1997N36句(前日までの二句を含む)

March 0631997

 勿忘草蒔けり女子寮に吾子を入れ

                           堀口星眠

忘草(わすれなぐさ)は、英名の"FORGET ME NOT"からつけられた名前。元来は恋人への切ない想いを託した命名であるが、ここでは旅立っていった娘を案じる父親の気持ちが込められている。春は別れの季節。進学や就職で、子供は親元を離れていく。親も、その日が来ることを覚悟している。が、赤ちゃんのときからずっと一緒だった吾子に、いざ去られてみると、男親にもそれなりの感傷がわいてくる。淋しい気分がつづく。このときに作者は、たぶん気恥ずかしくなるような花の名を妻には告げず、何食わぬ顔で種を蒔いたのだろう。この親心を、しかし、遠い地の女子寮に入った娘は知らないでいる。それでよいのである。(清水哲男)


March 0531997

 新聞紙揉めば鳩出る天王寺

                           摂津幸彦

阪の天王寺界隈は、不思議なところだ。近鉄百貨店の本店があり有名な動物園があり、ゲーテ書房という本屋があり競輪選手の宿泊所があり、古風な写真館があり伊東静雄の通った中学校もあり、釜ケ崎を控え、したがって近くには通天閣があり……。たしかに手品の鳩でも出てきそうな、なんでもありの街である。それでいて、いや、だからこそか、いまいち活気には欠けており、どうしても場末という感じは拭いきれない。一読、鹿々(平凡なさま)を愛した作者ならではの着眼であり、天王寺を知る人ならば必ず納得のいく句であろう。『鹿々集』所収。(清水哲男)


March 0431997

 春暁や眠りのいろに哺乳瓶

                           河野友人

このどなたの眼力によるものかは知らねども、「味の味」(アイデア刊)という月刊PR誌に毎号掲載されている作品の選句センスは、なかなかのものだ。当方も、うかうかしてはいられない。この句は、今年の3月号に載っていた。早朝に目覚めた若い作者の目に、ぼんやりと見えてくる哺乳瓶。そっと赤ん坊に目をやると、まだすやすやと眠っている。はじめて父親になった実感が、じわりと涌いてくる時なのである。「眠りのいろに」という表現が、作者の幸福感を見事に裏づけている。私にも、そんな時期がたしかにあった。(清水哲男)




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