F句

January 0511997

 きやうだいよ羽子板の裏を向け合はす

                           瀧井孝作

ざ、真剣勝負という図。「きやうだい」は「姉妹」。こうした正月風景は、まず見られなくなった。そのことを、しかし私は少しも悲しまない。こんなにも可憐で恰好のよい女の子たちの姿を、かつて目撃したことのある幸運を、独り占めにしておきたい気持ちからだ。瀧井孝作は『無限抱擁』などで知られた著名な小説家。最晩年の作家を、一度だけ新宿のKDDビルでお見かけしたことがある。孤高の人。そんな印象だった。そして、この句の姉か妹かは知らねども、私が通っていた立川高校の一年先輩として、まぎれもない瀧井家のお嬢さんが在籍されていたことも懐しい。(清水哲男)


December 05121997

 夜話や猫がねずみをくはえゆく

                           瀧井孝作

語は「夜話」。最近の歳時記では割愛されているが(私のワープロソフトでは「よばなし」と信号を送ってやると、ちゃんと「夜話」と出てくる。ソフト制作者も、ずいぶん古い言葉を知っているものだ)、「夜話(夜咄)」は冬の炉端でのくつろいだ談話のこと。長く寒い冬の夜には、炉辺談話もご馳走である。話し好きの友人が訪ねてきて、漬物か何かで一杯やりながら話に興じている傍らを、音もなくねずみをくわえた猫が通り過ぎていった。いまの家庭だったら絶叫ものだろうが、こんなことは昔は日常茶飯事だから、誰も驚かない。そんな猫をちらりと横目にしながら、何事もなかったように話はつづいていくのである。悠然と闇に消える猫。外では、小雪がちらついている。(清水哲男)


June 0361998

 おとり鮎息はずむなる休ませる

                           瀧井孝作

慢じゃないが、鮎釣りの経験はない。気分が良さそうだなとは思っているが、チャンスに恵まれずに来てしまった。したがって、友釣りの何たるかも知らない。私と同じように友釣りを知らない読者のために、作者自身による解説を書きとめておく。「鮎は、きれいな水の中の石に生える美しい水垢をたべて育つので、鮎は、その食糧のある場所を、常に守つて見張つてゐて、他の鮎がその場所に近づくと、体当りでブツかつて、追ひはらふ習性があります。友釣は、この習性を利用して、一尾の鮎を囮に使つて、釣るのです」。そして、この囮の鮎には釣針のついた釣糸が結びつけられているのだから、体当たりした鮎が釣針に引っ掛かる仕掛けだ。引っ掛かる鮎も哀れだが、囮役も大変だ。引き上げてみると息をはずませている。しばらく休ませてやろうという作者の優しさに、句の味わいがある。だったら、友釣りなんかはじめからしなければいいのに。そんな声も聞こえてきそうだ。二日酔いの亭主に向かって「何もそんなになるまで飲まなくても……」というどなたかのご意見に似ている。『海ほほづき』(1960)所収。(清水哲男)


June 0762001

 螢かごラジオのそばに灯りけり

                           瀧井孝作

の宵。部屋の電灯は灯されている。なのに、なぜ「螢」の微弱な光が見えるのか。キーは「ラジオ」の置かれている位置である。昔のラジオは、茶だんすの上だとか神棚の横などの高い所に置かれていた。子供の背では、ちょっと手が届かないくらいの高い所。ラジオの声は、いつも上の方から聞こえてくるものだった。したがってこの「螢かご」も、電灯の笠で光がさえぎられた位置に置かれたわけで、そこは真っ暗ではないけれど、微弱な光の明滅もそれなりに見えているというわけだ。句は、ラジオのダイヤルの窓がぼおっと灯っている隣に、これまたぼおっと明滅する光があると言うに過ぎない。が、いかにひそやかな光といえども、室内に新しい光が加えられると、人はなんだか嬉しくなるものだ。しかも見ていると、螢の明滅がラジオの声に反応してのそれのようでもある。このときに作者は、隣で聞く螢のために、ラジオのボリュームを少し下げてやったに違いない。この句は、新刊の「俳句文芸」(2001年6月号)の扉に、田代青山の書と絵で色紙風にアレンジされて載っていた。絵には「ラジオ」も「螢かご」も描かれておらず、ひっそりと十薬(どくだみ)の絵が添えられている。薄暗い所でぽっぽっと白く咲く十薬の花は、なるほど植物界の螢なのかもしれない。(清水哲男)


