Hs句

October 25101996

 牡蛎の酢に噎せてうなじのうつくしき

                           鷹羽狩行

行には、女性をうたった句が多い。『女人抄』(ふらんす堂文庫)というアンソロジーがあるくらいだ。この句、異性とともにあるときの男の視線の動きを如実に伝えていて、面白い。相手が男だったら、このような視線の動きはありえないだろう。ある人が「狩行は現代の談林派だ」といったが、的を得ている。大衆性があるという意味だ。小説家でいえば、最近では『失楽園』で話題の渡辺淳一に共通する資質を持っていると思う。たまさか甘すぎて、私などには気恥ずかしく感じられる句もある人だ。が、現代俳句にとっては、それもまた貴重な試みだと受け取っておきたい。『七草』所収。(清水哲男)


August 1481997

 踊りゆく踊りの指のさす方へ

                           橋本多佳子

りといえば、俳句では盆踊りのことを言う。秋の季語。踊りの句はたくさんあるが、すぐに気がつくのは、踊りの輪に入らずに詠んだ句がほとんどだということ。男の句になると、昔から特に目立つ。俳人はよほどシャイなのだろうか。たとえば森澄雄の「をみならにいまの時過ぐ盆踊」や鷹羽狩行の「踊る輪の暗きところを暗く過ぎ」など佳句であることに間違いはないが、なんとなく引っ込み思案が気取っているような恨みは残る。その点で、この句には参加意識が感じられる。傍見しているとも読めるけれど、踊りの輪の中の実感と読むほうが面白い。この指のクローズアップは踊り手ならではの感覚から出ているのだと思う。「方へ」は「かたへ」と読む。(清水哲男)


December 31121997

 その前に一本つけよ晦日蕎麦

                           鷹羽狩行

麦は酒(なんで酒をわざわざ「日本酒」と特定していわなきゃいけないんだ)に限る。もっとも評者は蕎麦焼酎を呑んでいるし、いままではずっと蕎麦にビールだったから、大きなことは言えない。しかし、こういう句はいいなあ。大いに助かります。狩行句は、こういう世界でも天下一品。向かうところ敵なしです。あやかってこちとらも作りたいのだが、余裕というものがないのですね。特に年末など……。『俳句 俳句年鑑一九九八年版』の[私が選ぶ「新しい」句BEST5]藤田あけ烏選より。(井川搏年)


May 2351998

 麦の秋朝のパン昼の飯焦し

                           鷹羽狩行

だちゃんとしたトースターも、ましてや電気炊飯器もなかった時代。パンを焦したり飯を焦したりしているのは、新婚後間もない妻である。そんな新妻の失敗を仕様がないなと苦笑しながらも、作者はもちろん新妻を可愛く思っているのだ。おそらく窓外に目をやれば、黄色に熟した麦畑が気持ち良くひろがっていたのであろう。初夏の爽快な季節感も手伝って、結婚した作者の気持ちは浮き立っている。新婚の女性の気持ちはいざ知らず、結婚したてのたいがいの男は、このように妻の失敗を喜んで許している。そこが実は、その後の結婚生活のそれこそ失敗の元になるのだ……などと、余計なことを言い立てるのは愚の骨頂というものであって、ここはひとつ静かに微笑しておくことにしたい。ところで、立派なトースターや炊飯器の備わっている現代の新妻には、どんな失敗があるのだろうか。……と、すぐにまた野暮なことを言いかける我が野暮な性分。『誕生』(1965)所収。(清水哲男)


August 0582000

 子の中の愛憎淋し天瓜粉

                           高野素十

上がりの子供に、天瓜粉(てんかふん)をはたいてやっている。いまなら、ベビー・パウダーというところ。鷹羽狩行に「天瓜粉しんじつ吾子は無一物」があって、父親の情愛に満ちたよい句だが、素十はここにとどまらず、さらに先へと踏み込んでいる。こんな小さな吾子にも、すでに自意識の目覚めが起きていて、ときに激しく「愛憎」を示すようになってきた。想像だが、このときに天瓜粉をつけようとした父親に対して、子供がひどく逆らったのかもしれない。私の体験からしても、幼児の「愛憎」は全力で表現されるから、手に負えないときがある。その場はもちろん腹立たしいけれど、少し落ち着いてくると、吾子の「愛憎」表現は我が身のそれに照り返され、こんなふうではこの子もまた、自分と同じように苦労するぞという思いがわいてきた……。さっぱりした天瓜粉のよい香りのなかで、しかし、人は生涯さっぱりとして生きていけるわけではない、と。そのことを、素十は「淋し」と言い止めたのだ。「天瓜粉」は、元来が黄烏瓜(きからすうり)の根を粉末にしたものだった。「天瓜」は烏瓜の異名であり、これを「天花」(雪)にひっかけて「天花粉」とも書く。平井照敏編『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 15112002

