リ典句

February 1521997

 あの木ですアメリカ牡丹雪協会

                           坪内稔典

典句の傑作は数あれど、私なりのランキングでは、ベスト・スリーに入っている。意味不明なれども、一句が喚起する物語性が心地よい。一度も体験したことがない「懐しさ」。妙な言い方になるけれど、そんな雰囲気が伝わってきませんか。実は、今日この句を掲出するにあたって原典にあたりたかったのだが、句集が室内で行方不明。記憶のみに頼った引用となった。表記が間違っていない自信はあるのですが、ひょっとして……の場合、後日訂正します。(清水哲男)


July 2971997

 そのことはきのうのように夏みかん

                           坪内稔典

蜜柑は、気分を集中しないと食べられない。スナック菓子のように、簡単に口に運ぶわけにはいかない。したがって、つい先程の「そのこと」などは、あたかも昨日のことのように遠のいてしまう。「そのこと」とは何だろうか……。本来であれば、しばし当人の心に引っ掛かるはずのことどもであろうが、しかし、その中身は読者にゆだねられている。男女のことでもよいし、生活の中の不意のトラブルでもよい。稔典は俳句を指して、作者と読者の「新たな関係を創造する装置」だと言う。「どんなに厳密に書かれていても、俳句はついに一種の片言にすぎない」とも。だから読者としては、安んじて「そのこと」の中身を自由勝手に想像してよいのである。というよりも、この句の面白さは、作者のそうした俳句理論の露骨な実践的企みにある。『猫の木』所収。(清水哲男)


March 0831998

 三月の甘納豆のうふふふふ

                           坪内稔典

の句を有名にした理由は、なんといっても「うふふふふ」という音声を活字化した作者の度胸のよさにあるだろう。EPOのかつてのヒット曲に『うふふふ』があるが、彼女の場合には「うふふふ」を音声で(歌って)表現しているわけだから、度胸という点では稔典には及ばない。いずれも春の歌であり、春の喜びを歌っていて、両方とも私は好きだ。ところで、このときの俳人の度胸は、単に音声を俳句に書き込んだという以上に、既成の俳句概念をすらりと破ってみせたところで価値がある。従来の俳句は「うふふふふ」を、字面の外から聞かせる技術の練磨に専念してきたと言えようが、稔典はそのことを十分に踏まえつつも、あえてあっけらかんと音声そのままに提出してみたのである。「言外」という、なにやらありがたげな領域への文学的な信仰を無視したとき、現われてきたのは、誰もが素朴に生理的に嬉しくなってしまうような「三月」の世界であった。この覿面の効果には、作者ももしかすると吃驚したかもしれない……。ただ、この句を思いだすたびに俳句のなお秘められた可能性を思うが、同時に稔典を安易に真似した句の氾濫には憂鬱にもなる昨今だ。『坪内稔典集』所収。(清水哲男)


August 2581998

 東京の膝に女とねこじゃらし

                           坪内稔典

味不明なれど色気あり。それは読者が「膝」と「女」と「ねこじゃらし」を、一度に頭のなかに出現させるからである。つまり「東京の女の膝にねこじゃらし」とでも、一瞬読もうとする力が働くからなのだ。どこにもそんなふうには書いてないのに、意味を求めて文字を読む習癖がそうさせるのである。そこらあたりの習癖を熟知している作者は、こう書いた後でペロリと舌を出したかもしれない。作者は常々「わかりやすい言葉で気軽に口ずさめる俳句」を主張している。そのことからすれば、この句はまさにそのとおりの作品であり、故意に意味不明に仕上げた成果がよく出ていると思う。さらには舞台を東京にセットしたところも、ニクい配慮だ。べつに東京でなくても、作者の住む大阪だって、他の地名だって構わないようなものだが、東京がもっとも野の草とは縁遠い地方であることが計算されている。東京でないと、これだけの色気は出てこない。ヒマな人は、いろいろな地名と入れ替えてみてほしい。楽しい句だ。『ぽぽのあたり』(1998)所収。(清水哲男)


February 2522000

 たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

                           坪内稔典

っ、たんぽぽ(蒲公英)の「ぽぽのあたり」って、どこらへんなの(地方によっては、ちょっとエロチックな想像に走る人もいそうだ)。そう思った途端に、読者は作者の術中にはまっている。実体を指示するための言葉を、あっけらかんと実体そのものに転化させてしまう手法はユニークだ。詩の世界では見られなくもないけれど、俳句では珍しい。「どこと問われてもねえ」と、笑っているだけの作者の顔が浮かんでくるようだ。馬鹿馬鹿しいといえばそれまでだが、しかし、この句は確実に記憶に残る。その「記憶に残る」ということが、作者近年のテーマのようだ。句集の後書きに「簡単に覚えることができ、そして気軽に口ずさめる俳句は、諺にきわめて近い」と記されており、「言技師(ことわざし)こそが俳人」だと言っている。賛成だ。論より証拠(!!)。坪内稔典の人口に膾炙している句は、みんな諺のように覚えやすい。しかも、諺とは違って、中身はナンセンスの極地にある。こういう句は、よほど言葉が好きでないとできないだろう。そしてもう一方では、よほど人間が好きで、その機微に通じるセンスがないと……。ちなみに、連作「ぽぽのあたり」は「たんぽぽのぽぽのその後は知りません」で締めくくられている。はぐらかされたか。そこがまた楽しい。『ぽぽのあたり』(1998)所収。(清水哲男)