March 3132003

 背のびして羽ふるはせてうぐひすの

                           瀧井孝作

者が、東京・八王子の自宅で飼っていた「うぐひす」を観察して得た句だという。「俳句は、見て見て見抜いて写生するもの」と言った人だけに、なるほど、見て見て見抜いている。全身の力を使って鳴いている健気さが、よく伝わってくる。だから、あんなに小さくても、よく透る声が出るのだ。その点、人間はどうだろうか。と、句は何も言っていないけれど、そんな問い掛けをされた気持ちになる句でもあるだろう。赤ん坊のころこそ全身を使って泣いたりはしても、成長するにしたがって、口先で物を言うことを覚えてしまう。どこか、うさんくさい存在に仕上がっていく。仕方のないこととはいえ、だからこそ私たちは逆に、たとえば句のウグイスのような欲も得もない全身的純粋表現に憧れるのだろう。下五の「うぐひすの」と流した押さえ方が、目を引く。これは句を、ここで完結させないための技法だと読める。つまり、「うぐひすの」は上五の「背のびして」に、おのずから循環していく。いつまでも、句をくるくると回しておく仕掛けなのだ。鳥籠のなかのウグイスの健気さや愛らしさを、いっそう読者に強く印象づけるためのテクニックだと言うべきか。なお、現在ではウグイスを簡単に飼育することはできない。メジロ、ウグイス、オオルリ、シジュウカラなどの小鳥や一定の動物は「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」により、環境庁長官又は都道府県知事の捕獲の許可がなければ、捕獲できない鳥獣とされているからだ。また、許可を得て捕獲した鳥獣も、都道府県知事の飼養(飼育)の許可がなければ飼養できないことになっている。『浮寝鳥』(1943)所収。(清水哲男)


May 2052003

 漁歴になき赤汐や夏柳

                           瀧井孝作

者十五歳の句。光景を想像してみると、おどろおどろしくも恐ろしい。みどり滴る美しい「夏柳(葉柳)」の向こうに透けて、血に染まったような色の海がどこまでも広がっているのだ。土地の漁師がはじめて見た異常現象「赤汐(あかしお・赤潮)」の実感はかくやとばかりに、精一杯にそれこそ想像した作者のフィクションである。フィクションと断定できるのは、当時の作者が飛騨高山の在であり、もしかするとまだ海などは見たことがなかったかもしれないと思えるからだ。この句は、河東碧梧桐が新傾向俳句の普及のために全国をまわる途次、飛騨高山に立ち寄った(明治四十二年)ところ、地元の俳句好きの連中がいわば無理やりにとっつかまえた格好で、急遽開いた句会での作である。兼題は「夏柳」。最年少であった孝作少年は、天下の碧梧桐の新傾向を強烈に意識して、あえてフィクション句を試みたのだろう。魚問屋で働いていたので、知識のなかに「赤汐」はあったのだろうが、それにしても「夏柳」と取りあわせたところは才気煥発と言うべきか。じっくり読めば「漁歴(りょうれき)になき」の説明調にひっかかるけれど、この措辞には慎重に空想の野放図を押さえる配慮が働いていて、やはり才気を感じさせられてしまう。少年ならではの力業と、その抑制と。なにも俳句とは限らない。そして、昔とも限るまい。子供のなかには、こんな力を咄嗟に発揮できる者はたくさんいる。力の源にあるのは、おそらく一所懸命の心なのだろう。想像の世界も全力が尽くされていないと、享受者には面白くない。と、これはほとんど私の自戒の弁だけれど……。『瀧井孝作全句集』(1974)所収。(清水哲男)


February 1622005

 海苔あぶる手もとも袖も美しき

                           瀧井孝作

語は「海苔(のり)」で春。新海苔の収穫期ゆえ。掲句、情景も美しいが句の姿も美しい。「美しき」などはなかなか詠み込み難い言葉だが、無理なくすらりと詠み込んでいる。あぶり加減で黒くも見え暗緑色にも見える光沢のある海苔だから、白い手もとも映え、和服の袖もまたよく映える。大袈裟ではなく、よくぞ日本に生まれけりと思うのはこういうときだ。いきなり話は上等でない海苔のことになるが、子供の時代に楽しみだったのが「海苔弁」だ。弁当箱にまず半分ほどご飯を敷き、その上にあぶった海苔にちょっと醤油をつけたのを敷き込む。このときに「おかか(鰹節)」があれば、いっしょに敷く。それからまたその上にご飯を盛って、同じように海苔をかぶせる。で、蓋をしてぎゅうっと押さえ込めば出来上がり。他に、おかずは無いほうがよろしい。単純な醤油飯でしかないけれど、時間が経つとほどよく醤油味が飯にしみてきて美味だった。二段飯というところにも、何か得したような感じで子供心をくすぐられた。でも、こんな贅沢な弁当は年に二度か三度かで、日の丸弁当があればまだよいほう。一年中米の飯が弁当に出来た子は、クラスでも半分くらいだったろうか。その貴重な海苔をこともなげにあぶって、こともなげに食べる。もうそれだけでも、子供の私だったら美しいと思う前に目を丸くしていたかもしれない。無粋な話になってしまいました。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


