c~句

October 24101996

 清水を祇園へ下る菊の雨

                           田中冬二

の句は、もちろん与謝野晶子の有名な歌を意識している。というよりも、対抗しているというべきか。「桜月夜」に対して「菊の雨」。「春」対「秋」。しかし、勝敗の帰趨は明らかで、冬二の完敗である。情感のふくらみで劣っている。田中冬二は『青い夜道』『海の見える石段』などの著書を持つ著名な抒情詩人だが、俳句もよくした。例外はあるとしても、どうも詩人の句には貧弱なものが多い。冬二ほどの凄い詩人でも、この始末。悪い句ではないけれど、イメージ的に何か物足らないのである。天は二物を与えないということだろうか。『若葉雨』所収。(清水哲男)


April 0241998

 機関車の蒸気すて居り夕ざくら

                           田中冬二

ういうわけか、昔の駅の周辺には桜の樹が多かった。駅舎をつくったときに、何もないのは寂しいというので、日本のシンボルとしての桜を植えたのかもしれない。東京でいうと、JRの国立駅などにその面影が残っている。したがって、この句のような情景は、当時はあちこちで見られたものである。頑強なイメージの機関車が吐きだす蒸気につつまれた、淡い夕桜の風情は、新文明のなかの花を抒情的にとらえている。眼前の現実そのものを詠んでいるのだが、どこか郷愁を感じさせるところに、抒情派詩人として活躍した作者の腕の冴えがいかんなく発揮されていると言えよう。情緒に傾き過ぎて、実は俳句にはあまりよい作品のない人だったけれど、この句はなかなかの出来である。第三句集『若葉雨』(1973)所収。(清水哲男)


May 2752006

 柿若葉青鯖売りの通りけり

                           田中冬二

語は「柿若葉」て夏。花よりも葉の美しさを愛でる人が。圧倒的に多い植物だ。この葉が土蔵の横あたりで光りだすと、まさに「夏は来ぬ」ぬ実感がわく。そこに、寒い間は足が遠のいていた「青鯖売り」が通りかかった。やっと陽気がよくなったので、遠い山道を歩いてやってきたのだ。これからいつもの夏のように柿の葉陰で荷を開くのだろう。まだ青鯖は見えていないのだけれど、作者はもう、柿の青葉に照り映える鯖の青さを感じている。私にも体験があるのでわかるのだが、山国に暮らす人には、とりわけ海の魚の色は目にしみるものだ。このように田中冬二は色使いの上手な詩人で、たとえば「雪の日」という短い詩は。次のように書き出されている。「雪がしんしんと降つてゐる/町の魚屋に/赤い魚青い魚が美しい/町は人通りもすくなく/鶏もなかない 犬もほえない……」。揚句とは季節感が大いに異なるが。「雪の白」と「魚の青や赤」の対比が、実に良く効いている。『鑑賞現代俳句全集・第十二巻』(1981)所載。(清水哲男)


June 1362007

 夏山のかぶさつてゐる小駅かな

                           田中冬二

蒼と緑が繁り盛りあがり、緑がしたたらんばかりの夏山である。大波がうねるように濃い緑が暑さをものともせず起ちあがり、覆いかぶさって、麓の小さな駅を一呑みにせんばかりの勢いである。まかなかワイドな景色ではないか。小駅を配したことによって、対比的に夏山がいっそう大きく感じられる。のみならず「かぶさつてゐる」という描写によって、夏山があたかも巨大な生きもののようにダイナミックに感じられる。信州あたりの実景かもしれない。かぶさるような山の緑に、今にも圧しつぶされそうになっている小さな駅に対する、作者の慈しみの心を看過してはなるまい。冬二の詩にも同じような心を読みとることができる。私事で恐縮だが、中学生の頃にアンソロジーで出会った詩集『青い夜道』のなかの詩が気に入って、まめにノートに書き写したりした一時期があった。「ぢぢいと ばばあが/だまつて 湯に入つてゐる」なんて短詩は、掲出句の世界と今やとても近いものに感じられる。こうした何のてらいもない句が、何かの拍子に人の心に覆いかぶさってくることだってあり得る。うれしいことだ。冬二には、ほかに「白南風や皿にこぼれし鱚(きす)の塩」という夏の句もある。『行人』(1946)『麦ほこり』(1964)二冊の句集があり、俳句について冬二はこう述べている。「これまで俳句を詩作の側、時にそのデッサンとして試作してきたが、本格的の俳句は決して生やさしいものでない」。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


