1997N47句(前日までの二句を含む)

April 0741997

 女拗ねて先に戻りし桜狩

                           潮原みつる

狩(花見)といっても、楽しいことばかりが待ち受けているわけではない。「花疲れ」という季語もあるように、けっこう疲れるものだから、些細なことで口喧嘩になったりする。「だから気がすすまないって言ったでしょ。やっぱり来るんじゃなかったわ」と、連れが拗(す)ねて帰ってしまったという図。せっかくの花見がぶちこわしで、作者はどっと疲れてしまう。女の短慮だとは思うけれど、人間関係とはまことに難しいものだとも思い知らされた。ところで、帰ってしまう直前の女性の気持ちはどうだったかというと「花疲れ人に合せて笑顔して」(清水美登)というところか……。こんなふうに、いろいろなドラマを生んだであろう今年の桜花も、関東では終りに近い。(清水哲男)


April 0641997

 とへば茅花すべて与へて去にし子よ

                           中村汀女

こで摘んできたの」とでも、行きずりのその子に尋ねたのだろうか。その子は答えず、いきなり「これ、あげる」とだけ言って、作者に持っていた茅花(つばな)を全部押しつけるようにわたすと、駆けて行ってしまった。その子はきっと、見知らぬ女の人と口をきくのがまぶしく、羞ずかしかったのだろう。そんな子の態度に、作者はいとおしさを感じて詠んでいる。茅花といっても、若い人は知っているかどうか。イネ科の多年草。正確にいえば「茅萱(ちがや)の花」であるが、花がまだ細くとがった苞(ほう)に包まれている頃に食べると、柔らかくて甘い。だから、句の子供も、たくさん摘んで大切に持っていたのである。「去にし」は「いにし」と読ませる。(清水哲男)


April 0541997

 菫程な小さき人に生れたし

                           夏目漱石

見る乙女や心優しきご婦人が詠んだ句ではなく、髭をはやした漱石の句である。小さき者の愛らしさ、美しさは、人の心ををなごませてくれるが、漱石は、日本に「ガリバ旅行記」を本格的に紹介した人でもある。つまり、童話ではなく、堕落した人間の本質を抉る風刺小説であることを説いた。著者のスイフトも、「人類という動物」を激しく嫌いながらも、そのメンバーである一人一人の人間は大好きだといっている。人間を辱めたつもりの小説が、著者の意図に反して童話として読まれてしまう理由が、このあたりにある。(板津森秋)




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