1997N16句(前日までの二句を含む)

January 0611997

 仕事始とて人に会ふばかりなり

                           大橋越央子

格的に仕事をはじめる会社もなくはないが、仕事始とは名ばかりのところが多い。職場での挨拶からはじまって、後は得意先まわりなど、この句のように過ごす人が大半だろう。そんな「人に会う仕事」も明るいうちに終わってしまい、のんびりとした時間が残される。それが証拠に、午後のビヤレストランなどは満杯である。(清水哲男)


January 0511997

 きやうだいよ羽子板の裏を向け合はす

                           瀧井孝作

ざ、真剣勝負という図。「きやうだい」は「姉妹」。こうした正月風景は、まず見られなくなった。そのことを、しかし私は少しも悲しまない。こんなにも可憐で恰好のよい女の子たちの姿を、かつて目撃したことのある幸運を、独り占めにしておきたい気持ちからだ。瀧井孝作は『無限抱擁』などで知られた著名な小説家。最晩年の作家を、一度だけ新宿のKDDビルでお見かけしたことがある。孤高の人。そんな印象だった。そして、この句の姉か妹かは知らねども、私が通っていた立川高校の一年先輩として、まぎれもない瀧井家のお嬢さんが在籍されていたことも懐しい。(清水哲男)


January 0411997

 味気なきたるみ俳句の御慶かな

                           加藤郁乎

さんではないが「それを言っちゃあオシマイよ」という句。御慶本来の意味は、新年にお互いに述べ合う祝辞のことだが、ここでは賀状での挨拶と読んでおく。となれば、なるほど賀状に記されてくる句は、昔から「たるみ俳句」が多い。傑作は少ない。めでたさを意識するあまりに、句づくりの姿勢までもが、ついおめでたくなってしまうからだろう。といって、ここで作者はべつに目くじらを立てているわけでもない。酔余の舌打ち。そんな程度である。これよりも郁乎新春の句に「ひめはじめ昔男に腰の物」という凄いのがある。さしあたっての私には、この句を解説する「めでたさ」の持ち合わせはないのだけれど……。『粋座』(ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)




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