SRH句

December 17121996

 羽子板市月日渦巻きはじめたり

                           百合山羽公

子板市は、浅草観音の十七日・十八日と、旧薬研堀不動(両国)の二十七日・二十八日が有名。華やかな市ではあるが、作者のいうように、背中を追い立てられる雰囲気でもある。そこが、またいい。男の子のくせに、押絵の羽子板に憧れていた。世の中には豪華なものがあることを、具体的に知ったはじめての物かもしれない。でも一方で、あんなに重い羽子板でどうやって羽根をつくのだろうと不思議に思っていたのだから、まだちっぽけな子供でしかなかったということ。結局、一度も買ったことはない。(清水哲男)


December 29121996

 暁闇に飛び出す火の粉餅を搗く

                           百合山羽公

も二十五日過ぎあたりから、朝は近所の餅搗きの音で目覚めるというのが、少年時代の常であった。山口県も山陰側の小さな村。早めに搗くのは裕福な家で、貧乏人はいよいよ押し詰まってから搗く。やりくり算段の都合からそうなるのだ。五反百姓の子供としては、他家の餅搗きが羨ましく、「明日は搗くぞ」という父の声をどんなに待ちかねたことか。当日は暗いうちから起きだして、この句のような光景となる。興奮した。お祭りなのだ。で、搗いた餅をその後二カ月くらいは、どの家でも主食とした。学校の弁当も、連日餅だけだった。冷えた焼き餅の固かったこと。もちろん、大いに飽きた。うんざりであった。(清水哲男)


October 24101998

 落花生みのりすくなく土ふるふ

                           百合山羽公

姓の、このみじめさをわかる人が、いまのこの国に何人くらいいるだろうか。とても百万人以上は、いそうもないような気がする。が、わからなくても、わからない人の責任ではない。地中で実を結ぶ植物であることを知らない人も多くなってきたが、その人たちの認識不足と責めるわけにもいかない。日本の農業は、もうとっくの昔に「知られざる産業」になっているからだ。落花生はかつて、肥沃でない土地でも育つ代表的な豆科の植物として有名だった。砂地みたいなところでも、元気に育った。にもかかわらず、何かの拍子でこういうことになったりする。引っこ抜くとスカスカな感じの鞘(さや)が現われて、土をふるう手に元気がなくなるのも当然だ。昔の農家での落花生栽培は、たいていが現金収入を得るための方策だったから、気持ちも萎えるわけである。このページをはじめてから、歳時記を開かない日はないが、このような句の将来を思うと、暗澹たる気分になってくる。四季に生起する自然現象に依拠した構成の歳時記も、やがてはなくなってしまうのではあるまいか。最近、ヤケに人事句が流行しているのも、その兆しだろう。ならば、当サイトでは「最後のクラシカルな歳時記」を目指そうか。……などと、時々肩に力が入り過ぎるので、ハンセイはしています。(清水哲男)


March 3031999

 ロゼワイン栄螺の腸のほろにがさ

                           佐々木幸子

手な句ではない。が、ワインと栄螺(さざえ)との取り合わせに興味を魅かれた。私はワインが苦手なので、早速、ワイン好きの友人に取材した。「ロゼワインと栄螺は、味覚的に合うのかなア」。「試したことはないけれど、別に突飛な取り合わせとは思わないね」。「でも、テーブルの上での見た目がよくないな」。「そんなこと、本人が機嫌良く飲んだり食ったりしてるんだから、どうでもよろしい」。…てなわけで、この取り合わせは「まあまあ」だろうということに落ち着いた。はじめてパリに行ったときに、みんな山盛りのカラスガイを肴にワインをやっていたのに感心した覚えがあるので、基本的にはワインと貝類とは合うのだろう。ワイン好きの読者は、お試しあれ。口直しに(作者にはまことに失礼ながら)、とにかく「栄螺」といえばこの句だよというところを、見つくろって紹介しておこう。百合山羽公の「己煮る壷を立てたる栄螺かな」と加倉井秋をの「どう置いても栄螺の殻は安定す」だ。味覚よりも、作者は栄螺の存在そのものに哀しみを感じている。こういう句のほうに魅力を覚えるのは、私がもはや古い人間のせいなのだろうか。「味の味」(4月号・1999)所載。(清水哲男)


May 1051999

 愛鳥の週に最たる駝鳥立つ

                           百合山羽公

鳥週間は、五月十日より一週間。ああ、駝鳥も鳥だったんだ……と、ちょっと意表を突かれる句。もちろん駝鳥も鳥には違いないが、愛鳥週間というとき、飼われて生きている鳥は「愛」の対象からは除外されている。愛鳥の発想が、山林や自然保護に発しているからだ。そこで作者は、あえて「最たる」と強調して駝鳥を立たせている。高村光太郎の「駝鳥」の詩ほどの社会意識はないにしても、どこかで「愛鳥」の勝手を皮肉っている。駝鳥の超然とした姿を通して、理不尽なことよ、と言っている。また今日では、飼われていなくても、愛鳥の心には不都合な鳥もいる。カラスなどは、その「最たる」ものだろう。戦後に書かれた柴田宵曲の文章に、こんな件りがある。「かつて先輩から聞かされた話によると、以前は東京の空も、麗かな日和には鳶(とび)や鴉(からす)が非常に多く飛んだものだが、今は少しも見えない」(『新編・俳諧博物誌』岩波文庫)と。鳶はともかく、いまや鴉は我が物顔で東京の空を飛んでいる。とても「カラスといっしょに帰りましょ」という童謡の気分にはなれない。句の「駝鳥」を「カラス」に変えても、一向にかまわない「愛鳥週間」とはあいなってきた。(清水哲男)