June 1162000

 走り梅雨ちりめんじゃこがはねまわる

                           坪内稔典

雨の兆し。そのただならぬ気配に、「ちりめんじゃこ」がはねまわっている。昔から鯰は地震を予知すると言われるが、「ちりめんじゃこ」も雨期を予知するのだろうか。予知して、こんな大騒をするのだろうか。そんなはずはない。そんなことはありっこない。このとき、ただならぬのは「ちりめんじゃこ」よりも作者の感覚のほうである。誰にでも、他人はともかくとして、なんとなくそんな気がするという場面はしばしばだ。独断的な感受という心の動きがある。詩歌の作者は、この独断に言葉を与え、なんとか独断を普遍化しようと試みる。平たく言えば、「ねえ、こんな感じがするじゃない」と説得を試みるのだ。その説得の方法が、俳句と短歌と自由詩と、はたまた小説とでは異なってくる。そのことから考えて、掲句の世界は俳句でしか語れないものだと思う。たとえば、詩の書き手である私は、この独断を句のように放置してはおけない。はねまわる「ちりめんじゃこ」の様態までを自然に書きたくなってしまう。書かないと、気がおさまらないのだ。したがって、こうした句をこそ「俳句の中の俳句」と言うべきではなかろうか。ふと、そう思った。なお「ちりめんじゃこ」は関西以西の呼称だろうか。東京あたりでは「しらすぼし」と言う人が多い。『猫の木』(1987)所収。(清水哲男)


October 13102000

 影踏みは男女の遊び神無月

                           坪内稔典

ッと句から平仮名を抜いて、漢字だけを集めてみる。すると「影踏男女遊神無月」と、なにやら意味あり気な「漢詩」の一行ができあがる(笑)。「影ハ男ヲ踏ミ、女ハ神ニ遊ブ、ムゲツケナシ(「残忍なことだ」の意)」と。もちろん、これは私の悪い冗談である。稔典さんよ、許してつかぁさいね。でも、漢字は表意文字だからして、漢字の多い句に出会うと、観賞が漢字に引きずられてしまうことは、よくある。掲句はきちんと書いてあるからそういうことは起きないが、初心の実作者はよほど注意をしないと、とんでもない解釈をされることもあるので、要注意だろう。閑話休題。この句の面白さは、なんといっても「影踏み」を「男女の遊び」だと独断したところにある。普通は、男女に無関係の子供の遊びだ。誰も「男女の遊び」だとは思ってもみないが、こうして独断することで見えてくるものはある。何かと男女交際に口うるさい神様は、会議で出雲にお出かけだ。その隙をねらって「男女」が遊んでいるわけだが、思いきり遊べばよいものを、なんとお互いの影を踏みあうことくらいしかできない哀れさよ。「影踏み」なんて日のあるうちにするもので、しかも「神無月」の日照時間は短いのである。お楽しみはこれからなのに、なんて遊びにかまけているのか。作者はべつに警句を吐いたのではない。ただ、庶民の遊びの貧しさをからかい、そこにまた庶民のつつましさを見て、苦笑とともに共感を寄せている。このときに庶民とは、まずもって作者自身のことなのだ。だから、この句にはナンセンスの妙味もあるけれど、同時に苦くて寂しいユーモアが感じられる。「影踏み」か……。最後に遊んだのは、いつ誰とだったか。『猫の木』(1987)所収。(清水哲男)


August 2382001

 サーバーはきっと野茨風が立つ

                           坪内稔典

ソコンを扱う当サイトの読者ならば、おそらくは全員が「きっと」ではなく「キッ」となる句だろう。私も思わず「キッ」となった。最近ではワープロを詠んだ句こそ散見するが、国際的なHAIKUの世界はいざ知らず、俳句で「サーバー(server)」が詠まれたのは初めてではあるまいか。だから「キッ」なのである。で、「なになに、サーバーがどうしたって」と辿ってみると、「きっと野茨(のいばら)」なんだと書いてある。そこで自然の成り行きとして、両者がどのあたりで似ているのかを考えることになる。野茨は初夏に白い花を咲かせ、秋には赤い実をつける。いずれも可憐な印象だ。だが、蔓状の枝には鋭い無数の棘(とげ)が……。つまり、花や実のサービスを受けるためには、この入り組んだ棘を素早く辿り、しかも刺されないように用心して通らなければならない。「きっと」そういうイメージなんだろうなと、私は読んだ。パソコンを操るとは、日々この作業の連続とも言える。のほほんと構えていると、思わぬところで棘にやられてしまう。で、そんなサーバーとのやりとりに熱中し、ふと我に返ると表には「風が立」ち、季節は確実に一つ過ぎているのだった。厳密に言えば無季句だけれど、立つ「風」の気配は秋だろう。「秋風」の項に登録しておく。「俳句四季」(2001年7月号)所載。(清水哲男)

