處を輾々とし……」という記述が句集の後書きに見える。一家の主人たるもの、お手上げの図だ。そんな主人の気持ちなど露解さない様子で、妻子がアイスキャンデーを暢気(のんき)に舐めている。作者もまた、暢気そうに舐めている。が、この一見明るい構図は辛いのだ。すなわち妻子に「こいつらめが」と思うと同時に、「こいつらめ」は俺を全面的に信頼しているのだなと感じていて、ますますプレッシャーの度合いが強くなってくる。「こいつら」のために、早くなんとかしなければと焦る気持ちが高じている。昔の男は大変だった。いや、いまだってまだ、さして事情は変わっていないだろう。どのみち、こうした家族の経済構造は崩れていくのだろうが、そんな暢気な一般論はさておき、目前の生活を少しでもよくするために今日も焦っている男たち。もとより私もその一人であり、ひたすら生活のためにのみ働くことの苦さを、この句につくづくと思う。『宿命』(1966)所収。(清水哲男)


October 11102000

 鳩吹いて昔をかへすよしもなし

                           清水基吉

語は「鳩吹く」だ。両方の掌を合わせて息を吹き込むと、山鳩の鳴くような音が出る。子供のころずいぶん練習したが、鳴らなかった。不器用なので、ピーピーッという指笛すらも鳴らせない。野球場で鳴らしている人がいると、口惜しくなる。さて、昔の人はなんのために「鳩」を吹いたのだろう。諸説あるようで、猟師が鹿などの獲物を発見したときに、互いに知らせあったというのも、その一つ。それもうなずけるが、掲句の場合には、山鳩を捕るときに誘い寄せるためという説があり、これに従うのが適当だろう。「鳩」を吹いて山鳩を誘い寄せる(誘い「かへす」)ことはできても、しかし「昔」だけは「かへすよしもなし」と詠嘆している。「鳩吹」の素朴な「ほうっほうっ」という音が、句全体に沁み渡っており、詠嘆を深いものにしている。前書に「那須大丸温泉に至る」とあるので、旅行中の吟と知れるが、作者はそこで思わずも「鳩」を吹いてみたくなるような懐しい風景に触れたのだろう。なんでもないような句だが、ある程度の年齢を重ねてきた読者には、はらわたにこたえるような抒情味を感じる一句である。作者は、横光利一の弟子であった芥川賞受賞作家。お元気のご様子、なによりです。作者主宰俳誌「日矢」(2000年10月号)所載。(清水哲男)


June 2062001

 母棲んでしんかんたりや氷水

                           清水基吉

い日に、独り住まいの老母を訪ねた。「氷水」は一般的に「かき氷」のことを言うが、四十年ほど前の句であることを考え合わせると、氷片を浮かべた砂糖水のようなシンプルな飲み物ではなかろうか。冷たいグラスには、水滴が滴っている。「しんかん(森閑)」が、小気味よくも効いている句だ。ひっそりと暮らす老母の「しんかん」。その住まいに染み込んでいるような「しんかん」。出された氷水の「しんかん」。そして母と子のさしたる会話も交わされない「しんかん」に至るまで、それらすべてが重ね合わされて浮き上がってくる。とくに変わった様子もない母親の姿に安堵して、作者はこの静けさに満足している。職場ではもとより自宅でも味わえない静けさのなかで、かく詠嘆する大人となった子供の心は、かつては賑やかだった我が家の盛りの頃をちらりと思い出したかもしれない。「人に盛りがあるように、家には家の盛りがある」という意味のことを書いたのは、たしか詩人の以倉紘平であった。掲句を読んでいて、そういうことも思い出した。「氷水」を飲んでから、作者はどうしたろうか。私なら、母に甘えてちょっと昼寝をさせてもらうだろう。そういうことも、思った。尊いほどに美しい句だ。『宿命』(1966)所収。(清水哲男)


