cJ句

November 02111996

 奉公にある子を思ふ寝酒かな

                           増田龍雨

い句とは、お世辞にも言い難い。しかし、子規や虚子の句の隣りにおいても、この句はきちんと立つはずである。そこが、俳句という器の大きさであり、マジカルなところでもある。多くの子供たちが、ごく当たり前のように働いていた時代。それは大昔から、ねじめ正一の『高円寺純情商店街』の頃までつづいてきた。奉公に出した子供を思う、寒い夜の親心の哀切。上手ではないからといって、作者を笑うわけにはいかないではないか。これが俳句であり、これぞ俳句なのだ。「事実の重さ」が、いまなお俳句という文芸の大黒柱なのである。昨今の俳界で、テレビを見て作句する姿勢が顰蹙をかっているのも、むべなるかな。なお、上掲の句は「俳句文芸」に連載中の西村和子「子育て春秋・第42回」(96年11月号)で紹介されていたもの。毎号、この連載は愛読している。(清水哲男)


December 29121998

 行年や夕日の中の神田川

                           増田龍雨

年は「ゆくとし」と読ませる。神田川は東京の中心部をほぼ東西にながれ、隅田川にそそいでいる川だ。武蔵野市の井の頭池を水源としている上流部を、昔は神田上水と言った。中流部は江戸川だ。なにしろ川は長いので、同じ川の名前でも、場所によってイメージは異なる。句の神田川は、どのあたりだろうか。全国的には隅田川や多摩川ほどには知られていない川だけれど、東京人にとっては、昔の生活用水だったこともあり、懐しいひびきのする呼び名だろう。その神田川の夕暮れである。私はお茶の水駅あたりの神田川が好きなので、勝手に情景をそこに求めて読んでいるのだが、たしかに年末の風情はこたえられない。学生街だから、普段は若者で溢れている街に、年末ともなると彼らの姿は消えてしまう。そんな火の消えたような淋しい街に、神田川は猛るでもなく淀むでもなく、夕日の中でいつものように静かに息づいている。まことに「ああ、今年も暮れていくのだ」という実感がこみ上げてくる。そして、こういうときだ。私がお茶の水駅から寒風の中を十数分ほど歩いてでも、有名なビヤホールの「ランチョン」に立ち寄りたくなるのは……。かつてはこの店で、毎日のようにお見かけした吉田健一さんや唐木順三さんも、とっくの昔に鬼籍に入られた。年も逝く、人も逝く。(清水哲男)




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