x句

March 0631997

 勿忘草蒔けり女子寮に吾子を入れ

                           堀口星眠

忘草(わすれなぐさ)は、英名の"FORGET ME NOT"からつけられた名前。元来は恋人への切ない想いを託した命名であるが、ここでは旅立っていった娘を案じる父親の気持ちが込められている。春は別れの季節。進学や就職で、子供は親元を離れていく。親も、その日が来ることを覚悟している。が、赤ちゃんのときからずっと一緒だった吾子に、いざ去られてみると、男親にもそれなりの感傷がわいてくる。淋しい気分がつづく。このときに作者は、たぶん気恥ずかしくなるような花の名を妻には告げず、何食わぬ顔で種を蒔いたのだろう。この親心を、しかし、遠い地の女子寮に入った娘は知らないでいる。それでよいのである。(清水哲男)


December 25122000

 悲しみの灯もまじる街クリスマス

                           堀口星眠

リスマスの街は、はなやかだ。行ったことはないけれど、毎年テレビで報道されるニューヨークの街の灯などは、ちらと見るだけで楽しくなる。わくわくする。が、そうした華麗な灯のなかに「悲しみの灯も」まじっているのだと、作者は言う。はなやかな情景に、悲しみを覚える心。詩人の第一歩は、このあたりからはじまるようだ。その意味で揚句は、詩人の初歩の初歩を踏み出したところにとどまってはいるが、しかしクリスマスの句としては異彩を放っている。類句がありそうで、ないのである。私事ながら、昨日、辻征夫などとともに、同人詩誌「小酒館」のメンバーであった加藤温子さんが急逝された。しかも加藤さんはキリスト者であられたから、揚句の訴えるところは身にしみる。この句は以前から知ってはいたが、身近な方に亡くなられるてみるまでは、こんなにも心に響くとは思ってもみなかった。私の持論で、俳句は「思い当たりの文学」と言いつづけてきたけれど、ますますその感を深くすることになった。作者の「悲しみ」は、知らない。知らないが、透き通るように、私の悲しみは揚句と重なり合う。作者はみずからの「悲しみ」をあえて伏せ、「思い当たる」読者にだけ呼びかけて応えてくれれば、それでよしと考えたのだろう。悪く言えば、罠を仕掛けたわけだ。その罠に、今日の私は、てもなくかかったという次第である。作者は「普遍」をもくろみ、読者は機会次第で、その罠にかかることもあり、かからないこともあるということ。これも、俳句の面白さだ。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


February 2022001

 眠る山薄目して蛾を生みつげり

                           堀口星眠

語は「眠る山(山眠る)」で冬季だが、冬の間は眠っていた山が目覚めかけて「薄目して」いるのだから早春の句だ。山のたくましい生産力を描いて妙。早春の山というと、私などはすぐに木々の芽吹きに気持ちがいってしまうけれど、それでは凡に落ちる。当たり前に過ぎる。というよりも、山を深くみつめていないことになる。山は、我々の想像以上に多産なのだ。植物も生むが、動物も生む。もちろん「蛾」も生むわけだが、ここで「蛾」を登場させたところが素晴らしい。「蝶」ではなくて「蛾」。「蝶」でも悪くはないし、現実的には生んでいるのだが、やはり「薄目して」いる山には、地味な「蛾」のほうがよほど釣り合う。「蝶」であれば、「薄目」どころかはっきりと両眼を見開いていないと似合わない。「薄目」しながら、半分眠っている山が、ふわあっふわあっと、幼い「蛾」を里に向けてひそやかにかつ大量に吹きつづけているイメージは手堅くも鮮やかである。「蛾」の苦手な人には辛抱たまらない句だとは思うが、それはまた別次元での話だ。大岡信さんが新著『百人百句』(講談社)で、書いている。「星眠は、自然界の描写という点では師匠の水原秋桜子直伝のよさがあり、秋桜子が『葛飾』で水辺の世界をよく描いているのに対して、山の生物を描いているところに特色がある」。私のような山の子は、どうしても秋桜子より星眠に親近感を覚えてしまう。『祇園祭』(1992)所収。(清水哲男)


March 2332003

 はこべ挿す模型の小鳥慰めて

                           堀口星眠

語は「はこべ(繁縷)」で春。春の七草の一つとして知られる。が、案外、具体的に名前と実物が一致しない人は多いようだ。そんじょそこらに沢山自生しているにもかかわらず、皮肉なことに、かえってきちんと名前を覚えられない宿命にある草だ。それはともかく、はこべは小鳥の好物だそうである。それを知っている作者は、淋しそうに見えた「模型の小鳥」に、本物の餌を与えてやった。本物の鳥として扱ってやった。なんという優しい心遣いだろうか。この句を読む読者のすべてが、作者の優しさに共感し微笑するだろう。なぜならば、読者自身にもそうした優しさがあり、思い当たるところがあるからだと思う。掲句の世界は、ここですぐれて叙情的に完結する。しかしながら……と、私はすぐに余計なことを考える。悪癖だ。句は完結しても、これからの作者はもとより、読者の人生もまたしばらくは完結しない。完結しないから、掲句の優しさを持つすべての人が、すべて優しい気持ちを保ちながら生きていくわけではない。保とうとしても、そうはいかない外圧を受ける場合もあるだろうし、みずからの野望で優しさを崩す場合もあるだろう。いや、こんなに大袈裟に言うこともない。日ごろの私の心情を、さっとなぞってみるだけで十分だ。永遠の優しさは神のみに固有のものであり、その神を造ったのは他ならぬ人間である。だから、ときどき人は神に憧れて、神よりもよほど非合理的に優しくふるまったりもするのだろう。「俳句研究」(2003年4月号)所載。(清水哲男)


August 0982005

 まろび寝に氷菓もたらす声にはか

                           堀口星眠

語は「氷菓(ひょうか)」。アイスキャンデーやアイスクリームなど、夏の氷菓子の総称。暑い日の昼下がり,寝ころんでうとうとしていると、家人から「にはか」の声がかかった。アイスキャンデーを買ってきたから,すぐに起きて来なさいと言う。いまでこそ、冷凍庫に保管しておいて後で食べるテもあるけれど、冷蔵庫の無い時代はそうは行かなかった。買ってきたらすぐに食べないと,たちまち溶けてしまう。待った無し、なのである。だから気持ちよげに昼寝をしている人であろうが、無理にでも起こさなければならなかった。しかしこういう場合には,急に起こされた側も悪い気はしないものだ。機嫌良く「おっ」と跳ね起きて,既に少し溶けかけて滴っているバーを手にするのも、真夏ならではの楽しいひとときだったと言える。それにつけても毎夏残念に思うのは,私が子供だったころのような固いアイスキャンデーが無くなってしまったことだ。出来たてはとくにカチンカチンで、少々のことでは歯が立たないほどだった。だからまず、しばらくしゃぶって柔らかくしたものだが、このときに舌にぴたっと氷が吸いついてくる感じも忘れられない。あの固さは多分、原料にミルクを使わなかった(高価で使えなかった)せいだろう。安物だったわけだ。が、私はいまのものより、数倍も美味かったと信じている。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)




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