December 23122001

 ゆく年を橋すたすたと渡りけり

                           鈴木真砂女

年も暮れてゆく。そう思うと、誰しも一年を振り返る気持ちが強くなるだろう。「ゆく年(行く年)」の季題を配した句には、そうしたいわば人生的感慨を詠み込んだ作品が多い。そんななかで掲句は、逆に感慨を断ち切る方向に意識が働いていて出色だ。作者にとってのこの一年は、あまり良い年ではなかったのだろう。思い出したくもない出来事が、いくつも……。だから、あえて何も思わずに平然とした素振りで、あくまでも軽快な足取りで「すたすたと」渡っていく。このときに「橋」は、一年という時間の長さを平面の距離に変換した趣きであり、短い橋ではない。大川にかかる長い橋だ。冷たい川風も吹きつけてくるが、作者は自分で自分を励ますように「すたすた」と歩いてゆくのである。話は変わるが、今日は天皇誕生日。諸歳時記に季語として登録されてはいるけれど、例句も少なく佳句もない。戦前の「明治節」や「天長節」とは、えらい違いだ。清水基吉さんから最近送っていただいた『離庵』(永田書房)に、こんな句があった。「なんといふこともなく天皇誕生日」。多くの人の気持ちも、こんなところだろうか。『新日本大歳時記・冬』(1999)所載。(清水哲男)


January 0912002

 松過ぎの弁当つめてもらひけり

                           清水基吉

語は「松過ぎ」で新年。松の内が過ぎたころで、まだ新年の余韻が少し残っている。作者は大正七年生まれ。作者自身が弁当をつめてもらったとも解せるが、小学生か中学生の孫か曾孫がつめてもらったと読んでおきたい。そのほうが、句に暖かみが出ると思う。三学期の始業式も終わって、今日からいつものように弁当持参の学校生活がはじまる。子供にも、子供の日常が戻ってきたのだ。正月もこれでお終いだな。頭の片隅でちらりとそんなことを思いながら、「元気でがんばれよ」と声をかけてやりたくなる気分。弁当を受け取る孫はおそらく無表情だけれど、作者の表情にはおのずといつくしみの念が浮かんでいるだろう。ほほ笑ましい光景だ。ところで私見によれば、孫と猫を素材にした詩歌にはほとんどロクなものはない。どうしても目じりが下がり過ぎて、溺愛気味の筆の運びとなってしまうからだ。あの金子光晴にしてからが、そうだった(「若葉ちゃん」連作詩)。家族や親戚に読ませるのならばともかく、一般読者に差し出されても困ってしまう。この句は、そのあたりの機微をきちんとわきまえた上での作句だと思った。だから「つめてもらひけり」の主体が、意図的に隠されているのではあるまいか。読者に察してもらうことで、大甘な句になることから免れているのでは……。『離庵』(2001)所収。(清水哲男)


February 0322003

 鬼は外父よまぶたを開けられよ

                           葉狩淳子

語は「鬼は外」で冬。たいていの歳時記には「福は内」とともに、「豆撒(まめまき)」の項目に分類されている。掲句の作者は、節分の夜に父親を見舞っているのだろう。もはや昏々と眠りつづけるだけの病人の枕頭にあって、せめて「まぶたを開けられよ」と、祈るような作者の哀切な心持ちが伝わってくる。今宵は豆撒き。幼かったころに、十分に元気だった父親が、大声で「鬼は外」と撒いてくれた姿を思い出す。思い出していま、作者も心のうちで、何度も何度も「鬼は外」と繰り返しているのに違いない。こんなにも切ない豆撒きの日が、かつてあっただろうか。眠りつづける父親の顔を凝視しながら、移り行く時の非情を噛みしめている句だ。このときに「鬼」は、時の移ろいそのものである。研究者でもないので、大きなことは言えないが、元来の「鬼」は観念的な存在であったようだ。決して、桃太郎が退治した鬼たちのように、人前に姿をさらすことはなかった。人の知恵などでは、どうしようもない存在。たとえば、不意に疫病をまき散らしたりする邪悪にして、手のほどこしようもない存在……。そうしたことからすると、掲句の鬼は最も本義に適っていると言えるのではあるまいか。「足よりも筆の衰へ鬼やらひ」(清水基吉)。この鬼もまた、時の移ろいを指していて、私など文筆の徒には鬼のように怖く写る句だ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


June 1362003

 接吻映画見る黴傘に顎乗せて

                           清水基吉

語は「黴(かび)」で夏。戦後九年目、1954年の句だ。およそ半世紀前の場末の映画館で、作者は「接吻映画」を見ている。がらがらで、しかも映画は退屈だったのだろう。そうでなければ、傘に顎を乗せて見るようなことはしない。傘も黴臭いが、映画館も黴臭い。そこらへんに、鼠が走っているような「小屋」はザラにあった。どういうわけか、客席に何本かの太い柱が立っているところもあり、柱の真後ろにも席があったのだから、それこそどういうわけだったのか。しかし、このころから日本映画は上り坂にかかってくる。ちなみに『二十四の瞳』『七人の侍』『ゴジラ』などが封切られたのは、この年だ。そんな映画を黴臭い二番館、三番館まで落ちてくるのを待ち、名作凡作ごたまぜの三本立てを、作者も見ていたのだろう。そのうちの一本が接吻映画だったわけだが、そういうジャンルがあったわけじゃない。ちょっとしたキス・シーンがあるというだけで売り物になったのだから、まことに時代は純情なものでした。当時の私はといえば、まだ高校生。立川や福生という基地の街の洋画専門映画館は、いつ入っても女連れのアメリカ兵でいっぱいだった。だから、キス・シーンはべつに映画の中じゃなくても、そこらへんにいくらでも転がっていた。掲句の作者とはまた違う意味で、映画館では憮然たる思いがしたものである。『宿命』(1966)所収。(清水哲男)


July 1272003

 かはほりや夕飯すんでしまひけり

                           清水基吉

語は「かはほり」で夏。蚊を欲するから「かはほり」と言ったようだ。発音が転じて「蝙蝠(こうもり)」に。私の子供のころは、夕方になると盛んに飛んでいた。夏の日は長い。それぞれの事情に合わせて、各家庭の夕食の時間はほぼ一定しているから、作者の家のように「夕飯」がすんでも、夏場にはまだ明るいということが起きる。私にも経験があるけれど、この明るさにはまことに中途半端な気持ちにさせられてしまう。夕飯が終われば、一日が終わったも同然だ。しかし、表はなお明るくて、終わったという気になることができない。まことに頼りなく所在なく、ぼんやりと「かはほり」の飛び交う様子でも眺めているしかないような時間帯となる。この不思議なからっぽの時間帯のありようを、句は誰にも見えるような空間に託して、さりげなく述べている。見事なものだ。テキストのみからの解釈ではこれでよいと思うが、句集の構成からすると、この句が敗戦直後に作られていることがわかる。となれば、句の「夕飯」の中身にも自然に思いが及んでいく。決して楽しんで食べられる中身じゃなかったはずだ。同じ作者の戦争末期の句には「飯粒の沈む雑炊捧げ食ふ」がある。粗食も粗食、米粒を探すのが大変という食事では、楽しむも何もないだろう。テキストのみから受ける印象に、あっという間に食べ終わった粗末な夕食と、やり場の無い心の空しさとを付け加えて鑑賞してみると、戦後庶民の茫然自失ぶりがひしひしと迫ってくる。ちなみに作者は、敗戦の年の芥川賞受賞作家だ。だが、受賞したからといって、暮らし向きが好転するような時代ではなかったこともわかる。『宿命』(1966)所収。(清水哲男)