 スケートの濡れ刃携へ人妻よ

                           鷹羽狩行

つて「家つきカーつきババア抜き」なる流行語があった。1960年ころのことだ。若い女性の理想的な結婚の条件を言ったものだが、流行した背景には、まだまだ「家なしカーなしババアつき」という現実があったからだ。掲句は、そんな社会的背景のなかで読まれている。嫁に行ったら家庭に入るのが当たり前だった時代に、共稼ぎでの仕事場ならばまだしも、遊びの場に若い「人妻」が出入りするなどは、それだけで一種ただならぬ出来事に写ったはずだ。しかも「スケート」を終えた句の人妻は、いかにもさっそうとしている。「濡れ刃携へ」は即物的な姿の描写にとどまらず、彼女の毅然たる内面をも物語っているだろう。行動的で自由で、どこか挑戦的な女。作者は、そのいわば危険な香りに魅力を覚えて、「人妻よ」と止めるしかなかった。「よ」は詠嘆でもなければ、むろん嗟嘆などではありえない。強いて言うならば、羨望を込めた絶句に近い表現である。この句が詠まれてから、まだ半世紀も経っていない。もはや人妻がスケート場にいても当たり前だし、第一「人妻」という言葉自体も廃れてきた。いまの若い人には、どう読まれるのだろうか。『誕生』(1965)所収。(清水哲男)


December 05122003

 枯山の人間臭き新聞紙

                           鷹羽狩行

語は「枯山(かれやま)・冬の山」。全山枯一色の山道を歩いていたら、使いさしの「新聞紙」が無造作に丸めて捨てられていた。人と擦れ違うでもなく、およそ人間社会とは無縁のような山奥の道に落ちている新聞紙は、たしかに生臭くも人間臭い感じがするだろう。捨てた人はゴミとして捨てたわけだが、見つけたほうには単なるゴミを越えて、離れてきた俗世間へ一気に引き戻される思いがするからだ。そのあたりの機微がよく押さえられているが、この「人間臭き」の印象の中身は、読者によってさまざまであるに違いない。山歩きの目的にいささかでも厭人厭世的な動機が伴っている場合には、不快感を覚えてしまうだろう。作者はあるところで、「新聞もテレビ、ラジオのニュースもない場所を求め、深山幽谷に入ったつもりだったのに」と恨めしげに述べている。が、そうでない人にとっては、べつに拾って読むほどではないにしても、どこかでほっとした気持ちになるはずだ。私の場合はいつも世間が恋しい性格だから、旅に出て何日か新聞を眺めない日があったりすると、忘れ物をしたような気にさえなる。昨今の小さなビジネスホテルでは、まったく新聞の置いてないところもあって、何が「ビジネスかよ」と腹立たしい。外国に出かけても同じことで、昔出かけたアテネの街で、辛抱たまらなくなり新聞を買ったまではよかったが、悲しいことにギリシャ語ゆえ一字も読めず。でも、一安心の気分は日本にいるときと変わらなかった。いずれの印象を受けるにせよ、新聞の「毒」はまことに強力、その威力には凄いものがある。『誕生』(1965)所収。(清水哲男)


April 1942004

 一本もなし南朝を知る桜

                           鷹羽狩行

年の桜の開花は、全国的に早かった。もうすっかり葉桜になってしまった地方も多いだろう。句は「吉野山」連作三十八句のうち。吉野の桜はシロヤマザクラだから、ソメイヨシノに比べて開花は遅いほうだが、ネット情報によれば、今年は既に先週末から奥千本も散りはじめているという。この週末までも、もちそうにない。句意は明瞭。南朝は14世紀に吉野にあった朝廷だから、樹齢六百年以上の桜の木でもないかぎり、当時のことは知るはずもないわけだ。そういうことを詠んでいるのだが、ただ単に理屈だけを述べた句ではない。吉野の桜の歴史は1300年前からととてつもなく古く、訪れる人はみな花の見事さに酔うのもさることながら、同時に古(いにしえ)人と同じ花の情景を眺められることにも感動するのである。いわば、歴史に酔いながらの花見となるのだ。しかしよく考えてみれば、昔と同じ花の情景とはいっても、個々の木にはもはや南朝を知る「一本」もないわけで、厳密な意味では同じではありえない。だからこそ、作者はこう詠んだのだろう。すなわち、吉野桜はただ南朝の盛衰を傍観していたのではなく、桜一本一本にも同様に盛衰というものがあり、その果てに現在も昔と同じ花の盛りを作り出している。そのことに、あらためて作者は感動しているのである。とりわけて作者は、幼いころから南朝正当論を叩き込まれた世代に属している。だから、吉野桜に後醍醐天皇や楠木正成正行父子などの悲劇を、ごく自然に重ね合わせて見てしまう。南朝正当論の是非はともかくとして、吉野桜をどこか哀しい目でみつめざるをえない作者の世代的心情が、じわりと伝わってくる佳句と読んだ。「俳句研究」(2004年5月号)所載。(清水哲男)


