1997N328句(前日までの二句を含む)

March 2831997

 まさをなる空よりしだれざくらかな

                           富安風生

さに至福の時。見上げると、快晴の空から、さながら神の手が降し給うたように満開の花が枝垂れている。私などは京都祇園の枝垂桜が頭にあるから、ついでに「祇園恋しや だらりの帯よ」という歌の文句も連想してしまう。垂れている現象に美を感じる心は、日本人独特といってもよさそうだ。上五から下五にかけて作者の目線がすっと下りているところに注目。漢字が一字という技巧にも。かくのごとく豪華絢爛に詠まれた花は、もとより以て瞑すべしというべきか。(清水哲男)


March 2731997

 手をあげて此世の友は来りけり

                           三橋敏雄

に誘われた恰好で、ひさしぶりに会おうかということになったりする。年来の友だから、待ち合わせ場所で顔をあわせても、挨拶は「やあ」と軽く手をあげる程度だ。それですむのである。しかし、以前であれば、間もなくもう一人の共通の友人が、同じように「やあ」とこの場に姿を現したものだったが、彼は既に「此世」の人ではない。五十の坂を越えたあたりから、残された者は、この類の喪失感を何度も味わうことになる。そんなとき「此世」にいない人との別れ際の挨拶を思い出してみると、多くはただ軽く手をあげただけだったような気がする。敏雄に、もう一句。「死ねばゐず北へ北へと桜咲き」。死ねば存在しない。この場合の死者は、かつての戦争の犠牲者たちだと読める。(清水哲男)


March 2631997

 あたたかきドアの出入りとなりにけり

                           久保田万太郎

日文芸文庫新刊(97年4月刊)結城昌治『俳句は下手でもかまわない』所載の句。うまいですねー。この無造作な語り口。一歩誤れば実につまらない駄句になる所を、ギリギリの所で俳句にできる作者の腕の確かさ。まさに万太郎俳句の精髄がここにある。季語は「暖か」。この句の舞台はビルでしょうね。すると、ドアは回転ドアか。くるっと回れば、もう外は春です。杉の花粉も飛んでくるけど……。(井川博年)




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