December 26122003

 冬木立日のあるうちに別れけり

                           清水基吉

の句を読んで、すぐに師走の句だと感じた人は鋭い。というか、人情の機微によく通じている。実際にも十二月に詠まれているのだが、冬は冬でも押し詰まった時期の冬には、独特の人事的な意識が働く。つまり、自分はともかくとして、相手はみななにやかやと忙しいだろうと推測する意識だ。句の相手に対する作者の気持ちも同様で、わざわざ「日のあるうちに」とことわったのは、他の季節ならそんな時間には別れない人であることを示している。飲み友だちのような、気の置けない間柄なのだ。それがせっかく会ったのに、明るいうちに別れた。お互いに相手の多忙をおもんぱかり「ちょっと一杯」など言わないで、いや言えないで別れてしまった。ところがこのときに、おそらく作者には時間がたっぷりあったのだと思う。相手にだって、あったのかもしれない。別れてしまったあとで、やはり誘ってみるべきだったかなどと、ちょっとうじうじとした気分なのである。この気分が、すっかり葉を落した「冬木立」の淋しい風景に通じていく。さて、これから余った時間をどうしようか……。ところで、多くのサラリーマンは今日で仕事納めだ。だいたいの人が、それこそ日のあるうちに退社できるのだろう。私が勤め人だったころは独身のこともあって、明るいうちに同僚と別れるのはなんとなくイヤだった。帰宅しても、何もすることはない。かといって、忙しそうに見える人を誘うわけにもいかないし、結局はひとり淋しく映画でも見たのだったろうか。『離庵』(2001)所収。(清水哲男)


May 0352005

 春深し隣りは鯛飯食ひ始む

                           清水基吉

書に「車中」とある。隣りにいるのは、たまたま乗り合わせた見知らぬ人である。発車後間もないのか、あるいはまだ飯時ではないのか。でも、その人はひとり悠々と「鯛飯」弁当を食べはじめた。まことにもって「春深し」の候、作者は窓外を流れる新緑を眺めながら微笑している。ざっくりと読むならば、こういうことだろう。だが、人にもよるのだろうが、私などは隣りの人の食事にはちょっと神経を使わせられる。ちらちら目をやるわけにもいかないし、できるだけ無関心を装わねば失礼なような気もするので、身じろぎもせずに窓の外を見やったり、眠ったふりでもすることになる。自分が弁当を持っている場合にはもっと複雑で、こちらも食べればよいものを、それでは隣りにつられて真似したようで、釈然としない。しかも相手は高価な「鯛飯」、こちらはスタンダードな幕の内だったりすると、それだけで一種気後れもするから、ますます開けなくなる。仮にこの逆であるとしても、同じことだ。とにかく、まったく無関心というわけにいかないのには困ってしまう。神経質に過ぎるだろうか。これはもしかすると昔の教室で、みんなが弁当を隠しながら食べた世代に特有の感じ方なのかもしれないと思ったりもしているのだが……。ゆったりと句を味わえばよいものを、つい余計なことを書いてしまった。ごめんなさい。俳誌「日矢」(2005年5月号)所載。(清水哲男)


September 1992005

 毎日が老人の日の飯こぼす

                           清水基吉

語は「老人の日(敬老の日)」で秋。1951年(昭和二十六年)から始まった「老人の日」が、「敬老の日」として1966年(昭和四十一年)から国民の祝日に制定された。当たり前のことながら、高齢者にとっては「毎日が老人の日」だ。子供や若者とは違って、高齢者は否応無く日々「年齢」を意識して生きる存在である。老人を対象としたホームヘルパーなどが使う用語に「生活後退」があるが、これは高齢者・障害者など生活障害がある人々の衣食住を中心とした「基本的な生活」の局面で現れる生活内容の貧困化、悪化及び自律性の後退である。軽度ながら「飯こぼす」もその一つで、こうした身体機能の低下は極めて具体的であるがゆえに、その都度「年齢」を意識せざるを得ないわけだ。したがって当人には毎日が老人の日なのであり、その毎日のなかの年に一日だけを取り出して仰々しい日にするなんぞは、全体どういう了見からなのか。こっちは日常的に老いを意識して生きざるを得ないのに、重ねて国が追い打ちをかけることもあるまいに……。と、作者は鼻じろむと同時に、その一方で「飯こぼす」自分の情けなさに憮然としてもいるのだ。ああ、トシは取りたくねえ。私事だが、最近よく小さい物を落とすようになった。ビンの蓋だとかメモ用の鉛筆だとか。若い頃にはむろん何とも思わなかったけれど、いまでは落とすたびにショックを受ける。生活後退の兆しだろうな、と。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