May 2452004

 手渡しの重さうれしき鰻めし

                           鷹羽狩行

語は「鰻(うなぎ)」で夏。掲句のように、作者は身構えない句の名手だ。何の変哲もない日常の断片を捉えて、見事にぴしゃりと仕立て上げる。天性のセンスの良さがなせる業としか言いようがなく、真似しようとして真似できるものではないだろう。その意味では、虚子以来の名人上手と言うべきか。前書に「茨城・奥久慈」とあるが、ここが鰻の産地であるかどうかは知らない。いや、むしろ産地ではないからこそ、思いがけなく出てきた「鰻めし」と解したほうが面白そうだ。旅の幹事役が一人ひとりに手渡しているのは、駅弁かどこかの店の折詰である。包装紙から中身が鰻めしであるとはすぐに知れたが、いささか小ぶりに感じられた。だが、実際に手渡されてみると、意外にもずっしりとした手応え。思わずも「うれし」くなってしまったというそれだけの句であるが、実に巧みに人情のツボを押さえている。いわば人の欲のありようを、さりげなくも鋭く描き出している。同じものならば少しでも重いほうが、あるいは大きいほうが得をしたような気になるものだ。べつに作者はがつがつしているわけではないけれど、こうした他愛ない欲の発露にうれしくなる自分(ひいては人間というもの)に小さく驚き、むしろ新鮮味すら覚えているのだと思う。誰にでも覚えのあることながら、このような些事を句にしようとする人は皆無に近い。句作において、この差は大きい。作者の天性を云々したくなる所以である。『十四事』(2004)所収。(清水哲男)


August 2382004

 鮒ずしや食はず嫌ひの季語いくつ

                           鷹羽狩行

語は「すし(鮓・鮨)」で、暑い時期の保存食として工夫されたことから夏とする。「寿司」とも表記するが、縁起の良い当て字だ。句は「彦根十五句」のうち。蕪村に「鮒鮓や彦根の城に雲かかる」があるように、昔から「鮒ずし」は滋賀の郷土料理として有名である。作者は鮒ずしを「食はず嫌ひ」で通してきたのだが、彦根への旅ではじめて口にしてみて、意外な美味を感じたのだろう。誰にも、こういうことはたまに起きることがある。納豆の食わず嫌いが、ひとたび口にするや、たちまち納豆好きになった人を知っている。そこで作者は、ふと連想したのだ。季語についても、一般的に同じことが言えるのではあるまいか。少なくとも自分には「食はず嫌ひ」の季語があって、それも数えてみたわけではないけれど、けっこうありそうだ、と。「季語いくつ」は自分への問いかけであると同時に、読者へのそれでもある。言われてみれば、誰にもそんな季語のいくつかはあるに違いない。私どもの句会(余白句会)で、谷川俊太郎が「『風光る』って恥ずかしくなるような季語だよね」と言ったのを覚えているが、これなども食わず嫌いに入りそうだ。いや他人事ではなくて、私にもそんな季語がある。これからの季節で言うと、たとえば「秋の声」だなんてそれこそ気恥ずかしくて使えない。若い頃に物の本で「心で感じ取る自然の声」などという解説を読んだ途端に、とても自分の柄じゃないと思ったからだ。ところで、読者諸兄姉の場合は如何でしょうか。俳誌「狩」(2004年9月号)所載。(清水哲男)


October 25102005

 しぐるるや船に遅れて橋灯り

                           鷹羽狩行

語は「しぐるる(時雨るる)」、「時雨」に分類。冬の季語だが、晩秋を含めてもよいだろう。昔の歌謡曲に「♪どこまで時雨ゆく秋ぞ」と出てくる。作者はおそらく、海峡近くのホテルあたりから海を見ているのだ。日暮れに近い外はつめたい時雨模様で、遠くには灯りをつけた船がゆっくりと動いている。と、近景の長い橋にいっせいに明りが灯った。時雨を透かして見える情景は、まさに一幅の絵のように美しい。しばし陶然と魅入っている作者の心持ちが、しみじみと伝わってくる句だ。言うなれば現代の浮世絵であるが、絵と違って、掲句には時間差が仕込まれている。何でもないような句だけれど、巧いなあと唸ってしまった。「しぐるる」の平仮名表記も効果的だ。この句を読んでふと思ったことだが、橋に明りが灯るようになったのはいつごろからなのだろうか。明治期の錦絵を見ると、日本橋に当時の最先端の明りであるガス灯が灯っていたりする。しかし通行人はみな提灯をさげていて、そのころの夜道の暗さがしのばれるが、これは実用と同時にライトアップ効果をねらった明りのようにも思える。ガス灯以前の橋の上が真っ暗だったとすると、月の無い夜、大川あたりの長い橋を渡るのはさぞや心細かったに違いない。まして、時雨の夜などは。俳誌「狩」(2005年11月号)所載。(清水哲男)


