1997N15句(前日までの二句を含む)

January 0511997

 きやうだいよ羽子板の裏を向け合はす

                           瀧井孝作

ざ、真剣勝負という図。「きやうだい」は「姉妹」。こうした正月風景は、まず見られなくなった。そのことを、しかし私は少しも悲しまない。こんなにも可憐で恰好のよい女の子たちの姿を、かつて目撃したことのある幸運を、独り占めにしておきたい気持ちからだ。瀧井孝作は『無限抱擁』などで知られた著名な小説家。最晩年の作家を、一度だけ新宿のKDDビルでお見かけしたことがある。孤高の人。そんな印象だった。そして、この句の姉か妹かは知らねども、私が通っていた立川高校の一年先輩として、まぎれもない瀧井家のお嬢さんが在籍されていたことも懐しい。(清水哲男)


January 0411997

 味気なきたるみ俳句の御慶かな

                           加藤郁乎

さんではないが「それを言っちゃあオシマイよ」という句。御慶本来の意味は、新年にお互いに述べ合う祝辞のことだが、ここでは賀状での挨拶と読んでおく。となれば、なるほど賀状に記されてくる句は、昔から「たるみ俳句」が多い。傑作は少ない。めでたさを意識するあまりに、句づくりの姿勢までもが、ついおめでたくなってしまうからだろう。といって、ここで作者はべつに目くじらを立てているわけでもない。酔余の舌打ち。そんな程度である。これよりも郁乎新春の句に「ひめはじめ昔男に腰の物」という凄いのがある。さしあたっての私には、この句を解説する「めでたさ」の持ち合わせはないのだけれど……。『粋座』(ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)


January 0311997

 初刷の選外佳作のうまさかな

                           木山捷平

和36年12月作。この句の選外佳作は小説であろうか、俳句であろうか。恐らくは俳句であろう。入選句ではなく選外佳作の方に面白味を見付けたところが、いかにもこの作者らしい。木山捷平の俳句はヘタな中にヘタの味というべきものがあって、余人には真似のできない句となっている。この句の季語は初刷。正確には新年に印刷されたものをいうが、この場合のように新年号を含むとしても良いだろう。『木山捷平全詩集』(講談社文芸文庫)所収。(井川博年)




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