October 14102005

 赤い羽根つけ勤め人風情かな

                           清水基吉

語は「赤い羽根」で秋。最近は、つけている人を街であまり見かけなくなった。見かけるのは、ほとんどがテレビに出てくるアナウンサーだとか国会議員だとか、いわば特殊な職業の人ばかりだ。この赤い羽根は、昭和二十二年に「少年の町」のフラナガン神父のすすめで、佐賀と福岡ではじまった民間の社会福祉活動である。以後、赤い羽根という斬新なアイデアの魅力も手伝って、たちまち全国展開されるようになった。ひところは季節の風物詩と言っても過言ではないくらいに普及し、街頭募金も大いに盛り上がったものである。掲句は、そのころの作句だろう。みんなと同じように募金して羽根をつけてはみたものの、考えてみれば自分はしがないサラリーマンでしかない。そんな「勤め人風情」が事もあろうに人助けとは、なんだかおこがましいような気がする。いいのかな、こんなことをして……。と、自嘲の心が消せないのである。私も若いころから、民間の福祉活動については(その善意を否定するのではないが)、疑問を持ってきた。本来は国家の福祉制度が充実していればすむ部分をも、民間に任せてネグレクトしているのが許せないからだ。したがって、国会議員が赤い羽根をつけるなどは笑止の沙汰で、自分たちの福祉政策の脆弱さ加減をみずから認めているようなものなのである。彼らにはおよそデリカシーというものが無いらしく、その欠如がいまやこれまで積み上げてきたささやかな公的福祉すらをも切り捨てにかかってきた。それこそ福祉の民営化だ。「勤め人風情」が羽根をつけなくなったのも、当然だろう。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


March 0432006

 ほのぼのと熱あがりけり春の宵

                           清水基吉

語は「春の宵」。「春宵一刻値千金」の詩句から、昔は「千金の夜」などという季語もあったそうだ。明るく艶めいていて、そこはかとなく感傷を誘い、浪漫的な雰囲気のある春の夜である。掲句は、そんな春の宵に「熱」があがったと言うのであるが、この熱は外気温ではなくて体温のことだろう。身体の熱が「ほのぼのと」あがるとは奇異な表現に思えるかもしれないけれど、しかし、こうした感じになることはあるのだと思う。いわば微熱状態が、当人にとっては不快ではなく、むしろとろとろとして安らかな気分であるというわけだ。身体は不調であるのに、むしろほのぼのとした実感を覚えている。私の体験からすると、若いうちは感じられなかった独特の安らかさである。近年、これに近い状態を詩に書いたことがあって、出だしは次の通りだ。「ここでは/気温と体温とが/あらがうことなく融合する/いつからだろうか/それに気がついたのは//ここでは/融合すると間もなく/骨という骨が皮膚から少しずつ滲み出て/声という声が甘辛く皮膚から浸透して来て/人として獲得してきたあらゆるものが/溶けていくように感じられつつ/逆に緩慢に凝固しつづけるのです……」(「べらまっちゃ」2004年)。微熱状態が安らぎに通じるのは、気温と体温とが「あらがうことなく」、ちょうど良い案配に溶け合うような感じになるときである。「春の宵」は気温もちょうど良いし、加えて艶めいた雰囲気が安らぎを助長する。それにもう一つ年輪が加わり、少々の熱が出ようが、体力の衰えを知る者には、焦っても仕方がないという一種の精神的な余裕が生じるからではないかと思われるのだか、どうだろうか。俳誌「日矢」(2006年3月号)所載。(清水哲男)