December 26122005

 煤逃げの碁会のあとの行方かな

                           鷹羽狩行

語は「煤逃げ(すすにげ)」で冬、「煤払(すすはらい)」に分類。現代風に言うならば、大掃除のあいだ足手まといになる子供や老人がどこかに一時退避すること。表に出られない病人は、自宅の別室で「煤籠(すすごもり)」というわけだ。掲句は軽い調子だが、さもありなんの風情があって楽しめる。大掃除が終わるまで「碁会」(所)にでも行ってくると出ていったまま、暗くなってもいっかな帰ってこない。いったい、どこに行ってしまったのか、仕様がないなあというほどの意味だ。この人には、普段からよくこういうことがあるのだろう。だから、戻ってこなくても、家族は誰も心配していない。「行方」の見当も、だいたいついている。そのうちに、しれっとした顔で帰ってくるさと、すっかりきれいになった部屋のなかで、みんなが苦笑している。歳末らしいちょっとした微苦笑譚というところだ。戦後の厨房や暖房環境の激変により、もはや本物の煤払いが必要なお宅は少ないだろうが、私が子供だったころの農村では当たり前の風習だった。なにしろ家の中心に囲炉裏が切ってあるのだから、天井の隅に至るまでが煤だらけ。これを一挙に払ってしまおうとなれば、無防備ではとても室内にはいられない。払う大人は手拭いでがっちりと顔を覆い、目だけをぎょろぎょろさせていた。そんなときに、子供なんぞは文字通りの足手まといでしかなく、大掃除の日には早朝から寒空の下に追い出されたものだった。寒さも寒し、早く終わらないかなあと、何度も家を覗きに戻った記憶がある。俳誌「狩」(2006年1月号)所載。(清水哲男)


March 2332006

 春昼や魔法瓶にも嘴ひとつ

                           鷹羽狩行

語は「春昼」。「嘴」は「はし」と読ませている。なるほど、魔法瓶の注ぎ口は鳥の「くちばし」に似ている。「囀り(さえずり)」という春の季語もあるように、折から小鳥たちがいっせいに啼きはじめる時候になってきた。そんな小鳥たちの愛らしい声の聞こえる部屋の中では、ずんぐりとした魔法瓶がいっちょまえに「嘴」を突き出して、こちらはピーとも啼きもせず、むっつりと座り込んでいるのだ。それが春の昼間のとろとろとした雰囲気によく溶け込んでいて、暢気で楽しい気分を醸し出している。魔法瓶の注ぎ口に嘴を思うのは、べつに新鮮な発見というわけではないけれど、春昼とのさりげない取り合わせの妙は、さすがに俳句巧者の作者ならではである。ところで、この魔法瓶という言葉だが、現在の日常会話ではあまり使われなくなってきた。魔法瓶で通じなくはないが、「ポット」とか「ジャー」と言うのが一般的だろう。考えてみれば、「魔法」の瓶とはまあ何とも大袈裟な名前である。登場したころにはその原理もよくわからず、文字通り「魔法」のように感じられたのかもしれないけれど、いまや魔法瓶よりももっと魔法的な商品は沢山あるので、魔法を名乗るのはおこがましいような気もする。西欧語からの翻訳かなと調べてみたら、どうやら日本語らしい。1904年に、ドイツのテルモス社が商品化に成功したことから、欧米ではこの商品名テルモス(サーモス)が現在でも一般的であるという。「俳句研究」(2006年4月号)所載。(清水哲男)


April 2942006

 個展より個展へ銀座裏薄暑

                           鷹羽狩行

語は「薄暑(はくしょ)」で夏。初夏の候の少し暑さを感じるくらいになった気候を言うが、四月中旬ごろから「薄暑」を覚えることは多い。銀座は画廊の多い街だ。一丁目から八丁目まで、おそらく二百廊以上はあるのではなかろうか。とくに銀座裏の通りの一画には、軒並みにひしめいていると言っても過言ではない。そんなにあるのに、よく商売になるなと感心させられてしまうが、それほどに銀座は昔から、裕福な好事家や趣味人が集まる土地だったというわけだ。私のサラリーマン第一歩は芸術専門誌の編集者だったので、銀座にはよく通った。掲句のように「個展から個展へ」とネタ探しに歩き回り、若かったにもかかわらず、あまりの画廊の多さに辟易したことを覚えている。句の作者は、むろんネタ探しなどではなく、楽しんで見て回っているのだ。ひんやりとした画廊を出て、また次の画廊へと向かう。とりわけてこれからの季節は、この間の「薄暑」がとても嬉しく感じられる。おあつらえ向きに「銀座の柳」の新緑でも目に入れば、気分はますます良くなってくる。「画廊から画廊へ」と詠み出した軽快なテンポが、作者の上機嫌を見事に描き出していて心地よい。私だったら、しばらく見て回った後は、天井の高い「ライオン」の本店で生ビールといきたいところだけれど、このときの作者はどうしたのだろう。ああ、久しぶりに銀座に出かけたくなってきた。『地名別鷹羽狩行句集』(2006)所収。(清水哲男)


