1997N325句(前日までの二句を含む)

March 2531997

 春服や若しと人はいうけれど

                           清水基吉

るい色のスーツを着て出社すると、何人かから「お若いですねえ」と声がかかる。よくある光景だ。照れ臭いような、嬉しいような……。しかし、日常的に自分にしのびよる老いの影は、自分がいちばんよく知っている。いくら若ぶっても、取り返しがつくはずもない。だから、照れた後で、一瞬、針のような寂しさが胸をつらぬく。ところで作者によれば、この句の初出で「春服や」の上五は「行秋や」になっていたという。つまり、後に句集に入れるにあたり「晩秋」を「春」に置き換えてしまったわけだが、私は改作された明るい寂しさのほうを採りたい。『宿命』所収。(清水哲男)


March 2431997

 見返れば寒し日暮の山桜

                           小西来山

といえば、京都祇園の枝垂桜(糸桜)や東京九段などの染井吉野が有名だ。これらは、観賞用に開発された品種である。まことに素晴らしい景観を供してくれるが、一方で、野生の山桜の姿も可憐で美しい。山陰に住んでいた子供の頃、近くの小山に一本だけ山桜があった。山桜は、若葉と同時に開花する。子供だから、とくに感じ入って見ていたわけではないが、この句のようにどこか愁いを含んだ花時のことが印象に残っている。あの老木は、現在どうなっているのだろうか。有名な奈良吉野山の山桜は、残念なことに、写真でしか見たことがない。作者の来山(1654-1716)は大阪の人。由平、のちに宗因門。(清水哲男)


March 2331997

 菜の花や月は東に日は西に

                           与謝蕪村

から二百年以上も前の俳句の一つがいつ詠まれたか日付までよくわかっているものだと半信半疑であるが、これが本当なら「菜の花や…」は蕪村四十八歳の作だ。天文学的考証をすれば、旧暦の十四日か十五日の情景を詠んでいることになる。それはともかく、蕪村は画家だけあって、この句も非常に絵画的である。放浪生活ののち俳句にのめりこみ、「芭蕉に復(かえ)れ」の主張の下、俳諧復興の指導者となった。絵も俳句もやり始めるととことん極める人で、才能だけに甘えず勉強を怠らなかった。その結果が非常に単純明快な言葉に落ち着いているのがニクイ。単純明快はたやすいようで、むずかしいのだ。わが故郷、神戸の須磨浦海岸へ行くと、蕪村のこれまた有名な句「春の海ひねもすのたりのたりかな」の碑が建っている。春の瀬戸内海はまさに、この句を絵にかいたようなものだった。(松本哉)

*この有名な句は、安永三年(1774)の今日(旧暦・2月15日)詠まれたと伝えられている。(編者註)




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