1997N39句(前日までの二句を含む)

March 0931997

 蝶が来てしらじらしくも絵にとまる

                           安田くにえ

れからの季節。戸外にイーゼルを立てて、絵を描く人が増えてくる。我が家の近所では、井の頭公園、神代植物公園など。見かけると、ほほえましい気分になる。通りがかりの人は、たいていひょいと絵をのぞいていく。なかには、立ち止ってしばし筆使いをみつめる人もいる。そんな折りに、たまさか蝶が飛んできて、絵にとまったというのである。すなわち、絵に描いたような出来事が起きた……。「こいつは出来過ぎだなあ」と、作者は苦笑している。「蝶よ、そこまでやるのかよ、しらじらしいぞ」と、絵の外の偶然の絵画的光景の発見に目を細めている。これぞ、俳句の楽しさ。俳諧の妙。(清水哲男)


March 0831997

 耕人は立てりしんかんたる否定

                           加藤郁乎

とともに生きるのは容易なことではない。農家の子供だった私には、よくわかる。いかに農業が機械化されても、同じことだ。春先、田畑をすき返す仕事はおのれの命運をかけるのだから、厳粛な気持ちを抱かざるを得ない。春の風物詩だなんて、とんでもないことである。この句は、土とともに生きてはいない作者が、土とともに生きる人の厳粛な一瞬と切り結んだ詩。かつての父母など百姓の姿も、まさに「しんかんたる否定」そのものとして、田畑に立っていたことを思い出す。いまどきの人の安易な農業嗜好をも、句はきっぱりと否定している。(清水哲男)


March 0731997

 空をゆく花粉の見ゆるエレベーター

                           大野朱香

じめて乗ったエレベーターは、大阪梅田は阪急百貨店のそれだった。小学二年。敗戦直後。まだ蛇腹式の扉で、昇降するときには各階の売り場が見え、その不思議さに圧倒された記憶がある。余談だが、ベーブ・ルースのエレベーター好きは有名で、遠征先のホテルで暇さえあれば楽しんでいたという。ボーイへのチップも莫大だったらしい。ところで昭和初期のエチケット読本の類には「昇降機の正しい乗り方」なる項目があり、「乗った人は扉と正対すること」などと書いてある。この句のエレベーターは、扉を背にして乗る(というよりも、どこを向いて乗っていればよいのか困ってしまう)最近のタイプのもの。花粉が見えるわけはないけれど、外が見える楽しさから、心がついこのように浮き立ってしまうときもある。(清水哲男)




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