July 3071999

 暑気中りどこかに電気鉋鳴り

                           百合山羽公

烈な暑さが身体に命中してしまった。いわゆる「暑さ負け」(これも季語)の状態が「暑気中り(しょきあたり)」だ。夏バテよりも、もう少し病気に近いか。夏には元気はつらつとした句が多い反面、とても情けない句も結構たくさんある。「暑気中り」をはじめ、「寝冷え」「夏の風邪」「水中り」「夏痩」「日射病」「霍乱(かくらん)」「汗疹(あせも)」など、身体的不調を表現する季語も目白押しだ。不調に落ち込んだ当人は不快に決まっているが、傍目からはさして深刻に見えないのは、やはり夏という季節の故だろう。掲句もその意味で、作者にとってはたまったものではない状態だが、元気な人にはどこかユーモラスな味すら感じられるだろう。そうでなくともぐったりとしている身に揉み込むように、どこからか電気鉋(かんな)のジーッシュルシュルというひそやかな音が、一定のリズムのもとに聞こえてくる。辛抱たまらん、助けてくれーっ、だ。皆吉爽雨には「うつぶして二つのあうら暑気中り」があって、こちらの人は完璧にノビている。こんな句ばかりを読んでいると、当方が「句中り」になりそうである。(清水哲男)


October 09101999

 くらくなる山に急かれてとろろ飯

                           百合山羽公

遊びの帰途。早くも暗くなりはじめた空を気にしながらも、とろろ飯を注文した。早く山を下りなければという思いと、せっかく来たのだから名物を食べておかなければという欲望が交錯している。私にもこういうことがよく起きて、食べ物でもそうだが、土産物を買うときにも「急かれて」しまうことが多い。作者にはいざ知らず、私は優柔不断の性格だから、いろいろと思いあぐねているうちに、時間ばかりが過ぎていってしまうのである。その意味で、この句はよくわかる。たいていの人は、そうではないと思う。名物があったら迷わず早めに食べたり買ったりして、帰りの汽車のなかでは、にぎやかに合評会をやったりしている。実に、羨ましい。「とろろ」は古来、栄養価の高いことから「山薬」といわれて珍重されてきた。自然薯(じねんじょ)を使うのが本来だけれど、希少なために、近年では栽培した長芋などで作る。これを麦飯にかけたのが「麦とろ」。白い飯にかけると食べ過ぎるので、それを防ぐために麦飯が登場したのだそうな。(清水哲男)


February 0122002

 二月はや天に影してねこやなぎ

                           百合山羽公

語は「二月」と「ねこやなぎ(猫柳)」で、いずれも春。いわゆる季重なりの句ではあるけれど、まったく気にならない。はやくも二月か……。そういう意識であらためて風景を見つめてみると、いつしか猫柳のつぼみもふくらんできていて、まぶしく銀色に輝いている。それを「天に影して」とは、美しくも絶妙な措辞だ。このときに猫柳はこの世(地上)のものというよりも、作者には半ば天上のもののようにも見え、はるかなる天空に銀色の光りを反射させているのだった。この句を見つけた山本健吉の『俳句鑑賞歳時記』(角川ソフィア文庫)には「天外の奇想」とあるが、私には少しも「奇想」とは思えない。むしろ、ごく自然に溢れ出てきた感慨であり、見立てだと写る。自然な心を細工をせずに素直に流露しているので、一見抽象的には見えるが、句景としては極めて具象的ではないのか。私などは故郷の川畔に群生していた猫柳を思い出し、なるほど、春待つ心にいちばん先に応えてくれたのは猫柳の光りだったなとうなずかされた。春とはいえ、二月はまだ農家の仕事も忙しくなく、学校帰りに道草をしては、川のなかの生き物どもの動きを、飽かずのぞきこんだりしていたっけ。(清水哲男)