November 10112006

 冬ざれ自画像水族館の水鏡

                           鷹羽狩行

こかに映っている自分の顔を見出すことはよくある。電車やバスの窓に、川や池や沼の水面に。さらにそこに空や雲や雪や雨を重ねてドラマの一シーンを演出するのも、映像的な手法の一典型である。自画像というから、顔だけというよりもう少し広い範囲の自分の像であろう。水族館の水槽の大きなガラスに作者は自分の姿を見た。映っている自分の姿の中を縦横に泳ぐ魚たち。自分の姿に気づくのは自分を認識することの入口。作者はそこに「冬ざれ」の自分を見出しているのである。俳句に触発されて起こった二十世紀初頭のアメリカ詩の運動、イマジズムは、短い詩を多く作り、俳句の特性を取り込んで、「良い詩の三原則」というマニフェストを発表した。その中の二つが、「形容詞や副詞など修飾語を使用しないこと」「硬質なイメージをもちいること」。彼等が俳句から得た新鮮な特徴の原型がこの句にも実践されている。独自のリズムの文体の中に、かつんと響き合うように置かれた二つのイメージの衝突がある。『誕生』(1965)所収。(今井 聖)


November 26112006

 午後といふ不思議なときの白障子

                           鷹羽狩行

語は「障子」、冬です。けだるく、幻想的な雰囲気をもった句です。障子といえば、日本の家屋にはなくてはならない建具です。格子に組んだ木の枠に白紙を張ったものを、ついたてやふすまと区別して、「明り障子」と呼ぶこともあります。きれいな言葉です。わたしはマンション暮らしが長いので、障子とは無縁の生活を送っていますが、それでも子供の頃の障子のある生活を、よく思い出します。ただ、この句のように、まぼろしの世界にあるような美しい姿とは違って、たいていは破れて、穴だらけのみすぼらしいものでした。「明り障子」という名の通りに、光はその一部を外から取り込んできます。障子とはまさに、「区切る」ことと「受け入れる」ことを同時にこなすことのできる、すぐれた境目なのだと思います。生命が活動を始める朝日の鋭い光ではなく、ここでは午後の、柔らかな光が通過してゆきます。午後のいっとき、障子を背に、心も体も休めているのでしょうか。うつらうつらする背中越しに、外気の暖かさがゆっくりと伝わってきます。日が傾いてゆくその先には、この世界とは違った「不思議な」場所への通路がうがたれているようです。「午後」という時のおだやかさは、いつまでも、まんべんなくわたしたちに降りつのっています。『合本俳句歳時記 第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


February 1922007

 手に受けて少し戻して雛あられ

                           鷹羽狩行

誌にこの作者の句が載っていると、必ず真っ先に読む。何でもないような些事をつかまえる名手ということもあるが、単に巧いというだけではなく、句の底にはいつも暖かいものが流れていて、そこにいちばん魅かれているからだ。とくに心弱い日には、大いに癒される。揚句でも、まさに何でもない所作を詠んでいるだけだが、作句の心根がとても優しく温かい。雛あられを受けるときには、自然に両掌を差し出す。こぼしてはいけないという配慮の気持ちもあるのだけれど、そこには同時に人から物をいただくときの礼儀の気持ちが込められている。すると領け手の側は、その礼儀に応えるようにして、これまた自然な気持ちから両掌いっぱいに雛あられを注ぐのである。そういうことは句のどこにも書かれてはいないが、「少し戻して」という表現から、読者はあらためてこの日常的な礼節の交感に気づかされ、そこに何とも言えない暖かさを感じ取るというわけだ。ひとつも拵え物の感じがしない、こねくりまわしていない。けれども、人のさりげない所作の美しさにまで、きちんと錘がおりている。天賦のセンスの良さがそうさせたのだと言うしか、ないだろう。掲載誌より、もう一句。<まんさくの一つ一つの片結び>。「俳句研究」(2007年3月号)所載。(清水哲男)


