芻薩句

October 29101996

 コスモスや今日殺される犬の声

                           國井克彦

常の不安の象徴的表現。そう読んでもよいのだが、これは実景である。場所は、韓国。昔、我が国の農家が飼い鶏を潰して客にご馳走したように、あちらでは食用の犬を潰して食卓に乗せるのが、最高のもてなしだった。この初秋、作者の訪れた家ではその風習が生きていて、到着するや「ご馳走しましょう」ということになった。コスモスの咲き乱れる庭の犬舎では「殺されるための」数頭の犬が鳴いている。夕食の犬料理は美味だったそうだが、帰国した今でも、そのときの犬の声が耳について離れないという。國井克彦は詩人。(清水哲男)


August 2282012

 バリカンに無口となって雲の峰

                           辻 憲

憶を遡れば、小学生の時はいつも母がバリカンでわがイガグリ頭を刈ってくれた。(中学生になってからは、母による「虎刈り」がいやで、隣村の床屋さんまで出かけた。プロによる理髪は気持ち良かった。)頭髪が伸びると「ゴンマツ頭はみっともねエ」と母が言い、畳にすわらされてバリカンでジョキジョキ……。時々母の手のリズムが狂うと、バリカンが頭髪を食うから「痛ッ!」と叫ぶ。そうすると、バリカンで頭をゴツンとやられる。「タダでやってもらって、男の子は我慢しろ!」。相手は凶器(?)を持っているのだから、下手に逆らえない。「無口」になって我慢せざるを得なかった。あげくの果てが「虎刈り」である。掲句でそんな少年の日のことをありありと思い出した。憲さんの「無口」も実体験であろう。外はカンカン照りで、雲の峰(入道雲)がモクモク。一刻も早く飛び出して行って、友だちと_取りとか水遊びでもしたいのに、しばらくは神妙に我慢していなければならない忍耐の時間。イガグリ頭とバリカンの取り合わせが懐かしい。「虎刈り」の時代も過去の思い出話となってしまった。國井克彦に「バリカンや昭和の夏のありにけり」がある。憲は征夫の実弟で、句会ではいつも高点を獲得している。憲の句に「本郷の猫のふぐりのみぎひだり」がある。「OLD STATION」14号(2008)所収。(八木忠栄)




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