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March 2431997

 見返れば寒し日暮の山桜

                           小西来山

といえば、京都祇園の枝垂桜(糸桜)や東京九段などの染井吉野が有名だ。これらは、観賞用に開発された品種である。まことに素晴らしい景観を供してくれるが、一方で、野生の山桜の姿も可憐で美しい。山陰に住んでいた子供の頃、近くの小山に一本だけ山桜があった。山桜は、若葉と同時に開花する。子供だから、とくに感じ入って見ていたわけではないが、この句のようにどこか愁いを含んだ花時のことが印象に残っている。あの老木は、現在どうなっているのだろうか。有名な奈良吉野山の山桜は、残念なことに、写真でしか見たことがない。作者の来山(1654-1716)は大阪の人。由平、のちに宗因門。(清水哲男)


August 1682005

 秋かぜやことし生れの子にも吹く

                           小西来山

西の「来山を読む会」編『来山百句』(和泉書院)を送っていただいた。小西来山は西鶴や芭蕉よりも若年だが,ほぼ同時代を生きた大阪の俳人だ。「酒を愛し,人形を愛し,そして何よりも俳句を愛した」と、帯文にある。掲句は一見どうということもない句に見えるが,それは私たちがやむを得ないことながら、現代という時代のフィルターを通して読んでしまうからである。前書きに、こうある。「立秋/天地平等 人寿長短」。すなわち来山は,自分のような大人にも「ことし生れの子」にも、平等に涼しい秋風が吹いている情景を詠み,しかし天地の平等もここらまでで、人間の寿命の長短には及ばない哀しさを言外に匂わせているわけだ。このときに「ことし生れの子」とは、薄命に最も近い人間の象徴である。一茶の例を持ち出すまでもなく,近代以前の乳幼児の死亡率は現代からすれば異常に高かった。したがって往時の庶民には「ことし生れの子」は微笑の対象でもあったけれど、それ以前に大いなる不安の対象でもあったのだった。現に来山自身,長男を一歳で亡くしている。この句を読んだとき,私は現代俳人である飯田龍太の「どの子にも涼しく風の吹く日かな」を思い出していた。龍太も学齢以前の次女に死なれている。「どの子にも」の「子」には、当然次女が元気だったころの思いが含まれているであろう。が、句は「天地平等」は言っていても「人寿長短」は言っていない。「どの子にも」という現在の天地平等が、これから長く生きていくであろう「子」らの未来に及ばない哀しさを言っているのだ。類句に見えるかもしれないが,発想は大きく異なっている。俳句もまた、世に連れるのである。(清水哲男)


March 1832007

 春雨や火燵の外へ足を出し

                           小西来山

が家の高校生の娘たちは、火燵(こたつ)のある生活を知りません。正月に実家に行ったときに、物珍しそうに何度か入ってみたことがあるだけです。江戸期に詠まれたこの句が、そのまま実感として理解できる時代も、もうそろそろ終りに近づいているのかもしれません。暖炉とか、火鉢とか、火燵とか、その場所へ集まらなければ暖をとれない、ということの意味が、ようやく理解できるようになってきました。みんなが足を運び、顔を並べることの温かさは、なにも暖房器具から発せられる熱だけのせいではなかったのです。家を濡らして朝からえんえんと雨が降り続いています。障子の向こうから聞こえてくる音は、もういきものを冷やすものではありません。とはいうものの、部屋のなかに火燵が置いてあればつい足を入れてしまいます。もう火燵をしまう時期だと思ってから、月日はだいぶ経ちました。そのうちに寒い日がまたあるかも知れないという言い訳も、もうききません。でも、火燵をしまうのに特別な締め切りがあるわけのものでもなし、そのうちに気が向けばしまうさ、と自分のだらしなさを許してしまいます。それにしてもこの陽気では、火燵はさすがに熱く、たまらなくなって足を引き抜きます。火燵の前に両足をたてて膝を抱え、なんとも窮屈な姿勢で、季節に背中を押されているのです。『新訂俳句シリーズ・人と作品 近世俳人』(1980・桜楓社)所載。(松下育男)