July 1672007

 三伏や弱火を知らぬ中華鍋

                           鷹羽狩行

語は「三伏(さんぷく)」で夏。しからば「三伏」とは何ぞや。と聞くと、陰陽五行説なんぞが出てきて、ややこしいことになる。簡単に言えば、夏至の後の第三の庚(かのえ)の日を「初伏」、第四のその日を「中伏」、立秋後の第一の庚の日を「末伏」として、あわせて三伏というわけだ。「伏」は夏(火)の勢いが秋(金)の気を伏する(押さえ込む)の意。今年は、それぞれ7月15日、7月25日、8月14日にあたる。要するに、一年中でいちばん暑いころのことで、昔は暑中見舞いの挨拶を「三伏の候」ではじめる人も多かった。そんな酷暑の候に暑さも暑し、いや熱さも熱し、年中強火にさらされている中華鍋(金)をどすんと置いてみせたところが掲句のミソだ。弱火を知らぬ鍋を伏するほどの暑さというのだから、想像するだけでたまらないけれど、たまらないだけに、句のイメージは一瞬にして脳裡に焼き付いてしまう。しかもこの句の良いところは、「熱には熱を」「火には火を」などと言うと、往々にして教訓めいた中身に流れやすいのだが、それがまったく無い点だ。見事にあつけらかんとしていて、それだけになんとも言えない可笑しみがある。その可笑しみが、「暑い暑い」と甲斐なき不平たらたらの私たちにも伝染して、読者自身もただ力なく笑うしかないことをしぶしぶ引き受けるのである。こうした諧謔の巧みさにおいて、作者は当今随一の技あり俳人だと思う。『十五峯』(2007)。(清水哲男)


September 2592007

 露の夜や星を結べば鳥けもの

                           鷹羽狩行

から人間は星空を仰ぎ、その美しさに胸を震わせてきた。あるときは道しるべとして、またあるときは喜びや悲しみの象徴として。蠍座、射手座、大三角など、賑やかだった夏の夜空にひきかえ、明るい星が少ない秋の星座はちょっとさびしい。しかし、一大絵巻としては一番楽しめる夜空である。古代エチオピアの王ケフェウスと妻カシオペアの美しい娘アンドロメダをめぐり、ペガサスにまたがった勇者ペルセウスとお化けクジラの闘い。この雄大な物語りが天頂に描かれている。さらに目を凝らせば、その顛末に耳を傾けるように白鳥や魚、とかげが取り囲み、それぞれわずかに触れあうようにして満天に広がっている。星と星をゆっくりと指でたどれば、そのよわよわしい線からさまざまな鳥やけものが生まれ、物語りが紡ぎだされる。「アレガ、カシオペア」と、いつか聞いたやわらかい声が耳の奥にあたたかくよみがえる。本日は十五夜。予報によればきれいな夜空が広がる予定である。地上を覆う千万の露が、天上の星と呼応するように瞬きあうことだろう。『十五峯』(2007)所収。(土肥あき子)


August 2782008

 ざくろ光りわれにふるさとなかりけり

                           江國 滋

のように詠んだ作者の「ふるさと」とはどこなのか。出生地ではないけれども、「赤坂は私にとってふるさと」と滋は書いている。その地で幼・少年期を過ごしたという。「赤坂という街の人品骨柄は、下下の下に堕ちた」と滋は嘆いた。詠んだ時期は1960年代終わり頃のこと。その後半世紀近く、その街はさらに際限なく上へ横へと変貌を重ねている。ここでは、久しぶりに訪ねた赤坂の寺社の境内かどこかに、唯一昔と変わらぬ様子で赤々と実っているざくろに、辛うじて心を慰められているのだ。昔と変わることない色つやで光っているざくろの実が、いっそう街の人品骨柄の堕落ぶりを際立たせているのだろう。なにも赤坂に限らない。この国の辺鄙だった「ふるさと」は各地で多少の違いはあれ、「下下の下に堕ちた」という言葉を裏切ってはいないと言えよう。いや、ざくろの存在とてあやういものである。ざくろと言えば、私が子どもの頃、隣家との敷地の境に大きなざくろの木が毎年みごとな実をつけていた。その表皮の色つや、割れ目からのぞくおいしそうな種のかたまり――子ども心に欲しくて欲しくてたまらなかった。ついにある夜、意を決してそっと失敬して、さっそく食べてみた。がっかり。子どもにはちっともおいしいものではなかった。スリリングな盗みの記憶だけが今も忘れられない。滋は壮絶な句集『癌め』を残して、1997年に亡くなった。弔辞を読んだ鷹羽狩行には「過去苦く柘榴一粒づつ甘し」の句がある。『絵本・落語風土記』(1970)所収。(八木忠栄)


