1997N35句(前日までの二句を含む)

March 0531997

 新聞紙揉めば鳩出る天王寺

                           摂津幸彦

阪の天王寺界隈は、不思議なところだ。近鉄百貨店の本店があり有名な動物園があり、ゲーテ書房という本屋があり競輪選手の宿泊所があり、古風な写真館があり伊東静雄の通った中学校もあり、釜ケ崎を控え、したがって近くには通天閣があり……。たしかに手品の鳩でも出てきそうな、なんでもありの街である。それでいて、いや、だからこそか、いまいち活気には欠けており、どうしても場末という感じは拭いきれない。一読、鹿々(平凡なさま)を愛した作者ならではの着眼であり、天王寺を知る人ならば必ず納得のいく句であろう。『鹿々集』所収。(清水哲男)


March 0431997

 春暁や眠りのいろに哺乳瓶

                           河野友人

このどなたの眼力によるものかは知らねども、「味の味」(アイデア刊)という月刊PR誌に毎号掲載されている作品の選句センスは、なかなかのものだ。当方も、うかうかしてはいられない。この句は、今年の3月号に載っていた。早朝に目覚めた若い作者の目に、ぼんやりと見えてくる哺乳瓶。そっと赤ん坊に目をやると、まだすやすやと眠っている。はじめて父親になった実感が、じわりと涌いてくる時なのである。「眠りのいろに」という表現が、作者の幸福感を見事に裏づけている。私にも、そんな時期がたしかにあった。(清水哲男)


March 0331997

 裏店やたんすの上の雛祭り

                           高井几菫

店(うらだな)の「店」は家屋の意味。落語などでお馴染みの裏通りの小さな住居である。段飾りなど飾るスペースもなく、経済的にもそんな余裕はない。したがって、小さな一対の雛がたんすの上に置かれているだけの、質素な雛祭りだ。でも、作者は「これでいいではないか、立派なものだ」と、貧しい庶民の親心を称揚している。現代であれば、さしずめ「テレビの上の雛祭り」といったところだ。すなわち、かつての我が家の雛祭り。学習雑誌の付録を組み立てては、毎年飾っていた。作者の几菫(きとう)は十八世紀の京の人。蕪村門。(清水哲男)




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