May 1752006

 もめてゐるナイターの月ぽつねんと

                           清水基吉

語は「ナイター」で夏。和製英語だ。英語では「night game」と言う。なんとなく「er」をくっつけて、英語っぽい表現にすることが好まれた時代があった。六十年安保のころには「スッター」だの「マイター」だのという言葉すらあったのだから、笑ってしまう。おわかりでしょうか。いずれも学生自治会用語で、「スッター」は謄写版でビラを印刷する(刷る)人のこと、「マイター」はそうして印刷されたビラを街頭で撒く人のことだった。さて、掲句は「ナイター」見物の一齣だ。昔の後楽園球場だろうか。ドームはなかった時代の句だから、当然空も見えている。審判の判定をめぐってか、あるいは今で言う「危険球」か何かをめぐってか、とにかくグラウンドで「もめてゐる」のだ。おそらくはどちらかの監督の抗議が執拗で、なかなか引き下がらない。最初のうちはどう決着がつくのかと注視していた作者も、そのうちに飽きがきたのだろう。もうどうでもいいから、早くゲームを再開してくれ。そんな気持ちでグラウンドから目を離し、なんとなく空を見上げたら、そこには「ぽつねんと」月がかかっていた。地上の野球とは何の関係もない月であるが、目の前のもめ事に醒めてしまった作者の目には、沁み入るように見えたにちがいない。大袈裟な言い方かもしれないが、このときの作者には一種の無常観が芽生えている。確かに大観衆のなかの一人ではあるのだけれど、一瞬ふっと周囲の人間がみなかき消えてしまったような孤独感。そんな味の滲み出た佳句である。『清水基吉全句集』(2006)所収。(清水哲男)


September 1792007

 毎日が老人の日の飯こぼす

                           清水基吉

日「敬老の日」は、かつては「老人の日」と言った。この句は、その当時の作句だろう。その前は「としよりの日」だった。年月が経つうちに、だんだん慇懃無礼な呼び方に変わってきたわけだ。それはそのまま、国家の老人政策のありように対応している。いいじゃないか、「こどもの日」があるんだから「としよりの日」だって。でも、そのうちに「こどもの日」も改称されて、「こどもを大事にする日」「こどもを愛する日」なんてことになるかもしれない。最近の世情からすると、これもまんざら冗談とは言い切れまい。歳をとるといろいろな場面で、こんなはずではなかったがという失敗をやらかすようになる。飯をこぼすのもその一つで、私もときどき娘から叱られている。何故、こぼすのか。よくわからないけれど、幼児がこぼす原因とは根本的に違うようだという感じはある。幼児は経験不足からこぼすのであり、老人はたぶん経験に追いつかない身体機能の低下のせいで齟齬を来すのだ。おまけに、そのことを意識するから、かえって失敗が多くなる。無意識では満足に飯も口に運べなくなるのが、老人である。今日はそういう人たちを大事にするようにと、国家が定めた日だ。こんな祝日は、海外にはないそうだ。「毎日が老人の日」である作者にとっては、自嘲的にならざるを得ないのである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