[うへえっ]この「サーバー」は、テニスなどのそれではないかとの反響多し。むろん考えました。だとすれば、可愛い顔して棘のあるサーブを打ってくる少女のイメージか。でも「風が立つ」がつき過ぎだと思い、以上に落ち着いた次第です。パソコン狂の妄想かもしれませんが、ま、いいや。この線で突っ張っておきます。MacOs9.2.1へのアップデータが登場しましたね。


October 18102001

 バッタとぶアジアの空のうすみどり

                           坪内稔典

語は「バッタ(飛蝗・蝗虫)」で秋。キチキチと翅を鳴らしながら、バッタガ跳んでいる。細長く繊細な体で、思いがけないほど遠くに跳ぶのもいる。体の色は褐色のもいるが、この場合は「うすみどり」だろう。その「うすみどり」はまた空の色だと作者は言い、となれば「アジア」の大空の下を跳ぶバッタは、跳び上がるたびに空に溶けてしまうようである。この句の面白さは、実際にバッタが跳んでいる光景から、空とバッタだけを残して、それ以外の実景をすべて消去したところにあるのだと思う。日本の空なのに「アジアの空」と大きく張った視界が、そして「アジア」という底知れぬ深さを感じさせる言葉が、さながら巨大な消しゴムのように作用して、周囲の雑物や雑音を消去してしまっている。ふと気がつけば、また作者自身もいなくなっているようではないか。しいんとした「うすみどり」の広大な空間に、ときおり「バッタ」だけがキチキチと跳び上がっては消えるのである。それだけである。秋の野に在る心持ちを押し詰めていくと、こんなにも何もない世界が現れてくるのか……。ここで読者はもう一度、句に立ち戻ることになる。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)


January 3112002

 風鬼元風紀係よ風花す

                           坪内稔典

語は「風花(かざはな)」で冬。晴天にちらつく雪。晴れてはいるが、風の吹く寒い日の自然現象だ。句は「風」を三つも持ちだして、徹底的に遊んでいるわけだが、妙に心に沁みてくる。「風紀係」のせいだろう。敗戦直後の民主主義勃興時の学校では、学級委員のなかでも「風紀係」がもっとも実効性を発揮できた。ハンカチを忘れてないかとか、買い食いをしなかったかだとかをチェックする係。いま思うに、この係だけは、戦前からの価値観をそのまま適用でたので動きやすかった。真面目な子が選ばれ、チェックの厳しかったこと。それに引き換え、名のみトップの「委員長」なんて係は、たとえば男女平等の理念はわかるとしても、実際に教室で何かが起きると、具体的にはなかなか反応できないのであった。ついでに言えば、私は永遠の「書記係」で、ついに今でもそのような者である。さて、いまや「元風紀係」は天に召され「風鬼(ふうき・風の神)」となって、あいかわらず地上のチェックには余念がない。「風花」も、彼ないしは彼女の真面目な働きの一貫だと、作者は言うのだろう。せっかく晴れていて、みんなが機嫌よくふるまおうとしているのに、わざわざ雪をちらつかせる(チェックを入れる)こともあるまいに……。一応こんなふうに読んでみたが、どうだろうか。掲句を一読、私たちの「風紀係」だったあいつを思い出した。どうしているだろう。『月光の音』(2001)所収。(清水哲男)


March 2632002

 一日のどこにも桜とハイヒール

                           坪内稔典

段は、昭和初期のモダン・アートを思わせる。洋髪の美女が、西欧世界ではなく、日本的な情景のなかに憂い顔でたたずんだりしていた絵だ。和洋折衷の哀しき美しさ。当時の新聞写真などを見ると、そんな絵から抜け出たように思われていたのは、たとえば蓄音機を鳴らしていたカフェの女給あたりだろうか。西欧への憧れとドブ板を踏む現実とが、なにやら不思議なハーモニーを奏でていたような……。ハイヒールと花の取り合わせも、同断である。ほろほろと散る桜の樹の下に、ひとりたたずむ(あるいは颯爽と歩いている)ハイヒール姿の女性のシルエット。これが下駄や草履履きやの女性と花との取りあわせだったら、初手からモダンにはなりっこない。その美しさは、日本的情趣のなかにとっぷりと沈みこんでしまう。掲句はそうしたモダンな絵を意識しつつ、しかしそれが「一日のどこにも」と言うのだから、作者はいささかうんざりしている。モダンもオツなものだけれど、氾濫するとなると辟易ものである。モダン感覚にとっては、あくまでもぽつんと静かに、たまたまそんな女性が存在することが重要なのである。近年、伝統的なハイヒールを履く女性は少なくなってきた。が、この句でのハイヒールは、例の厚底サンダルなどを含めてのことなのであり、もはや西欧を意識することもなくお洒落ができるようになった現代女性のパワーに、あっけにとられている図だとも読める。『月光の音』(2001)所収。(清水哲男)


