1997N125句(前日までの二句を含む)

January 2511997

 冬旱眼鏡を置けば陽が集う

                           金子兜太

は「ひでり」。カラカラ天気。読書か書き物に少し疲れて、眼鏡を外して机上に置くと、低い冬の日差しが窓越しに眼鏡のレンズに集まってきた。暖かいのはありがたいが、そろそろ一雨ほしいところだ。そんな作者の心情だろうか。生まれつき目の良い人にとっては、わかりにくい感覚だろう。私も非常に良いほうだったので、目が不自由になってから、この句の味がようやくわかったような気がしたものだった。『金子兜太全句集』(昭和50年刊)所収。(清水哲男)


January 2411997

 風呂吹に機嫌の箸ののびにけり

                           石田波郷

呂吹は、風呂吹き大根(ないしは蕪)。少年時代は農家で育ったから、大根や蕪は売るほどあった。が、風呂吹き大根などは、社会人になるまで食べたことがなかった。はじめて、どこぞの酒房で食したときの印象は、今風の女性言葉に習って言うと「ええっ、これってダイコン?」というものだった。ちっとも大根の香り(匂い)がしなかったからだ。なんだか、とても頼りない味だった。美味とは思わなかった。「不機嫌」になりそうになった。ところが、結婚生活四半世紀になる私が、ただ一度、台所で本式に作った料理が、この風呂吹き大根というのだから、人間どこで何がどうなっちまうかはわからない。作るコツは、材料の大根をできるだけ大根らしくなく茹でることだ。そのためには、準備に手間がかかる。そんな馬鹿な料理を、忙しい昔の農家の主婦が作るわけもなかったということだろう。(清水哲男)


January 2311997

 事果ててすっぽんぽんの嚔かな

                           谷川俊水

  今日は趣向を変えて1996年末の「余白句会」より一句。「嚔」は「くさめ」。
んなものに誰が点入れるのか、に騒々子、敢然として地に入れる。これがいいのです。騒々子、今回の選のコンセプトはグロテスクと馬鹿笑いである。(中略)「事果てて」が凄い。他に言いようがないのかねえ…。虚脱している男の間抜け面が目に見えるようで、これは他に言いようがない。川柳に破礼句(バレく)の分野あり。男女間の性愛を詠む。ここでも近世以降は傑作なし。やはり江戸期の「風流末摘花」などであの手のものは尽きています。この句などはだから新しい。俊水、字余り句は作るは、自由律句を作るは、バレ句は作るは、自由奔放、といえば聞こえはいいが、要はムチャクチャ俳諧。その元祖となる気配あり。……(「余白句会報告記」・騒々子<井川博年>)(清水哲男)




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