July 0972010

 あぢさゐの毬の中なる隠れ毬

                           鷹羽狩行

ズムが明快で外の景の印象鮮明。機智があるけれど実感から入るために知的操作が浮き立たない。読み下して速度感がある。そしてどこか静謐な風景。抹香臭い神社仏閣などを源泉とするいわゆる俳句的情緒に依らない。内部の鬱を匂わせる戦後現代詩のモダンとは一線を画す。俳諧風流の可笑しみにも行かない。山口誓子が拓いて作者に受け継がれているこういう世界を今の流行には無い傾向として僕は見ている。あぢさゐの毬の中にある毬はあぢさゐの花の色と形から来る比喩として読めるが、同時にあぢさゐの咲いている茂みの中に置き忘れられた見えない毬を思っている内容にも思える。比喩としての毬と実際の毬が紫陽花の中で動いて重なる。『十六夜』(2010)所収。(今井 聖)


July 2572010

 まつすぐに行けと片陰ここで尽く

                           鷹羽狩行

陰というのは、夏の午後に家並みなどの片側にできる日陰のことです。たしかに道が伸びていれば、日差しが強ければ強いほどに、濃い陰が道にその姿を現しているわけです。普段は、陰が落ちていようといまいとなんら気になりませんが、気温が36度だ38度だという日々になれば、おのずと陰の存在感が増してくるというものです。休日の午後に、必ず犬の散歩に向かう私は、そんな日には道の端っこを、陰の中からはみ出さないようにしておそるおそる歩いています。大きな家の前はよいけれど、家と家の間であるとか、細い木が植わっている場所であるとかは、おのずと陰はひらべったくなっていて、その細い幅の中を、綱渡りでもするようにして、あくまでも陰から出ないようにして歩きます。ところが、困りました。あるところで家並みは尽き、ここから先は全く陰のない、全面に日の降り注いでいる道になっています。一瞬ためらった後、なにをそんなにこそこそと歩いていたのかと、それまでの散歩が急に恥ずかしくなってきます。降り注ぐものはあるがままに受け止めよ。そんなふうにどこかから叱咤されたように気になって、犬とともに、勇気を持って歩き出すのです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


September 0792010

 新涼や持てば生まるる筆の影

                           鷹羽狩行

象庁では2日、今年の夏を異常気象と発表した。異常気象とは「過去30年の観測に比して著しい偏りを示した天候」と定義されているという。尋常でないと公認された暑さではあるが、それでも夕方はめっきり早く訪れるようになり、朝夕には季節が移る用意ができたらしい風が通うようになった。先送りにしていたあれこれが気になりだすことこそ、ようやく人心地がついたということだろう。酷暑のなかでも日常生活はあるものの、要返信の手紙類は「とりあえず落ち着いたら…」の箱に仕分けられ、そろそろかなりの嵩になっている。掲句では、手紙の文面や、送る相手を思う前に、ふと筆の作る影に眼がとまる。真っ白な紙の上に伸びた影が、より目鼻のしっかりした秋を連れてくるように思える。書かねばならないという差し迫る気持ちの前で、ふと秋を察知したささやかな感動をかみしめている。やがて手元のやわらかな振動に従い、筆の影は静かに手紙の上を付いてまわることだろう。『十六夜』(2010)所収。(土肥あき子)


January 2812011

 春めくやわだちのなかの深轍

                           鷹羽狩行

の土に幾筋も刻まれた轍のなかに浅い轍と深い轍がある。春の土のやわらかさという季節の本意と、轍という非情緒的な物象が一句の中で調和する。また、凝視の眼差しも感じられる。轍という言葉が示す方向性に目をやって人生的なものへの暗喩に導く鑑賞もありえようが、僕はそうは取らない。あくまで轍は轍。「もの」そのもの。『十六夜』(2010)所収。(今井 聖)


June 2962011

 すいすいとモーツアルトにみづすまし

                           江夏 豊

神、南海、広島、他のチームで活躍したあの往年の豪腕の名投手・江夏が俳句を作ったことに、まず驚かされてしまう(シツレイ!)。さらに「モーツアルト」と「みづすまし」のとんでもない取り合わせにも驚かされる。新鮮である。ここで流れているモーツアルトの名曲は何であろう? おそらく「すいすい」という軽快さを感じさせる曲であろうかと思われる。同時に、水面をすいすい走るみづすましの動きにもダブらせている。まさかみづすましがモーツアルトの曲に合わせて滑走しているわけではあるまい。並列されたモーツアルトもみづすましも、ビックリといったところであろう。さすが名投手、バッターが予測もしなかったみごとな好球を投げこんできた。みづすまし(水馬)は「あめんばう」とも呼ばれてきたけれども、学問的に正しくは「まひまひ(鼓虫)」のことをさすのだという。水面を馬が駆けるように四足で滑走するところから「水馬」。この頃は見かけなくなった……というか、当方が池や小川の水面をじっくり覗きこむことが少なくなってしまった、と言うべきか? 「打ちあけてあとの淋しき水馬」(みどり女)、「みづすまし味方といふは散り易き」(狩行)などがある。『命の一句』(2008)所載。(八木忠栄)


