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November 04111996

 萩ひと夜乱れしあとと知られけり

                           小倉涌史

い風の吹き荒れた翌朝、普段は地味で清楚な花の姿も、さすがに乱れに乱れたままの風情である。ただ、それだけのこと。……と、この句を読み終える人は、まず、いないだろう。萩の姿を女性のそれに重ねるようにして、人間臭く読みたくなってしまう。作者の計算はともかくとしても、俳句そのものの力が、そのような方向に読者を誘惑するのである。そしてもちろん、この場合、作者はその力をよく知っている。『落紅』所収。(清水哲男)


January 1911997

 にんげんの重さ失せゆく日向ぼこ

                           小倉涌史

供のころ、遊びに行くと、友人の祖母はいつも縁側の同じ場所に坐って日向ぼこをしていた。何も言わず、無表情に遠くを見ているだけだった。その決まりきった姿は、ほとんど彫塑さながらだったが、そういえば、この句のように体重というものが感じられなかった。拙詩「チャーリー・ブラウン」に出てくる老婆「羽月野かめ」は、彼女がモデルになっている。後年、彼女の死を伝えられたとき、いつもの縁側からふわりと天上に浮き上がる姿を、とっさに連想した。作者が暗示しているように、日向ぼこの世界は天上のそれに近いものがあるようだ。日の下で気持ちがよいとは、つまり、死の気配に近しいということ……。『落紅』所収。(清水哲男)


May 1251998

 押鮨の酢がややつよし帰国せり

                           小倉涌史

外出張からの帰国だろう。一風呂浴びて、作者は夕餉のテーブルにむかっている。ひさしぶりに一家そろっての楽しい一時だ。妻の手料理の押鮨も嬉しい。が、今夜はなんだか少し酢の味が強く感じられる。いつもは、こんなじゃないのに……。作者はいぶかるのだが、そう感じるのはおそらく外国での食生活のせいだろうと、思い直してもみるという趣きか。鮨が少々酸っぱかろうが何だろうが、とにかく仕事を無事にやり遂げて、鮨のある国に帰ってきたという安堵感。周囲の家族のことは何も書かれていないが、なごやかな雰囲気が伝わってくる。俳句ならではのマジックというべきだろう。もとより読者も、そんな感じにホッとさせられる心地よい句だ。「鮨(鮓)」は夏の季語。『落紅』(1993)所収。(清水哲男)


September 2391998

 梨を剥く一日すずしく生きむため

                           小倉涌史

の場合の「一日」は「ひとひ」と読ませる。「秋暑」という季語があるほどで、秋に入ってもなお暑い日がある。残暑である。今日も暑くなりそうな日の朝、作者はすずしげな味と香りを持つ梨を剥いている。剥きながら作者が願っているのは、しかし、体感的なすずしさだけではない。今日一日を精神的にもすずやかに過ごしたいと念じている。「すずしく生きむ」ために、大の男がちっぽけな梨一個に思いを込めている。大げさに写るかもしれないが、こういうことは誰にでもたまには起きることだ。そんな人生の機微に触れた佳句である。ところで、作者の小倉涌史さんは、この夏の七月末に亡くなられたという。享年五十九歳。このページの読者の方が知らせてくださった。小倉さんとは面識はなかったが、ページは初期から読んでくださっており、検索エンジンをつけるときのモニターにもなっていただいた。もっともっと元気で「すずしく生き」ていただきたかったのに、残念だ。心よりご冥福をお祈りします。『落紅』(1993)所収。(清水哲男)


October 12101998

 一葉落ち犬舎にはかに声おこる

                           小倉涌史

った一枚の葉が落ちて犬が驚き騒いだというのだから、相当に大きな葉でなければならない。たぶん、朴(ほお)の葉だろう。三十センチ以上もある巨大な葉である。つい最近、直撃は免れたけれど、呑気に歩いていたらいきなりコヤツが落ちかかってきてびっくりした。落下音も、バサリッと凄い。犬だからびっくりするのではなく、人間だって相当にびっくりする(「朴落葉」や「落葉」は冬の季語)。ところで、句の時系列ないしは因果関係とは反対に、作者はにわかに犬小屋が騒がしくなったことから、ああきっと朴の葉が落ちたのだなと納得し、そこでこのように時間的な順序を整えて作品化している。まさか、これから葉が落ちて犬がびっくりするぞと、ずうっと朴の木を見張っていたわけではあるまい。つまり、この句は写生句のようでいて、本当は事実に忠実な写生句ではないのである。しかし、この句を、書かれているままの時間の順序に従って読み、それだけで納得する人は少ないだろう。やはり、私たちは犬が騒いだので作者が落葉を知ったのだと、ごく自然に読むのである。なぜだろうか……。俳句だからだ。『落紅』(1993)所収。(清水哲男)