August 0782002

 百日草がんこにがんこに住んでいる

                           坪内稔典

語は「百日草」で夏。メキシコ原産。その名のとおり、うんざりするほどに花期が長い。栽培も容易で生育も早く、しかもしぶといときているから、江戸期より園芸用として広まったのもうなずける。掲句は花の観賞ではなく、そうした生態のみに着目して「がんこにがんこに」と繰り返した。句の妙は「住んでいる」の切り返しにある。読み下していく途中、読者は最初の「がんこに」のあたりで、なんとなく「咲いている」などと下五を予想してしまう。次の「がんこに」で、ますますそのイメージが強固になる。そこまで仕組んでおいてから、作者はさっと梯子を外すようにして「住んでいる」と切り換えた。ここで一瞬、読者に句の主体を見失わせるわけだ。すなわち「がんこにがんこに」は百日草の生態にもかかっているが、咲かせている家の人の生き方にこそ大きな比重がかけられていたのだった。やられた。やられたのだけれど、しかし、悪い気はしない。そこで、もう一度読んでみると、なるほどと納得がいく。地味ながら頑固一徹に生きている主人公の姿すら、思い浮かべられるようだ。こういうことにかけては、やはり当代一流の作者なのである。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


September 2992002

 朝潮がどっと負けます曼珠沙華

                           坪内稔典

の「朝潮」は、いつの頃の朝潮だろうか。大関までいった現高砂親方も、負けるときにはあっけなく「どっと」負けてはいた。肝心のときに苦し紛れに引く癖があり、引くと見事なほどに「どっと」転がされてたっけ……。でも、彼以上に「どっと負け」の脆さを見せたのは、昭和三十年代に活躍した横綱の朝潮のほうだろう。「肩幅が広く胴長の体格、太く濃い眉を具えた男性的な容貌や胸毛は大力士を思わせ、師匠の前田山は入門当初から『この男は将来は横綱に成る』と公言していた。それだけに厳しく稽古を附けられたが泣きながら耐え、強味を増した。右上手と左筈で左右から挟み附けて押し出す取り口は『鶏追い戦法』と言われて圧倒的な強さを見せたが、守勢に回ると下半身の弱さから脆く、『強い朝潮』と『弱い朝潮』が居ると言われた」(「幕内力士名鑑」)。腰痛分離症、座骨神経炎につきまとわれていたからだが、当時としてはとてつもない大男だったので、失礼ながら私は秘かに「ウドの大木」と呼んでいたのだった。この朝潮全盛時代には、テレビはまだまだ高嶺の花だったので、すべて街頭のテレビで見た記憶による。掲句のミソは、とにかく「どっと」に尽きる。群生する「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」も、どっと咲いてはどっと散っていく。高校時代、バス停への近道に墓場を通った。この季節になると、文字通りに「どつと」咲き乱れていた曼珠沙華よ。おお、哀しくも懐しい記憶が「どっと」戻ってきたぞ。『猫の木』(1987)所収。(清水哲男)


June 2062003

 路頭とはたたずむところ合歓の花

                           坪内稔典

語は「合歓(ねむ)の花」で夏。夜になると葉を閉じるので「眠」と付いたそうだ。子供のころ、学校への道の途中の川っぷちにあつて、不思議な木があるものだと思っていた。故郷を離れてからは、一度も見た記憶はなく、それでも花の様子は鮮明に思い出せる。いまごろは、もう咲いているだろう。作者は旅行先で合歓に出会い、しばらくたたずんで眺めた。そして、ふっと気がついた。そうか「路頭」とは、こうしてたたずむところでもあったのだ。都会の道のように、ただせかせかと歩くだけが路頭じゃない。作者は日本一せかせかと歩く人が多いと言われる大阪住まいだけに、痛切にそう感じたのだろう。現代ならではの句だ。実際、東京あたりでも、なかなかたたずめるような道はない。たたずむことができるのは、信号待ちのときくらいだ。下手に立ち止まったりしたら、突き飛ばされかねない。それに、合歓なんてどこにも生えてない。すなわち、たたずむに値するだけの対象物もないのである。ひたすら道は歩くため、車で移動するためだけにあるのであって、別の目的で使用したりすると、たちまち道交法に引っ掛かってしまう。いまにきっと、みだりに立ち止まっちゃならぬという一項が追加されるだろう。いや、既に集団に対してはそうした条項があるも同然だ。だから、掲句が発禁になるのも間近い。と、いまは冗談ですむけれど、いつまでこの冗談がもつだろうか。路頭は変わった。それこそ路頭が「路頭に迷っている」。「俳句研究」(2002年8月号)所載。(清水哲男)