December 28122006

 門松や例のもぐらの穴のそば

                           瀧井孝作

日で仕事を納め、買物に家の掃除に本格的な年用意を始められる方も多いだろう。門松は神が一時的に宿る依代として左に雄松、右に雌松を飾るのだとか。物の本によると29日に飾るのは「二重苦」「苦を待つ」に通じ、31日は一日飾りと言って忌み嫌われるとある。お雑煮と同様、各地で竹の切り方や飾りのあつらえ方に違いがあるのだろうか。広島の田舎では裏山から切り出した竹を斜めに切り、裏白と庭の南天、松の枝をあしらった自家製の門松を門の両脇に括りつけていた。生まれ育った神戸ではそんな松飾りとも縁遠く、ホテルやデパートに据え置き式の門松を見るぐらいだった。あれは、植木屋さんに作ってもらうのか。終ったあとはどう処分されているのか、今でも不思議だ。この句の場合は門飾りではなく、据え置き式の門松だろう。「例の」とあるからもぐら穴は一家に馴染みのもの。騒動を起こしたもぐらをむしろ懐かしがっているようにも思える。主の消えた穴が門口に残っているのか、穴もろとも塞いでしまった跡なのか。どちらにしてもこのあたりと記憶に残る場所に見当をつけ、門松を置いている。今年一年の出来事を振り返り、家族総出で新しい年の準備をする気分が横溢した句のように思える。『浮寝鳥』(1943)所収。(三宅やよい)


August 0582009

 たつぷりとたゆたふ蚊帳の中たるみ

                           瀧井孝作

や蚊帳は懐かしい風物詩となってしまった。蚊が減ったとはいえ、いないわけではないが、蚊帳を吊るほど悩まされることはなくなった。蚊取線香やアースノーマットなるもので事足りる。よく「蚊の鳴くような声」と言うけれど、蚊の鳴く声ほど嫌なものはない。パチリと叩きつぶすと掌にべっとり血を残すものもいる。部屋の隅っこから何カ所か紐で吊るすと、蚊帳が大きいほどどうしても中ほどにたるみができる。蚊帳の裾を念入りに払って蒲団に入り、見あげるともなくたるみを気にしているうちに、いつか寝入ってしまったものである。小学生の頃には、切れた電球のなかみを抜き、その夜とった蛍を何匹も入れ、封をして蚊帳のたるみの上にころがして、明滅する蛍の灯をしばし楽しんだこともあった。「たつぷりとたゆたふ」という表現に、そこの住人の鷹揚とした性格までがダブって感じられるではないか。昔の蚊帳は厚手だった。代表作「無限抱擁」のこの作家は、柴折という俳号をもち自由律俳句もつくる俳人としても活躍した。『柴折句集』『浮寝鳥』などの句集があり、全句集もある。蚊帳と言えば、草田男に「蚊帳へくる故郷の町の薄あかり」がある。『滝井孝作全句集』(1974)所収。(八木忠栄)


August 2682012

 かなかなや川原に一人釣りのこる

                           瀧井孝作

(ひぐらし)、かなかなの鳴き声は、金属音のように響きます。夏の終わりの夕刻の空に向かって、楽器の音色とは違った、ぜんまい仕掛けのようなメカニックな音を響き渡らせます。作者は、終日、釣りつづけていたのでしょう。「川原」と表現しているので、中流か下流の広い川原で、鮎でも釣っていたのでしょうか。気づくと、さっきまで点在していた釣り人が、誰一人としていなくなっている。自分だけがとり残されてしまった。豊漁ならばさっさと竿をたためるが、たぶん、釣果はかんばしくなく、竿をたたむにたためず、日が暮れかかるや空にかなかなが響き渡って、我に返った図。その金属的な鳴き声は、川原の石にも響き渡るようで、空っぽのびくが寂しい。小 学校のと きの居残りの気分に似て、大人の居残りとはこんな感じでしょうか。あるいは、夏休みも終わりに近づいて、まだ宿題がたくさん残っているような、そんな屈託でしょうか。夕刻の空に川原に広がるかなかなの鳴き声を、自嘲ぎみに聞いているところが大人です。「日本大歳時記・秋」(1981・講談社)所載。(小笠原高志)