July 2471999

 夕端居髪ふれゆきしものは誰か

                           小倉涌史

房装置などなかったころ、人は家の縁側や風通しのよい所に涼を求めた。これが「端居(はしい)」。仕事を終えた夕刻、そんな人の姿をよく見かけたものだ。庭では、まだ薄明るいのに、闇を待ちかねた子供らが花火に興じていたりした。作者は現代の人だが、冷房を嫌ってか、縁先に出ている。昼間の仕事に疲れていたのかもしれない。ぼんやりと表を眺めていると、かすかに髪の毛をさわられた感じがしたというのだ。誰も背後を通った気配もなく、たとえ通ったとしても、大人の髪をさわって通る人はいないだろう。でも、たしかに誰かが、髪に触れていったという感触が残った。見回しても、誰もいない。錯覚だろうか、幻覚だろうか。いずれにせよ、作者の鋭敏な感覚が紡ぎだした不思議な世界であり、しかも読者に「ありうること」と納得させる力のある句だ。そして、この句を得たほぼ一年後(1998)に、作者・小倉涌史は急逝することになる。さすれば「ふれゆきしもの」は、あるいは神であったのかもしれぬ。お会いしたことはないが、一歳年下の小倉さんは開設当初からの読者であり、種々アドバイスもしていただいた仲だった。今日が命日。彼の才能を惜しむ。なんで他の人の句を掲げられようか。遺句集『受洗せり』(角川書店・1999)所収。(清水哲男)


November 20112000

 わだかまるものを投げ込む焚火かな

                           小倉涌史

とより「わだかまるもの」とは、精神的、心理的な「わだかまり」だ。それを「もの」に託して、えいやっと思い決め、火の中に「投げ込む」。遊びでの焚火は別にして、焚火で燃やす「もの」を思い決めるのには、けっこう決断力を要する。あらかじめ燃やすと決めておいたものはすんなりと燃やせるが、火が盛んになってくるうちに、もっと燃やしてもよいものがあるかもしれないと、そこらへんを探しはじめたりする。焚火は身辺整理の技術、すなわち捨てる技術の問題に関わってくるので、相応の決断を強いられる作業だ。もう二度と使わないかもしれない道具や、二度と読みそうもない雑誌や本の類があることはあるのだけれど、火に投じてしまえばおしまいだから、かなり逡巡躊躇することになる。そのことで一瞬、それこそ心に別種の「わだかまり」が生まれてしまう。だから、ここで作者が「わだかまるもの」と言っているのは、精神的心理的なそれであることに違いはないが、同時に燃やすべきか否かの「もの」それ自体への執着を振り捨てるかどうかということなのだ。前もって燃やすと決めておいた「もの」には、「わだかまるもの」など乗り移らない。この「もの」という言葉の重層性を感じて、はじめて掲句は理解できるのだと思う。余禄として書いておけば、作句時の小倉涌史は膵臓癌のために、余命いくばくもないと承知していた。このときに、作者がえいやっと火に投げ込んだ「もの」とは何だったのだろう。心の「わだかまり」は切ないので知りたくないけれど、火に投じられた「もの」については知りたいと思う。以前にも書いたが、彼は当ページの最初からの読者であり協力者であった。小倉さん、また焚火の季節がめぐってきましたよ。『受洗せり』(1999)所収。(清水哲男)


January 2512001

 寒の水喉越す辛口と思ふ

                           小倉涌史

中の水は、飲みにくい。というよりも、まずは飲む気もしない。でも、揚句の作者は微笑している。「うむ、こいつは辛口だ」と……。べつに名水などを味わうようにして飲んだわけではなく、単なる水道水を必要があって飲んだだけだろう。薬を飲むなどの必要からだ。「辛口」に引摺られて「ははーん、二日酔いだな」と受け取るのは早とちり。なぜなら、酔いざめの水には「辛口」も「甘口」もへったくれあったものではなく、ましてや「喉越す」味わいの微妙さは意識の外にある。悠長に、したり顔をして「辛口」なんぞと思う余裕はないはずだ。そういうことではなくて、作者は寒い場所で、まったくの素面(しらふ)でいやいや仕方なく水を飲んだのだと思う。意を決して飲んでみたら、意外にも喉元を通る感覚が心地よかった。酒で言えば「辛口」だと思った。寒中の水の味も存外いけるなと、作者は内心でにっこりとしたのだ。この体験の新鮮さに、ちょっと酔っていると言ってもよい。私は痛風(『小公子』の主人公・セドリックのおじいさんと同じ病気。これが自慢?!)持ちなので、医者からとにかく大量に水を飲めと言われている。多量の尿酸を一気に排泄するには、いちばん簡便な方法である。暖かい季節は苦にならないが、冬場はしんどい。早朝の一杯が、とりあえずはきつい。でも、年間を通してみて、水の味がするのはこの季節がいちばんではある。飲むときに、ちらっと逡巡する。その逡巡が、その意識が、口中や喉元に受けて立つ構えを作るからだろう。「寒」には「冷」か。たしかに、かっちりとした味を感じる。『受洗せり』(1999)所収。(清水哲男)