October 18102003

 野菊また国家の匂い千々に咲く

                           坪内稔典

語は「野菊」で秋。野菊という種類はなく、野生の菊の総称だ。作者の意識のなかには、むろん皇室の紋章(菊型ご紋・十六弁八重表菊)がある。野菊も仲間だからして、同じように「国家の匂い」がするわけだ。このあたり、ちょっと意表を突かれる。というのも、私たちは通常皇室の紋に匂いを感じることはないからだ。なんとなく無臭というイメージを持ってきているが、言われてみればなるほど、匂ってこその菊の花である。鎌倉期の後鳥羽上皇が愛でたことから天皇家代々の紋として定着したのだそうだが、上皇は当然その匂いへの愛着をも込めて図案化したはずである。それが幾星霜を経るうちに、とりわけて明治以降の天皇独裁制で庶民との関係が完全に切れて以来、紋の匂いも雲の上に消えてしまった。明治以前の京都では、御所の近所を「天皇はんが散歩してはった」と世間話に出るくらいに、まだ庶民との距離は近かったのである。すなわち、この句は野菊の匂いを詠んでいるのだが、逆に天皇家の菊紋の匂いをあらためて読者に想起させることになったというわけだ。そして「千々に」は、「君が代」の歌詞「千代に八千代に」にうっすらと掛けてある。仁平勝に言わせると、坪内稔典の方法は「ひとことでいえば、言葉の属性をすべて利用すること」だが、その通り。掲句も「菊」一語の属性からの連想展開で、これだけの妙な生々しさを出せるところがネンテン俳句の面目なのである。『猫の木』(1987)所収。(清水哲男)


February 1322004

 全身にポケットあまた春の宵

                           坪内稔典

宵一刻直千金。昔は「千金の夜」などという季語もあったそうだが、これはどうもガツガツしているようでいただけない。「春の宵」はそんな現世利益をしばし忘れさせるほどに、ほわあんとしている感じが良いのだ。ほわあんとすると、なんだか甘酸っぱい感傷に誘われるときもあるし、掲句のように、当たり前といえば当たり前のことに気がついたり感じ入ったりすることもある。言われてみれば、なるほど男の衣服の「ポケット」の数は多い。まさに「全身」がポケットだらけだ。しかし「こりゃ大変だ」というのでもなければ「何故なんだ」というのでもない。「ふうむ」と、作者はひたすらに感じ入っている。そこらへんが可笑しいのだが、この可笑しみは他の季節の宵には感じられない、やはり春ならではのものだろう。くすぐったいような、作者の例の甘納豆句の「うふふふふ」のような……。句にうながされて、外出時の自分のポケットの数を勘定してみた。コートに五つ、ジーンズの上下に九つ、合わせて14個もついている。スーツだったら、もっと多いはずだ。ポケットの中に、またポケットがついていたりする。で、これらすべてを使っているかというと、半分も使っていない。第一、全部使うほどにたくさんの小物を持って歩くことはない。たまに紛失してはいけないメモなどを、ふだんは使わない内ポケットにしまい込むこともあるが、飲み屋でそんなことをするとエラい目にあう。翌朝、朦朧たる意識のうちに、そんなメモがあったことを思い出してポケットを探るのだが、いつも使うところには無いので、一瞬青ざめるのである。逆に、冬場になってはじめてコートを着たときに、何気なくポケットに手を入れると千円札が入っていたりして、一瞬雀躍するのである。『百年の家』(1993)所収。(清水哲男)


June 2062004

 恋人とポンポンダリアまでの道

                           坪内稔典

語は「(ポンポン)ダリア」で夏。英語のダリア名「Pompon」から来た名前だと言う。そんなに存在感のあるほうではない花だけど、よく見ると可憐で可愛らしい。しかし句の作者は、実物のポンポンダリアがどんな花かという知識を、さして読者に要求してはいないと思う。知っているにこしたことはない、という程度だ。というのも、句では「ポンポンダリア」の「ポンポン」が、ほとんど擬態語のように使われているからだ。恋人と並んで歩いている気分が「ポンポン」と弾むようなのであって、実物の花の様子は二の次という感じを受ける。だから、歩いてゆく先の道に実際に咲いていなくても構わない。とにかく、楽しくって「ポンポン」、わくわくして「ポンポン」なのである。そしてこの恋人同士は、ほとんど仲良しこよしみたいな関係で、セクシュアルな生臭さというものが一切ない。「ポンポン」が効いているからだ。二人はロウティーンくらいの年齢かとも思えるが、大人の恋人同士でも明るく軽い雰囲気で歩いていれば、やはりそれも「ポンポン」気分と言うべきか。いずれにしても、花の名前を擬態語に転化させて、人の気持ちの形容に使ったところが句のミソであり、楽しさである。この方法を応用すれば、たとえば「ぺんぺん草」だとか「きちきちバッタ」だとか、更には「ハリハリ漬け」なんかも、面白い句になりそうだ。いや、きっともうどこかの誰かが既に試みているに違いない。どんな具合に仕上がったのだろうか、読んでみたいな。『坪内稔典句集』(2003・芸林21世紀文庫)所収。(清水哲男)