March 0832009

 湯屋まではぬれて行きけり春の雪

                           小西来山

の気持ち、実にそうだなと、思うのです。これから歩いて行く先は、間違いなく全身をあたたかく濡らしてくれる場所なのだから、そこまでの道のりで、多少ぬれてしまってもかまわないわけです。というよりもむしろ、身体を冷やしておいたほうがさらにお湯の気持ちよさは増すに違いなく、まちがっても無粋な傘などをさす気にはならなかったのでしょう。また、手ぬぐいや風呂桶などを手に持った上で、さらに傘を差すことは、歩くのに不自由でもあり、これくらいの雪ならば、体の上に好きに降らせたまま気分よく歩いてゆきたいと思う気持ちもわかります。時間は夜ではなく、まだ日のあるうち、道の両側に広がる風景や、雪を降らせている雲をでも、ゆったりと眺めながら歩いているようです。日ごろの鬱屈はひとまず忘れることにして、頭の中ではすでに服をすべて脱ぎ去り、やわらかな湯気の立ったお湯の表面に、つま先を差し入れているところなのかもしれません。句のはじめから最後まで、なんとも気持ちのよい出来上がりになっています。『角川俳句大歳時記 春』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


March 1532010

 春の夢気の違はぬがうらめしい

                           小西来山

山は、元禄期大阪の代表的俳人。芭蕉より十歳年下だが、交流の記録はないそうだ。上島鬼貫とは親しかった。来山というと、たいてい掲句が引用されるほど有名だが、一見川柳と見紛うばかりの口語調にもあらわれているように、俗を恐れぬ人であった。前書きに「淨しゅん童子、早春世をさりしに」とあり、五十九歳にして得た後妻との子に死なれたときの感慨である。この句を川柳と分かつポイントは、「春の夢」を季語としたところだ。「春の夢」はそれこそ俗に、人生一場の夢などと人の世のはかなさに通じる比喩として伝えられてきている。その意味概念は川柳でも俳句でも同じことだ。だが、川柳とは違い、季語「春の夢」はその夢の中身にはさして注目はしないのである。どんなに華やかな内容だったか、どんな艶なるシーンだったのかなどという詮索は無用とする気味が強い。この季語で大切なのは、目覚めたあとの現実との落差のありようなのであって、その落差をどう詠むかがいわば腕の見せ所となる。子を亡くした父親が、いかにプロの俳人だからとはいえ、文語調で澄ましかえって詠んだのでは、おのれの真実は伝わらない。口語調だからこそ、手放しで哭きたいほどの悲しみが伝えられる。つまり、彼は季語としての「春の夢」の機能を十全に活用し、「落差」に焦点をあてているわけだ。間もなくして来山も没したが、辞世は「来山は生まれた咎で死ぬる也それでうらみも何もかもなし」であったという。荘司賢太郎「京扇堂」所載。(清水哲男)


December 05122010

 我が寝たを首あげて見る寒さかな

                           小西来山

め人には朝おきるのがつらい季節になりました。眠さだけではなく、布団の外の寒さに身をさらすのが、なんとも億劫になるのです。特に月曜の朝に目覚ましが鳴ったときなど、いつもより30分早く会社に行けば仕事がはかどるだろうというつもりでセットした針を、自分で30分遅らせてまた眠ってしまいます。今日の句、眠った自分を、別の自分が外側から見ているという意味でしょうか。どうもそうではないような気がします。ただ首をもちあげて、横になった自分の体が布団の中にきちんとおさまっているかを確認しているだけのようです。「首あげて」の姿が具体的に思い浮かべられて、なんともおかしい句になっています。「我が寝たを」という言い方も、ちょっと無理があるかなという感じがしないでもありませんが、それも句の面白さの中では許されているようです。首をあげて確認したあとは、ありがたくも贅沢な眠りが、布団の中で待っていてくれます。『角川俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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