December 15122002

 羽子板市月日渦巻きはじめたり

                           百合山羽公

語は「羽子板市」で冬。東京では、毎年12月18日が浅草寺の縁日にあたり、この日をはさんだ三日間、境内で開かれる。はじまりは、今から約350年ほども昔の江戸時代初期(万治年間・1658年)頃だという。東京で暮らしていながら、私は一度も行ったことがない。出不精のせいもあるけれど、たいていは仕事と重なってしまって、テレビや新聞でその光景を見るたびに、来年こそはと思いつつ果たしていない。今年も、仕事で駄目だ。この句の魅力には、実際に出かけた人ならではのものがある。私のように報道で知って、ああ今年もそろそろ終わりかと思うのではなく、歳末を肌身でひしと感じている。「月日渦巻きはじめたり」は、華麗な押絵羽子板がひしめきあう露店と、これまたひしめきあう人々との「渦巻き」のなかにいるときに、そうした市の雰囲気が、作者をして自然に吐かしめた言葉だと思う。すなわち、句作のためにたくらんで「月日…」と表現したのではなく、雑踏に押しだされるようにして出てきた「月日…」なのだ。すなわち、作者は羽子板市に酔っている。そうでなければ、渦中にいなければ、「渦巻きはじめたり」の措辞はいささか気恥ずかしい。こういう句には、現場を踏んでいるがゆえの強い説得力を感じさせられる。なお、掲句については以前に(1996/12/17)書いたことがあるのだが、あまりに舌足らずだったので、書き加えておくことにしました。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


June 1962006

 おくられし俳誌のうへに麦こがし

                           百合山羽公

語は「麦こがし」で夏。最近はあまり見かけなくなったが、新麦を炒って粉にしたものだ。関西、京阪地方では「はったい」と言う。砂糖を混ぜて粉をそのままで食べたり、水や茶にといて食べたりする。句の作者は、どちらの食べ方をしているのだろうか。ちょっと迷った。「俳誌」の上に直接粉を盛ったとも考えられるが、飛び散ってしまうおそれがあるので、この解釈には無理がありそうだ。おそらくは水か茶でといたものを書斎の机まで持ってきたのだが、コップ敷きを忘れたので、その辺にあった俳誌の上に置いたと言うのだろう。いずれにしても、この「おくられし俳誌」は、作者にとっては大事なものじゃない。送り主には失礼ながら、パラパラッと見て、即刻処分さるべき運命にある雑誌だ。薄情なようだが、これは仕方がないのである。作者ほどに名前のあった俳人のところには、全国から数えきれないほどの俳誌がおくられてきたはずで、それをすべて保存するなどはとてもできないからだ。そうしなければ、やがて寝る場所もなくなってしまう。ちらっと申し訳ないとは思いつつも、そんな俳誌の上に「麦こがし」を置いた作者の溜め息が聞こえてきそうな句だ。掲句から、ある詩人が書いていたエピソードを思い出した。若いころ、友人と出していた同人誌を尊敬する詩人に送り、できれば会っていただけないかという手紙を同封した。そのうちに返事が来て、一度遊びに来なさいということになった。で、友人と一緒におそるおそる訪問したところ、通された書斎で彼らが見た物は……、憧れの先生が土瓶敷きがわりにしていた自分たちの同人誌であった。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 1852007

 蠅取紙飴色古き智恵に似て

                           百合山羽公

百屋や魚屋の店頭にぶら下がってた。蠅取紙と並んで、銭を入れる笊が天井から下がっている。こちらの方はまだやってるけど、蠅取紙はなくなった。小学校三年生とき、学校の帰り道に八百屋で友達とちくわを買って食べた。買い食いは学校からも親からも禁じられていたので、秘密の決断だった。美味しかったなあ。鳥取だったので、あご(飛魚)ちくわが名産。学校の遠足で海辺のちくわ工場を見学したことがあって、木造の工場の中に蠅取紙が何本も下がっていた。製造中のちくわと蠅の関係はこれ以上書くのははばかられる。この見学のあとしばらくちくわが食べられなかった。もちろん今はそんなことはないだろうけど。この句、古き智恵は蠅取紙のごときものだ、というふうに解釈すると、「古き」を嗤うアイロニーに取れる。僕は「飴色」の方に重きを置きたい。古い智恵は飴色をしている。そう思うとこの琥珀色はなかなかの重厚な色合いだ。しかも蠅まで捕るのだから捨てたものではない。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


May 2152009

 愛鳥の週に最たる駝鳥立つ

                           百合山羽公

鳥週間の休日、御岳山の茶店の餌台に向日葵の種をつつきに来た山雀を見かけた。オレンジ色の胸が可愛い。バードウィークと言えば山雀や四十雀のように可憐な野鳥を思い浮かべるが、その視線をすっとはずして、飛べない駝鳥を登場させたところがこの句の眼目だろう。駝鳥は大きい。駝鳥の卵も大きい。肉の味が牛肉に似ているとかで駝鳥を飼育する牧場も生まれたようだけど、お尻をふりふり駆けてゆくあのユーモラスな姿を思い浮かべると食べるのはちょっとかわいそうな気がする。熱帯の土地でこの鳥がどんな生活を営んでいるのかよく知らないが、厳しい日差しと他の動物から卵を守るのに、オス、メス交代でじっと座って卵を暖めるらしい。大きくてやさしい駝鳥が鳥の最たるものとして立ち、うるんだ瞳で人間たちを見返している。『百合山羽公集』(1977)所収。(三宅やよい)




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