December 07122004

 ケータイのあかりが一つ冬の橋

                           坪内稔典

ましたっ。パソコンを詠んだ句は散見するようになったが、携帯電話の句はまだ珍しい。俳人には高齢者が多いので、装置そのものを持っていないか、持っていても若者のように頻繁に使ったりはしないからだろう。要するに、あまり馴染みがないのである。加えて、携帯電話を「携帯」と略すことにも抵抗がある。句に「携帯」と詠み込んだだけでは、厳密に言えば何を携帯しているのか、意味不明になってしまう。そこで作者は「携帯」とせずに、片仮名で「ケータイ」とやった。この表記だと、読者にも当今流行のアレだなと見当がつく。さて、寒くて暗くて長い「冬の橋」。人通りも少なく、閑散としている。作者は、その橋を少し遠くから眺めている恰好だ。と、そこへ「ケータイ」を持った人が通りかかった。男か女かもわからないけれど、小さな液晶画面のバックライトだけが、明滅するかのように動いてゆく様がうかがえる。いったい、こんなところでこんな時間に、誰が何のために何を発信しているのだろうか。蛍の光ほどの淡い「あかり」のゆっくりとした移動を見ているうちに、しかし作者は持ち主である人間のことを次第に忘れてしまい、なんだか「あかり」だけが生きて橋を渡っているかのように思えてくるのだった。これぞ「平成浮世絵」の一枚だなと、読んだ途端に思ったことである。『俳句年鑑・2005年版』(2004・角川書店)所載。(清水哲男)


February 2422007

 たんぽぽに立ち止まりたる焦土かな

                           藤井啓子

んぽぽ、と声に出すと、やはりその「ぽぽ」の音は、日常の日本語にはない不思議な響きだ。春の野原の代表のような、なじみ深い花の名前だから一層そう感じるのだろうか。それが〈たんぽゝと小聲で言ひてみて一人〉の星野立子句や、〈たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ〉の坪内稔典句を生むのかとも思う。その名前の由来には諸説あるようだが、花を鼓に見立てて、「たん・ぽんぽん」という擬音から来ているという説など興味深い。野原いっぱいに咲く明るさにも、都会のわずかな土に根付いて咲く一輪にも、色といい形といい、春の太陽が微笑んでいる。掲句のたんぽぽは、おそらく二、三輪だろう。たんぽぽの明るさに対して、下五の、焦土かな、は暗く重い。焦土と化した原因は、戦争のようにも読めるが、作者は神戸在住、この句が詠まれたのは1995年の春。焦土の原因は、阪神・淡路大震災である。昨日まで目の前にあった日常の風景が、何の前触れもなく突然失われてしまう天災は、戦争とはまた違った傷を残すのかもしれない。たんぽぽの黄は、希望の春の象徴であり、その色彩を黒々とした土がいっそうくっきりと見せている。中七と下五の間合に、深い悲しみがある。「ああ生きてをり」と題された連作は〈春立ちぬ春立ちぬああ生きてをり〉で締めくくられている。「協会賞・新人賞作品集」(1999・日本伝統俳句協会編)所載。(今井肖子)


August 1782007

 膝抱けば錨のかたち枇杷熟れる

                           坪内稔典

、海軍、滅亡、沈没、死者、敗戦、夏・・・というふうに日本人の連想は続く。夏と敗戦のつながりは決定的で、夾竹桃や百日紅からもすぐ敗戦を連想する人さえいる。そういう日本人がいなくなる未来はどのくらい経ったらやってくるのだろう。テレビの街頭インタビューで日本がアメリカと戦ったということすら知らない若者が何人もいたが、これはにわかには信じがたい。日本人の大学進学率は確か七十パーセントを超える。第二次大戦は言わずもがな、ポツダム宣言あたりを知らなければ大学はおろか、有名私立中学にも受からない。あのテレビはやらせだ。この句は日本人の苦い連想の上に立っている。「膝抱けば」は死者の姿勢。沈んでいる遺骨への思い。同じ句集の中の「赤錆のわたしは錨草茂る」も同様の内容。この句では、陸の上にある見えている錨が描かれる。わたし即ち錨という発想だが、草茂るもあるし、わたし、日本人、戦争、夏、というイメージからは離れられない。作者もその効果を承知で構成している。錨即ち海軍。どうも帝国海軍は知的であったのに帝国陸軍が横暴で敗戦必定の戦争に持ち込んだという論議が一般的だ。ほんとにそうかなあ。海軍もめちゃくちゃな作戦で多くの海戦をやったように思える。今から見れば。『月光の音』(2001)所収。(今井 聖)


April 2742008

 春の蛇口は「下向きばかりにあきました」

                           坪内稔典

うしてこの句に惹かれるのだろう、というところから考えはじめなければならないようです。文芸作品に接するとき、通常は、言葉で巧みに描かれた「意味内容」に、心を動かされるものです。しかし、掲句を読むかぎり物事はそう単純ではないようです。意味はわかりやすくできています。蛇口というのはたいてい下向きについているものですが、人か、あるいは蛇口自身が、ある日、そのことにもう飽きたといいだしたのです。たしかに、だれもなんとも思わないものを、このようにとり上げられれば、そうかそんな見方もあるのかという驚きは感じます。しかし、この句に惹かれる理由は、それだけではないようです。また、「春の」とあるように、のんびりとした雰囲気の中で、深刻なことは考えないで、水のこぼれている栓のゆるい蛇口でも眺めていようよという、心地のよいちからのぬけかたも感じます。しかし、それだけでもなさそうです。たぶん、俳句という、ここまでは言い切ってしまったけれども、ここから先はどんなふうに書きついでも台無しになる世界、そこにこそ、私は惹かれるのかなと、思うのです。『現代の俳句』(1993・講談社)所載。(松下育男)