February 0922001

 東風ほのかメランコリックな犬とゐて

                           小倉涌史

風駘蕩というときの風とは違って、一般的に「東風(こち)」はまだやや荒い感じの春先の風を言う。しかし揚句では、それが「ほのか」と言うのだから、むしろこの時季にしては柔らかい風を指している。本格的な春の訪れを、どことなく予感させる風だ。なんとなく嬉しい気分で、作者は犬といっしょにいる。散歩だろうか、それとも餌をやっているのだろうか。いずれにしても、ミソは「メランコリックな犬」だ。犬を飼った経験はないが、言われてみると「メランコリックな犬」はいるような気がする。憂鬱そうな犬、沈痛な物思いにふけっているような犬……。犬にも「春愁」の感があるような……。飼っていないので、たまに見かける犬の印象でしかないけれど、飼い主の作者に言わせれば「おい、どうしたんだよ」という気持ちなのだろう。でも、わざわざ「メランコリックな」と横文字で表現したところからすると、事態はさして深刻ではない。すなわち、見慣れている不機嫌に「またか」と、ちょいと洒落れた横文字の衣装を着せてみたというところか。着せる気になったのは、作者自身はもう「東風ほのか」だけで上機嫌だからだ。体調も、すこぶるよくて、ほとんど「♪何をくよくよ川端柳」の心地だからである。作者は、ここで「メランコリックな犬」をしり目に、一つ大きく伸びくらいしたかもしれない。そして犬はといえば、あいかわらず「ムーッ」としている。このコントラストを想像すると、自然に微笑がわいてくる。何度か書いたが、小倉さんは当ページ作りの協力者だった。揚句を作ってから、ほぼ二年後に他界された。享年五十九歳。しかし、そのことで私自身が揚句にメランコリックになりすぎるのは、かえって失礼になるだろう。『受洗せり』(1999)所収。(清水哲男)


August 1982001

 それぞれの窓に子がみえ夜は秋

                           小倉涌史

者は「夜は秋」と詠んでいるが、季語の分類としては「夜の秋」。秋の夜ではない。晩夏などに、どことなく秋めいた感じのする夜のことである。したがって、夏の季語。暦的にではなく、気分としてはちょうど今頃の季節だろう。団地かマンションか、たくさんの「窓」のある集合住宅を何気なく仰ぐと、風を入れるために開け放たれている「それぞれの窓」に、子供の姿が見える。全部の窓に見えるわけではないが、思いがけないほどに、あの窓にもこの窓にも見えたのである。子供が起きているのだから、まだ宵のうちだ。理屈を述べれば、なべて子供は活力の象徴だから、衰えていく夏の活力に抗するように「それぞれの窓」に元気がみなぎっていることを、作者は素朴に喜んでいる。理屈をはずせば「ああ、子供って素敵だなあ」であり、「家族っていいなあ」である。あえて「夜の秋」と取り澄ました歳時記的な措辞を避け、思わずもという感じで「夜は秋」とつぶやいたところに、作者の静かな染み入るような喜びの情感が浮かび上がった。やがて、本格的な秋がやってくる。そうなると、「それぞれの窓」は固く閉められ、しかもカーテンで覆われて、子供らの姿も消えてしまう。その予感を孕んでいるからこそ、なおのこと句が生きてくるのだ。『受洗せり』(1999)所収。(清水哲男)


April 1142002

 滅入るほど草青みゐて死が近し

                           小倉涌史

者五十九歳の絶筆。連作「受洗せり」の最後にこの句を原稿用紙に書きつけてから、三ヶ月の後にこの世を去ることになる。膵臓癌であった。小倉涌史と当サイトとは浅からぬ縁があったが、そのことは既に書いたことがあるので略する。季語は「草青む」で春。「下萌(したもえ)」と同様に、早春の息吹きを伝える季語だ。その青さが「滅入るほど」とあるので、作句の時期が仲春ないしは暮春であることが知れる。「花の下遺影のための写真撮る」と死を覚悟した人が、「滅入るほど」と言うのは壮絶な物言いだ。生命力あふれる青草の勢いに、みずからの残り少ない弱い命が気圧されている。それも息苦しいほどに、だったろう。しかし、このときに「滅入るほど」という措辞は、単なる嘆きの表現ではないと、私には感じられる。「滅入ってしまった」のではなく、あくまでも「滅入るほど」なのだからだ。「滅入るほど」には、なお作者に命の余力があることが示されている。すなわち、弱き命がここで強い青草の命のプレッシャーを、微力なれども押し返そうとしていることになる。作者の身体が、そして命が、自然にそのように反応したのだ。壮絶と書いたのは、しかるがゆえに「死が近し」と、あらためて覚悟せざるを得なかった作者の胸のうちを推し量ってのことでもある。『受洗せり』(1999)所収。(清水哲男)




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