October 03102012

 高曇り蒸してつくつく法師かな

                           瀧井孝作

い暑いと私たちを悩ませた夏も、秋の気配がしのび寄れば法師蝉と虫の音の世界に変わり、ホッと一息。とにかく日本の夏は、蒸し暑いのだからたまらない。今年は九月半ばを過ぎても、連日気温30度以上の夏日を記録した。以前、沖縄の気温は年間を通じて関東より10度前後高かったのに、今年は沖縄より東京など東日本が1〜3度高い日が少なくなかった。私は「群馬や埼玉の人は沖縄へ避暑に行ったら?」などと呟いていた。日本列島はやはり熱帯化しつつあるのでしょうか。「高曇り」は空に高くかかった雲で曇っている様子の意味。法師蝉が鳴く秋になっても、曇って湿気が高い陽気は誰もが経験している。せめてもの救いは法師蝉が、きちんと声の「務め」を果たしてくれていることだろう。気をつけて聞けば、「ジュジュジュ……オーシンツクツク……ツクツクオーシ……ジー」と四段階で鳴いている。私の故郷では「ツクツクオーシ」を「カキ(柿)クッテヨーシ」と聞いて、柿を食べはじめていい時季とされている(その時季は必ずしも正確ではないようだが)。『和漢三方図絵』には「鳴く声、久豆久豆法師といふがごとし」とある。三橋鷹女には「繰言のつくつく法師殺しに出る」という物騒な句がある。虫の居所が悪かったのか、よほどうるさかったのだろう。平井照敏『新歳時記・秋』(1996)所収。(八木忠栄)


March 2632014

 夜明けまづ山鳩鳴けり弥生尽

                           瀧井孝作

い寒いと言っているうちに、3月も終わる。今冬は異常気象と騒がれた日本列島、それでもようやく花は咲きはじめ、桜前線は北上している。山里か村里か、本格的な春をむかえた夜明け方、いち早く山鳩が一日のはじまりを告げるように低く鳴く。本格的な春=花の時節になって、あたりは活気をとり戻す。まだ「春眠暁を覚えず……」の季節だが、山鳩の声でやおら眠りから覚めた人のこころにも、春は遠慮なく踏みこんでくる。山鳩の一声につづいて、あたりにはさまざまな生命の音・生活の息吹が徐々に立ちあがってくるーーそんな光景を予感させてくれる句である。句作を多くした孝作には、「ビルディングみな日向なり暮れ遅き」「海苔あぶる手もとも袖も美しき」などの春の句がある。『瀧井孝作全句集』(1974)所収。(八木忠栄)


September 0292015

 旅人のいかに寂しき稲光り

                           瀧口修造

雷」や「いかづち」という言葉には激しい音がこめられていて、季語としては夏である。ところが、雷が発する「稲光り」は秋の季語であり、音よりも視覚に訴えている。遠くの雷だと音よりも光のほうが強く感じられる。掲出句には「拾遺ブリュッセル一九五八.九」の添書がある。修造は1958年にヨーロッパを巡る長旅をしている。この「旅人」は修造自身であろう。近くて激しい雷鳴ではなく、旅先の異国でふと視界にとびこんできた「稲光り」だから、旅人にはいっそう寂しく感じられるのだろう。この句を引用して、加納光於と修造の詩画集『〈稲妻捕り〉Element』について触れている馬場駿吉は、次のように説明している。「九月初旬のある日の夕刻、ブリュッセルを襲った雷鳴と稲光りに触発されて書きとめた一句」(「方寸のポテンシャル9ーー瀧口修造の俳句的表現」)。馬場氏は修造を訪ねると、応接間兼書斎で読みさしの『去来抄』が机上に置かれているのに、何度か気づいたという。世界の現代作家の貴重な作品や、手作りの珍品などが足の踏み場もなく置かれた、あれは凄い応接間兼書斎でした。稲光りの句では瀧井孝作に「稲光ねざめがちなる老の夢」がある。「洪水」16号(2015)所載。(八木忠栄)




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