August 0782008

 膝に乗る黒猫の愚図夜の秋

                           坪内稔典

になると昼の暑さが遠のき一足先に秋が到着したように涼やかな夜風が吹き抜けてゆく。今日から暦のうえでは「秋」に移行するわけだけど、とりわけこの頃の季感にこの季語が似つかわしく思われる。日中は毛だらけの猫がそばに寄ってくるだけでも疎ましいが、そよそよと吹く風に汗もひき、ふと膝に寂しさを覚えるとき、座り込んでくる猫の重みもうれしい。俊敏な動きの猫の名が「愚図」というのも面白いが、「黒」と「愚」の字の並びにたっぷりとした夜の闇が猫に化身したごとき不思議が感じられる。出だしの「膝」と結語「秋」のイ音がくぐもった音を連続させた全体の調子を引き締めている。「ほかのあらゆる類似の言葉を拒んでその特別に選ばれた言葉どおりくりかえし口誦されることを望んでいる」とは高柳重信の言葉だが、リズミカルな口誦性とイメージの豊かさはこの作者のどの句にも共通する特色だろう。『京の季語・夏』(1998・光村推古書院)所載。(三宅やよい)


July 1472009

 黒猫は黒のかたまり麦の秋

                           坪内稔典

の秋とは、秋の麦のことではなく、ものの実る秋のように麦が黄金色になる夏の時期を呼ぶのだから、俳句の言葉はややこしい。麦の収穫は梅雨入り前に行わなければならないこともあり、関東地域では6月上旬あたりだが、北海道ではちょうど今頃が、地平線まで続く一面の麦畑が黄金色となって、軽やかな音を立てていることだろう。掲句の「黒のかたまり」とは、まさしく漆黒の猫そのものの形容であろう。猫の約束でもあるような、しなやかな肢体のなかでも、もっとも流麗な黒ずくめの猫に、麦の秋を取り合せることで、唯一の色彩である金色の瞳を思わせている。また、同句集には他にも〈ふきげんというかたまりの冬の犀〉〈カバというかたまりがおり十二月〉〈七月の水のかたまりだろうカバ〉などが登場する。かたまりとは、ものごとの集合体をあらわすと同時に、「欲望のかたまり」や「誠実のかたまり」など、性質の極端な状態にも使用される。かたまりこそ、何かであることの存在の証明なのだ。かたまり句の一群は「そして、お前は何のかたまりなのか」と、静かに問われているようにも思える。『水のかたまり』(2009)所収。(土肥あき子)


September 0792009

 ネクタイをはずせ九月の蝶がいる

                           坪内稔典

便宜上「秋の蝶」に分類しておく。が、九月の蝶はまだ元気だ。元気だが、私たちは蝶がやがて「秋の蝶」と言われる弱々しい存在になっていくことを知っているので、その元気さのなかに、ちらりと宿命の哀しさを嗅ぎ取ってしまう。このときに、例えれば作者もまた「九月の蝶」みたいな存在なのだ。だから、この句は作者自身への呼びかけである。「ネクタイをはずせ」と、自分自身に命令している。ネクタイは男の勤め人のいわば皮膚の一部みたいなものなので、日頃は職場ではずすことなど意識にものぼらない。それが、たまさかの蝶の出現でふと意識にのぼった。と言っても、はずせばただ解放された気分になってセイセイするというものでもないことを、作者は承知している。はずした先は、「秋の蝶」的な弱々しくも不安な気分にもなるであろうからだ。でも、あえて「はずせ」と言ってみる。自分はもはや、そうした年齢にさしかかってきた。はずせと誰に言われなくても、はずすときは確実に訪れてくる。自分の意志からではなく、社会の要請によってである。そんな哀しき現実の到来を前にして、みずからの意思でネクタイをはずしてみようかと、作者は蝶を目で追いながら、なお逡巡しているようにも思えるなと、ネクタイをはずして久しい私には受け取れた。『高三郎と出会った日』(2009)所収。(清水哲男)


September 2492009

 あの頃へ行こう蜻蛉が水叩く

                           坪内稔典

の頃っていつだろう。枝の先っちょに止まった蜻蛉を捕まえようとぐるぐる人差し指を回した子供のころか、いつもの通学路に群れをなして赤蜻蛉が飛んでいるのを見てふと秋を感じた高校生の頃なのか。今、ここではない別の場所、別の時間へ読み手を誘う魅力的な呼びかけだ。その言葉に「汽車に乗って/あいるらんどのような田舎へ行こう/ひとびとが祭の日傘をくるくるまわし/日が照りながら雨のふる/あいるらんどのような田舎へ行こう」という丸山薫の「汽車にのって」という詩の一節を思い出した。掲句には、この詩同様ノスタルジックな味わいがある。あいるらんどのような田舎に蜻蛉は飛んでいるだろうか。汽車に乗らなくとも川原の蜻蛉がお尻を振って何度か水を叩くのをじっと見つめれば、誰でもギンヤンマやシオカラトンボを夢中になって追いかけた少年の心持ちになって、それぞれの「あの頃」へ戻れるかもしれない。『水のかたまり』(2009)所収。(三宅やよい)