December 26122012

 ゆく年や山にこもりて山の酒

                           三好達治

かく年の暮は物騒なニュースが多いし、今どきは何となく心せわしい。毎年のこととはいえ、誰しもよけようがない年の暮である。喧噪の巷を離れて、掲句のようにどこでもいいから、しばし浮世のしがらみをよけ、人里離れた山にでもこもれたら理想的かも知れない。しかし、なかなか思う通りに事は運ばない。達治はもう書斎での新年の仕事をすっかり済ませ、さっさと山の宿にでもこもったのであろう。厄介な世事から身を隠して、山の宿で「山の酒」つまり地酒(それほど上等でなくともかまわない)を、ゆったりと心行くまで味わっているのだろう。「山にこもりて山の酒」の調子良さ。もちろん雪に覆われるような寒冷の地ではなく、暖かい山地なのだろう。そこでのんびりと過ぎし年を回顧し、おのれの行く末にあれこれと思いを馳せている。世間一般も、ゆく年は「山にこもりて」の境涯でありたいものと思えども、なかなか思うにまかせない。加齢とともに、ふとそんな気持ちになることがあるけれど、それができる境涯などユメのまたユメである。鷹羽狩行に「ゆく年のゆくさきのあるごとくゆく」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 2672013

 波のなき水をひろげて錦鯉

                           鷹羽狩行

の短い詩形の中で、言葉の通念的な組み合わせはまさに陳腐な情緒しかもたらさないはずなのだが、そうはならない「奇跡」もときに起こる。波と水、水と鯉、錦鯉の華麗。これらは予定調和のつながりであり、錦という言葉であらかじめ説明されている装飾的華麗さである。その類型的詩興しかもたらさないはずの組み合わせが「なき」と「ひろげて」で手品のように新鮮な風景を構成する。「なき」と「ひろげて」は知の力。風景を知の力で再構成するのだ。澄んだ水の中の鯉の鰭のうごきが克明に見えてくる。こういう句をみると俳句の可能性、「写生」ということの可能性を信じないわけにはいかない。どんな大差がついた試合でも九回の裏のツーアウトまで大逆転の可能性は残されている。『十七恩』(2013)所収。(今井 聖)


November 23112013

 旅に出て忘れ勤労感謝の日

                           鷹羽狩行

書や歳時記には、新嘗祭を起源とするとあるが、他のいくつかの国民の祝日同様、その意義を考えることが少なくなってしまった勤労感謝の日である。俳句にするには正直、音が多くなかなか難しく、何もしないでゆっくり過ごす、といった詠み方をよく見かけるが掲出句は、忘れ、といっている。紅葉もいよいよ美しくまさに旅に出るにはよい季節だが、勤労感謝の日であることを忘れていた、というより、どこか釈然としない、現在の国民の祝日のあり方に対する皮肉のようにも感じられる。『合本俳句歳時記第四版』(角川学芸出版)所載。(今井肖子)


March 0132015

 鶯のこゑのためにも切通し

                           鷹羽狩行

の声質は濃厚です。体の大きさに比べてその声量も大きく、たとえるなら、森のテノール歌手といってよいほどです。したがって、求愛の歌をうたう舞台にも、それなりのしつらえがあった方がよいでしょう。私の住む国分寺市にも切通しは保存されています。西国分寺駅から武蔵野線沿線を府中方面に1kmほど向かうと「伝・鎌倉街道」の碑があり、道幅3mほどの土の道が続きます。小高い山を切り開いて作った道なので、片側は10mほどの崖になっており、「いざ鎌倉」の時、軍馬が駆け抜けた面影を偲ぶことができます。切通しを効果的に使った映画に、鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』があります。もう、十年以上前になりますが、この切通しの現場を見たくて鎌倉に 行きました。手掛かりがないまま、何となく「鎌倉キネマ館」というbarに入ると、鈴木清順の古い映画を上映していて、そこのマスターに「ツィゴイネルワイゼンの切通しのロケ地はご存知ですか」と尋ねたら、となりに座っていた初老の紳士が「あれは、釈迦堂と化粧坂だよ」と教えてくださり、地図を書いてもらって、翌日歩きました。それ以来、鎌倉に行くときは、釈迦堂の切通しまで足を伸ばします。そこでは、春から夏にかけて、鶯の濃厚ではっきりした声を聴くことができます。切通しが、天然の反響磐になっていて、森のテノールを演出しています。掲句では、鶯の声が森の中を切り通して届かせている、そんな余韻ものこります。『定本 遠岸』(1996)所収。(小笠原高志)




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