June 0962010

 梅雨の夜や妊るひとの鶴折れる

                           田中冬二

ろそろ梅雨の入り。梅の実が熟する時季に降る雨だから梅雨。また、栗の花が咲いて落ちる時季でもあるところから「墜栗花雨(ついりあめ)」とも呼ぶと歳時記に説明がある。雨の国日本には雨の呼称は数多くあるけれど、「黴雨」「梅霖」「荒梅雨」「走梅雨」「空梅雨」「梅雨晴れ」などなど、梅雨も多様な呼び方がされている。さて梅雨どき、昼夜を通して鬱陶しい雨がつづいている。妊った若妻であろうか、今夜も仕事で帰りの遅い夫を待ちながら、食卓で所在なく黙々と千代紙で鶴を折っている。「鶴は千年……」と言い伝えられるように、長寿の動物として鶴は古来尊ばれてきた。これから生まれてくる吾子が、健やかに成長してくれることと長寿を願いながら、一つ二つと鶴を折っているのであろう。静けさのなかに、雨の夜の無聊と、生まれてくる吾子に対する愛情と期待が雨のなかにもにじんでいる。冬二には『行人』『麦ほこり』など二冊の句集があるが、実作を通して「俳句は決して生やさしいものではない」と述懐している。相当に打ち込んだゆえの言葉であろう。筆者は生前の冬二をかつて三回ほど見かけたことがあるけれど、長身痩躯で眼鏡をかけ毅然とした表情が印象に強く残っている。冬二の句に「白南風や皿にこぼれし鱚の塩」がある。たまたま梅雨と鶴を組み合わせた句に、草田男の「梅雨の夜の金の折鶴父に呉れよ」がある。平井照敏編『新歳時記』夏(1990)所載。(八木忠栄)


April 1842012

 貧しさに堪へ来し妻や花菜漬

                           田中冬二

年、日本では「貧しさ」とか「貧困」という言葉はあまり聞かれなくなった。開発途上国の特定の地域を指して使われるくらいか。では、日本は豊かになったのか? 概してそうなのかもしれない。けれども、孤独死や高齢の親子の餓死など、今どき信じられないようなニュースが絶えない。「ワーキングプア」などというイヤな言葉がまかり通る。働く貧困層だって?「貧しさ」は市民社会の物心の日常の奥に、今も依然として生き延びている。その昔(わが少年期でもいい)は現在にくらべて一般に貧しかったが、ゆとりのある人間的な時間がそこには流れていた。貧しさというものとじかに向きあうのは、どこの家庭でも家計をやりくりする主婦だった。男ではなく賢明な妻たちこそ、一様に「ボロは着てても心の錦」とじっと堪えていたのではないか。古き時代、堪えて堪えて堪えた妻たち。「花菜漬」は菜の花のまだ青いつぼみを漬けたもので、その素朴な美味しさは食感も群を抜いている。「貧しさ」にも、それに「堪えて来た妻」にも、春は確かな足どりでやってくる。そんな春を味あわせてくれるのが、素朴な花菜漬の味である。冬二は妻を思いやり、春を実感する。「花菜漬」が句を明るくしめくくっている。『行人』『麦ほこり』などの句集を持つ冬二は「これまで俳句を詩作の側、時にそのデッサンとして試作して来たが、本格的の俳句は生やさしいものでない」と謙虚に述べている。他に「桑の芽のほぐれそめにし朝の雨」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)


March 1632016

 山麓は麻播く日なり蕨餅

                           田中冬二

になって山麓の雪もようやく消え、麻の種を播く時期になった。この麻は大麻(おおあさ/たいま)とはちがう種類の麻である。幼い頃、私の家でも山間の畠に麻を少し作っていた記憶がある。麻は織られて野良着になった。冬二が信州を舞台にして書いた詩を想起させられる句だ。詩を読みはじめた頃、それら冬二の詩が気に入って私はノートに書き写した。蕨餅を頬張りながら麻の種を播いているのであろうか。いかにも山国の春である。蕨餅は本来蕨の根を粉にした蕨粉から作られるところから、こういう野性的な名前がつけられた。今はたいていはさつまいもや葛の澱粉を原料にした、涼しげで食感のいい餅菓子である。春が匂ってくるようだ。京都が本場で、京都人が好む餅菓子だとも言われる。当方は子どものころ、春先はゼンマイやワラビ、フキノトウ採りに明け暮れていた時期があったが、蕨餅は知らなかった。蕨は浅漬けにして、酒のつまみにするのが最高である。歳時記には「わらび餅口中のこの寂蓼よ」(春一郎)という句もある。蕨ではなくて「蓬」だけれど、珍しい人の俳句を紹介しておこう。吉永小百合の句に「蓬餅あなたと逢った飛騨の宿」がある。平井照敏編『新歳時記・春』(1996)所収。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます