1997N410句(前日までの二句を含む)

April 1041997

 あをあをと空を残して蝶分れ

                           大野林火

みあって舞いのぼった蝶が、空中でパッと二つに分れたのだ。その後の青空の美しさ。大野林火の耽美的傾向を代表する作として知られるこの句は、昭和16年作、句集『早桃』に収められている。同じ16年作に、「瓶の芒野にあるごとく夕日せり」という句もあるが、いずれも単純な構図の中に作者の美意識がよく顕れている。こうした句からも分るように、林火は自他共に許す抒情派であるが、句作とともに文章をよくし、随筆集『行雲流水』評論集『近代俳句の観賞と批評』など句集以外の著作も多い。明治37年生れ、臼田亜浪門。昭和21年、俳誌「濱」創刊主宰、同53年、俳人協会会長就任。同57年8月21日没。「先師の萩盛りの頃やわが死ぬ日」が辞世の句。先師は亜浪。(大串章)


April 0941997

 入園児父が与へし名を胸に

                           船津りん一

が子の幼稚園入園。両親の喜びは同じようでもあるが、しかし、この句のように少し違う場合もある。生まれたとき、あれこれ考えたあげくに苦心してつけた子供の名前が、やっと社会的に自立するときが来たのだから、誇らしく思えるのである。と同時に、少々こそばゆいような感じもある。だから、この複雑な思いをストレートに妻に告げる夫は、なかなかいないだろう。かくて、ここにこのような詩ができ、歌ができたわけである。(清水哲男)


April 0841997

 たけの子や畠隣に悪太郎

                           向井去来

く知られた芭蕉七部集のなかでも、『猿蓑』(元禄4年・1691年)は蕉風俳諧の円熟期の収穫とされるが、この句は猿蓑集巻之二・夏の部に登場する。去来の句のすぐ前に凡兆の「竹の子の力を誰にたとふべき」、すぐ後に芭蕉の「たけのこや稚き時の絵のすさび」がならぶが、いずれも理屈でもたつき、去来の直接的な明解さに及ばない。ニョキとはえ出たたけの子を隣りの土地から見つめている腕白小僧。たけの子のかわいさに柄にもなく見とれているが、じつは盗もうかいたずらしようかと悪智恵をめぐらしているようだ。俳句では古くからたけの子と子どもの連関が多く詠まれているらしいが、ここでは憎まれ小僧の"悪太郎"であるのがいかにも野趣があり、両者の対比が生きている。こうした健やかで愉快な初夏の情景が、今でもどこかに残っているだろうか。(八木忠栄)




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