June 0962008

 継ぎ接ぎて延ばすいのちや梅雨に入る

                           清水基吉

者はこの三月の末に亡くなった。享年八十九。ちょうど一年前の句だ。「継ぎ接ぎて」と、「つぐ」に別々の漢字をあてたところに、この年齢ならではの実感を読み取ることができる。「継ぐ」は親からさずかった命の自然的な継承を意味し、「接ぐ」には入院治療など本人の意思で延命をはかってきたことを指している。両者あいまっての寿命というわけだが、そんな一種のあがきのなかで、今年も梅雨の季節を迎えたと言うのである。この年齢まで来ると、もはや梅雨が鬱陶しいだとか憂鬱だとかという心情的なレベルは越えていて、作者はただ季節の移り変わりの様子に呆然としているかのようである。生きてまた、今年も梅雨を迎えてしまったか……。それはしかし感慨でもなく、ましてや詠嘆でもなく、作者はただうずくまるようにして、そのことを自分に言い聞かせている。高齢の人の偽りのない気持ちがよく出ていて、読者はそこに救われるのである。この句を収めた最後の句集を、作者は生きて見ることはできなかった。『惜別』(2008)所収。(清水哲男)


December 19122010

 忘年酒とどのつまりはひとりかな

                           清水基吉

末に限らず、会社の同僚との飲み会というものが、最近はずいぶん減ったように思います。個人的にそう感じるものなのか、時代の厳しさがそうさせているのか、定かではありません。とにかく、「この一年ご苦労様」と、暢気に乾杯のできる世相では、もうないようです。先週の日曜日に、詩の仲間との忘年会に参加しましたが、こちらのほうは実生活とは別の部分でのつながりでもあり、詩集が出たの、まだ出ないのと、はたから見たらどうでもいいことに話題は盛り上がって、気楽に酔うことができました。今日の句は、忘年会で酔っ払って気勢を上げていたものの、帰り道で一人一人と別れてゆくうちに、最後は自分だけになったということを詠っているのでしょうか。「とどのつまり」の一語が、どこかユーモラスに感じられます。電車を降りて家に向かう道では、酔いもだいぶ覚めてきています。そんな、元気のなくなってゆく様子が、自嘲気味に句の中にしまわれています。『合本 俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


May 2352011

 夕わけて竹の皮散る酒の中

                           清水基吉

は静かに飲むべかりけり。日本酒が飲めない私でも、こういう句を読むと、しみじみとそんな気がしてくる。薄暮の庭でも眺めながら、ひとり静かに飲んでいるのだろう。実際に竹が見えているのかどうかはわからない。見えていないとすれば、竹が皮を脱ぐときにはかすかな音がするので、それとわかるのだ。よほど静かな場所でないと聞こえないから、音が聞こえていると解したほうが、より情趣が濃くなる。夕暮れの淡い光のなかで時折はらりと竹の皮が散るさまは、それだけでも作者の孤独感を写し出しているように思われるが、散った皮がはらりはらりと「酒の中」へ、つまり少し酔った状態のなかへと散りかかるというのだから、寂しくも陶然とした作者の心持ちが表されている。孤独の愉しさ……。酒飲みのロマンチシズムもここに極まった、そんなおもむきのある句だ。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川書店)所載。(清水哲男)


September 1592014

 毎日が老人の日の飯こぼす

                           清水基吉

日は「敬老の日」だが、「老人の日」でもある。前者は国民の祝日、こちらは第三月曜日と法律で決まっている。「老人の日」はその前の祝日であったが、この日を移動祝日化するにあたって「移動」に全国の老人クラブなどの反対の声が高かったため、時の政府は苦肉の策として2001年(平成13年)の祝日法改正の際、同時に「老人福祉法」も改正し、2003年(平成15年)から国民の祝日である「敬老の日」を9月第3月曜日に変更するかわりに、2002年(平成14年)から9月15日を祝日ではない「老人の日」、9月15日〜21日の1週間を「老人週間」として、法律で定めることにしたのだった。「敬老の日」と「老人の日」とでは、大きく意味が異なる。句のように「老人の日」の主体は「老人」であるが、「敬老の日」のそれは老人には満たない年代の人々である。「飯こぼす」はよく見かける光景だが、当人は決してぼんやりしていたりするからではなく、注意はしていても止むを得ず「こぼす」結果になることを恥辱だとも思い、自身への怒りでもあるところが、なんとも切なくて辛い。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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