December 24122009

 雪が来るコントラバスに君はなれ

                           坪内稔典

ントラバスはチェロよりも大きく、ジャズの演奏にはベースとして登場する。低音の暖かい音色が魅力の楽器である。チェロよりはややロマンチックでないかもしれないが、ボンボンと響くその音が楽曲の全体をおおらかにひき締める大切な役柄を担っている。真っ黒な雪催いの空が西から近づいてきて、今夜は吹雪くかもしれない。その時は僕がしっかり両腕で受けとめてあげるから君はコントラバスになりなさい。やさしい言葉だけどしっかりした命令形が頼もしい。これは最高に素敵な求愛の言葉。二人だけの夜にこんな言葉をささやかれたら女性はすぐに頷いてしまうだろう。世の男性たちも自分の心持ちをお洒落に表現する言葉の使い手になってひそかに思いを寄せる女性たちを口説いてほしい。今夜はクリスマスイブ、雪と求愛が一年で一番似合う夜が訪れる。『水のかたまり』(2009)所収。(三宅やよい)


March 2832011

 列島をかじる鮫たち桜咲く

                           坪内稔典

いぶ前にはじめてこの句を読んだとき、一コマ漫画みたいだなと思った。真ん中に日本地図があって、周囲の海から獰猛な目つきの鮫たちが身を乗り出すようにして、容赦なくガリガリと列島をかじっている。地図の上では、そんなこととは露知らぬ人たちが暢気に開花したばかりの花に浮き立っている図だ。みんなニコニコと上機嫌である。といって、句はそんな人間の営みを揶揄しているのでもなく、批評しているわけでもない。ただ、人間とはそうしたものさと言っているのだと思う。どこか滑稽でもあり、同時に切なくもなる。そして、再びいまのような状況の中で読んでみると、この句の味わいはより鋭く心に刻まれるようだ。日本中に善意の押し売りが蔓延し、「がんばろう日本」などという空疎なスローガンが飛び交うなかで、この句のリアリティが増してくる事態を、どう考えればよいのか。テレビのCMで頻繁に流れてくる金子みすゞの「みんな良い人」みたいな詩よりも、こういうときにこそ、せめてこういう句を流せるようなタフな国になってほしいものだと思う。『百年の家』(1995)所収。(清水哲男)


June 2562012

 睡蓮や十年前の日が射して

                           坪内稔典

く出かける神代植物公園(東京都調布市)は、睡蓮の宝庫と言ってよいだろう。毎夏、公園の池には温帯性の睡蓮がたくさん咲くし、温室に入ると熱帯性の花を数多く観ることができる。名前のとおりに、睡蓮は「睡る花」である。日が射せば開花するのだから、句のように「十年前の日」にも反応するはずである。この発想は、とても面白い。面白いと同時に、作者が句の睡蓮に郷愁を覚えているさまをよく表している。「この花はいつか見た花」というおもむきだ。「十年一日のごとし」という感慨も、ちらりと頭をかすめる。そしてまた、水に浮かぶこの花の風情が、さながらモネの描いた睡蓮のように、どこか永遠性を秘めていることをも告げているようだ。睡蓮を眺めていると、私はいつも「全て世は事も無し」と呟きたくなる。「十年前の日が射して」いるせいかもしれない。『ぽぽのあたり』(1998)所収。(清水哲男)


December 28122015

 老人はすぐ死ぬほっかり爆ぜる栗

                           坪内稔典

生観などというものは、それを考える者の年齢や体調によって変化する。夏くらいから調子をくずして、病院通いがつづいていた。ここに来て無罪放免とはいかないけれど、一応日常的には病院と縁が切れたのだけれど、最近は自分の死に方についてあれこれ考える機会が多くなってきた。そんななかで出会った一句だが、いまの私の死生観に近い心境が詠まれていると思った。ざっくばらんに言ってしまえば生きていることについて、「もうこの辺でいいや」という感覚が濃くなってきた。といって自暴自棄というのではなく、句にあるような一種なごやかな思いのうちに死んでいけそうという思いのなかで、人生上の納得が得られそうな気が得られそうだからだ。まこと人がおだやかに逝くとは、栗がほっかり爆ぜるように、やすらかな自爆を起こすからなのだろう。『ヤツとオレ』(2015)所収。(清水哲男)


January 2112016

 冬晴れへ手を出し足も七十歳

                           坪内稔典

晴れへ足と手を出して、ああ、自分も七十歳なのだなぁ。と感慨を込めて空を見上げる情景とともに、この「手を出し足も」が曲者だと思う。「手も足も出ない」となると。まったく施す手段がなくなって窮地に陥るという意味だが、この言葉を逆手にとって、手も足も出すのだから、なに、七十歳がどうした、これからさ、という気概が感じられる。また「手を出し」でいったん休止を入れて「足も」と音だけで聞くと、伊予弁の「あしも」と重なり。早世した子規と作者が「あしも七十歳ぞ」と唱和しているようだ。「霰散るキリンが卵産む寸前」「びわ食べて君とつるりんしたいなあ」言葉の楽しさ満載の句集である。『ヤツとオレ』(2015)所収。(三宅やよい)




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